第2話-3
海野先輩への作戦が失敗して数日、俺と景は部室で協議した。
「意外と一筋縄ではいきませんね。ここは戦略を考える必要があるようです」
景はホワイトボードの前に立った。
「難病系ヒロインは3タイプに分類できます。その傾向と対策を考えましょう」
ホワイトボードに《孤独系》《儚げ系》《無邪気系》と書く。
「なんだその、孤独系とか言うのは」
「孤独系は周囲に壁をつくっていて、攻撃的なタイプです。人生の苦難に直面して、性格が気難しくなっています。主にライトノベルに棲息しています。このタイプと親しくなるには、とにかく忍耐強くなることが必要です。話しかけると、攻撃的な言葉で拒絶されますが、それを真に受けてはいけません。本当は死に直面して心細く、助けを必要としています。何度も接するうちに、あなたが親戚や医療関係者とは違う、本音で話しあうことのできる人物なのだと分かり、心を許します。次第にあなたと信頼関係を築いてゆき、お互いが大事なひとになって、死にます」
「死ぬんだ」
「儚げ系は優しい性格で、守ってあげたくなるタイプです。すでに自分の運命を受けいれていて、粛々と残された時間を過ごしています。主にギャルゲーに棲息しています。このタイプと親しくなるのは簡単です。強いて言えば、世間知らずなことが多いですから、町での流行など、病院の外のことを教えてあげると喜ぶでしょう。純真無垢なこのタイプは自然と世話をしたくなるでしょうから、そのまま交歓を重ねてください。あなたへの恋心が募るうち、運命を受けいれていたはずが、死にたくないという切実な願望が生まれて、死にます」
「死ぬんだ」
「無邪気系は明るく、外向的なタイプです。死が近づいていることをまったく想像させません。主に映画に棲息しています。このタイプは向こうから近づいてきます。早々に親しくなって、イベントを重ねていきましょう。避けがたい死が迫っていても、人生において大事なことなどは話しあわずに、普通の恋人たちのように振舞いつづけてください。将来の夢を誓ったり、来年、同じ日に会うことを約束したりして、死にます」
「お前は生命保険の外交員か!」
「わが社の生命保険なら、恋人がいても加入できるんです」
「難病系ヒロインは、恋人がいると保険料が上がるんだな…」
俺はため息をついた。
「それで、海野先輩はどのタイプなんだ?」
景は腕組みをして首を捻った。
「それが、まだ分かりません。印象としては儚げ系なのですが、なぜか私たちに対する態度が冷たいです。なので、孤独系なのかもしれません」
たしかに、海野先輩はときどき俺に対して辛辣だが、それは重い病気にかかっていて心に障壁をつくっているからかもしれない。
「どうする」
「まずは、海野先輩が3タイプのどれかを見極めましょう」
景はそう宣言した。
海野先輩の下校を見計らい、俺たちは正門の近くに待機した。
「難病系ヒロインの3タイプは読む本で見分けられます。それで鑑別しましょう」
景は3冊の本を見せた。
「孤独系が読む本は現代文学かノンフィクションです。儚げ系が読むのは古典文学。無邪気系が読むのは絵本です」
手にしていたのは『黄泉がえり』、『こころ』、『100万回生きたねこ』だった。
「選書が露骨すぎないか?」
景は俺の疑問を無視し、3冊の本を正門までの途上に置いた。
「これで、もし海野先輩が孤独系なら『黄泉がえり』、儚げ系なら『こころ』、無邪気系なら『100万回生きたねこ』を拾うはずです」
地面に置かれた本は、ザルと棒でつくった罠のように見える。
俺は頷いた。完璧なトラップだ。
これで、海野先輩の深層心理が分かるだろう。
俺たちは物陰に隠れ、海野先輩が校舎を出てくるのを待った。
やがて、靴に履きかえた海野先輩が校舎を出てきた。地面に落ちている本を見つけ、怪訝そうにする。どの本を拾うのか、俺たちは固唾を呑んだ。
海野先輩は本を3冊とも拾いあげた。
俺は慄然とした。
「バカな。3つの系統の能力を同時に使いこなすだと…!」
景が声を絞りだす。
「つまり… 攻撃的な態度をとりながら守ってあげたくなるオーラを出しつつ、交際を迫ってくる難病のヒロイン!」
「脳の病気なのか?」
俺たちが騒いでいると、海野先輩がこちらに気づいた。
慌てて身を潜めたが、手遅れだった。
「これ、あなたたちが置いたの?」
3冊の本を差しだす。
景が受けとろうとして、大学ノートを落とした。
「あッ、ヤバい!」
思わず声をあげる。
「ヤバい…?」
海野先輩は不審そうにして、大学ノートを取りあげた。俺たちが震えるなか、海野先輩は1ページずつノートに目を通していった。
パソコン部の部室で、俺と景は海野先輩の前で正座していた。
海野先輩の片手には《夏恋計画》と書かれた大学ノートが握られている。
俺は冷汗が滲むのを感じていた。自分が死病だということが知られていて、しかも、あのノートを読めば俺たちがそれを面白がっていたとしか思えない。海野先輩は愉快ではないだろう。
海野先輩はノートをめくった。内容を音読する。
「《5月21日 夏川先輩と海野先輩を自宅まで尾行。近所の家の番犬が吠えて困った。夏川先輩が番犬とお尻の臭いを嗅ぎあって、仲良くなってくれた。》、《5月22日 夏川先輩と参考資料に泣きゲーをプレイ。Hシーンでこんな敏感に感じるはずがないと言うと、夏川先輩はムキになって反論してきた。キモかった。》」
顔を上げ、軽やかに笑う。
「はッ。楽しそう」
「いや、そうでもなかったです」
景が正直に答え、俺は頭を叩いた。
そのまま海野先輩に土下座する。
「尾けまわしたりして、すみませんでした! でも、興味本位だったり、先輩の病気のことを面白がったりしていたわけではないんです! 純粋な下心です!」
「あまり言訳になっていないと思うけど…」
海野先輩は言いあらわしがたい表情をした。
景が俺に便乗する。
「私は興味本位で、面白半分です」
「せめて言訳する姿勢を見せて」
海野先輩は呆れた様子でため息をついた。
俺たちのことを許したのではないにせよ、すぐに激怒するといったことはないようで、俺は安堵した。
その様子に、景は根拠のない自信をつけたようだった。海野先輩に言う。
「海野先輩。もうこちらの思惑もバレてしまいましたし、率直に言いますが、夏川先輩とのお付きあいを考えませんか?」
「バカ、やめろ」
俺は制止したが、景は言い募った。
「海野先輩の日常はすでに把握しています。実家と学校を往復するだけの生活の何が楽しいんですか? もうすぐ中間テスト、そして期末テストです。それが終われば夏休みです。人生最後の夏を何もないまま終わらせるつもりですか? それこそ、ムダな人生というものです。夏川先輩と思い出づくりしましょう。安心してください。もし、思い出づくりが失敗に終わっても、骨は拾ってあげます。そしてオーストラリアで散灰してあげます」
「お願いだから、ひとの遺灰を使って世界の中心で愛を叫ばないで」
海野先輩は細く息を吐いた。
「夏川君は別として、どうして小浜さんまでこんなバカなことをするの?」
どうして俺は別あつかいなのだろう。
それはともかく、海野先輩の言葉に、景はムキになった。
「バカなことなんかじゃありません。私はギャルゲーが大好きなんです。とくに泣きゲーが。『kanon』、『AIR』、『加奈~妹~』。どれも傑作です。『加奈~妹~』なんか、主人公が余命間もない妹を病院から連れだして海に行くんですけど、妹はやっぱり死んじゃうんです。でも、そのあと妹の日記を見ると、その日に《今日、海を見た。もう怖くない。》って書いてあるんですよ。そのテキストを見た瞬間、私なんか、声をあげて号泣しちゃいましたよ。…どうですか。海野先輩も療養中で、絶対安静だったり、感染を防止したりしなければならないのに、感情的な理由で恋人と病院を抜けだしたりしませんか」
なぜ表現に棘がある。
海野先輩は完全に引いていた。
「《死ぬまでにしたい10のこと》というものを海野先輩は知っていますか? 価値ある人生を送るために、自分が本当に死ぬまでにしたいことをリストアップしておいて、それを果たすのに全力を尽くすんです。私もやっています。先輩もリストを作成しませんか? そして、この夏、夏川先輩とリストをこなしていきませんか?」
「お前がリストを埋めて死ね!」
俺は横から景の頭を叩いた。
海野先輩に頭を下げる。
「すみません、先輩。無神経なことばかり言って」
「あーッ、夏川先輩だけズルい! 自分も当事者なのに、1人だけいいカッコして!」
景が飛びかかり、俺たちは揉みあいになった。
口論する俺たちを、海野先輩は無言で見つめていた。
やがて、海野先輩は唐突に口を開いた。
「いいよ。もう付きまとわないでくれるなら、これまでのことは許す」
その言葉に、俺は内心で嘆息した。安堵した俺は、海野先輩の声が震えていることに気づかなかった。
「ただね、ひとつだけ間違いがあるの」
俺に掴みかかっていた景も、海野先輩のただならない様子に、動きをとめた。俺たちは揉みあった姿勢のまま、床から海野先輩を見上げた。
「たしかにあたしは癌だけど、死なないし、死ぬつもりもないから」
鋭く言うと、海野先輩は俺たちに背を向けた。足早に部室を出て、音を立てて扉を閉める。扉ごしに、走って遠ざかる足音が聞こえた。
静寂に閉ざされた部屋に、呆然とする俺たちだけが残された。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます