第1話-6

 俺は裏庭に掘った穴の中にうずくまっていた。シャベルは落ちていたものを使った。

「何をしているんですか」

 景が地上から見下ろしていた。

「ギャルゲーだと、よく屋上で黄昏れるだろ。屋上は安全対策で鍵がかかっているからな。その逆で、地下まで下りてみた」

「海野先輩にフラれましたか」

 俺は地中に倒れた。

「簡単にメゲちゃダメですよ。まだチャンスはあります。私も応援しますから」

「そもそも、どうしてお前は俺と海野先輩をくっつけたがるんだ」

 海野先輩に拒絶され、俺ははじめてそのことに疑問を抱いた。

 景は左右を見た。放課後だ。周囲に人影はないが、運動場から運動部のかけ声が聞こえていた。

「ここでは話しづらいです」

 そう言われ、俺たちはパソコン部の部室に移動した。


 パソコン部は小室だ。可動式の長机に4台のパソコンがあり、床に配線がわだかまっている。壁際にホワイトボードと戸棚があり、棚には技術書とソフトが収まっている。

 景は俺にメモ用紙を差しだした。


《15:50 K総合病院に到着 玄関 待合室

 16:00 血液内科 第3診療室 波戸医師

 16:35 玄関 薬剤室 K総合病院を出発》


「なんだこりゃ」

 俺は奇声をあげた。

 景は得意げに言った。

「海野先輩のことはK総合病院で見たことがあったんです。それで、気になって尾行してみたんです。その結果です。…結論から言うと、海野先輩は白血病です。それも、肝臓癌を併発していて、寛解の見込みはありません」

 寛解という耳慣れない言葉に、俺の理解は遅れた。そして、その意味を理解したとき絶句した。

「ばッ… なにバカなことを言っているんだ。そんな重症だったら、高校に通学できるわけないだろ」

 発言してから、自分の声が上ずっていることに気づいた。

 俺の反応を見て、景はニヤニヤと楽しげにした。

「だからですよ。ターミナルケアです。寛解の見込みがなく、終末期と認められれば、治療より生活の自由を優先できるんです。ちなみに、終末期とは生命予後が6ヶ月以内のことです。退院が始業式より早かったとすると、あと4、5ヶ月で海野先輩は死んじゃうんです」

 担いでいるのか?

 だが、仕込みにしては念が入っている。何より、冗談だと分かっても面白くない。

 否定材料を考えるうち、自分が否定しようとしているだけだと気づき、それにつれ、冷静になった。

 海野先輩が死ぬ…?

 頭が白熱する。思考を巡らせようとしても、空転するばかりだ。最後には、景が言ったことは事実だと認めざるを得なくなった。

 その事実を認めたとき、それまでと異なる疑問が湧いた。

「待て。それなら、どうしてお前は俺と海野先輩をくっつけようとしたんだ」

「私、ギャルゲーでも好きなのは泣きゲーなんですよね」

 景は質問とは異なる返答をした。

「は?」

 泣きゲーは、ギャルゲーのうち、プレイヤーを感動させることを目的としたものだ。2000年代の初頭に流行した。たしかに景のギャルゲーの趣味は古い。泣きゲーが好きだと言われれば納得できる。

 景は滔々と続けた。

「ヒロインが病気で死んで、主人公が悲しみに暮れる展開なんか、もう感動して涙腺がとまらないんです」

「……」

 俺は嫌な予感がした。

「それを、現実に体験できればもっと感動できるんじゃないかと思ったんです」

 景は大学ノートを見せた。表紙に《夏恋計画》とサインペンで書かれている。

「夏川先輩と海野先輩のことを知ったとき、計画を立てました。今のところ、計画はうまく行っています。それが…」

 ホワイトボードの前に移動し、ペンで大書する。その文字を景は大声で読みあげた。


「それが《夏恋計画~プロジェクト・サマーラブ~ 夏の終わりに難病の恋人の死で号泣しよう計画》なのです!」


「お前が死ね!」

 俺は景の頭を叩いた。

「何が問題なんですか?」

 景は頭をさすりつつ答えた。

「不謹慎だからですか? 映画、小説、ギャルゲー。たくさんのひとが、難病の恋人の死に感動してるじゃないですか。それで、その作者は、創作のために医学書や闘病記を読みあさります。それはいいんですか?」

「それは作りものの話だろ」

 俺は口ごもりつつ反論した。

「なら、夏川先輩は地球に侵略しにきた宇宙人が土着性のアメーバに感染して死ぬ話でも感動するんですか? しないでしょう。作りものでも感動するのは、結局、現実と地続きの話だからじゃないですか」

 どうして俺が責められているのだろう…

 景は両手を腰に当て、ため息をついた。

「大声で話したら喉が渇いちゃいました。ジュースを買ってきてください」

 俺は腑に落ちないものを感じつつ、その場を逃れるために部室を出た。

 自販機でジュースを買ってきて、景に手渡す。買いに行く道すがら、考えた反論を言う。

「だが、現実のこととなれば、俺たちは責任を負うんだ。映画を見たり、小説を読んだり、ギャルゲーをプレイしたりするのとは訳がちがうぞ」

「はい。先輩、アウトー!」

 景は缶ジュースを片手に掲げた。

「このジュースを買うのにいくら払いました? 100円ですか? 10円の募金で発展途上国の子供1人の命を救えるんですよ。先輩のせいで10人の子供が死にましたね。この偽善者!」

「仲間の死の責任をなすりつけて、精神攻撃をしかけてくるサイコパスの悪役みたいな真似はやめろ! だいたい、お前はそのジュースをどうするんだよ」

 俺がそう言うと、景はプルタブを開け、美味そうにジュースを飲みほした。

「くゥーッ! この1杯に子供10人の命が犠牲になったかと思うと沁みますねえ!」

「《みたい》じゃなくて、サイコパスで悪役だった!」

 景は表情をあらためた。

「真面目な話、先輩の言う責任ってなんですか? 海野先輩が病気で死んだら、嫌な思いをするから距離をとっておこうということですか? それとも、病状が悪化したあと、病院に見舞いに行ったり、葬式に弔問に行ったりするのが面倒ということですか? 今まで仲良くしようとしていたのに、余命間もないと知ったら、急に邪魔者あつかいするんですか? それは本当に最悪ですよ」

「……」

 物言いは乱暴だったが、景の言うことは核心を突いていた。

 俺はため息をついた。

「簡単に言うなよ。たしかにギャルゲーの主人公なら、相手が難病にかかっていると知っていても、普通に接することができるんだろうな。けど、俺はそこまで出来た人間じゃない。それを知って、今更、海野先輩とどう接すればいいか分からない」

 景は俺を見て、言葉をとめた。表情に弱気が浮かんでいたかもしれない。

「夏川先輩は童貞ですか」

 景は爆弾発言をかました。

「だとしたら、どうだと言うんだ」

「よかった。もし、童貞じゃなかったら保健所に通報しているところでした」

 これ見よがしに、平らな胸を撫でおろす。

「通報するなら、せめて警察にしてくれ」

 俺は狂犬病に感染した野犬か。

「私、前から難病モノを読むときに疑問に思うことがあったんですよね」

 景はかまわずに続けた。

「恋人をつくるときの動機って、一般にはセックスがしたいということですよね。それがすべてではないにしろ、そういう感情がないことはありえませんよね。でも、青春小説やなんかだと、そういう描写は省かれてるじゃないですか。とくに難病モノではそうです」

「そういうキラキラした世界を見せたいと作者が考えているんだろう」

「私、そういう作品は全年齢版だと思ってるんですよね」

「全年齢版…?」

 意味が分からず、俺は反問した。

「コンシューマー版です。PC版ではHシーンがあったものを、移植するときに全年齢対象にするために削除したんです」

「すべての青春小説の作者を敵に回すつもりか」

 景は窓に視線を向けた。

「夏川先輩も、海野先輩が気になったのにはそういう理由があるでしょう? 海野先輩、スタイルいいですからね」

「恥ずかしくなることを言うなよ…」

 俺は頬が熱くなった。

「先輩の人生、全年齢版」

「やめろ!」

 景は両手を背中で組んだ。

「全年齢版で人生を終えたくなかったら、《夏恋計画》に参加してください。夏川先輩は童貞を捨て、海野先輩はこの世への未練を捨て、私は悲劇的な死に感動する。みんな得をします」

「お前はまず捨てた倫理観を拾え」

 相手をするのがバカバカしくなり、俺は景を部室から追いだした。

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