向き合わなければならないもの
目が覚めると、窓のカーテンの隙間から朝日が漏れていた。白い光が糸のように部屋の姿をぼんやり浮かび上がらせる。
勉強机の上には白紙。その横には参考本が山のようにつみ上がっている。
手前の背の低いテーブルの上は何もない。昨日はこっちも本が埋めつくしていた。霧島が「片付けたほうがいい」と心配そうな顔で助言してきたから部屋を掃除した。本の山は霧島が帰った後に作ったものだ。
時計を見ると、朝七時だった。そろそろ起きなければ。ぼんやりする頭のまま立ちあがり、カーテンを開ける。
梅雨の晴れ間だ。雲まばらな青空すら鬱陶しかった。
七月一日、進捗のないまま日々が過ぎていく。
*
授業もいつも通り過ぎていく。先生の話は耳を半分通り抜けていった。
身が入らない。これではやばいとは自覚している。それでも集中できなかった。
四限目終了のチャイムが鳴る。今日の当番の人が号令をかけて、先生に礼をする。そしてすぐに会話が始まった。授業の中身や娯楽だけでなく、コンペ関係のものも混ざり始めた。
お互いに自分の作品を見せあい、感想を聞きあうことを最近よくやっている。コンペに参加する生徒は思った以上に多い。今回はフォント作成のために半分捨てたような紬を除いて、ほとんどの人が熱心に自分の力を高めていた。
俺は黙って鞄に筆記用具と教科書を片付ける。それを見たのか、前の席の人が立ち上がってファイルを取り出した。
「若澄君、ちょっと俺のを見てくれないか」
「すまない。ちょっと一人で描きたい」
軽く謝ると、相手も納得したように「わかった」といって机から離れた。一人で集中したいというのも受け入れられている。作品を見せ合うことも強制的ではない。ただ、推奨されていた。
隣の紬がノートと閉じた。
「帰るのか」
「ああ」
目的は違うが、帰る人が一人でも居るのは安心する。
向上心がないものは馬鹿だ。授業で取り扱った一文を思い出した。
それでも何も思いつかなかった。
心なしか以前より堂々とした足取りの紬と共に、クーラーの効いた教室から逃げるように立ち去った。
心配そうな視線に気づくことなく。
*
外が真っ暗になったころ、俺は一人食堂でそばをすすっていた。授業終わってすぐに制服から普段着に着替え、ずっと机に座っていた。数時間座って、真っ白な紙は変わらなかった。
紬は自分の作業に集中したいと断り、霧島はネット対戦が今いいところだから先に行っててくれということだ。なんだか有名なプレイヤーとマッチングして鍔迫り合いの真っ最中のようだ。ラストオーダーまであと三十分を考えて、仕方なく一人で行くことになった。
時間もあって、食堂に人はまばらだ。テストまであと一か月もあって、ところどころ参考書を広げる生徒もいるが、それでも八割は開いていた。
無音に、窓の外はまばらに街灯が広がるだけ。目に入る情報が少ないせいか、一人になると余計なことを考えてしまう。
従姉さんは仕事が認められた。人間界と魔法界の間の調整役として雇われた。先輩社員の後ろ姿を見て未熟さを思い知ったと以前電話で言っていたが、口調はとても楽しそうだった。
一方で、俺は無気力になっていた。何故こんなに無気力なのか。深く考えてみると、俺は人のためにしか魔法陣を描いてなかったことに帰着した。
自分のための魔法陣は必要な時に必要な分だけ描いていた。
逆を言えば、不便さなければ何も描くことはない。
実家の方ではもう自分のための魔法陣は描き終えて、この学校に転入してからは特に魔力がないことで困難はない。そしてこちらの学園では魔法陣が必要だとしても、別に俺が描く必要はない。
そもそも新しく作るには魔力があった方がいいのは当たり前だ。魔力の分多種多様な技術が使える。
それでも描いていたのは従姉さんのためだ。従姉さんの役に立つためだ。
その従姉さんも自分で足元を作って飛びだった。
じゃあ他に何かあるか。いくら考えても、理由が思いつかなかった。
魔法陣について勉強するのは難じゃない。俺には使えない魔法が載っていても、新しい魔法陣を見るだけで新鮮な気持ちになる。
昨日は何か新しいアイデアのために専門雑誌を読んでいた。高度な魔法や、真新しいアイデアのものが大量に掲載されている。
ただ、今はやはり俺が描く必要はないとしか思えなくなっていた。
誰でもいいなら、俺じゃない方がいいんじゃないか。
魔力量が他よりも少ないということは、一般人との感覚が異なる。使用に必要な魔力量を毎日気にしているだけでなく、会話に出さないように気をつけている。
それ以上に昔の飛び降り未遂もある。あれで学校では設楽以外と会話するたびに空気が止まっていた。親戚は家に来なくなったし、近所の人も未だに大丈夫かと声をかけられる。魔力と無関係に人間関係がどこかおかしくなっていた。
ここのクラスメイトは明るくてコミュニケーション能力が高い人が多い。紬のように物静かな人もいるが、ほとんどは活発に動き自分の思想や思考を確立している。一抹の闇すら持たない太陽のようだ。俺のような薄暗い過去を持つ奴よりも、彼らの人柄に引かれるのは当然だった。
俺はどうすればいいんだろう。
答えが思い浮かばないまま、とりあえずそばをすする。
「若澄君」
顔を上げると、窓に鏡写しの食堂が映り、俺の背後に神村さんが立っていた。
振り向く。そこにはいつも通り悠然とした雰囲気の神村さんが立っていた。くるぶしまである黒いジャージに空色の半袖Tシャツ。白いサンダルを履いて、手には炭酸のペットボトルを持っていた。
「隣、いい?」
「どうぞ」
「ありがとう」
神村さんは静かに椅子を引いて、ちょこんと座った。ペットボトルを胸の前に置いて、背筋を綺麗に伸ばす。
「何か提出物でも忘れたっけ」
空元気で答える。神村さんは苦笑して、手を振った。
「違う違う。すこし若澄君と話ししたいんだ」
「何故そう思いますか」
「授業中、前よりも向いてないことが増えてる」
確かに最近は窓の外を頻繁に眺めている。いつの間にか見られていたらしい。
「実技の授業もぼーっとしているし、前は課題が無くても魔法陣描いてたのに最近は全くだね」
神村さんが肘をついて俺の顔をのぞきこむ。伺うような視線に、嘘はつけなくなった。
そこまで見抜かれていたか。空いた食器を見て、プレートの上に箸を置いた。胸の前で手を合わせる。
「最近描いてる?」
「ご馳走様でした……あまり、描けていませんね」手を下げる。
「礼儀正しくていいね。何かあったの?」
口をつぐんだ。従姉さんのことを言いたくない。神村さんには無関係なことだ。
以前自分のことを吐露してしまった。他の人に流したり、瀬尾って暗くなっているんじゃないかと後悔していた。しかし、俺の予想に反して神村さんは平然としていて、他の人に流す気配もない。
どうしてそんなに平気なのか不思議だ。
神村さんは依然と変わりなく、悠然とした雰囲気で話しかける。
「逆に、変わりない?」
「いえ、周りの人たちが目標を持ち始めた。だから逆に、置いてかれた気がする」
「そっか」
神村さんが夜景を眺める。ポスターになりそうな、ひとつの絵になっていた。
ぼんやり眺めて「ねえ」と話しだした。
「私、四月に香水についての魔法陣を作ったじゃない」
「描いてましたね」
「あれは、アレルギー問題を解決できるんじゃないかと思って描いてみたんだ」
「そこまで考えていたのですか」
意外だった。あの魔法陣は普通に売ってそうなデザインで、特定の人に考慮しているようなものじゃない。
「気軽に楽しめることも考えているけど、色々壁がある人も楽しめるようにした方がいいと思う」
「はあ」
俺はその中に入ってない。口の中が苦くなる。しかし、神村さんはすぐに遠くを見るような目をした。
「だけど私は若澄君みたいなものは描けないな」
「俺の魔法陣は単純なものばかりですよ」
「そこは需要とは関係ないんじゃないかな。例えば靴べらに複雑な構造は必要?」
「必要ないと思います。履きやすさと使いやすさが最優先だから、角度や手に取りやすさの設計の方が重要じゃないですか」
「わたしもそう思う。日常的に必要なものならできるだけ簡単に使えるもので、シンプルで飽きの来ないデザインの方が需要が高い」
「それが俺の作品の特徴か」
「私はそう思う。パソコンやスマホみたいに本体の構造の複雑さや内蔵プログラムの複雑さは、多くの利用者にとっては興味ないもの。同様に、魔力消費量の多さや魔法の内容が華美でなくてもいい。そもそもオリジナルを作った人が、派生商品をデザインする必要もない」
「……思いついたもの勝ちってわけですか」
「どんなものも形にするのが一番大事。そう考えると、やっぱり若澄君は魔法陣描くべきだと思うよ」
理想の魔法を思い浮かべても、それを形にするのは時間も手間もかかる。例えば靴を上手く履けないと不満を思っても、靴べらを0から作れとなれば大半の人はそこら辺のもので紛らすだろう。不満を問題と認識して、解決するために知識を身に着けるのは体力も時間も必要だ。
俺が魔法陣を作ることにあまり抵抗がないのは知識があるだけでなく、昔から描いているからだ。個人的に使うものなら、申請などを除けば半日で完成する。
俺は外を眺める。空には飛空機の光が蛍のように動き、光の標識のぼんやりとした形が浮かぶ。あの人たちは飛空機で飛べるが、飛空機の構造を知らないかもしれない。
「俺は描けてる?」
「描けてなきゃ、賞を取ってないでしょ。それに最近あなたのやっていたらしい魔法陣のアカウント見たよ」
「どこで聞いた!?」
「噂で。このアカウントでしょ?」
神村さんがポケットからスマホを出して、画面を操作する。すぐにこちらに画面を見せてきた。確かに俺のアカウントだった。
「あってる」
「ならよかった。結構売れてるね」
神村さんは自分の方にスマホを引き戻して、画面を見ている。
俺は神村さんの言葉を素直に受けてとれなかった。
「ランキングに乗ったことないから、そこまで売れてる実感はないな」
「あの辺りは自分で宣伝広告してる人たちやセミプロがいるから、それと比べると十分じゃない。ランキングを狙うなら、質以上に戦略を考えないといけない」
「宣伝は……あまり自信がない。時代に合ってないとわかってても、あまり表に出たくない」
「わたしもそう思う」
「神村さんもなんだ」
「親の七光りって揶揄されるから」
「あれだけ凄い作品描いてるじゃないか」
「父のゴーストだって噂があるんだよ。周りの人は信じてないけど」
神村さんは背筋を伸ばした。
正直驚いた。神村さんは魔法陣デザイナーとしては理想的な環境にいる。人脈も資産も考えると、クラスの中でも一つ頭が抜けている。
一方実力は七光りではどうにもならない。才能も結局は継続と作る意思を維持し続けなければここまでは来ない。
「ちゃんとした人たちは父の作品じゃないと一発でわかるみたいだけどね。これだけは、いくつ受賞してもきっと消えないと思う」
「少なくともクラスメイトはそう思ってないよ」
「ありがとう。いつか私のブランドが確立して口を閉じさせるから待ってて」
当然といったような自信に満ちた口調だった。彼女にとって、プロとして活動するのは迷いはないようだ。
俺にはないものだ。だからこそ、意見が聞きたかった。
「俺が受賞した時どう思った」
「『私には描けない』と思ったかな」
「神村さんには描けない?」
「描けないっていうよりも、思いつかない。視点の違いだね、もし同じものを作ってくれと言われたら私は商品化した時のことを考えて、紙に移す以外の場面も考えるからもっと余計なものを付けると思う」
「その方が便利じゃないですか」
「便利だけど、その人にとっては必要ないものだと思う」
言われてみれば。靴べらが光ったら夜でも使えるが、スマホのライトで代用できる。
神村さんは苦笑した。
「それ以前に、コピーじゃなくて自分の言葉で書きなさいと言って終わりかもね」
「……人として正しい」
「怠惰こそ創作に必要なもの、って偉い人が言ってたけどね」
神村さんが机の上で手を組む。
「話は戻るけど、最近描けてる?」
会話の前よりも、少し打ち解けた気がしていた。
「あまり」
「良ければ話を聞かせて貰ってもいい?」
「恥ずかしい話でもいいなら」
「聞いてみなければわからないよ」
神村さんは姿勢を正した。茶化す様子はない。
魔法陣に対して真剣な人だ。確固とした人と向き合い恥ずかしく、逃げ出したくなる。
しかしここで逃げたところでなんの解決にもならない。
深く深呼吸して、俺は話し始めた。
「単純に、俺が魔法陣を描かなきゃいけない理由が無くなったんだ。従姉さんのため、以上の理由が見当たらない。魔力も低いのに、プロになれるだけの熱意もないんだよ。そもそも逃げた奴が、競争に勝てると思えない」
「そっか……」
神村さんは難しい顔をしてうなった。
「なるほど……まず、魔力がないって依頼の人は知ってたの?」
「知らないと思う」
「そう。なら、自分の実力でしょ。周りに魔法陣を描く人が居る居ない関係なく、作って欲しいって言う時点でそもそも信用があるんでしょ。魔力の有無は関係ない」
「自分の感覚が間違ってると思わないんですか」
「もし間違っていたら、依頼の人から指摘が来るよ。あった?」
「そんなに苦情を言われたことはありませんね」
「なら、依頼者の求めた魔法陣を作ったってことでしょ。市販される魔法陣だって、自分の感覚だけじゃなくて、コンペ以外ほとんど依頼があって描くもの。この場合自分の感覚がずれてたら依頼は来ない、お客さん方も指摘する感覚も必要」
「……たしかに」
言われた通りだ。魔力がないということは、先生みたく事務的に伝える必要のある人か、設楽や従姉さんのように親しい人しか伝えていない。
「そもそも魔力がないってことはお客さんに言ったの?」
「いえ。隠してました」
「だったらもう魔力極小の魔法陣を作る人っていう特徴になってるんじゃない?もしもっと派手な魔法陣を欲しがっていたら、ネットで他の人を探すはず」
過去の依頼を思い出すと、依頼の受けはじめのうちは一般的な魔法陣を作るように依頼が来ることもあった。でも一年程経ったころには、簡単なものばかりを依頼されていた。
気を遣われているのではなく、単にそういう魔法陣しか描けない奴とみなされていたのかもしれない。
「さっき言ったみたいに、デザインは華美である必要もないし、多機能である必要もない。不満を解決する手法を形にするのが第一」
「……普通の人のような魔法陣は描かなくてもいいってことですか」
「需要と合致する場所なら、需要はあると思うな。私がそこまで嫉妬しないのも、ジャンルが違うからだと思う。芸術や戦闘系は難しいけど、工業系や、日用系のモノならそこまで消費魔力量は関係しない。むしろ、そこまでない方が嬉しいかもね」
正論だった。
別に俺が普通の魔力消費量の魔法陣を登録することを目指す必要はない。ただ、周りにあるから意識せざるを得ないだけだ。
ものを持ち上げるために梯子が必要なわけじゃない。そもそもの問題を解決するなら、まとめるひもが必要かもしれない。魔力が必要なのではなく、何を解決すべきか理解する能力が必要なんだ。
「もう見てるかもしれないけど、日用雑貨系や工業系の雑誌は機械の話だけじゃなくて利用している魔法陣も載ってる。デザイン系や普通のファッション雑誌に載ってるようなものとは全然違うよ」
「ありがとう。明日図書館で見てみる」
なんだか目の前が晴れた気がした。俺が描いてもいい。人にはっきり認められたのは初めてかもしれない。不安定な地盤がやっと固まった。
満足していると、神村さんははあと息を吐いた。
「それで従姉さんのことだけど」
「うん」
「そもそも従姉さんの夢を助けたいってこと、話した?」
「話してない」
「どうして」
初めて責めるような口調になった。叱られたような
「重いよ。流石に従姉さんのためにこっちに来たとか言ったら、絶対に止められる」
「何で止めるの?若澄君に振ってきたチャンスじゃない」
あれ。俺は首を傾げた。
「止めないんですか?」
「当たり前でしょ。あなたの実力で得たものなのに。むしろ、従姉さんは応援するでしょ」
「じゃあなんで話せって。反対を説得しないなら、それで終わりでいいんじゃないのか」
「そもそもなんで反対すると思ってるの?」
「金銭的な面で」
「奨学金の話は聞いてるでしょ。どうしてそう思ってるの」
「それは」
親戚の顔が思い浮かぶ。昔、俺と従姉さんの同居を反対していた。
「……親戚との立場を考えてとか、心配で」
「でも親戚の人のことを考えたところであなたの実力は伸びるの?」
「全部自由にやれませんよ」
「それは従姉さんの口からきいた?それともし自由にやれないなら、真っ先に反対されるのは従姉さんの新しい仕事への挑戦じゃない?」
「……」
言い返そうと従姉さんのことを思い出す。
どうして反対するのか理由をいくら考えても、従姉さんはいつも俺の魔法陣をほめていたことしか思い出せない。それを俺はお世辞として軽く流していた。
唖然とした。従姉さんは俺のことを否定したことはない。間違ったことをしたら怒るが、むやみに『やめろ』とは言わなかった。
反対すると思っていたのは、きっと従姉さんが昔の夢を引きずっていると思っていたからだ。そんなことは一言も言ってないのに。
引きずっているから、これを言えば怒られるのだと思っていた。
前の学校で、窓から飛空機を眺めていたことを思い出す。
遠い夢、どうあがいても叶わないものだ。
そう思っているのは俺であって、従姉さんじゃない。従姉さんからは一言も聞いてない。
汗が引いた。クーラーの風が妙に寒く感じる。
「顔色が悪いよ」
神村さんが心配そうな顔で俺を見ている。
「……従姉さんのこと、あまり知らなかった」
懺悔するように吐き出した。
「今更、根本的なことに気づくとは思ってなかった」
「自分のことなんて意識しないとわからないでしょ」
「……」
意識しなかったのか、意識したくなかったのか。おそらく後者だ。
「若澄君は描く理由を探すよりも、まず描けない理由を消す方がいいと思うよ。競争に生き残れるかってことも、ここ原因じゃない」
神村さんはほほえんだ。恐らく女神の笑みとはこのようなものかもしれないという慈愛があった。
ただ、俺の置かれた立場は千尋の谷だった。優しく、正しい立場で問題に向き合わせている。
「神村さんはどうして俺の相談に乗ってくれるんですか」
不気味なほどのやさしさが怖かった。突然の問いかけにも、彼女はすぐに答えた。
「もう何人も才能のある友人がやめたんだ」
神村さんはさらっと答えた。
「皆賞を取ったんだけどね。描けなくなったり、才能が無いってやめたり、他に道を見つけたり……父の方も、同僚が精神的に追い詰められたりしてやめたの。他の道を見つけてそっちに行くのはいいけど、デザインに関連しない理由で辞めなければならなくなるのはとても残念だと思う」
「自分のライバルが増えても?」
「それでも、その人が生み出すはずだった傑作を思うともったいないと思う。だから今魔法陣を描く、周りの人たちはできるだけ描き続けられる環境に置きたい。あなたはそうじゃないの?」
神村さんは俺に問いかけた。
「……そう、俺もそうだ」
天願先生の魔法陣を思い出す。繊細で、ひとつの芸術品のような魔法。仮に俺が競争相手になっても潰そうとは思わない。むしろ新作を心待ちにする。比較よりも、素晴らしいものを見たいという欲求だ。
神村さんにとっての俺もこう見えてるんだろうか。
横を見ると、嬉しそうにしていた。仲間が見つかった、そんな喜びに満ちていた。
*
食堂から出て、一人寮に戻る。
寮と食堂の間の渡り廊下を歩いていると、売店の入り口霧島が袋を持って出てきた。やっとゲームが終わったようだ。
足を止めると、相手が早足でこちらに歩いてきた。
「遅かったな」
「そっちも長丁場だったな」
「やっぱりトッププレイヤーはやばいな。その後もつい三戦しちまった」
「そんなにやったんだ」
神村さんと話していたら一瞬で一時間が過ぎ去っていたようだ。
霧島は商品の入った袋を持ち上げる。中にはジュースとパンとサラダやサラダチキンなど色々詰まっていた。
「だからこれから夕食なんだけど……なんか、若澄、明るくなったけど暗いな」
「明度低めの白か?」
「それ何色?いや、長くなりそうだからいい」
「短いのに」
「話題が逸れる。それで、重い顔が微妙な顔になって戻ってきたけどどうした」
「問題一つ解決して、また別の問題が出てきたってところ」
俺は霧島に神村さんとの会話内容を話した。家庭環境のことも含めて、納得したようにうんうん頷いていた。ちょうどいいときに相槌を返してくれるから、話の重さに反して軽く話せた。
「っていうことがあったんだけど、霧島は人が目標を叶えるところを見てどう思う」
「そりゃあ、そいつの態度次第。いいやつなら喜ぶ、悪い奴なら恨む」
即答だった。
「感情論の観点でしかない。周りの感情に左右されて字抜ぶんの人生を決めるのはあまり有用だと思わないな。で、どうしたんだ」
「……前言ったように、目標が無くなったっていっただろ」
「ああ」
「そもそもの目標が間違ってたかもしれない」
「あー」
「俺のコンプレックスを外に投影して、勝手に問題を持っていると勘違いしていた……」
「よくあるやつ」
「霧島もあるのか」
「一人で考えるとそうなりやすい」
「人に相談すれば良かったのか」
「多分な。いい相手なら建設的な方向に進むだろ」
「いい相手……他に友人居たのか」
「ネットに」
霧島は目を逸らした。聞く所だと、クラスからは浮いてるが以前のような冷めた目線はなくなったらしい。
「信頼できるネットのプレイヤーな。最近は煽ってこない奴に相談して、一旦冷静になって考える」
「いつできたんだ」
「一週間くらい前かな。一人で考えるだけだとやばいって実感してからは相談している」
霧島は申し訳なさそうに頭を掻いた。退学騒ぎの話だろう。色々大変だったが、今は落ち着いている。あれは正しかったのかたまに悩んでいたが、いい方向へ行って良かった。
霧島は頬を軽く掻いた。
「それで、これからどうするんだ」
「……もう一度描けるようになりたいな」
「辞めないんか?」
「その選択肢はそもそもない」
魔力が無くても就ける仕事はある。今まで積み重ねてきた人生で残るものがあるとすれば、勉強したこととおそらく魔方陣だ。他に得意なこともない。それにもしまた俺自身が魔法陣を必要となれば描かなければならない。俺を求めるものは俺が描くしかないのはどれほど他の人が上手くても変わらない。
「縋ってるみたいだ」
「いいんじゃないか。向いてると思うけどな」
「そうかな」
「鶫さん褒めてたよ」
「どのあたりをほめていた?」
「早さと精確さか」
「全然魔法の内容にかかわってないな」
苦笑する。手の早さは確かに強みの一つにはなる。需要を満たせば、だが。
霧島はすぐに反論した。
「十分だろ。特に緊急時に短期間で作れる奴なんてそんないない。埋め合わせなら、その分高い金を要求すればいいじゃん」
「……そんな簡単に行く?」
別分野で聞いたことはあるが、高給な分やはり色々案件がやばかったりするらしい。
それでも褒められるのは悪い気分じゃなかった。
「早めに訂正が聞けるのは確かにいいのかもしれない」
「あれ、ポジティブだな」
「そうか?」
「今までなら『自分の実力がない』って否定されていた気がするな」
口を閉じる。今までの言動を思い出すと、確かに否定しそうだ。
不思議に思って首をひねった。
「実力は変わってないのにな」
「見方が変わったんだろ。それに実力を実力と認めないのも現実逃避の一つだろ」
「……そこは、反省しないとな」
冷静な指摘にため息をつく。霧島の言う通り、長所短所関係なく一から見直す必要があった
焦りはあるが、気は楽だった。神村さんと話したことで問題点が浮かび上がったからだ。
クラスメイトは基本的に芸術系や先進技術関係のもので、例えればトップのファッションショーのようにどうしてこんな魔法が作ったのか理解できないものを作ることを目指す人が多い。基本、基礎的なものなら技術科の方が多いかもしれない。同じコンペを目指す身としては競争相手だが、細かい傾向に分類すると俺とは全く違う。
多分そこが長所だ。
「俺の場合、あれ以来地図作ったり、FPS始めたり、色々やりはじめたら少し気軽になったな。別にプロじゃなくても趣味で続けてる人とか結構居るし。地図の方もSNSで社長仕事続けながら論文年一で発表している人とか知り合ったりしたな」
「メインじゃなくてもサブでもいいって思ったのか」
「そんな感じ。年下や同年代がプロになったりや凄い結果を残して、その先に輝かしい未来がある、逆を言えばそうしなければ幸せじゃないと思ってたんだが、自分ができる範囲で結果は残せるとも知った」
「それはよかった。目標が間違えたことに気づけたなら、もう一度考え直してみればいいんじゃないか」
「見つかるだろうか」
「今見つからなくてもいつかはできるかもな。流行も、数年後には時代遅れになる可能性だってある。現在の状況がずっと続くわけじゃないし、目標を達成する方法だって別の道が出てくるかもしれない」
周囲の連中は自分の事務所を持つことや、大企業に所属したい、コンテストで優勝したいなどはっきりした目標を持つ。
劣等感や焦りを感じるのは今目標がないからだ。
探す前に、先に解決すべき問題があった。
「わかった。ありがとう」
「とりあえずやめる以外の道はいくらでもある」
「逆に言われる立場になったか」
「ああ」
「すんなり言うな」
「もう遠い昔の話だ」
さっぱりとした言い方に、なんだか遠く思えた。
話していると、自分たちの部屋の前に来ていた。
自分の部屋の前に立つ。
「話を聞いてくれてありがとう。用ができたから、今日はこれで」
「予習とか大丈夫?」
「明日やる」
「……溜まってくなー」
仕方なさそうに霧島は自分の部屋の前に立った。ノブに手を掛ける。
「じゃあまた明日。なにか聞きたいことあったら連絡してくれ」
「どうにかするよ。それじゃ」
俺も自分の部屋のノブに手を掛けて、中に入った。
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