第4話-2

 俺と景はふたたび制服を着て、病院のボランティアに行った。本来なら前回のあと、もう1日予定があった。だが、懲戒処分を検討する会議と日付が重なった。

 いまさら心証を良くしても意味がないが、辞退もできないので仕方ない。それに、この日が最終日だった。

 青空は眩しく、地平線に近づくにつれ光輝を強めていた。

 K総合病院の建物が見える。外壁の突端から、白い壁面に画然とした影が落ちていた。

 正面玄関に入る。自動ドアの金属製の枠組みが、風除室の床に模様を投影していた。

 俺と景は事務室で挨拶し、指示された作業をはじめた。

「またここに来ましたね」

「そうだな」

 老婆ばかり8人も入院している病室の大部屋を前に、景は言った。

 俺も辟易したが、砂井の顔を見ることに期待する気分もあった。

 挨拶し、掃除を済ませていく。窓際にある砂井のベッドは空だった。不在かと思ったが、名札もない。退院したらしい。

「砂井さん、退院したんですね」

 隣のベッドにいる老婆に話しかける。

 老婆は大げさに答えた。

「それがね、砂井さん、亡くなったのよ」

「え…」

 俺は絶句した。

「昨日の朝、起きたらもう冷たくなってたのよ。もうみんなビックリしたわよ」

「そうでしたか…」

「アタシらも年だしねェ、他人事じゃないわよ。でもポックリ逝けてよかったんじゃないかしら。ああいう死に方がいちばん幸せよねェ」

 近くの老婆たちが声をあげて同意する。

 俺はその後の世間話を漫然と聞くことしかできなかった。景も呆然としていた。

 休憩時間に、ナースステーションで砂井のことを尋ねた。

 看護師の言ったことは、老婆たちとほぼ同じだった。

「病気じゃなくて老衰だからね。安らかな最期だったと思うよ」

「そうですか…」

 俺たちが礼を言うと、看護師は思わしげにした。

「ご遺体はまだ病院にあるけど、よかったら焼香していく? 私もこれから休憩だから」

 俺と景は顔を見合わせ、頷いた。

 看護師はどこかに連絡してから、俺たちを案内した。話を聞くと、看護師は砂井の担当看護師だった。

「親族が東京にいる息子さんだけで、葬儀も東京で挙げるみたい。今日、遺体を引きとりに来るって」

 霊安室は地下にあった。看護師は俺たちを待たせた。遺体安置室から霊安室まで、他の職員とストレッチャーで遺体を移動させたらしい。俺たちは重ねて礼を言った。

 焼香が終わったら内線で呼ぶように言い、看護師は去った。

 霊安室は白いパネルの壁材と、合成樹脂の床材の小室だった。照明は弱く、薄暗い。白布のかかった祭壇があり、線香立てと蝋燭立てが置かれている。

 中央の寝台に遺体が寝かされていて、白布がかけられていた。

 かすかに白布を下ろし、死に装束を着た砂井の顔を確認する。

 俺たちは焼香し、遺体に向けて合掌した。

 しばらく無言のまま時間を過ごしていると、いきなり景が白布を剥ぎとった。

「おい!」

 全身が見えると、砂井の存在感は、より生々しいものとなった。

 俺の制止を無視し、景は砂井を見下ろしていた。

 白布を元のように掛けなおそうとすると、景が言った。

「死んでいるように見えませんよね」

「……」

 その言葉に、俺は動きを止めた。

 たしかに、砂井は皮膚が乾燥し、血色が退潮しているだけで、寝姿と変わりなかった。

 景は砂井の手を取った。だが、短く声をあげ、すぐに手を離した。

「冷たい。それに固くなってる…」

 景は硬い声で言った。

 俺は景の触れた箇所に手を置いた。肌に体温がない。それに関節の近くに触っても、鉄心が通してあるように動かなかった。

 俺は元通りに白布をかけた。

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