対話

 鍵をかけて部屋の奥に向かう。

 デスク前の椅子に深く腰を掛けて、息をはく。

 できればこのまま放置しておきたい。でも向き合わなければならない。

 スマホをポケットから取り出し、姉さんの連絡先を出す。

「……」

 電話番号を押す勇気が出ない。

 そもそもこの三年間程、一方的に本心からの会話はしなかった。

 いつも気を遣って、いい子でいようとした。今更話したところでなんて言われるか。

 目頭を押さえる。俺は従姉さんのことも知らない。従姉さんが俺のことをどう思ってるかあまり聞いたことない。

「……そうだ、設楽」

 思いついた。設楽なら俺の家に何度か来たことがある。あの後も、普通に家に来た。

 家は遠いが、周りの人から印象などを聞いたことあるかもしれない。

 最近やる気なくて返信も遅れてたが、聞いてくれるだろうか。不安はあるが、設楽なら大丈夫だろうと少しの期待はあった。

 設楽の連絡先に移動して、俺は電話をかけた。

 ニコールほどで出た。

『おお久しぶり。最近連絡来ないと思ったら』

 電話の向こうから風の音が聞こえた。

「最近は忙しくて、ごめん。設楽は外にいるのか」

『ああ。一人で隣町の展望台に来た』

「なんで突然」

 そろそろ九時を回る。月の明るい田舎でも、昼よりは危険だろう。

『テスト勉強の気晴らしだ。買ったら遠くに行きたくなってな』

「へぇ」

 隣町にいいところあっただろうか。開放感に溢れた雰囲気に月に青白く浮かび上がる故郷の景色を思い出す。本当に景色はいいところだった。

『それで、突然どうした』

「すぐに聞きたいことがあって」

 現実に意識を戻す。言葉を選んでから問いかける。

「……従姉さん、のことはどこまで知ってる?」

『雪路さんの連絡先持ってるよ』

 吹いた。

『あ、いや!付き合ってるとかそんなんじゃないからな』

「そ、そうなんだ」

 設楽は早口で弁解する。違うらしい

 はーはーと息を整える。確かに連絡先持っているだけなら変じゃない。

『前、あの時に何かあった時のために貰ったんだ』

 あの時とは三年前のことだろう。納得した。

「最近は連絡している?」

『いや。ただ……涼、どうして連絡してきたんだ?』

 後悔で口は重くなる。だがこのままでは何も変わらない。

俺はそのまま思ったことを口に出した。

「話従姉さんに気を許してなかったと気づいたんだ。家の話で申し訳ない」

 数秒の沈黙があった。

『気づいたか』

「知ってた」

『言ったところで聞かなかったろ』

 確かに。指摘されたら反発して内に引きこもっていた。今客観的に慣れたのは従姉さんと離れたからだ。

『困ってたっていうか、あまり学校の話さないことを心配していたよ』

「ああ……」

 心当たりがあった。

 あの出来事の後、元々浮いていたクラスから腫物のように触れられなくなった。

 初めは戸惑っていたが、時間が経つにつれて逆に楽だと考えるようになった。

 深く話したところでお互いに辛い。だから俺は勉強することで、話すきっかけを自分から消していた。設楽は別のクラスに居て、頻繁に顔を見に来ていた。助けられた立場ではっきり接触を拒絶できずに話を聞いていた。多分そのあたりのことを従姉さんに伝えていたのだろう。

 あの出来事の後、従姉さんとは中々込み入った話はできずにいた。学校のことも、あまり詳細は語らない。中学卒業まで逃げるように自分の部屋に勉強を理由にしてひきこもっていた。

高校に行って、四分の三ほど顔ぶれが変わり俺に対する雰囲気は変わった。だが、従姉さんとの微妙な関係は今も引きずっている。

『怒るか?』

「別に。それで、従姉さんはなんて言ってた」

『……教室に行ってたと伝えるだけで喜んでたよ』

 絶句した。数秒して、言葉を何とかひねり出した。

「……それだけで?」

『ああ。行けたんだ、良かったって』

「厄介だとか、もっと友達と遊びに行けとかないの」

『なかったよ。そもそも俺と話してんだからいいだろ』

 ぐっと言葉を飲み込む。確かに設楽と話してるだけで十分友人と関わっている。

『……とりあえず、あんなことを起こした奴にそんなこと言えるわけじゃないだろ』

「親戚のおばさんに『あんたと同じ立場になれるなら自分も同じのことする』とか言われたんだけど」

『そいつの方がおかしいだろ。ってか、その親戚の人今は何やってんの』

「ほぼ絶縁状態。従姉さんの母親だから特別色々言ってきたんだけど、従姉さんが切れて警察呼ぶようになってる」

『思った以上にやばいことになってんな』

 ため息が聞こえた。

「ごめん聞いてるかと思ってた」

『従姉さんからはいつもお前の話しか聞かれなかったし、話さなかったよ。いつも気にかけていた』

「不満は漏らさなかった?」

『無かった。転校する時になにかしたのか?』

「そうじゃないけど……」

 口ごもって、曖昧な言葉をはっきりとさせた。

「従姉さんが、自分のつきたい仕事につけたんだ」

『良かったじゃんか!』

「ああ。だけど、俺は喪失感があった」

『もしかして引っ越したからか』

「違う。単に、俺は従姉さんの夢は叶わないと思ってたからだ」

『……なんで』


「俺がどうあがいても飛空機に乗れないみたいに、従姉さんの夢はどうあがいても叶わないものだと思っていた。だから俺が助けたいと思って、こっちの学園に着て人間界行きの仕事を見つけようと思って……た……」

 誰かに見られるでもなく目を逸らした。言っているうちに、随分気持ち悪いことが言っていると気づいた。従姉さんを勝手に無力な人間とみなして無力な自分が助けようとしていた。

 ストーカー気質があるのかもしれない。

『……それ、従姉さんに言った?』

「言ってない」

『だよなあ。知ってたら、自分のことに集中しろって断言していたな』

「自分のこと?」

『当たり前だろ。自分でつかんだチャンスなんだから、自分のために使えよ。お前が魔法陣を描き続けてたからその学園に行けたんだろ。勉強も自分がしたから結構いい成績になれた。従姉さんや俺とか周囲の連中は何も言ってない。お前がやったことだよ』

「……いいのか?」

 はぁ?どこが変かすらわかってないようだ。言ってないから当然だけど。

隠しておくべきだった、向き合わなければならない感情を吐露した。

「魔法陣を売ってたのって、周りを見返すために描いてたんだよ」

『それの何が悪いんだ?』

「誰かを幸せにするために描いてたわけじゃない。自分が使うために描いていたんだ」

『べつにいいじゃん。きっかけは何だろうが実力が認められてんだから』

「自分のコンプレックスで続けていたことが、周りに認められていたのか」

『周りも助かってんじゃん』

 うんざりしたような声が聞こえてきた。

『勘違いしてるみたいだけど、魔力が人並みにあるからって他人に嫉妬しないわけじゃない』

「……普通の、普通並みの魔力を持っている人たちが人間だと思ってたんだ。普通の人間でなければ人並みに認められないし幸せになれないと思ってた。だから、賞を取る人間は人間としてできたもので、動機も正しいもので、そうでなければ結果も間違っていると思っていた」

 はっきり述べたおかげでやっと問題が形になった。

 数年間逃げてきた鉛のような胸の重みを吐き出すように告げた。電話の向こうから暫く風の音だけが聞こえた。どんな表情をしているだろうか。右を向いて、星空に満ちた窓を

「俺が夢とか希望を追ったところで、それは間違っているし叶わないものだと思ってたんだよ。俺は間違っているか」

『ああ。魔力の量で正しさが決まるなら皆努力なんてしない……結構魔力量の差とか気にしてるんだよ。実力や結果は魔力じゃなくて、そいつの努力や成果によるものだろ。動機に関しては、どんなもんでも実行したり口にしなければいいんだよ』

「……そうか」

 こざっぱりとした返答だった。

 設楽は否定するだろうと思っていた。もしこれが親戚なら全否定で「迷惑かけてきたんだからそんな夢見ないで現実見て魔法陣描きなさい」と言うだろう。

 自分に都合のいい返答を求めていたと完璧に否定できない。

 しかし、胸の重みはずいぶん軽くなっていた。

「ありがとう」

『ずっと気にしていたのか。初めて聞いたよ』

「小学生になった頃あたりから差は感じていた。でも俺みたいな荷物が不満を吐き出すべきじゃないと思ってたんだ」

『……もっと早く言ってくれればよかったのにな』

「いま伝えるのが一番だったと俺は思うよ」

『……難しいな』

「そうだな。それと、従姉さんにどうして行動に移したのか聞いたら怒るかな」

『どうして怒ると思うんだ。一応生活に関係することだから若澄にも説明は必要だろ。ってかまだ聞いてないのか』

「話をしてるだけで気分が悪くなって、適当に用をでっちあげて切ってた」

『そんなんで電話できる?』

「早めに解消しないと引きずるんだ。俺の一方的な劣等感で従姉さんの人生の邪魔したくない。昔から、大きな幸福もなく小さな幸福を享受して生きていくのだと思ってた。従姉さんも、俺が手を貸さなければ十分な生活もできないから、ずっと俺と生きてくのだと一方的に思ってた……」

 暗くなる。今更考えると、本当に気持ち悪い考えだ。これを信じて、しかも恩人である天願先生に勝手に切れていたなんて愚かにもほどがある。

「気持ち悪いこと聞かせてごめんな」

『いやその気持ちわかるよ。俺もお前が離れてから同じようなこと考えてた』

「まさか」

『お前ほどじゃないけど。単純に、お前が転校しても普通にやれていて拍子抜けだったってだけ』

「運が良かっただけだ」

『でもプレッシャーとか格の違いとか見せられて、弱音吐くかと思ってたらすんなり友人ができて上手くやれてんだよな。勝手に俺が居ないとうまく行かないんじゃないかって、俺の方が勉強上手くやれてないのに、おこがましかったわ』

「設楽はいつも完璧だと思ってた」

『俺もお前が羨ましかったよ。得意なものがあって、高校に入ってからは一目置かれていて』

「置かれていたのか」

『そうじゃなければ依頼なんて来ない。できるだけ魔法陣が描ける環境になるように気を遣ってたよ』

「……」

 気づかなかった。

『お前のことは普通に嫉妬されてた』

「知らなかった」

『そりゃ誰もお前に言わなかったからだよ。お前に言ったところで、実力は変わらないからな』

 紬のことがよぎる。設楽はいつも紬のような感情を抱いていたのかもしれない。

「今はどうしてる?」

『友人に相談して、県外の大学に行くって決めたら気が楽になった。それから必死に勉強してる』

「よかった」

『今度わからないところがあったら教えてくれ。涼は自分が思ってる以上にできるやつだからな』

「……だったら、従姉さんのことなんで話してくれなかったんだ」

『言ったけど聞かなかったからだよ。従姉さんもそれについてだけは悩んでることを伝えてくれたよ』

「……ごめん」

 言われた通りだ。以前なら一刀両断して終わりだ。

『自覚したなら、従姉さんにも謝っとけよ』

「ああ。後で謝る」

『従姉さんと話すのか』

「うん。もし、絶縁されたら助けてくれ」

『できるだけのことはする。初めてじゃないか、助けてくれっていったの』

「そう……だな」

 存在自体が迷惑をかけていると思って、助けを求めることはなかった。

『いい方向に向かってるんじゃないか。従姉さんともうまく行くこと祈ってる』

「ありがとう。長話すまなかったな」

『俺は話を聞いただけだよ。それでいいなら、顛末を聞かせてくれ』

「必ず。じゃあな。夜闇に気を付けて」

『ありがとう。そんじゃ』

 そう言って電話は切れた。何故感謝されたのか、今の俺にはわからなかった。

 いつかはわかるようになりたい。そう希望をもちつつ、勢いのまま俺は従姉さんへの電話番号を押した。

                *

 従姉さんは一コールで出た。

『もしもし?久しぶりだね』

「一週間ぶりだっけ」

『うん。作品の方はいいの?』

「そのために電話した。今空いてる」

『仕事が丁度ひと段落着いたところ。大丈夫だよ』

「そうか。ちょっと付き合ってください」

 勢いのまま話をする。俺は見えてないにもかかわらず頭を下げた。

「今までろくに話せなくてごめん」

『今更どうしたの?』

「えっと……なんというか……色々勝手にやってて後免」

『ええっと……何かあったの?』

 突然の告白に戸惑っている様子だった。

「実は……今、上手く描けなくなってる」

『ええっ!?スランプになってるの?』

「そうだね。それで周りの人たちに相談して色々考えたんだけど……結局、自分が従姉さんと話してなかったことに原因があったみたいだ」

『……なんで?』

 否定するでもなく憤るでもなく、静かに聞いた。

 口の中が乾く。それでも言わなければ結局逃げるだけだ。

「この学園に転入したのは、従姉さんが人間界に関連する仕事を見つけるきっかけが見つかればよかったと思ってたんだ」

『えええっ!?』

 驚愕の声がスピーカーから響く。今までで聞いたことないような声だった。

『そんなの聞いてない。プロになる足がかりって言ってなかった!?』

「ごめん、でっちあげた理由」

『じゃあならないの?』

「それは……まだ決めてない」

 申し訳ないけどこれは事実だ。そもそも描けないのに数年あとのことはわからない。励ましてくれた神村さんにも申し訳ない。

 神村さんのことを思い出して、前に進まなければならないと意気を上げる。

「学園は絶対に卒業する。それだけは約束する」

『……え、でも…なんで……他に理由は無いの?』

「無いよ。ごめん、転入すれば従姉さんの……夢の助けになるかと思ってたんだ」

『……』

 絶句していた。一分ほど経って、やっと一言。

『じゃあ、私が天願さんからの仕事を受けた時どう思った?』

「嬉しかったのと、ものすごく驚いた。待つ必要はなかった」

『私が完璧に夢を諦めていたと思ってたから?』

「そう思ってた。ごめん……中二以降、俺はあまり従姉さんと向かい合って話せなかったと思う。高校に進学する時も勝手に決めたし、こっちに転入する時も相談する前に勝手に決めた」

『学園に転入したことを後悔してるってこと?』

「それはない。従姉さんと何をしたいのか話しておけば良かったんだ。そうしたら、もっと別の方法で姉さんを応援出来て、自分の目標も決められたはずだ。だから、こんな追い詰められてからでごめん、もっと話しておけばよかった」

『……』

 どんな顔をしているかわからなかった。

 ただ、すぐに泣いているような声が聞こえた。

『ごめん。すごい嬉しい』

「え?」

 逆に驚いた。罵られるとか、諫められるとか、そんな風かと思ってたから。

『本当は「自分のために選んで」とか「私のためにそんなことしなくていい」とか言いたかった。でも、ごめん、やっぱり、諦めきれてなかったんだ』

「やっぱり」

『知ってたか。まあ、じゃなきゃ家を空けて転職するなんて馬鹿なことはしないね』

 はははと笑う。

『……私の夢は一度終わったし、それでも追い続ける気持ちは無かったのに諦めきれずにもいて、中途半端なかんじだったんだ。周りに相談しても「魔法が使えなきゃ無理」って、常識だけどね。ギリギリ求める水準になってたら、人並みにできないことがあれば着られるのは相手にとって普通だよ』

「天願先生は何も言わなかった?」

『あの人は「欲しい能力があればそれでいい」っていう主義だから、総合的よりも一点特化で魔法が使えるかは気にしてなかった。「パソコンあればいいでしょ」って』

「ああ……貸与してもらったの」

『そんな感じ』

 確かにあの人らしい。魔力を併用しないパソコンは結構高い筈だ。でも誰でも使えるという一点においてその分の価値がある。

『だからここならやってけれると思ったんだ。過程を伝えなかったのは、ごめん、まだ決まったわけじゃないし失敗した時に心配させると思ってたんだ。自分の選んだことだから、余計に不安にさせたくなかったんだ』

「いいところだから決めたの?」

『うん。だからごめんね、勝手に決めちゃって』

「姉さんの実力が認められた。チャンスを掴めるのはいつでもじゃない。俺が……勝手に嫉妬していただけだよ」

 息を吸って、一気に言い切る。

「自分が絶対にできないから従姉さんもできないと思ってたんだ。プロにも成れないと思ってた……何をやっても無駄だと思ってた。従姉さんが夢を叶えた時、やっと自分のことに向き合わなければならなくなったんだ」

『そっか……』

 言い切ってしまった。これで事態は正しい方向に向かうのだろうか。俺のコンプレックスに向き合っただけで、現実は簡単に変わるのだろうか。わからない。それでも、やるしかなかった。

 数秒の沈黙の後、姉さんは言った。

『……涼は私のことどう思ってる?』

「すごくいい姉さん」

『そっか。私も、涼のことは本当に立派な弟だと思ってるよ。私よりも頭良くて、魔法陣をたくさんかけて自分なりのアレンジをできるのは私はできないから……それは、わたしのためにしたの』

「二割くらいは。あとは自分のためだよ」

『そっか。ああ、あのことがあってからもっとしっかりしなきゃいけないと思ってたんだ。だから不安にさせないように色々やってたんだけど、それってプレッシャーになってた?』

「いや。自分が役立たずだと思ってた」

『それがプレッシャーだよ。その間は仕事と寮のこと以外考えられなかったし、それでいいいって受け入れていたんだ。でもとっつぜん天願さんがあらわれてから、わたしも向かい合わなきゃいけなくなったんだ』

「夢と?」

『それもあるけど……涼が居なくなった後のことかな。転入を決めたところでいつまでも家にいるわけないと気づいたんだ。その時、まあわたしも結局何も残せてないなって。そしたら私は絶対にどす黒い気持ちになると思ったんだ』

「嫉妬……してたんだ」

『うん。諦めたはずでね、歳も他の人たちと比べると上だから、可能性も低い。でも、流石に引きずっていると自覚したなら、このままだと今度こそ涼の人生の邪魔になるなって思ったから。だからもう一度真剣に仕事を探してみた。で、こうなったんだ』

「そうだったんだ」

 初めて知った。従姉さんが俺に嫉妬していたとは。役立たずとか、意味がないと思っていたのに。

『運よく叶った。おかげでこんな風に話せているんだね』

「……そうだね。こんな機会じゃなきゃ腹を割って話せなかった」

『私は今とても満足しているから、もしあの時に話していたらまた別の道が開けていたかもしれないけど、今はいいや』

「色々あったけど、今が幸せならいいの」

『私は、ね。だから、私のために転入してくれたのは凄い嬉しい。今度は自分のために選んだ方がいいよ』

「……俺は選べると思う?」

『うん。犯罪をしなければ、どこへ行ってもいいし、何をしてもいいんだよ』

 都合のいい言葉だった。仕事がうまくいって気分が高揚しているから言える言葉だ。

 明日も言えるかはわからない。けど、何か欲しかった言葉みたいだった。

「たしか、一生使える金と時間ができた時にすることが自分のやりたいことっていう言葉だっけ」

『あってる』

「従姉さんは同じ状況になったら、同じ仕事をする?」

『うん』

 即答だった。

「そうか。ありがとう。今度夏休みに帰っていい?」

『あなたの家なんだから。仕事でいない日は連絡するね』

「ありがとう」

『もう大丈夫?』

「うん。描けそう」

『ならよかった』

「長話に付き合ってくれてありがとう。おやすみ」

『遅くなる前に寝なさい。お休み』

 通話が切れた。従姉さんに申し訳ないけど、俺は机の前の椅子に座った。

 デスクライトをつけて、白紙の前に向き直る。

 何も書かれてない真っ白なA4用紙だ。ふと、初めて描いた日のことを思い出した。

 夏の日、真っ青な畳の上で俺は魔法陣を描いていた。確か近所のおじさんが作業具の修理のために自分で魔法陣を描いてたところを見たからだ。

 四歳の夏、初めて魔法陣を描けると知った。昔から魔法陣に触れちゃいけないと祖母から言い聞かされていたから、あの魔法陣はただのマークだと思っていた。

 只のマークだったが、何故か身の回りにある。幾何学的な文様から、漫画のような絵になっている物もある。

 面白い。

 あの意味は分からないが、おじさんがかけるなら俺も描けるんじゃないかと思った。

 だから自分の思い浮かべる文様を描いて、それっぽい形にしていた。

 そこに従姉さんが現われて、俺の手元の紙を見た。

『すごいね』

 ……なんだかんだ言って、魔力がないコンプレックスとか色々あっても描き続けられたのはこの一言と、興味があったからだ。周りがどうとか関係なく、魔法陣自体は本当に素晴らしく面白いものだと思う。

今ではそんな単純な気持ちで描けるわけじゃない。

じゃあ何に価値があるんだ?

前の学校で、自分の作った魔法陣が使われているシーンを思い出した。

自分が作ったものを相手に受け取ってもらえていた。それだけでなく喜んでもらえた。緊張感からの解放。どこか飛んでいけたような喜び。ここにつきた。

俺はまだ描いていたい。

「……やるか」

 ノートを取り出して、コンセプトや関連情報のページを開く。昨日は全く入らなかった情報が、頭の中にすらすら入ってきた。これなら作業が進みそうだ。

 締め切りまで三週間ある。最後まで足掻くと決意し、ノートの情報をまとめ始めた。

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