引っかかり
次の休日、青空の下、俺と霧島は隣り合ってジェットコースターに乗っていた。
「ああああああ!」
叫ぶ俺に反し、霧島は無言。真顔で叩きつけられる風を受け入れていた。
長いことで有名なジェットコースターらしい。だから延々と上下左右に揺さぶられて、命の危険に晒されていた。何故こんなものがこの世界に存在するんだろう。どうしてみんな楽しそうなんだろう。平和をみんな愛してないのか。
乗ると言い出した霧島は先程から真顔だ。何かを悟ったような表情だ。
「あああああああ」
また一回転。まだ先があるのか!?線路の先を見ると、終わりははるか先だった。
なんで乗ってしまったんだ。下に居た頃の俺に苦情を伝えていた。
それから三分間乗り回され、人生で一番長い苦痛が続いた。
*
降りた後お互いにベンチで沈む。霧島も俺も力が抜けていた。
「ごめん……」
「別に……初めて乗ったから……いいんだ……」
一応慰める。ただ、霧島は「空が、こんなにもきれいで――」と意味が分からないことばかり言っていた。戻ってこれるだろうか。
二人で遊園地に来ていた。昨日話し合った結果、そもそも苦痛に対する感度が鈍いということが分かった。
どうも霧島は昔から人間関係や遊ぶ時間などが制限されていたらしい。結果を出していた霧島に対して上の方が期待して授業時間や学ぶことを増やした結果、友達と遊ぶ時間や自由は殆どなかったらしい。
仲間はみんな置いてかれたようで、嫉妬を向けられることもしばしば。だからといって小学校では他の人と話が合わない。学校の授業も理解し終えていたからつまらないが、怒られたら目立つから本を読んでいた。それが大体14歳まで続いたらしい。
他の友人が遊んでいるところはもう諦めていて、将来についてもあきらめがついていて、自分が理解されないこともあきらめていた。だからあまり感情が分からないらしい。ただ怒られるのはわかりやすいから、それは怯えている。とのこと。だから補習の直前もなんか体がやばいことは気づいていたが、どうして悪いのか、自分がどうしたらいいのか理解していなかったようだ。
霧島の孤独はわからなかった。だが元々の原因が分からないのも困る。解決法を調べていた時、実習の課題を思い出した。色々やってみる。霧島は基本ゲームと本が世界だから、その外に出て感情を取り戻してみようと提案した。中二病っぽい、相手は不満げだったがとりあえずやってみるしかない。まず霧島の生きたいところはどこか聞いて、ここに来た。そうしてジェットコースターに乗ってこれである。
「霧島……ジェットコースター……好きか?」
「全然」
即答。とりあえず無駄にはならなかったことに安堵。なら次の方に行こう。
「今度は何に乗る?」
「コーヒーカップ」
また見える苦痛だ。
目の前のコーヒーカップでは豪速に回るカップと、楽しそうなカップルの群れが見えた精神的にも、肉体的にも辛そうだ。だが、やってみなければわからない。
そもそも俺も遊園地に来るのは初めてだ。どんなものかもわからないから、俺も試してみなければならない。
「もう少し休んでからでいいか」
「ああ、僕もすぐは無理」
晴天の下お互いにぐったりしていた。
十分後、コーヒーカップに乗った俺たちは、意識を飛ばした。
*
遊園地を一通り見終えるのは早かった。
開園してすぐに来て、急いで全部回ったからかもしれない。最後の観覧車に乗った時はまだ午後2時だった。
「もういいのか」
「ああ。あんまり遊園地には向いてないことが分かった」
「楽しくなかった?」
「楽しかった。ただ騒がしい空間は慣れないな。祭だったら神社の演舞だったり静かになる場面はあるんだよ。でも、こういう場所はなかなかない」
「……その観点はなかった」
当たり前だが、騒がしさを楽しむところだ。それでも静かに休めるところがあったら彼なりの楽しみ方があるんだろう。
霧島は鞄から手帳を取り出した。真新しい黒の手帳だ。手のひらほどの大きさのものを取り出し、また小さなペンを取り出して何かを書き始めた。
「何やってんの」
「今の感情を書き留めている」
「初めて見た」
「日記もろくに書いたことなかったからな。自分の感情と向き合ったことなんてろくに無かった。気恥しい」
「日記を書くことはストレスにいいらしい」
俺は驚いた。昨日の様子では俺のことについては批判的だったが、思うところはあるらしい。
「それにジェットコースターのような同じ過ちを繰り返したくない。放置しておいたらまた繰り返すかもしれないからな」
「賢いな」
一瞬だけ鬼気迫った感情が見えた。やはりジェットコースターは嫌だったようだ。俺も遊園地の方はゴーカートや脱出ゲームは楽しかったが、他のものはあまり良くわからなかった。何度か来ればわかるのだろうか。
書き終えるまで俺は辺りの看板を見回す。昔の遊園地のような、楽しそうなデザイン書体が満ちている。ジェットコースターの入り口の看板に使われてる書体はこの前参考書で見た豪華かつシックなものだ。確か人間界のアメリカの西海岸辺りで使われているらしい。コーヒーカップは丸くファンシーなもので、売店のものは見たことないから新しくデザインしてもらったものかもしれない。
辺りに使われる文字をメモする。アトラクションの雰囲気に合ったものが使われている。色合いも雰囲気を壊すことなく、わくわくさせるような楽しい色合いだ。
非現実過ぎない書体と色の使い方に、普段の生活では見られないような使い方が沢山あった。これだけでも遊園地に来た価値はあった。
いくつか書いた後、霧島の方を見ると既にメモをしまっていた。
「なんだ、終わったなら声をかけてくれ」
「楽しそうにしていたから。看板を見てたのか」
「ああ。面白いな」
「もう一度見回る?」
「いいのか?霧島のために来たのに」
「時間ある。それにチケット代の分回収しないと」
「……ありがとう」
ここで気を遣っても霧島は引きずる。アトラクションにばかり注目していてろくに書体を見てなかったから正直言ってありがたい。
立ち上がり、書体の説明をしながら再び中を巡った。
その間霧島は楽しそうに話をしていた。
*
俺たちは園内を一周した後、外に出た。
隣町は俺たちの学園都市とは様相が違う。あちらよりも大人しい感じだ。ただそれは街がほとんど湖に隣接しているためであり、半分は観光都市と言った様子だ。
俺たちは湖の周りを歩いていた。周りにはホテルやレストラン、土産物屋などが並ぶ。少し奥に行くといきなりリンゴ畑があったり、工場がある。こちらはこちらの方で静かでいいな。ぼんやり湖を眺めながらあれこれ話していた。
「去年の水質調査では人が泳げるくらい綺麗だったってさ。でもこの水の下には空き缶やプラスチックごみが埋まってるんだ」
「矛盾してるな。そう聞くと綺麗なのに汚く見えてくる」
「どんなことだってそうだろう。見えなければ誰も気づかない」
「いや、見つかってんじゃん」
「それは掘り出したからだ」
「逆を言えば興味を持てば誰かが掘り出すんじゃないか」
「……それもそうだけど」
ふらふら歩いていると、目につく建物があった。
「美術館だ」
一旦霧島を見る。今日は俺の行きたいところじゃなく、霧島の願望を優先すると決めていた。
霧島はぼんやりとした様子だ。
「そういえば、実は美術館とか行ったことないんだよ」
「俺も二回しか行ったことがない」
「じゃあ行こう」
語気が強まる。霧島は美術館に足を向ける。
「お前の行きたいところに行く日なんだけど」
「だから行きたいんだって」
頑固に方向を変えない。失敗したとここでやっと理解した。霧島は一人の方が気軽な性格だ。他の手段を試すべきだったかもしれないと今更後悔した。
仕方なく霧島を追って足早にそちらに向かう。キュビズムをモチーフにした、しかし開けた空間を演出するようなガラス張りのホールの建物だった。
どうやら近代美術館のように最近の美術を展示しているらしい。フロント近くには近所のちょっとした催しのチラシが置かれている。観光客だけでなく、地元の人たちにも使われている場所らしい。
霧島はチラシを見、少し気になったところがあったのか一枚手に取った。
「ゴールデンウィーク展示会か。霞市でやるらしい」
「これを霞市でもやるのか」
「ライブドローイングとかやるって」
チラシにはゴールデンウィークでの催しが描かれていた。作品を展示するだけでなくショーとして現地で作品を描くようだ。
チラシの作品の写真は、跳ね飛んだ水滴のような絵だった。生気に満ち溢れた作品だ。こういうのは実際に描く光景があってこそ意味があると先生が言っていた。最近は写実的な絵が流行っているのに、珍しいな。
俺たちは展示会場に向かい、小さな部屋の前の机の受付に向かう。座っているのは片手に包帯を巻いた女性だ。俺たちは頭を下げてから入場料を払う。
中に入ると多くの作品が並んでいた。
「おお」
感嘆の声が出た。書道の作品が半分、絵の具を垂らしたような絵が半分、絵と書道の動画が無音で流れている。
大きくダイナミックに作品を描いている。体の動きに合わせて筆が肉体の一部のように動いた。絵具も踊るように跳ねている。見る絵は基本的に静物画や肖像画のように座って描く静的な絵ばっかりだったから、動的なこの絵は感触が違う。生命観に溢れた大規模な文字は、圧倒的で面白い。
「不規則に見えて、ちゃんと統一感を感じるって妙な感じだ」
「バランスを間違えたらわざとらしく見えるんだろう。自然な感じを出すのは難しい」
先程までの後悔や反省を忘れて、俺たちはただ作品に感動していた。
俺たちは躍動感にあふれた文字に圧倒されつつも、作品を見回った。
最後に絵の作成動画の前に立つ。そこに映っていたのは受付の人だった。
「あ」
骨折したらしい腕を思い出す。理由はわからないが、あの腕では多分ドローイングは難しいだろう。
動画では身長ほどある大きさの筆で魔法陣を書いていた。踊るように、跳ねるように、体中で喜びを体現。そして、彼女は大きな○祝と書き、最後に手でたたく。すると、紙の大きな鯛が跳ねた。空に現れ、パンと破裂した。紅白の紙が空から降る。
演出が上手い。過去の動画なのに雰囲気とその動きに飲まれていた。そんなことは簡単にできるわけじゃない。こんなにすごい人がいたんだな。知らないことを初めて知った、赤子のような感動があった。
「凄いな」
「ああ」
霧島もただ圧倒されていた。ただ残念そうにも見えた。
俺も分かる。ドローイングを見たかったが仕方ない。
勿体なさを覚えつつ、俺たちは動画の上映の前から立ち去った。
「……勿体ないな」
外に出ると「ありがとうございました」という女性の声が響いた。
*
次の日は霞市を回った。歩き回ると、ゴールデンウィークのフェスタ出店のチラシが張られたりしていた。俺たちそんな街の中を適当に歩いて、よくわからないジャズを聞いたり、壁に上ったり、トンボ球を作ったりした。
「霞市ってこんなところだったのか」
霧島は驚いていた。俺も霞市を回って初めてこんなに懐の深い街だと知った。
ただ昨日とは違って、何故か霧島はぼんやりした様子だった。メモを隠してなにか書いていた。どうやら目の前の出来事ではなく別のことのようだった。
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