第4話-1
生徒のいない学校は廃墟のようだ。廊下に窓からほぼ垂直に日射しが差し、床に破線のような光明ができている。窓外から、蝉の声と運動部のかけ声が遠くに聞こえていた。
俺と景、海野先輩の懲戒処分を検討するため、学校関係者が来校していた。当然、俺たち3人も来ている。
学校に侵入し、プールを無断利用した日の顛末はこうだ。
たしかに学校の外周や校舎に警報器は設置されていなかったが、プールの更衣室には設置されていた。
俺の入学する前年度に、更衣室で金品の盗難事件があり、そのために設置された。犯人の生徒は退学処分になっている。
夏季休暇の間も水泳部がプールを利用するため、警報器は稼働していた。
景が窓を叩いたことにより警報器が作動、警備会社の事業所から警備員が現場の確認に来た。警備員は俺たちを見つけ、事業所に連絡した。事業所は当番の教師に連絡した。
当番の教師により、俺たちは名前を控えられ、保護者に連絡された。
そして日時を調整し、この日に懲戒処分を検討する会議が設置された。
出席者は俺たちの他、校長、副校長、各学年主任、各担任、生徒指導担当、当番の教師、そして生徒会長だ。
八島は他の生徒会役員も登校させていた。求められているのは形式的に出席することだけだろうが、それでは済ませないつもりらしい。とはいえ、八島を除く生徒会役員は、状況に困惑しているようだった。
はじめに、職員室の隣にある会議室で、当番の教師から状況の報告が行われた。その間、俺たち3人は生徒会室で待機していた。
やがて、八島が生徒会室に戻ってきた。
俺は八島に言った。
「高校最後の夏休みなのに、悪かったな。遊びに行く予定でもあったか?」
「いや。今日は内定先の会社で、見学を兼ねて手伝いをする予定だった。教育係のひとに行けないことを連絡するのが気まずかったよ」
八島はそっけなく言った。
「警備会社の報告書を読んだぞ。脚立まで用意したんだってな。ウチの正門は乗りこえられるぞ。閂が付いているからな。それを足掛かりにすれば越えられるんだ。ときどき、開門する前に運動部の連中が校内に入って叱られてるよ」
「生徒会長とはいえ、赤の他人のためにここまでするとは。責任感が強いんだな」
八島は怒るでもなく、厳しい目付きをした。
「お前… 緊張感がないな」
俺は八島の態度に戸惑った。
「どうかしたか? 説教ならしてくれていいぞ」
八島は強張った声で言った。
「教師たちの話じゃ、処分は2学期か、少なくとも1ヶ月の停学ということだった。それが分かってるのか?」
俺は愕然とした。
「たかがプールに忍びこんだだけだろ」
八島はため息をついた。
「不法侵入だ。刑事犯罪だろ。それに、こんなことを何回もくり返されちゃたまらない。一罰百戒の意味もあるだろうな」
俺は心臓が動悸を起こすのを感じた。忍びこむときも発見された場合のことは考えたが、そこまでの処罰は予想を超えていた。
人目を避け、廊下まで八島を誘う。
俺は海野先輩との出会いから、これまでのことをすべて説明した。八島は不審そうにしていたが、言葉は挟まなかった。話はプールに侵入するところまで至った。
八島はため息をついた。
「それで、お前は病弱な妹に綺麗な景色を見せようと私有地に侵入した、ってわけか」
「病弱な恋人だ。…強いて言えば」
「どっちでもいい」
八島は強い口調で言った。
「生徒会長なら、海野先輩の病気のことも知っていたんじゃないか?」
「ああ…」
気まずそうな表情で、煮えきらない返事をする。
「それは… いや」
言葉に詰まっていたが、結局、口を閉じた。俺を直視する。そして、厳然と言った。
「そんなことが理由になると思ったら、大間違いだぞ」
その後、俺たち3人は個別に会議室に呼びだされ、それぞれ事情を説明させられた。
ひと通りのことを聞かれたあと、会議は休憩になった。
俺たちは校舎を出て、正面玄関のところに座りこんだ。夏の日射しに熱された校庭を見る。
夏休みの間も練習のある野球部が、かけ声を応呼していた。
会議では海野先輩の病気のことも含め、ほぼ何も答えなかった。口裏を合わせるためだ。予想どおり休憩があり、相談する機会があった。
景が体育座りで正面を見たまま言った。
「このあいだは、感情的になってすみませんでした」
俺と海野先輩は何も言わなかった。
青空は輝くようだった。分厚い雲があり、縁の陰翳が複雑な濃淡を描いていた。
景は言葉を続けた。
「海野先輩と夏川先輩は何も悪くないのに、八つ当たりしてしまいました」
「うん…」
俺はあいまいな返事をした。
海野先輩が言う。
「あれが小浜さんの本音なら、聞くことができてよかった。期待に添えなくて、ごめんね。…でも、このあいだも言ったけど、あたしは小浜さんたちと遊べてよかった」
「そうですか…」
景の表情には虚脱感が滲んでいた。
俺も海野先輩も景を責めることはなかったが、もう3人で会うことはないという確信が、漠然とだがたしかに漂っていた。
「夏川、景。…海野さんも。ここにいたのか」
校舎内から八島が呼びに来た。海野先輩に対しては遠慮があるようだった。
「教師たちが揉めてたぞ。お前らの説明が食いちがっているからな」
景と海野先輩は顔を見合わせた。俺は簡単な事実しか話していないから、2人が矛盾する説明をしたのだろう。
八島は言いにくそうに続けた。
「大体の見通しでは、主犯が停学1ヶ月で、他の2人が停学3日になるそうだ。1ヶ月は長い。内申書にもかならず書かれる。自己犠牲の精神はいいが、そのことを考えてくれ」
俺は立ちあがり、八島に詰めよった。
「処罰が重すぎるぞ。それに、主犯と他2人とで差がありすぎるだろ」
「夏川君」
海野先輩が座ったまま言った。声は静かだが、よく響いた。
「八島君に言ってもどうにもならないよ。主犯はあたし。それでいいでしょ? 最上級生だし、先生たちも、それを望んでるんじゃないかな」
「待ってください、先輩。主犯は俺が引きうけます。夏に遊ぶことを計画したのは俺たちで、先輩は巻きこまれただけじゃないですか。どうして被害者が責任を負わなきゃいけないんですか」
海野先輩はかすかに首を振った。
「それは違うよ。あたしたちは一緒に遊ぶことを、全員で決めたの。それに、この夏はあなたたちのおかげで楽しかった。もしあなたたちがいなければ、この夏は灰色だったと思う。…そもそも、プールに行こうって言いだしたのはあたし。だから、責任があるのはあたしだよ」
「仮に海野先輩に責任があったとして、そんなことはどうでもいいですよ! もし海野先輩が全部計画して、準備して、俺と景をプールに連れていっていたとしても、俺は自分が主犯だって言います!」
「夏川!」
鋭い怒声が俺の言葉を遮った。八島だ。
「夏川。それはできないんだ」
「どういうことだ」
「他の2人の処罰が軽いのは、お前のための救済措置なんだ。新聞にまで載った学校の代表に、悪いイメージを付けたくないからな。たぶん、停学の日付も文化祭あたりに合わせてくれるだろう」
俺は頭に血が昇るのを感じた。
「そんなことは望んでない! それなら、処分が取消されるまで新聞社にでもなんでも訴えてやる!」
「いい加減にしろ!」
八島は怒鳴った。
「そんなことをしても、お前の処分が重くなって、もう1人が巻添えを食らうだけだ。お前に普通の処分を与えるなら、もう1人の処分を軽くする必要もないからな。逆に、これはチャンスなんだ。お前が成果を出していたから、救済措置が取られた。そうでなければ3人とも停学1ヶ月の処分を受けて終わりだった。大人になれ、夏川」
そう言われ、俺は意気阻喪した。自分が責任を負うのはともかく、他人に責任を被せる勇気はなかった。
「悪気があったわけじゃない。深い考えがあってしたことじゃないんだ」
「本当に考えなしだったな」
八島は厳しい口調で言った。
俺は言葉を失った。
「3人で会議室まで来い。たぶん最後の釈明の機会になる」
そう言い、八島は校舎に戻っていった。
俺は、八島が呼びにくる機会を使い、俺たちに情報を漏らしてくれたことに気づいた。
「じゃあ、あたしが主犯でいいね」
海野先輩が静かに言った。
「待ってください。海野先輩は2、3学期も休学する予定でしょう。それに加えて1ヶ月の停学処分を受けたら、単位不足で卒業できません。それ以前に、立場上、温情措置を受けられなくなるかもしれない」
俺は慌てて言った。
「仕方ないよ。自分の責任だからね。留年するよ」
海野先輩は遠くを見つめて言った。微風が海野先輩の前髪を靡かせていた。
「大丈夫だよ。病気を治して、来年度、きっちり卒業する」
だが、海野先輩に来年はない。
その空々しい言葉に、俺は何も言えなかった。
「私が主犯を引きうけます」
景がキッパリと言った。
「議論はいりません。これが一番いい選択なのは明らかです」
俺と海野先輩は、その言葉に反論できなかった。
海野先輩が険しい表情で訊く。
「けど、小浜さんはそれでいいの?」
景は頷いた。
「はい。《夏恋計画》はこれで終わりです。計画の発起人として、最後の責任は取ります」
景は立ちあがった。そのまま校舎に戻る。俺と海野先輩は景の後に続いた。
その後、会議室で3人揃って事情説明をさせられた。処分は八島の予告したとおりだった。
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