やればできるんです

「今日は来てくれてありがとう」

 美術館近くのカフェに呼ばれて向かうと、鶫さんと霧島が二階の窓際の席に座っていた。普段なら窓からの湖に映る夕陽の美しさに感動していたんだろうが、今日は眠気でそれどころじゃない。

 青みがかった黒髪の女性だ。以前会った時よりも生気が増したように見える。ただ目元にはクマができていた。きっと俺たちも同じだ。

「霧島君の友達の若澄涼君と、紬詠君」

「はい」

「紬です」

「初めまして。さ、座って。何でも頼んで」

 俺たちは礼をして椅子に座る。俺は言われた通りコーヒーを頼んだ。紬は抹茶だ。

 メニューをしまって相手に向き直る。そうして話が始まった。

「話を聞いてくれてありがとう。突然の話で驚いたかい?」

「プロの人とまさか繋がれると思ってなかったので驚きました」

「プロといってもまだまだ」

 どこか自慢げに話す。今までの人生に臆する様子はない。苦労はあっただろうが、後悔はないといった様子だ。

 手のひらを机の上で

「若澄君、この前ニュースで見たよ。知名度だけなら多分私より上かもね」

「それこそまだまだですよ」

 はははと乾いた笑い。恐れ多すぎて流し方が分からない……!

「単純な魔法陣で、みんな欲しいものを作ったのはとてもうまいね。ああいうの得意?」

「は、はい。できるだけ魔力を使わない魔法陣を作っています」

「へえ、珍しい。最近は安全性を考えることが多いから、ある程度消費魔力量は度外視されるのに真逆を行くのは面白い。今日まさに欲しいものだよ」

「ありがとうございます。できるだけ力になれるように尽力します」

「もしできそうなら言ってね」

 青い目が細められる。そうして、俺から紬に目線が移る。

「紬君は?」

「紬は文字に関する知識があります。だから今回の方で読んできました」

「そこまでではありません」

 はっきり断った。確かに字のプロの前で言えることじゃない。

「霧島言いすぎだ」

「い、いつもフォントの本を読んでいるだろ。それに字、綺麗じゃん。書道やってた字」

「それだけだ。自分で描いたこともない」割入って否定する。

「描いてみればいいんじゃない?」

 その上から鶫さんが被せる。紬は目を逸らして閉口した。

「文字組って、日本語?欧文書体?それとも他?どれでも古野学園ならいい人紹介してくれる人いるから、まあ気軽にやってみるといいよ」

「今度、やってみます」

 どこか歯切れの悪い返答だった。確かに日本語の文字を作る場合は、普通に1500文字くらい作ることもある。一方欧文書体なら60くらいだ。手間のかかり具合が違う。しかし、確かにいつも見ているし好きなんだからやってみればいいと思うのにとは思う。

 話が落ち着いたところで、ちょうど飲み物がやってきた。配ってからすぐに俺は本題を切り出した。

「それで、今回はどうされました」

「ああ。昨日色々考えたんだ」

 そう言って器用に片手で鞄からノートを取り出す。そこから黄と青の二冊のノートを出して、びっしり書かれたページを開く。アニメの絵コンテのようにどんな振舞をするかという指定が書かれていた。

「筆だけがただ動くのもつまらないと思っていてね、色々考えて、パントマイムを参考にして考えた」

「パントマイムですか」

「そう。まるで何かをされているように見せるのがいいかと調べて、そうしたら擬人化がいいと思いついた。同化対象では無く、一人のキャラクターとして演じてもらう。そのために、できれば二本の筆の操作でコミュニケーションを取るような振舞をしてほしいんだ」

「……二本、ですか」

「可能であれば。やっぱり関係性は二人以上じゃないと難しい。あまりナレーションは文字があればいいと思っているから、削りたい」

「なるほど」

 ノートを眺める。アニメのコンテと思ったのは間違いじゃなかったらしい。二本の筆が立ち上がり、ペアダンスのように文字を描く。そして最後に鶫さんが現われ魔法陣を展開するというショーだ。絵コンテはきれいで、とても分かりやすい。頭の中のイメージがはっきりしているだけでなく人に見せて自分でも理解できるような形になっている。さすがプロだ。何が必要かちゃんと伝えられるのは何度も共同作業してきたからだろう。経験値の違いに感嘆する。今の俺じゃできない。

一方、きれいなコンテ絵に気圧されていた。これ、俺がフォローできるか?

「……凄いわかりやすいです」

「ありがとう。絵が一番わかりやすいんだよね」

 ふわぁとあくびした。かなり時間をかけたようだ。目元にはクマが濃く残っている。

霧島はノートを見つめている。

「なるほど。これなら俺ならできそうですね」

「霧島ならできるのか?」

「多分。参考がてらやってみるか?」

 紬が顔を上げた。「お前がやれば?」といった諦めのような何とも言えない顔だった。多分俺も同じ顔をしていた。

                 *

「よっ」

 美術スペースの横の公共スペースを借りて、一面にシートを広げてその上に和紙を置く。

 霧島が家紋のような指を組み合わせたような魔法陣を二本の筆と自分の両手の平に描く。そうしてそれぞれの手に合わせて、離す。すると魔法陣が光る。

 霧島が立ち上がり、両手を指揮者のように上げる。すると筆が両方とも立ち上がる。

 俺がスマホで動画を取り始める。鶫さんは座って青のノートに書き込む準備をしている。紬は事故が時のために、すぐに動けるように俺の横に立っている。

「いきます」

霧島は足元のノートを見つつ筆を動かし始めた。片方の筆が円を描き、片方が一歩遅れて逆方向から円を描き始める。そうして二つの円ができ、頷くように筆が縦に揺れ、走る。活動的に動きつつ、愛らしさを持ち始める動きに感嘆していた。まさに先程の絵コンテの様だったからだ。

 練習だと思って見ていたが、思った以上に完成していた。俺は記録車である以上に見入っていた。

 それから円に喜と書かれた魔法陣が完成し、最後に礼をするように筆が倒れた。

「ふうううう」

 霧島がその場に座り込む。俺はスマホの録画を停止して霧島の近くに寄る。はあはあと息が荒い。

「霧島、どうした」

「……長い間、集中してたから、きっつ!」

 腰を下ろした。

「魔力が切れたとかじゃないから、ただひたすら、疲れる!」

 買っておいた水を渡す。それを一気飲みして、半分くらい飲み終えて落ち着いた。

「ありがとう。これ、何分?」

「4分3秒」

「あと30秒あればジョン・ケージの曲になった」

「無音じゃないから違う。それやるなら0分00秒にしないと」

「何もするなと?」

「日常的に習熟した何かをすればいいらしい。歯磨きとか」

「歯磨き……?」

 理解できないといった顔をしている。俺も現代美術はよくわからないが、話ができるならただの疲労だろう。

 振り向くと、紬が紙の周りを一回りして戻ってきた。鶫さんは描かれた文字を見ている。

「お疲れ様。これで金取れるくらいには素晴らしいパフォーマンスだった。紙も動いてない」

「……それは、よかった」

 安心したように倒れる。本当に大変なようだ。これでは鶫さんができるはずもない。

 そうして何か非常に気まずそうな顔をした紬さんがこちらに来た。笑顔を作っているが、表情は晴れない。

「ありがとう霧島君。理想通りの動きだった、ただ……」

 目を逸らして、此方を見た。

「文字が小さくまとまってしまっている」

「……不満足ってわけですか」

「霧島君のせいじゃなくてこちらのせい。うまく行ったと思ってたけど、細かいところの調整が目じゃ難しいから跳ねた墨や曲線の重みが無くなってて、こじんまりとしてる」

 はー、と流石に切れたのか絶句していた。言われてから文字をみる。確かに普通の初動のように美しく筆の整った綺麗な魔法陣だった。ただあの動画のような躍動感や、文字の大胆さや気迫が無くなっている。確かにきれいだが、規模の小ささを感じる。

 ただこれ以上求めるのは難しい。床に大の字になった霧島を見る。

「動きは凄い良かった。だからもう筆の動きだけの舞台にした方がいいのかもしれない」

 フォローするように鶫さんが言葉を継ぐ。本人は目をつぶった。

「……何が足りないと思います?」

「ええと、多分、重さが足りない。遠隔的に動かすんだよね」

「そうですね。リモコンのように感触や重量感無くて、視覚で調整します」

「ありがとう。私が描く場合は筆の重さを利用して、てこの原理みたいに自分の体を動かしたりするんだ。それが文字の躍動感や、大胆さの演出になっているんだ」

「それの再現は。僕の方法じゃ難しいですね。此処からまた別の魔法を考えないと無理です……それと、一番は、魔力と精神力が持たないです」

 説得力があった。毎朝四時に起きて、最短三時間筋トレしている霧島だ。他の時間でもやっているようだが、鶫さんよりはあるだろう。練習を重ねてできたことだ。同じ方法は難しい。

 俺は鶫さんの方を向く。

「動きとしては本当に理想だったんだよ。だから、これをどうやって別の方法で改善するかってところだね。そのあたり、相談してもいい?」

 すぐに俺は頷いた。できるかはわからないが、まず話を聞かなければわからない。

 紬は右手で頭を抱えていた。

              *

 腰を下ろして円を作る。霧島は壁に体をもたれさせている。

 鶫さんが円の真ん中に黄色のコンテの描かれたノートを置く。その隣に青のメモを書いたノートを置いた。

「仮にあの動きの再現を擦る魔法陣を描いた場合って消費魔力どんなもの?」

「今回よりも多いです。糸を結ぶ必要がない代わりに、筆全体に魔力を伝える必要があります。筆の根元に集中して動かしていた霧島と違いますね」

「難しいか」

 左手で碧ノートに書かれた自動という文字に×する。

「それじゃ考えられるのは、逐一魔法陣を展開して、球技みたく一部に力を入れて動かすってやり方はどう?」

「できるとは思います。それは魔力の制限はできますが、タイミングなどが目視になってしまうため、此方は精度に問題があります」

「可能ではあるってことか」

 複数の魔法陣という文字の上に三角形を置く。可能ではあるが、これも練習が必要だ。

 それから候補を潰していき、結局残ったのは複数の魔法陣の展開となった。

 鶫さんがシャーペンを置いた。じっと下を向いてから顔を上げた。

「この場合魔法陣は何個ぐらい必要?」

「十くらいは行きますね」

 今回必要なのは単純な動きの再生と、方向転換、遠隔からの魔法陣の制御だ。単純な動きをパズルのような形でつなぎ合わせる。わざとらしく見せないのは鶫さんの技術にかかる。

 本人は口に手をあてて何か考え込んでいる。

「ありがとう。いまから発注すればいつくらいにできる?」

「……既存のものを描くだけですから、頑張れば日曜日には全部終わります」

 紬がぎょっとしたようにこちらを見る。

「早くないか?」

「筆の重さや動きを観察すればベクトルの指定で行けると思うんだ。それならこの前授業でやったものを応用すればいい。微調整も含めれば、これくらいの時間でできるはずだ」

「……いいんですか?」

 紬が鶫さんを見る。鶫さんは大きく頷いた。

「出来上がりを見て決めるよ。料金は前払い、いくらが適当かな」

「前払い?」

 首をひねる。一拍置いて料金の話だと気づいた。胸の前で手を振る。

「そ、そんな、まだうまく行くか決まったわけじゃないですよ」

「君たちの技術と時間に金を払っているんだ。技術に関しては若澄君が偉い賞を貰っているから十分お墨付きで、霧島君は動かして理想を描いてくれた。だからそこに金を払うべきだと思うのは当然だろう」

 固まる。確かにこれから三日全ての時間をかけるつもりだ。ただそこにお金が関わると考えたこともなかった。ただの親切であり、霧島が自分から行動を起こしたことに対する応援位に思っていた。

神村さんの立場に立ったみたいだ。胸が澱む。自分の技術に金が払われると思うと、一気に気が重くなる。今まで鯖缶三個で頼まれていたのとは違う。

「……最近は高校生でも会社持ったり、中学生の賞金稼ぎゲーマーもいるよ。それに、前払いをしてもぽしゃった企画はいくらでもある。芸術家に金を払いたいのは私の気持ちだ。あまり気負わないでくれ」

 デザイナーと芸術家は違うと思います。訂正したかったが、期待に満ちた鶫さんの様子を見てやめた。恥ずかしいとは思うが、上手く言葉が思い浮かばなかった。

「若澄達が描かないと、動かないんだ」

 霧島が重々しく言った。

「他を探す時間はない、できるか」

 俺は頷くしかなかった。そもそも選ぶ時間もないんだ。できるか、できないか、それだけの話だ。覚悟を決めるしかなかった。

「ありがとう」

 鶫さんは俺を見つめた。目には炎がともった。

「これで描ける」

 背水の陣と言える状況に燃えていた。おかしいひとだ。鶫さんは俺と違って、創作に取りつかれた人だった。

 多分神村さんや天願先生と同類の人間なんだろう。

 羨ましい。無意識にそう思っていた。

                 *

 俺が魔法陣のイメージを何度も描いて、その間に後ろの席で紬が筆で清書する。基本単純な形を利用する俺にとって、今回のようにフォントではなく字を一から書いてくれる紬は非常にありがたい。

それと実験体として体を張って試してくれるのは霧島だ。おかげで俺はすぐに魔法陣の調整ができる。

 今回筆で書くという特徴を考慮して、霧島が紬に魔法陣を筆で書くように頼んだ。初めは嫌そうな顔をしていたが、書いたものを鶫さんに評価されると段々文字通り筆が乗って美しい魔法陣を何個も描いてくれた。俺はそこまで文字が上手くないから、本当にありがたい。

 それから魔法陣を十個ほど考えて、今は最後のものだ。

何度もラフを書き直し、日本的な茶屋の窓を思い出す。あれを応用した形を思いつき、庄司窓のように文字を長方形をつないだような形に崩す。はっきりした線で清書して、紙を持ち上げる。

「……よし」

 筆に描くにはちょうどいい形だ。いいアイデアだと思った。その合間に漢字で小さく縦横と書く。左上に縦、右下に横とおく。それをまた離してみる。バランスも良かったため、よし。

 俺はラフ画を紬に渡す。

「これで終わりだ」

 外を見ると赤くなり始めていた。時計を見ると午後四時あたりだ。今日は土曜日。結構早くできた。後は調整が必要だ。

 紬の方見ると、片手で持ったまま紙を見ていた。

「……どうした?」

「本当に終わった……のか……?」

 信じられないといった面持ちだった。

「俺が書き終えたってところでは。まだ調整が残ってる」

「……そうじゃない。早いな」

「早いか?多分、神村さんの方が中身の充実さを考えると早いよ」

「……どうしたらそんなに早く描けるんだ?」

 紬が呆然としたように紙を眺めている。子供の頃、書き始めたころを思い出した。どうして沢山描けるか。当然の疑問だ。だからいつもやってることを答えた。

「やっぱり何度も描くしかない。何度も完成させているうちに、作成することに慣れて手が早くなる。紬は描かないのか?」

「……課題で描いている」

 はぐらかしたような答えだった。確かに課題を忘れたこともない。紬の横にはフォントの見本が何冊も重なっている。先程からこの山の中から手早く適切なフォントを見つけてそれに合わせた字間も考えられる。俺には難しいことだ。文体を組み上げるのは初心者だ。魔法陣、雑誌やサイトのデザインなどにおいて必須の能力だ。誰にでもできる話じゃない。そっちの方向に行くだけの十分な手腕があった。ただ俺たちが居るのは魔法陣デザイン科だ。

フォント作成は主に芸術科の仕事だが、魔法陣を作る際も必要があればオリジナルのフォントをデザインする。だからそれほど数は多くないが、フォントデザイナーになる卒業生も居る。そういうのになれると思うんだが。紬はおそらく必要以上作品を作ってないようだった。

 紬は目を閉じて、開いた。

「ありがとう。変なことを聞いてすまない」

 そう言ってすぐにとりかかった。

ラフをわら半紙の横に置き、筆を墨につけて、転写する。俺の考えた以上に美しい魔法陣が紙の上に形を成した。

 これで本当に終わった。乾かした後は、実験棟に行って申請の手続きをするだけだ。

 疲れたように紬は背後のベッドに寄りかかる。数時間ぶっ続けで正座して背筋を伸ばして文字を書いていた。自由な格好ができた俺よりも疲れてるはずだ。

 立ちあがり、凝った肩を回す。魔法陣が乾いたことを確認して、揃えてファイルに入れる。

「それじゃあ俺は実験棟に申請に行くよ。その時に霧島に頼んで筆を持っていってもらう」

「任せた。結果はここで待つ」

「帰りに何か買ってきてほしいものはある?」

「500mlペットボトルのレモンティー」

「それだけでいいのか」

「訂正が必要な時、汚れたら困る。それくらい考えろ」

「……はい」

プロ意識は紬のが上だ。俺は大事にファイルを持って、廊下に出た。

            *

「それで、今回の新しい魔法陣はこれ?」

 エントランスで天願先生が俺の作った申請用紙をパラパラ見ている。両脇に座る霧島、紬が居心地悪そうに先生の様子を見ていた。

 ゴールデンウィーク前の発表練習を見るために今日は来たらしい。その帰りに偶然出会って、見て貰うことになった。関係者全員呼べということで、霧島も紬も来てもらった。

 天願先生は芸術方面でも名が知れていて、芸術のための魔法陣を作ることもあった。そんなプロに見て貰うとはやはり恐れ多い。

 いいとは思っていたのだが、よく考えてみるとだめかもしれない。さっきまであった自信がしぼんでいく。紬も顔が青白い。ただ、霧島だけがただ天願先生から視線を外さなかった。

 紙をトントンと底を机に叩いて整えて、こちらを見た。

「魔法陣については問題ないと思うわ。あなたの得意なものを掛け合わせて活かしたものになっている。ちゃんと発動するものだよ」

「ありがとうございます」

「ただ、それだけじゃないでしょう?」

 きたか。

「利用用途が芸術パフォーマンスのためって書いてある。これってどういうこと?」

「ゴールデンウィークの芸術祭出場者の方から依頼を受けました」

霧島が質問する。手には大きな筆を持っている。先程まで鶫さんと共にステージを見ていた。筆で動く場合はどうしても外から一点で見る必要があるため、どんな動きにするか打合せしていた。魔法陣ができたため筆を持って呼んで、通った場合は筆がどんな動きをするか見てもらう予定だった。天願先生と遭遇した結果、予定が狂った。

先生は顔を明るくした。

「凄いじゃない!手続きはちゃんとした?口頭での約束だけになってない?」

「そのあたりは相手の方に手伝っていただけました」

「いい人ね。でもその人が間違っている可能性もあるから、法学科の人に依頼して見て貰うのもいいかもね」

 なんのてらいのない意見だった。反対や心配されるかと思ったが、一抹もそんな気配を出さない。

 肯定されて逆に怖くなってきた。

「先生は依頼を受けた時不安じゃないですか?」

「そういうときもあるわ。その時は不安の理由をまず探ってみるの。今夏の場合、若澄君はどこに不安を覚えてるの?」

「自分の実力不足じゃないかって思います。普段はアプリで販売しているから、欲しいと思ったもので形になったものを送っています。それとは違って一から作り出すのが不安です」

「依頼者の方に話は聞いた?」

「ちゃんと話して、魔法の中身についても納得していました」

「じゃあ後はもう見せるだけよ。ここまで来たら実力不足だけじゃなくて、相手の方にも責が生まれるわ。自分の中で問題点を洗い出すのも依頼者の仕事よ」

「それで先生は相手の納得する魔法陣を描けました?」

「私は相手の求める魔方陣をかいたとおもってるわ」

「俺ができることはほかにあるんじゃないですか?」

「それは相手が決めることよ。あなたがすべきことは全てした。それに相手はプロでしょう?自分がどれだけできるかなんてあなたよりも知っているはずよ」

 はっきり断言した。素人である俺たちとは違うものが見えている。俺は自分の作った魔法陣を渡しただけで、自分のせいで舞台が失敗することが怖い。一方で天願先生の述べることも確かだ。必要な魔法陣を必要な分求めるのは相手が書かなければ無理だ。不十分なら言ってくれと鶫さんには伝えてあるが、今のところない。鶫さんの練習に任せるしかない。

 霧島がはっきり言った。

「できるだけのことはおれもやります」

 天願先生が驚いた顔をした。困った顔をした。

「まあ、あなたならできるでしょう。でもあまり出過ぎたまねはしないほうがいいわ。相手にもプライドがあるもの」

「気をつけます」

 やはりおかしい。紬が首をひねっている。俺もたぶん同じ顔をしているんだろう。いい方向に向かっているのだがいったいなにがあったのだろう。

「霧島さん、こちらにお願いします」

 受付の人に呼ばれた。

「あ、はい」

 俺たちは立ち上がって、中に向かった。


 結局、魔法陣はうまくいった。霧島の筆の演技もうまくいったし、失敗することもなかった。不安だった魔力消費量も予想範囲内だった。天願先生も「いいんじゃない?」とだけ言い残して帰って行った。

 どれもうまく行っていた。だからこそ不安だ。これでお金をもらっていいのか?

 紬と分かれてひとまず自室に戻る。霧島とともに俺の部屋に行き、メールで鶫さんに魔法陣を送る。

「仕事用のメール文作成の授業マジで欲しい」

「すげえわかる。鶫さんならぎこちなくてもたぶん許してくれるだろ、誠意だよ誠意」

「適当だな」

 俺はネットで文体検索しつつおそらく失礼にならない文章を書いた。魔法陣を添付して送信。画面が切り替わったところで背もたれに身体を預けた。

「これで俺の仕事は終わった。霧島は今日はもう寝る?」

「もう九時だからな。門限破って外出禁止にされたら困るから寝る」

「ならよかった」

 さすがに高速を破ることもなかった。

 切りもいい。俺はいすを回して、霧島の方を向いた。

「なあ、ちょっと聞きたいことがあるんだ」

「鶫さんのことか」

「霧島のことだ」

「答えられる範囲なら」

 霧島はベッドに座った。俺は常々思っていたことをぶつけた

「鶫さんとつきあってんの?」

 ぶふぉあと吹いた。

「大丈夫!?」

「いや、おま、おま……」

霧島は過呼吸みたいに息が荒くなったがすぐに整えた。

「それはない」

「じゃあなんでそんなに入れ込むんだ」

「……女に振り回される奴に見えるか?」

「あまりにも変わりすぎてそれくらいしか思い当たらない」

 霧島ははぁーと大きなため息をついた。

「ガキが」

「あ!?」

「作品に感動した。だから僕が新作を見たかった。それだけ」

 喧嘩を売られたが、言っていることはわかった。

「うちは儀式のために一年に一度演舞を奉納するんだ。踊りや舞について昔からなじみがあったな。だから鶫さんの作品が懐かしさと新しさを感じたんじゃないか?感動に理由をつけるのは無粋に違いないがな」

 普段通りの様子に見えたが、内心衝撃をうけていたらしい。

「だから何度も通っていたんだよ。それで声をかけられて、何か役に立てないかって思ってたけど無理だったな。俺がやれることしかできなかった」

「おまえならできたのか」

「ああ。けど、それじゃ意味ないだろ。舞台芸術でもなくて、本人がやるもんだ」

「……俺がっていうと、今まで他の人に任せたこともなかったのか」

「だから一人でなんでもできたって。他人に共感もできなかった。それで止まってたら、こんな事態になったんだよ」

「生まれて初めての挫折?」

「人間関係ではいつも挫折してる。技術的な面では初めてだ」

「ああ」

 うらやましいとは思えなかった。友達がいなかったからこんなに引きこもってたんだ。

「だから歩いて帰ってきたんだが」

「歩いて!?あの距離を!?」

「その気になればできる……歩く間に俺は考えて、自分ができないことをどうやって他人に任せるか考えていた」

「あきらめなかったのか」

「お前なら魔法陣を描けると知っていた。目標は鶫さんが筆を動かせるようになることだ。俺がする必要はない。だからどうすべきか考えて、土下座」

「それどうなんだ」

「ほかに任せられる人もいなかった。仕方ない」

「次はやめてくれ。それで、昨日あれだけ退学するとか言ってたけど投げたのか」

「鶫さんに学校やめるのはいったん保留って言われたからな」

「言ったの?」

「何度も学校さぼってたら感づかれた。手伝うのもそれが条件だよ。まあでもわかったよ、俺は家に帰りたくないわ」

「なんだ、やっと気づいたか」

「……知ってたのか?」

「そんな気はしてた」

 自暴自棄になった時期は自分のことなんてわからない。霧島なら帰るならさっさと無断で消えることだってできる。それを選択しないのは、無意識に帰りたくないと自覚していたからだ。

「……今回、外にこんだけいいものがあったら、やっぱり家に帰りたくないなあって気づいた」

「気づいたならよかった」

「ゴールデンウィークのあと同じ気分でいるかはわからない」

「だったらまた別に楽しいことを見つければいいんじゃないか。好きなものがわかったって気づけば、ほかにも見つかるだろう」

「……やれるか?」

「大丈夫だ」

 この感情を忘れなければまた見つけられる。

 俺たちはそれから今後何をしたいか話してからすぐに寝た。

 霧島は結構やりたいことが増えていた。メモの方も、疑問に思ったことや引っかかったことが沢山あった。「これをやりたい」「やれば?」という会話にならない会話の後、俺たちは別れた。

 疲れがたたったのか、悲しいことに次の日起きたのは夕方の四時だった。

                 *

 腹が空いてどうにもならん。俺はそう思い、食堂へ行こうと廊下を歩いていた。下駄箱にさしかかったところで霧島を見つける。ちょうど靴を履いているところだった。顔に墨が付いている。服は黒いズボンに黒いtシャツだから服も汚れているかもしれない。

「霧島!」

 声をかけるとこちらを向いた。「若澄」と言いつつこちらに走ってきた。

「今起きたばかりだな」

「よく気づいたね」

「髪がおちついてない」

 頭を触る。確かにはねている。ただ今は恥よりも食欲が優先だ。

「戻ったら整える。今日も行ってきたのか」

「当たり前だ。行って、俺が試しにやってみて、それを応用してといろいろやった。若澄の魔法陣は十分役割を果たしている」

「それはよかった」

 安心した。少し肩の力が抜ける。

「あれで十分か?」

「ああ。あとはもう鶫さんがどれだけやれるかだよ」

 俺は目線をそらし、外を見た。

「不安か」

「……自分じゃどうにもならないことに任せるのは不安だ」

「俺もそう思う」

 霧島はさらっと言った。

「……間に合いそうか」

「間に合う。俺とは覇気と集中力が違う」

「覇気?」

「今の時代には珍しい、芸術のために全てなげうった人だよ。芸術の為に時間を擲ってきたらしい。だから気に入ったのかもな」

「……古文の教科書にあったな」

「ほかにもあれこれ最近はさ、芸術家の人って政治的発言とか炎上とかであんまりよくない印象がある」

「SNS見なけりゃいんじゃね?」

「見なくてもネットニュースで過激な発言とかある。価値観の変化が急速になっているから反発や尖鋭化となるのは仕方ないとは思う。ただ、その発言で付加価値がついて異常に肯定されるのはあんまり好きじゃない」

「先生も現代芸術は異常なマネーゲームになってるって言ってたなぁ。『芸術作品はその人の思考を所持するのが目的であるのが理想だ』と遠い目をしていた」

「価値観の所持か。なら、鶫さんの絵を買ったら俺もあの人の情熱の一滴くらいは得られるだろうか」

「欲しいのか?」

「……ああはなりたくないが、何か一つ人に負けないほどのめり込むものが欲しい」

 霧島は手元のメモを見た。

「……正直鶫さんの作品はそこまで心が揺れるものじゃなかったんだよな」

「何となく気に入ったのか」

「高いところから低いところに水が落ちるように僕も引かれた、そんな感じ」

「なるほど」

 感覚はよくわからなかった。俺は字がうまいとか、躍動感とかを考えていた。霧島ほど感銘を受けた作品とあったこともなかった。羨ましい。

 霧島は前を向いた。

「当日までは見せられないが、僕はうまく行くと信じている」

「霧島がそう思うならきっとうまく行くだろ」

「なんか不安になるな」

「じゃ神頼み行くか」

「行くかぁ」

 俺たちは笑った。そうして食堂に向かい、お互いにカツ丼を頼んで食べた。

 そうして日々はすぎていき、本番当日になった。

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