見えなかったもの

 雨上がりの朝。辺り一面が太陽の光に輝き、少し涼しげな風が体を通り過ぎる。

 俺と霧島はいつも通りの時間にバス停に着き、すぐに手帳を開いてラフ画を書き始めた。

霧島は慣れたようにスマホを開いていた。

毎日六時間の睡眠とテスト勉強の時間以外、全てデザインに当てていた。隙間時間があれば資料収集と、アイデアをまとめていた。三日前からやっと魔法のアイデアがまとまり、ラフ画を描き始めた。

 できれば睡眠時間も削りたかったが、「判断力が下がる」と霧島に止められた。

 その分テスト勉強や資料収集などを手伝ってくれた。非常にありがたい。

 描いているうちに「おはよー」と舞木さんが来た。俺を見ると察したのか、鞄から『魔法生物Ⅱ』と表紙に書かれたパステルグリーンのノートを取り出した。

「……おは、よう」

「おはよう舞木さん」

「テストの方は大丈夫?」開いたまま、舞木さんは話しかける。

「赤点は回避できる」

「それなりに努力してます」

「そっかー。私も頑張らないとね!」

 お互いに顔を合わせないまま会話を終える。一週間前はメモの代わりに本を読んでいた。初めは話すべきか悩んだが、テストが近づくにつれこう落ち着いた。

 バスが来た。扉が開いて中に入るとほぼ同時に、紬が走ってきた。

「お、おはよう」

 ゼイゼイと息を荒くして、席に座りこんだ。

「また夜遅くまで描いてたのか」

「……まだ『永』しか描かせてくれないからな」

「永字八法?」

「霧島も知ってるのか」

「前資料で読んだ」

 紬も鞄から付箋のついた教科書を取り出して開く。間に座った霧島が、周りを見てからスマホをしまう。合わせるように魔法科の教科書を開いた。

 バスが動き出し、飛空場に向かう。

 紬は魔法陣ではなく四之宮先生から指定された文字をここ二週間描いてるようだ。

 永字八法というのは永という漢字を書くことができればすべてに応用が利くということだ。日本語の書体を学ぶ上で基礎の基礎だと本で読んだことがある。著者は一か月かけて一つの文字を学んだとあったから、紬も次に行くにはもう少し時間がかかりそうだ。

 毎日同じものを書き続ける紬も凄いが、四之宮先生も厳しい。元々オオモリで勤務経験がある先生だから、プロの忌憚ない意見を聞き続けることは自信を無くしそうだ。紬はそんな様子はなく、ひたすら上手くなるために文字と向き合っていた。

 そんな紬を見ると、自分も対抗意識が強くなる。隙間時間を縫って技術を上げているのは自分だけじゃない。

 俺はメモ帳に意識を集中させた。

 コンセプトは学園生の毎日を少し楽にするものだ。

 内容は大雑把にまとまったので、後は適したデザインをずっと考えている。

 学園だとわかりやすいアイコンはなんだろう。

 学校の講堂、正面校門からの桜並木など色々薄く線で描いてみるが、中々「これ」というものができない。

 テストも十日後から始まる。〆切はテストが終わった次の日、表面上は余裕はある。だが心情的にテスト期間とその手前辺りは絶対にデザインに集中できない。

 ブラッシュアップや色彩の決定に時間はかかる。できるだけ早く決定したい。焦りが急かすと逆に何も描けなくなっていった。

 次は学園前、とアナウンスが響く。霧島が降車ボタンを押した。周囲の音が戻ってくる。

「……じゃあ今日から俺たちと勉強すると」

「無理か」

「無理じゃないけど……寝たらシャーペンで刺す、それでもいい?」

「……気をつける」

「仲いいね」

「舞木さんは仲良くなったらシャーペンで刺すのか?」

「たまにやるよ」

「え?」「え?」

 顔を上げると学園が見えた。俺は埋まったページにため息をついて、メモを鞄にしまった。

                *

 授業を終えるとほとんどの生徒が帰り始めていた。

 ほとんどの生徒は余裕をもってデザインを終え、今はテスト勉強に集中していた。微調整を残している程度で、俺のように追われている奴はいない。

 俺は教科書をしまい、メモを開く。バスが来るまでの待ち時間を描いて過ごすことにした。

 霧島は隣で教科書とノートを見ている。今日の復習をしているようだ。

 描こうと思い、ノートに向き直る。しかし、見つめていると行き詰まりを感じていた。

 デザイン雑誌を取り出して見つめるものの、頭がまとまらない。

「紬」

「どうした」

「ちょっと見てくれないか」

「……」

 紬か顔をこちらに向ける。ノートを開いて見せた。

「なんかデザインが似たり寄ったりな気がするんだけど、どう思う?」

 軽く頭を上下に動かした。そして首をひねった。

「……似たり寄ったりとは思わないな。デザインも既存のものとかぶってるとは思えない」

「そう、か」

「逆にコンセプトの雰囲気が定まってないってことじゃないか」

「……確かに」

 言われてみればそうだ。魔法に合うものがはっきりと形を成さず、全然違った方向のデザインを書いていた。確固とした方向性がまだ決まってない。

「どんなコンセプトなんだ」

「学園生の生活が少し楽になるようなもの」

「学園の生活ってわかるか」

「そりゃあ三か月過ごしているからそれなりにわかってるんじゃないか」

「部活に入ってるやつの立場はわかるか」

「いや」

「街で定期的に個展を開く奴の立場は」

「……いや」

「それ以前に学園祭や運動会とかこの学園のイベントを見たことあるか?」

「…………いや」

「となると、手が止まるのは学園の知識経験の不足じゃないか?」

「そこか」

 頭を掻いた。言われた通り、学園生活については他の学生よりも短い。この学校のイベントは主に二学期以降に集中している。

 それだけでなく従姉のことで一か月ほど放心していた。学園の印象が薄いのも仕方ない。

 魔法の資料集めばかりで油断していた。

 俺は机のものをしまい急いで立ち上がる。

「待ち時間まで学校見回ってくる!」

「いってら」

 紬はノートに何かを書き始めた。バスの時間まで勉強するらしい。無理に同行されるよりも自分のことを優先する方が今は楽だ。

 冷房の効いた教室から飛びだして、まず校舎を見回る。特徴的な校舎を見回り、学園の雰囲気などを捉えようとした。しかしテスト前であるため、ほぼ人が居ない。いつもとは雰囲気が違っていた。

 何もないと判断して外に出る。とりあえず講堂近くの部室棟に行くが、そこもテスト前で人が居ない。たまに部室から笑い声が聞こえるがほぼ無人だ。

「タイミングの悪い……」

 スマホの時間を見ると、そろそろバスの時間だった。

 校門の方に向かうと、よく見慣れた姿の人が校内の方に歩いてくる。

 天願先生だ。明後日が最後の実習の日だから、準備に来たのだろう。

 半袖のワイシャツに長い黒のパンツ。足元は黒いサンダルだ。爪には赤いマニキュアが塗られている。手には鮮やかな青の革の鞄を持っている。ただ歩いてるだけなのに、バカンスの俳優のような優雅さがあった。

 相手がこちらに気づいたのか顔を上げた。

「あら、若澄君」

「おつかれさまです」

 お互いに足を止める。

「どう?最近描けてる?」

「描けてます」

「そうかあ。よかった。最近スランプ気味みたいだったから、心配だったのよ。課題を見てたら以前の切れやいい意味の常識の無さが全く消えてたのも、スランプに入ったのかななんて」

「じ、常識ないですか」

「実用性に振れすぎている、っていう一点だと高校生じゃ珍しいわ」

「ははは……」

 胃が痛い。今更思い返すと、確かに理想の魔法陣で魔法陣の構造分解はあまりにも地味である。

「自分の価値観が現われるから、あの課題は本当に生徒のことがわかるわね~」

「よく見てますね」

「少なくとも一年くらいの付き合いになるわ。相手のことを知る方が付き合い方もわかるわ」

 軽く言うが、一クラス三十人の作品を分析するのはそう簡単じゃない。でも本当に苦労した様子が見えないのは、長年活動するプロだからだろう。

 先生と話していて思いついた。

「そうだ、先生ってこの学園のことをどう思いますか?」

「なに突然」

「今度のコンペのデザインを考えたいんですけど、学園の知識が足りないことに直面しました」

「なるほどね。学園のことを調べるのは適切。できれば他の学校のロゴデザインを調べてみたらいいかもね」

「ありがとうございます」

 確かに学園のコンセプトの捉え方の参考になる。

 先生はうーんと顎に手を当てた。

「学園については、卒業生だけど……勉強するならいい場所だと思うわ。少なくともどんな立場の人間でも、実力があれば通学を認められるのはいい」

どんな人間でも?

 引っかかった。俺の疑問に答えるように、先生は微笑みを浮かべる。

「わたしも色々あって、奨学金の関係で古野学園以外に入学できそうもない生徒だったのよ。だから必死に勉強して、実力が認められて、今こんな風に活躍できているわ」

 遠い目をして答えた。何があったのか、語ろうとはしない。ただ、絶望は見えなかった。

「この学園は実力修行主義とか言われるけど、実力さえあれば自分の居場所を認められるのは私みたいな人にとってはありがたいところだわ」

 意外だった。先生の過去は大っぴらに公開されてないが、神村さんのような家族を想像していた。だが、説明されると俺を呼んだ理由に納得できた。

「……それが、俺を誘った理由ですか」

「それもあるけど、一番はやっぱり続けるモチベーションに気づいてほしかったわね」

「受賞作を見て、そう思ったんですか」

「まあ。別に楽しく描いたものが楽しいわけじゃないけど、窮屈さを感じたとおもったわけ」

「自分の身に合ったものを描くのは正しくありませんか」

「それは誰の物差しで決めるの?」

「自分じゃないですか?」

「じゃあその自分の物差しは一体どうやって決めるの?」

「……それは」

 そう言われたら困ってしまう。仮に入学当時の俺と今の俺では確実に魔法陣を描くことについての価値観が違う。

 従姉さんの夢ための手段の一つから、自分の楽しみのために変わった。

 それ以前に天願先生が家に来なければ、自分の学力でいける近くの大学か専門学校に通ったあと家から通える圏内で働いていただろう。プロになるなんて微塵も考えてなかった。

 学園に転入したことで随分現実味のある考えになった。専門的知識を学んだのもあるが、周りに実際に目指す人が多く居ることもある。魔力は変わってないのに環境だけ変わっただけで、物差しが随分違う。

「視野が狭くなっていると、目の前の可能性が身に合った正しさだと思うんだよね。そもそも大海に出てすらないのに。あ、学校を理由もなく辞めるとかリスクが大きすぎるのは例外で」

「そう……ですね」

「あなたはどうだった?思ったよりやれるって思ったんじゃない?」

 やれるという一言に、ここ最近のことを思い返す。急いで描き始めて、以前のように資料とコンセプト構築を必死にやっている。手が早くなった気はするが、実力は変わったと思えない。でも変わったものはある。

「……いえ、自分の実力以上のことはやれません。ただ、視点を変えれば、同じものでも全く違うものに捉えられることに気づけたのは一番の収穫かもしれません」

「コペルニクス的転回?」

「かもしれません」

「じゃあそれがあなたにとっての『古野学園』でもあるわ」

「価値観の変化ですか」

「イベントだけが学園の特徴じゃないわ。自分が学園の日々から得たものが学園の他の生徒が得られるものでもあるんじゃない」

 かもしれない。

「個人の経験の反映が大きすぎませんか」

「それだけで描くわけじゃないわよ。当然学園のことを納得いくまで調べましょう」

「……ありがとうございます」

 礼をした。先生と話したおかげで少しアイデアが固まってきた。

「こんなにアドバイスをもらっていいんですか」

「日本ではアイデアに著作権はないでしょ。それに、神村さんは何度も見せに来たわ」

「神村さん……どう返答しました」

「『うーん』か『いいんじゃない』かな」

「それだけですか」

「どこが悪いのか神村さんなら気づくわ。対等なら具体的に言うべきだけど、プロに解決法を延々と聞いてたら神村さんの作品じゃなくて私の作品になってしまうわ」

「……」

 神村さんは信頼されている。

「他の先生にも聞いてたらしいから、いい作品ができるんじゃない?」

「先生は今日以降学校に来ますか?」

「来週は仕事。テストの方は他の先生に監督任せているから、頑張ってね」

 ぐっと右手の親指を立てた。

 天願先生に見て貰えないのは残念だ。他の先生に内心で謝りつつも、数日前の俺を初めて後悔した。

「長話になってしまったわね。外は暑いから、中で話す?」

「いえ。そろそろ帰って調べます」

「そう。アドバイスだけど、一度ラフが完成しても、一日寝かせる時間を忘れないようにね」

「ありがとうございます」

 俺はもう一度頭を下げて、バスの方に走り出した。

 振り向くと、先生は手を振っていた。なんとなく家を出るときの従姉さんの顔を思い出した。


 雑然とした食堂で、俺は一人壁のカウンターに座っていた。前には空いた鯖味噌定食のプレートが置いてある。半分になった水を飲みつつ、静かに周りに意識を向けていた。

 人の会話に耳を傾けつつ、手のメモにたまに書き込む。

 部屋に戻ってから学園のことをネットで調べた。学生が自主的にイベントを開催したり、個人で賞に応募し国際的な賞を取るなど外面的に大々的な結果などが載っている。専門的な授業や特徴的な校舎、学生街の話も軽く触れられている。

 学生専用の図書館の電子本で、学校歴も読んだ。元々国の官僚の育成を目的とした大学の卒業生が、その大学に行くための高校生の育成を目的として作ったのがこの学園らしい。初めは魔法科と法学科しかなかったが、時代の変遷と共に科学技術科と魔法陣科ができ、近所の専門学校と合併して芸術科、魔法生物科が加わった。

 専門性が高いのはこういう理由らしい。高専にならないのは大学のための育成機関という立場だからだ。

 『轍を作る人になれ』

 始業式でしか見たことのない文字をメモして終える。

 その後は三人で勉強会。二時間ほどして中断して、実際の雰囲気を調べるために二人に断って先に食堂に来た。

 一番混みあう時間に一人でいるのは気になるものの、情報収集だと割り切ると恥は消えた。変なことをしなければいいんだ。

 他の人はテストや授業のことを話している、しかしたまに学会の発表とか個展の準備とか、部活の大会や留学の面接などテストだけじゃない人もいる。それどころか余裕そうだ。

 勉強を勉強と捉えるだけでなく実用している。この学校らしいところだ。

「……部活の夏休み旅行楽しみだね~」

「まだテスト前。終わった後に……」

「あれ、若澄君?」

 聞きなれた声がした。しかも近づいてくる。

舞木さんと神村さんが雑談しながらこちらに向かっていた。手には空いた食器を持っている。神村さんも遅れて来た。

「珍しいねこんな時間に」

「学園の情報を集めてようと思って」

「コンペ出すの?」

「神村さんのおかげで元気になったんで」

 従姉さんと話した次の日の朝、神村さんにお礼を言った。

 本人はテストの後なんかおごることで軽く流された。デザインの方を優先して、家族関係の話に割り込んでしまったことに後ろめたさがあったらしい。好きだからこそ辺りが見えなくなって申し訳ないと謝られた。俺は気にしてなかったので、ここで話は終わった。

 神村さんとはそれ以来だ。ずっとラフ画を描いてて全然話してなかった。

「二人はいつもこの時間に?」

「いつもはもう少し早いんだけど、二人で勉強してたら過ぎちゃって」

「並ぶ時間とさけた後の時間を考えると、あんまり変わんないから」

「学食も予約ができればいいのにね。渋滞予測みたいに混む時間を予測して、自分の行動とあった時間に予約して時間を分けるみたいな」

「だったら予約ぶっちぎった時のペナルティも考えないとね。十五分以内無連絡でに来なければ一定期間システム停止とか」

「いいかも。人間行動学も調べれば時間とかちょうどいいのが分かると思う」

「情報工学の先生に師事してる人たちに提案してみたら?たしか人間界のデータサイエンティストみたいなも居るらしいわ」

「うーん、全然知らないひとばっかりなんだよね……」

「ちゃんと企画書立てれば少しは話を聞いてくれるかも」

「データサイエンスは研究で必要だから……いい機会かな……」

 うーん、と舞木さんは考えている。仮定ではなく実際に行動する前提で話していた。前の高校では不満に思っていても軽く愚痴って終わりだった。

 実際に難しい授業が多い代わりに、達成感もある。新しい分野を学ぶハードルが下がるというか、やり方が分かる感じが最近はする。

 となるとやっぱり行動力がこの学園の特徴かもしれない。行動力を表すにはどんな形がいいのだろうか。頭の中で丸や三角や岡本太郎の作品が浮かぶ。

 話していると隣の席が丁度二席分空いた。

「座っていい?」

「お願いします。後三十分くらい一人でいる予定で変な目で見られないためにも」

「混雑した食堂でメモとってるのは変」

「そこか!」

 膝を打った。

 そんな俺に神村さんが珍しく引いた。

 沈黙。

 神村さんたちは食事を始め、俺もメモに戻った。

「最近ずっと描いてるね?何を描いてるの?」

「コンペのアイデアです。そうだ、二人ともこの学園についての印象ってありますか」

「うーん、一杯凄い人が居るっておもう」

「わたしも。凄い人が沢山いるよね」

「神村さんも?」

「当然よ。いつもみんなを凄いと思ってる」

 平然とした語り口だった。いつもの余裕をたたえ、嘘をついた様子はなかった。

 あれだけの作品を作っても、まだ力の差を感じるのか。謙遜の様子に、逆に実力者だとひしひしと感じる。

 目線を舞木さんに移すと、生徒手帳が机の上に整然と置かれている。俺の作った魔法陣もまだあった。

「あれ、まだ使ってるんだ」

「当然だよ~ないと遅刻しちゃうよ~」

「そ、そんなに」

「そう簡単に人間変わるわけないでしょ」

 神村さんが諫める。

 少し怖くなった。今まで作ったものは大抵繋ぎだったり消費されて終わりなものだけだ。日常的に使うのは自分だけだと思っていた。自分のものもたまに作り直すから、長く使うものはほぼない。

「どうしてそんなに驚いたの」

「……舞木さんの人生を変えてしまったって気がするんだ」

「どうして?遅刻しなくなったんだよ?それっていいことじゃない?」

「舞木さんにはもう必要ないと勝手に勘違いしていた」

「ん?だってこれがないと遅刻しちゃうよ。だからきっとずっと使うよ」

 舞木さんは首をひねった。俺はどこか彼女の習性は治ると思っていた。

「……」

「まさか自分の作ったものが人に影響を与えないと思ってたの?」

「もっといい手段を考えたい」

「それは今後考えればいいんじゃない?今はコンペに集中しないとあっちもこっちも無理でしょ」

「……たしかに」

「そうだよ~少なくとも、若澄君が作ってくれたおかげで前よりも遅刻が少なくなって、前よりも自分のことを好きになれたよ」

 舞木さんは胸を張って主張した。

「他にもっといい方法があるかもしれないけど、わたしは思いつけなかったんだ。自分じゃできないことを若澄君はできたんだよ。それって凄いことだと思うんだ」

 明確に言い切られてしまう。大胆な一言は、目の前に光がよぎった。

「理想を知りたいって言って、それを具体的な方法に落とし込んで実行できたんだ」

「……そうか」

 呟く。舞木さんの望んだ理想に近づけた。彼女の一歩踏み出せる、羽になれた。

「ありがとう。帰る」

 手早くメモを片付けて、立ち上がる。

「あれ、もういいの?」

「いい形が浮かんだんだ。すぐに描かないと逃げる」

「そっか~頑張って~」

「人に気をつけなさい!」

 二人に見送られて、俺は食器を持って駆け出した。

 描かなくては。

 胸には感謝ばかりが満ちていた。

 それと霧島と紬の勉強会は申し訳ないが、今日は休ませてもらおう。

 あと睡眠時間も今日は短くなる。

 二人への謝罪の言葉を考えつつ、俺はにやけながら廊下を走った。

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