第4話-6

 俺と景は海に行く計画を立てた。場所は近くの海水浴場にした。

「夏川先輩。水着を買おうと思うんですけど、マイクロビキニとスクール水着、どっちがいいですかね」

「好きにしたらいいと思うぞ。どっちでも他人のフリをするし」

「ネットで中古品を見たら、傷ありで大幅に値引きされたスクール水着が出品されていたんですけど、乳首のところが切りぬかれているんですよね」

「それ、AVの撮影で使われただろ」

 俺はため息をついた。

「お前は下ネタを入れずに話せないのか?」

「……」

 景は沈黙した。

「本当に話せないのかよ!」


 その翌日。俺と景は海水浴場に来た。

 8月下旬でも海水浴場はまだ賑わっていた。砂浜に水着姿の人びとが点在している。

 護岸の近くに脱衣所の小屋とシャワーが設けられている。

 俺の方が着替えるのは早く、景を待った。

 脱衣所から出てきた景を見て、俺は叫んだ。

「本当にスクール水着で来やがった!」

 マンガやアニメで見る旧式ではなく、現用のものだ。しかし海水浴場を見渡しても、学校指定の水着を着ているものは他にいない。

「買いたての新品ですよ」

 景は水着を見せつけるように胸を張った。どうしてそこまでするのか理解しがたい。

 場所柄を除けば、景の平らな胸にスクール水着は似合っていた。

 脱衣所から出てきた女性客2人が、景の方を見て何事か囁いていた。

 このままでは俺まで変質者だと思われてしまう。

 俺は景の手を引いて海辺に走った。

 波音とともに、水流が押寄せる。波頭の崩れた泡沫が、透明な海面を透かして砂地で影になっていた。

 濡れた砂地は、石膏のように足形がついた。

 景は水際まで足跡を伸ばしていたが、押寄せる波に声をあげ、小さな足を翻した。やがて水に慣れたころ、浅瀬に足を浸していった。踝のあたりに波がぶつかり、飛沫を立てる。景は笑声をあげた。

 景が手招きする。

「夏川先輩。あれやりましょうよ。砂浜で恋人が追いかけっこするヤツ」

「お前はバカだな… いいぞ」

「合図に、私が《誰か助けてー!》って叫びますから、そうしたら追いかけてください」

「お前じゃなく俺が捕まえられるぞ!」

 追いかけっこはしなくとも、俺たちは浜辺で遊びまわった。

 いい加減に疲れて砂浜に座りこむ。熱砂の感覚が尻に伝わった。

 俺より体力のない景は疲労困憊し、肩で息をしていた。

 2人で海を眺める。

 こちらに向かう海面の起伏が、次第に波頭の形に傾斜し、波音とともに崩れる。その無限に反復する様子を見ていると、忘我する心境になった。

 平和だ…

 退屈しのぎに景にちょっかいでも出すか。

 そう思い、隣を見る。

 景は遠い眼差しで海を眺めていた。

「……」

 その横顔が凛然としていて、俺は伸ばしかけた手を下ろした。

 その後、俺は1人で遠泳に行った。戻ってから、景と波打ち際で遊び、売店で軽食をとり、最後に海を眺めた。

 シャワーで砂と全身に着いた塩気を流す。私服に着替え、帰途に着いた。


 時刻はすでに夕方で、日差しが傾いていた。

 山間の道路を俺と景は歩いていた。景は俺より数歩遅れていた。水泳と水遊びによる疲労で、全身に鈍重感があった。蜩の合唱が、山間に響いていた。

「夏川先輩」

 景の声がした。

 ふり返る。橙色の斜光が注ぎ、景は影をまとったようだった。

「好きです」

 どう答えるか思案し、

「俺もだ」

 と言った。

 どちらともなく歩みより、俺たちは抱きあった。

 俺の胸に顔を埋めたまま景は言った。

「明日、学校に私物を取りにいきます」

「そうか」

「その翌日には始業式ですから、先輩と顔を合わせる機会もなくなります」

「残念だ」

 景は顔をあげた。俺と視線が合う。

 顔を近づけ、唇を重ねようとすると、そっと景が止めた。

 俺たちは数歩の距離を置いた。

「やめておきましょう」

「……」

「以前、私が言ったことを憶えていますか」

 景は俺の顔を見つめた。

「ギャルゲーは、最後のイベントCGを開放させずに終わらせるって。そうしたら、そのギャルゲーの世界は永遠に続いていくって」

 俺は頷いた。

「永遠はありました。だから、物語を終えずに終わらせましょう。そうすれば、この夏は永遠になります」

 景は挑発するように笑った。

「もっとも、夏川先輩が肉欲を抑えきれないというなら別ですが」

「いや。…俺も賛成だ」

 俺たちは並び、ふたたび歩きだした。

 俺の心は晴れわたっていた。体よくキスを拒まれたのと同じだが、気分は清々しかった。

 高揚した気分のまま、歩を進める。

 景が言う。

「ありがとうございました。夏川先輩。さよなら…」

 夕暮れの中、俺たちは帰路を歩いていった。

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