第3話-2

 俺は電話で田渕を肝試しに誘った。人数がいなければ、肝試しはただの夜の散歩になりかねない。

 田渕には1学期の終わりに恋人ができていた。俺と合コンに行ったとき、連絡先を交換した他校の女子だ。

「いいだろう。いわゆるダブルデートだ。『ハチミツとクローバー』のような四角関係を演じよう」

《まさかお前から『ハチミツとクローバー』なんて題名を聞くとはな》

「複雑な恋愛模様は読んでいて面白い。登場人物の1人がエイズに感染していると思って読むと、10倍、面白い」

《それは四角関係というか感染経路だろ!》

「登場人物の1人が死んで、涙なくしては見られない展開に…」

《コンドームを着けなかったからだよ!》

 電話口に田渕のため息が聞こえた。

《海野先輩が難病にかかってるっていうのに、お前は本当に不謹慎だな。夜の墓場に行く? お前は次に問題を起こしたら、停学だか退学だかだろ? すこしは自重しろよ》

「ああ。だから行くだけにする」

《夜の墓場に、肝試しに行く以上にすることがあるかよ》

「土葬荒らし」

《答えるな!》

 田渕は日時と場所を相談すると、ため息とともに通話を切った。


 夜になっても夏の暑熱は留まっていた。

 山裾にある墓地は、周囲を石柵で囲っている。内縁には植込みが設けられている。

 暑気に加え、湿気のため、なおさら肌が汗ばむように感じた。

 駅前で集合し、そのまま墓地まで来た。俺、景、海野先輩、田渕とその恋人の佐藤だ。墓地を散策するため、虫刺されを警戒し、女子も長ズボンの地味な服装をしている。

 田渕は景を見たとき、呆れたように言った。

「本当に瘤付きで来たのかよ」

「瘤とは失礼ですね」

 景は立腹したように腰に両手を当てた。

「悪性腫瘍と呼んでください」

「瘤が自我を…?」

 田渕は表情を慄然とさせた。

 墓地まで来て、俺たちははじめて計画がないことに気づいた。相談し、墓地の最奥にある大きな墓石まで行って戻ってくることにする。

「どうせだし、俺たちとお前たちとで、2組に分かれないか?」

 田渕が真意の分かりやすい提案をする。佐藤も満更ではないようだった。

「あたしは別にいいけど」

 海野先輩を見ると、そっけなくそう答えた。景も肩を竦める。

 俺は田渕に言った。

「2組に分かれるのはいいが、目標地点まで行ったことをどう証明するんだ? なにか肝試しらしいことでもするか? 境内にある、由来不詳の古びた小さな祠に小便を引っかけるとか…」

「罰が当たってチンコが腫れるぞ」

「なにかの封印を解いてしまった翌日、妖怪に襲われることに。しかしそこに、封印を解いたことに感謝する妖狐の美少女が! もちろん、妖怪を退治したあとは家に押しかけてくる」

「小便臭そうな美少女だな。保健所に送ったほうがいいんじゃないか?」

 気づくと、佐藤が胡乱そうな表情で田渕を見ていた。

 田渕はハッとした。俺の肩に腕を回して引きよせる。耳元で囁く。

「俺はあいつと関係を進展させるために来たんだからな。でなきゃ、どうしてお前なんかと肝試しに… いいか。絶対に邪魔するなよ」

 無言のまま、俺は固く頷いた。


 半時間後、俺はコンドームに水を詰めていた。

 こんなこともあろうかと、財布にコンドームを入れておいてよかった。

 本来の用途ではなく、それは悲しむべきことであるように思ったが、深く考えるのはよそう。

 肝試しは俺と景、海野先輩が先発した。10分ほど遅れて田渕と佐藤が出発するよう取決めた。

「何してるの?」

 海野先輩が怪訝そうに俺の手元を覗きこむ。

「コンドームで作った水風船です。一緒に田渕たちにぶつけましょう」

「分かった。あたしに頂戴」

 俺は海野先輩にコンドームの水風船を手渡した。

 海野先輩は受けとると、地面に叩きつけて割った。石畳に水飛沫がとび散る。

「ああーッ!」

 俺は悲鳴をあげた。

「私は普通に貰いますね」

 景がコンドームの水風船を手元に抱く。

 俺も1個、水風船を手にする。仕方ない。俺と景の2人だけで爆撃を浴びせるとしよう。

 海野先輩は、俺たちを見て大げさにため息を吐いた。

「どうしてこうなるんだか… 肝試しに来てるんだし、なにか怖いことでも話す? 幽霊とか、死後の世界とか」

 景が目を輝かせる。

「私は死については詳しいですよ! 『加奈~いもうと~』をプレイしましたからね! 死とは何か。アポトーシス、遺伝子の要請、進化の結果。すべて違います。《願わくば、明日のわたしが、今日のわたしより優れた人間でありますように》。人間は、より優れた自分になるために、生きて死ぬんです。残念ながら、私は加奈のように悟ることはできませんでしたが。私も加奈のようになりたいです」

「そんなに兄と近親相姦をしたいか」

「そこではなく。ついでに言えば、加奈と主人公には血縁関係がないので、厳密には近親相姦ではないでしょう。でも、たしかにソフ倫の審査を通過できるように、実兄を義兄の下取りに出すのはいいかもしれませんね」

「そもそもお前は1人っ子だろ」

 景は自分の頭を小突いた。

「エヘっ。でも、嘘の妹って、本当の妹より萌えませんか?」

「遺産相続の協議のときに現れそうだな…」

 首筋にフッと息を吹きかけられ、俺は水風船をとり落としそうになった。

 海野先輩が不機嫌そうな顔をしている。

「2人のあいだでだけ分かる話をしないで」

 俺は首筋を擦ると、海野先輩の機嫌を直すべく、慌てて言った。

「いや。冷静に考えると、ここには数百人の人間の死体があるんですよね。もしその全員が生きていたら、足の踏場もないでしょうね。それを考えると、人間が死ぬだけでただの物質になるというのは、不思議なものですね。ハハハ!」

「いきなり笑いながら死の話をするのもやめて。怖いから」

 海野先輩は顔を青ざめていた。

 釈然としない気持ちでいると、海野先輩は言った。

「昔、日本のホラー映画を観たんだけど。映画では、黒い染みみたいな幽霊が《死は永遠の孤独》って言いながら迫ってくるんだよね。その幽霊に触られた人間も、黒い染みみたいになって消えるの。あれは怖かったな」

 背筋に鳥肌が立つ。

 自然と、口数が少なくなる。景と並び、田渕たちが来るのを待つ。夜闇に浮かぶ墓石の並びの黒影が、ビル群のように見えた。

 横目で海野先輩を伺う。死や幽霊の話をしても平然としている。その様子は、死期が間近に迫っていることを、まったく気にしていないように見えた。

「何やってんだ?」

 背後から声をかけられ、俺は飛びあがりそうになった。

 田渕たちが後ろに立っていた。俺たちとは異なる経路をとったらしい。

 まずい。水風船を見られてしまう。

 焦っていると、景がすばやく俺に水風船を押しつけてきた。自分だけ責任を逃れるつもりらしい。

 咄嗟に、足のあいだに2個の水風船を挟む。

 田渕は不審そうに俺の股間を見た。暗闇で、はっきりと視認できないらしい。

「お前、それどうしたんだ…?」

「キンタマが腫れて…」

「まさか、本当に由来不詳の祠に小便を引っかけたのか!?」

 田渕は血相を変えると、背を向けて駆けだした。

「今すぐお祓いをしないとダメだ! 住職を呼んでくる!」

「待て!」

 慌てて田渕を追いかける。足に2個の水風船を挟んでいるため、跳ねるようにしてしか進めない。

 蛙飛びで進んでいると、石畳の敷居に蹴躓いて転んだ。

 地面に体を打ちつけた音に、田渕がふり返る。

「おい、大丈夫か?」

「ああ…」

 水風船は体と地面に挟まれて潰れていた。そこら中が水浸しになっている。

 田渕は絶叫した。

「お前、お前… キンタマが…」

「そうだな…」

「これで1人の性犯罪者がこの世から消えたか…」

「おい」

 俺は両腕を地面につき、ゆっくりと上体を起こした。

 田渕が鼻を鳴らす。とび散っているのが、血ではなくただの水であることに気づいたらしい。水溜りの中に、割れたコンドームの破片が落ちている。

 田渕は倒れたままの俺に後ろからしがみつき、腕を首に回した。

「どういうことだ!」

「《本当に怖いのは人間》ということだろうな…」

「本人が言うことじゃない!」

 俺の首を絞めあげる。

「グエーッ!」

 目線を上げると、景、海野先輩と佐藤が、俺たちを蔑むように見下ろしていた。


 俺たちは駅に向かって帰った。

「でも、結局、心霊現象の類いは何も起きなかったな」

 海野先輩が言う。街灯が、闇夜に顔を仄白く照らしていた。

 景が冷たい声で言う。

「それはそうでしょう。もし幽霊がいたら、世界に未解決殺人事件は存在しません」

「言えてる」

 海野先輩は朗らかに分かった。

 その表情はあまりにも自然で、そうと知らなければ、死病を患っているとは到底、思えなかっただろう。

 だが、実際にはあと余命半年もない。その事実から目を背けることはできなかった。

 田渕は腕で顔を覆って泣いていた。なぜか佐藤と距離がある。

 俺は田渕に尋ねた。

「どうしたんだ?」

「失恋しただけだ!」

 田渕は涙に濡れた顔を上げて言った。

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