第3話-6
脚立と鉄柵のぶつかる、甲高い金属音がした。
俺は背筋が緊張するのを感じた。音を立てないように注意したが、脚立の高さと重さで動作が大きくなった。高校の周りには人家もある。夜間の不法侵入に気づいたら通報しかねない。
しばらく聴覚に集中し、物音のないことを確認した。内心で安堵する。
俺は景と海野先輩をふり返った。2人とも頷きを返した。俺が率先して脚立を昇る。
鉄柵の頂上まで着き、敷地内に飛びおりた。無事、着地する。
学校の敷地の外周である鉄柵や、校舎の窓ガラスに警報器が設置されていないことは、昼間のうちに確認してある。
脚立は昼間のうちに近くのゴミ捨場に運び、粗大ゴミの廃棄物処理券を貼っておいた。無論、粗大ゴミの回収日は先だ。廃棄物を拾得するのは犯罪のため、こうすれば動かされる恐れはない。
俺に続き、景と海野先輩も飛びおりてきた。戻るときは、俺が2人を抱きあげ、俺は向こうから引きあげてもらえばいい。
静寂に包まれた校庭を見渡す。闇夜の無人の校内にいるのは不思議な気がした。
俺たちはプールに行った。
プールは四方がコンクリート製の壁で囲まれている。外界との視線が遮られ、俺たちは安堵のため息を漏らした。
景が懐中電灯を点ける。照明は赤いセロファンで覆っている。
「じゃあ、着替える?」
海野先輩が持ってきた手提げを見せた。中に水着が入っているはずだ。
着替える場所のことまでは考えていなかった。他にひとがいないのだから、それぞれ物陰で着替えればいいが、若干、恥ずかしい。
景がプールに併設されている更衣室に向かう。扉をガタガタ鳴らし、施錠されていることを確認する。窓の施錠まで確認していたが、きっちりサムターン錠が下ろされているようだ。景は諦めきれない様子で、窓ガラスをバンバン叩いていた。
「おい。そんなことをしても開くはずがないだろ」
俺がそう言うと、ようやく景は中に入ることを諦めた。
更衣室の建屋を挟み、俺たちは水着に着替えた。
やはり俺の方が着替えるのは早い。建屋の陰から出てきた海野先輩を見て、俺は瞠目した。
海野先輩の用意した水着はビキニだった。胸の膨らみをトップスが覆っている。目立つ露出に、俺は言葉を失った。海野先輩は照れたように目を背けた。
海野先輩の後から景が出てくる。普段着のままだ。
「私はもともと水に浸かるつもりはなかったですから」
景はあっさりと言った。別に、景の平らな胸に興味があったわけではないし、俺も何も言わなかった。
俺はプールの水面に足を沈めた。闇夜で水中に入るのは恐怖感がある。時間をかけて体を沈め、胸まで水に浸かった。
黒い水面に月が映り、さざ波の波頭で千々に割れていた。水面には木葉や虫の死骸が漂い、浮島のように固まっていた。
パシャン、と水音がして、海野先輩がプールに飛びこんだ。
夏の夜の暑気に、プールの水温がぬるく感じた。
景は懐中電灯を明滅させていた。赤い光を見せて言う。
「こういう明かりが点いていると、いかがわしいお店みたいですね」
ただ水中にいるのも飽き、俺はプールのコースを何往復かした。そうしているうちに、水温に体が馴染んでいることに気づいた。
脱力し、仰向けに浮く。そうして無重力感の中で漂った。
頭部が何かに当たり、俺は上部を仰いだ。海野先輩の腹部だった。海野先輩はこちらを覗きこむようにしていた。
「すみません」
慌てて体を起こす。浮力を失い、俺は水を飲みつつ立ちあがった。
「いいの」
海野先輩は穏やかに言った。
それを聞き、ぶつかったのは、海野先輩が待ちうけていたからだと気づいた。
たがいに立ったまま、海野先輩と向かいあう。
海野先輩の肩に水滴が付き、月光を反射していた。
「せっかく夜の校舎に侵入したんですし、私はその辺を探索してきますね。1時間、いや、2時間くらいしたら戻ります」
上方のプールサイドから、景が声をかけてきた。
俺はプールの端を掴み、水から出た。
濡れた体を感じつつ、景に近寄る。コンクリートの床に、水の足跡がついた。
「変な気を回すなよ。お前もいたらいいじゃないか」
景は顔を背けた。
「じっとしているのに飽きただけです。私は水着を持ってこなかったですから」
「いや… 校舎内をうろついていたら誰かに見つかるかもしれないだろ。だからここにいろよ」
そう言いたしたが、自分でも口実のように聞こえた。
「水着じゃなくてもいいだろ。この気温なら服もすぐ乾くぞ」
俺は景をプールに押した。
「やめて!」
景は鋭く言った。
その語勢にたじろぐ。
景は俺を睨みつけた。
「気を回すな、ってどういうつもりですか? 私たちが今、なんのためにこうしていると思ってるんですか」
「それは…」
「もしかして、三角関係ごっこでもしているつもりですか? だとしたら、やめてください。計画のことを忘れないでください」
約束を忘れていたわけではないが、景、そして海野先輩と遊ぶうち、たしかにそのことは意識から遠のいていた。
そして、景が水着を持参しなかったのも、あえてしたことだったと気づいた。
そのことが分かると、自分と景のあいだに隔絶があることに気づき、自分でも意外なほど動揺した。
景に言う。
「景。たしかに当初の目的は別にあったかもしれない。だが、こうして過ごしているうちに考えは変わった。お前がいて、海野先輩がいて、それでいいじゃないか。こうして3人で遊んだことが思い出だよ」
プールから声がした。
「小浜さん」
海野先輩がプールの端から上体を出し、こちらを見ていた。
「はじめに《夏恋計画》っていうのを知ったとき、正直、どういうことかよく分からなかった。今でもよく分かってない。でも、今は計画に参加してよかったと思う。あたしは小浜さんや夏川君といて楽しいよ。小浜さんと、夏川君と、あたしと、このまま夏の終わりまで3人で過ごす。それじゃダメ?」
景は顔を俯かせた。訥々と話しだす。
「私たちがこの夏にしたことはなんでしたか? 肝試しに行って、夏祭りに行って、夜のプールに行って。ふり返ればいい思い出なんでしょうね。思い出づくりをしようとしてそうしたことを含めて、最後に思い出に残っているのはそういう出来事なんでしょうね」
俺たちを見て言う。その声には必死さが滲んでいた。
「結局、すべては一瞬で、永遠のことは何もない」
そう言い、海野先輩に視線を向ける。
「海野先輩はそれでいいんですか! これが最後の夏なんですよ!?」
怒鳴られ、海野先輩は困った表情をした。
「それは…」
景は怒ったように言った。
「私は永遠が欲しかったんです。もし明日死んでも、自分が生まれてよかったって言えるような。でも、そんなことはできないって分かりました。1つだけ言えるのは、もし夏川先輩や海野先輩が明日死んだら、悔いにまみれながら死ぬということです」
「景!」
俺は怒鳴った。
病人に対し、その物言いはあまりに過酷だった。
だが、景は冷たい表情で顔を背けるだけだった。
「《夏恋計画》はもう終わりにしましょう」
プールを去りかけ、何かに気づいたように足を止めた。
「そういえば、夏川先輩がいないと帰れませんでした。…待っていますから、早く水遊びを終わらせてください」
勝手な物言いに腹が立った。
俺が景を怒鳴りつけようとしたとき、ライトが景の横顔を照らした。
「おい、何してる!」
防刃衣とヘルメットを着装した、警備会社の人間が、プールの出入口に立っていた。
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