女々しくて

『人間界に行くことになったの』


俺は机の前で固まっていた。

 六月も三周目に入り、梅雨に入っていた。

 窓を叩く雨音が一人の部屋に響く。些細なことすら気分を逆撫でる。

 トントンと鉛筆で机を叩く。頭を抱え、適当に線を書くがまともな形にならない。

 ため息をついて鉛筆を置く。紙の上にはなんだかよくわからない線や円がそこら中にある。どれもまともなデザインとは言えない。

 見ていられなくなって紙を丸めてゴミ箱に放り投げる。ゴミ箱の手前で紙は落ちた。

 うまく行かない。苛立つ心を押さえて大きくため息をついた。

「……思いつかない」

 呟くとさらに気が滅入った。一旦気分転換しようにも外は雨だ。それに気分転換に読書や勉強など全く関係ないことは何度もやっている。それでも何も進まずにいた。

 俺は仕方なく立ち上がり、紙をゴミ箱の中に入れた。

中には丸めた紙が何個もあった。それを見て深くため息をついた。

 課題が提示されて三週間。全く描けずにいた。

               *

 六月一日、コンペのテーマが発表された。

 内容は『この学校の生徒が求める魔法』。非常に漠然としたテーマだが、大抵のコンペのテーマがこんな感じだ。

発表されてすぐに学園について調べ始めた。このテーマの場合、俺は他の生徒とは一年出遅れている。その代わりに前の学校について知っているため、比較することはできた。

学園の歴史や学園内を見回ったり、友人に聞いて学園生の像を大まかに作り上げたのが5日。そこから学園生活の忙しさと移動時間の長さに注目して、ここで何かできないかと考えて、ここで止まっていた。

何も思いつかない。

視点が浅いか。そう思い、ペルソナの私生活を考え直したり、学園について調べ直したり最新の魔法について調べたりしてみた。

 見直すといつも新しい視点を発見したり新鮮な気分になる。ただ、それだけだった。

 机に戻り白紙を前にすると頭がぼーっとする。放っておくと一時間たっており、何も進んでないのに時間だけが過ぎていく。

 早く描かなければ。頭では理解しているが、全く形にならない。

 未だ体験したことのないスランプにどうしたらいいかわからずにいた。

 今日は日曜日で起きてからずっと机の前にいるものの、何も進んでいない。先週と同じだ。

 このままだと何もせずに今日を終えてしまう。

回避するためには、先週とは別のことをしなければならない。

俺はポケットからスマホを取り出す。今は二時だ。

 MINEでこの後開いているか聞くと、すぐにコンコンと扉が叩かれた。

 立ち上がり、扉を開けると霧島が立っていた。手にはゲーム機を持っていた。

「終わったのか?」

「……逆だ。ちょっと相談に乗って欲しい」

 ただすぐに顔が明るくなった。

「久々に僕を頼ってくれるのか」

「予習復習で頼ってばかりじゃないか」

「いやそれ以外で。散々迷惑になったからな。相談してくれるのは嬉しい」

 余りの嬉しそうな様子に帰らせようかと一瞬逡巡した。すぐに今話を聞いてくれるのは霧島しかいないという結論に至った。

他に話を聞いてくれそうな友人は皆中間テストや課題やレポートで忙しい。

 霧島は最近は少しずつ授業を受ける回数は増えているものの、毎日登校していない。だが授業で出される課題は全て提出しており、実技や中間レポートも何故か一番早く終えていた。だから一番時間があるのは霧島だった。

 それに相談すれば共に真剣に考えてくれるのも霧島だ。

 俺は一歩引いて、中に入るよう促した。

             *

「……思い当たる理由ある?」

 俺の話を聞いて、霧島は口元を押えて言った。

 話している最中に真剣に頷いていて真剣な様子だ。

 俺は描けなくなる以前のことを思い返す。

「……全然。普通に登下校して、勉強して、そんで課題を終えて、暇なら描いてって感じか」

「疲れだな」

 即答だった。

「疲れてる?」

「今の聞いているとそれ以外わからない。最近休んだ?」

「睡眠はとってる」

「頭ぼーっとしたりとか、体動かしているか?」

「それは……あまりやってないな」

 窓の外を見る。灰色の雲が空を覆っていた。窓には雨が線を書く。

「一つは運動不足じゃないか?」

「体育はちゃんと受けてるんだけどな」

「休日も座りっぱなしは体に支障をきたすだろ。これから街行ってちょっと」

「何する?」

「……何があるんだ?」

 霧島がスマホで調べ始めた。知らないのか。

 疑問は残るが、霧島の言う通りにすることに決めた。

 本当に普段通りに生活している筈なのに何も。

「……あ」

「どうした?」

 思い出した。そういえば霧島はこのことを知らなかった。

「あれだと思う」

「うん?」

 霧島は顔を上げる。

「姉さんが、人間界に仕事で行ったんだ」

                 *

 六月六日、姉さんから電話が来たのは夜の八時のことだった。

 その数日前から姉さんからの電話はまばらだった。どうも仕事や色々で忙しく電話する体力がなかったらしい。

 だから久しぶりだなと思って電話に出ると、姉さんはとても明るい声で『涼!やったよ!』とあいさつをすっ飛ばして耳に飛び込んできた。

「久しぶり。随分元気そうだ。どうしたの?」

 こんなに喜ぶ姉さんを見るのは久しぶりだ。どうしたんだろう。

 冷静に待っていると、予想外の言葉が出た。

『私、人間界に仕事に行けるようになったの!』

 硬直した。会話を続けなければ心配させてしまうと、何とか言葉を排出する。

「どういうこと?」

『涼が頑張ってるところを見て、私も何かできないか探したり、天願さんに聞いて人間界と魔法界との関連事業をしているところに色々メールを送ってみたんだ。そしたら昔の仕事でお世話になったところから連絡をいただいて、今までの知識や仕事を生かして人間界との橋渡しの手伝いをしないかってお誘いが来たの』

 一気にまくしたてられる。最後の方は感極まって泣きそうになっていた。

 俺は混乱していた。

「……あの、姉さん魔法使えなかったんじゃ」

『そのことも説明したら、「人間界主体の方なら魔法もあまり使わなくて済む」って考慮してくれた。あ、でも転勤ってわけじゃなくて出張っていう風かな。いつもあっちに行くわけじゃないから、パソコンでリモートワークするのが殆どかな。だから、一週間後に人間界に行く予定だけど、一週間くらいで家には帰るよ』

 姉さんが人間界に。

 体から力が抜けていく感覚。

 そもそも俺は姉さんのために学園に来た。

 つまり、目的が無くなった。

 どこか客観的に自分を見つめ、心配させないように普通のトーンで言った。

「それはよかった」

 従姉さんは安心したのか、堰を切ったように泣いた。

                 *

「それじゃん」

 霧島はスマホをしまった。

「それ以外ないじゃん」

「やっぱりか」

「だから最近放心してたのか」

「普段通りを意識してたけど、隠せてなかったか」

「教科書をぼーっと読んでたことなんて四月五月にはなかった」

「……一応奨学金貰ってるから真剣にやろうと頑張ったんだけど、簡単にはいかないか」

 確かに最近は授業でも集中力が持たない。つい聞き逃してしまう。

 ノートはなんとか全部書き写せているが、それもぎりぎりだ。

 俺は窓の外を眺める。

「若澄の姉さんのためにコンペに出ようと思ったのか」

「ああ。人間界へ連れてけれるはずだったんだ」

「……自分を救うのは自分ってよく言うよなあ」

 胸が痛い。

 言われた通りだ。姉さんは自分の足で動いて、天願先生というチャンスを十分に利用した。

 俺なら姉さんの役に立てると思ったのは身勝手な願望だったようだ。

 恩返しできると思ってた。

 結局おいてかれて、残ったのは何もできなかった事実だけだ。

恥ずかしくて目が熱くなってきた。

 霧島は俺を心配そうに見ている。

「コンペどうするんだ」

「出すよ。流石に奨学金貰ってるから」

「学園には居るんだな」

「やめたところで変な噂が立つだけだ。従姉さんにも迷惑がかかる」

 全国一位が一年で辞めたら天願先生の名前に傷がつく。

 それに授業自体は面白い。学園の名前も広く伝わっている。

もし復活して授業についていけたら今後の人生に大きく役に立つ。わがままだとわかっていてもこの機会を捨てる気にはなれなかった。

霧島は腕を組んだ。

「暫くの目標が消えて迷っているな」

「どうすりゃいいと思う?」

 霧島は鶫さんに出会って立ち止まった。

最近は街をふらふら歩いて街のロードマップを作ったり新ジャンルのゲームをやっている。特に地図づくりは、安売りの店など一般的な地図に描かれてない情報ばかりで一年生にとって結構ありがたがられていた。

 そんな霧島は厳しい顔をして悩んでいた。

「……僕も夢があってこの学園に来たわけじゃないから、答えるのは難しい。だからと言ってこれは……他の生徒に聞きづらいよな」

「同意。神村さんあたりは絶対に罵ってくる」

 霧島が震えた。過去の記憶がよみがえったのだろう。

「ごめん」

「い、や、でも、そうだな、周りの連中は皆将来設計もしている真面目な秀才か、一芸に特化して、そんで一生やっても飽きない連中のどっちかだ」

「俺みたいに人の役に立ちたいからっていうのは居ないか」

「生物科なら創薬のために学園に来た奴なら噂で聞いたが、それでも自分で願ってここに来たんだろう」

「……自分の目標のためにみんな来てるんだな」

「人に任せたら折れた時に人のせいにするだろ」

「……そうだね」

 胸が重い。

 実際、姉さんからの電話が切れた後、怒りがこみ上げた。

 どうして黙っていたのか。

 俺が居なければ良かったのか。

 呪詛のような言葉が頭の中で渦巻いていた。今考えると混乱していたんだと思う。

 姉さんはずっと家にいて俺を待ってくれると思っていた、そんなおごりがあったんだ。

 置いてかれたのは俺だ。

 魔力がないことに劣等感を覚えて、何も行動を起こさなかったのは俺だ。

 従姉の旅立ちは心の底から純粋に喜ぶべきなのに、虚無感に満たされている

 霧島が心配そうにこちらを見ている。情けなくて泣きたくなる。

「カラオケ行くか、映画館行こう。こういう時は感情を発露するのが大事だとこの前読んだ本に書いてあった。鶫さんからのバイト代もまだ残ってるし、どう?」

「……そうするか」

 俺は立ち上がり、軽く目元を拭う。

「やる気が戻るかわからんが、これじゃ日常生活もままならん。やること全部やってみるか」

「ああ。お前の夢は間違ってなかったと思うから、次を見つければいいんだよ」

 霧島の一言が鼻の奥をつんとつく。

「ありがとう」

「いいって。僕もお前の世話になったんだから」

 共に廊下に向かい、扉のノブに手を掛けたところで思い出した。

「そうだ。このことは紬には黙っててくれ」

 霧島は突然の話題に驚いていたが、すぐに納得したように頷いた。

「……ああ、あいつ、最近気が立ってるから黙っておく」

「頼む。同じクラスだから特に気を付けたい」

 最近紬は何故か苛立っていた。普段の独特な雰囲気以上に何か切羽詰まっているようだ。

 本人も自覚しているのか、最近は登下校も別々だ。食事も別で、一人でいるところをよく見る。

 こちらも姉のことがあって人を気遣える余裕もなかったから申し訳ないが放っている。

 霧島は苛立ちを見せる紬に怖がって近づこうとしない。

 舞木さんは驚くことに一度連絡を取ったらしい。体調不良というわけじゃないから放っておいて大丈夫という内容を丁寧に送ってきたらしい。

 何に苛立っているかわからないが、あまり刺激しないのがお互いにとって一番だ。

 そう言って俺は扉を開けた。廊下には誰も居ない。雨音だけが響いた。

 この時は、まだ紬のことを何も知らなかった。

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