変わらないもの

 次の日の朝、連絡すると返信は来たが欠席の連絡だった。無理をするよりもいい。俺は「安静に。もし必要なものがあれば帰りに買っていく」と返信。

 朝のバスは紬と舞木さんと俺の三人だけだった。霧島が季節風邪で欠席と言うと、舞木さんは心配そうに顔を見せに行くかと言っていた。接触すべきではないと判断し、風邪がうつらないように治ってから色々しようと約束した。紬は黙っていた。

 昼休み、紬と共に食堂で昼食をとる。

 食堂の窓際に座り、俺はてんぷらそば、紬は焼き肉丼を食べる。俺はいつもより静かな紬に、違和感を抱き、話を切り出した。

「なあ。霧島について何か知ってる?」

 紬は手を止めた。

「一二学期、基礎科目全問満点、魔法科の星だったらしいな」

「そんなの可能なのか」

「実際に取った。実技も全部秀、他の学科の連中も比べ物にならないほどの圧倒的な実力だった」

 昨日の実技の光景を思い出す。普段の学力と実技の様子からして嘘じゃないんだろう。たまに向けられる視線もおそらくそれによるものだ。本人が何故か暗い性格をしているからわからなかった。鼻にかけられても困るが、どうして自信がないのだろう。

「凄い奴だったんだな」

「ああ。ただ、去年の三学期、テストの手を抜いた」

「手を抜いた?どうしてわかったんだ」

「基礎教科、全部65点を取ったんだ」

「平均じゃなくて?」

「ああ」

 確かにそれはばれる。点数が下がっただけならまだしも、全部同じ点数なら恣意的なものを感じる。

「そんなことできるのか」

「数値の確実な単問を落とせば、可能だろう」

「後々響くだろ。どうして」

「俺は霧島とは別の学科で接触機会もなかった。ただ、いつも一人でいたな。妙に弱気な様子でいたのは一学期からずっとだ」

「そうだったのか」

 容易に想像できた。

 俺はそばをすする。

「それで実技もぎりぎり可を取れるラインの実技だったらしい。あまりの動きの鈍さに、学科の連中もあり得ないと気づいた」

「だろうな。それでどうなった?」

「まず怒ったのが神村だ。神村は学業に関してはいつでも手を抜かない性格だから、二位三位にいた。三学期は神村は一位を取った。だが、十位以内に霧島が居ないと気づいてすぐに調べて、点数を知って激怒した。噂だと本人に問い質していたらしい」

「噂じゃありませんよ」

 はっと振り向くと、神村さんが居た。こちらを見つめている。

「か、神村さん……」

 紬は悪行が見つかった子供のように委縮する。彼女は紬を一瞥して、それから俺の隣に座った。

「今日は一人ですか」

「みんな用事があって、今日はバラバラなの」

「ゴールデンウィークの新歓イベントの会議ですか」

「そんな感じ」

 割り箸を割ってざるうどんを食べ始めた。紬は恐る恐る尋ねる。

「……どこまで聞いてました」

「霧島が65点取ったところから。誰かいないかなって見まわしてたら居たから、ちょっと近づいてみたの」

「そうなんですか」

 本当のことかはわからない。

神村さんは一人でに話を始めた。

「点数発表の帰り、霧島が休憩所にいたから問い質したの。そしたら、素直にこう言ったわ『一位の座は他の人が持つべきだ』と」

「この学園の一位って、そんなに価値があるんですか」

「ばかおまえ……!」

 そんなことも知らないのか、紬は大きく開いた眼で語っていた。神村さんは平然と語る。

「企業の人たちが学校の行事に協賛していることは知ってる?」

「はい」

「この学園で一位になるってことは、ほとんど日本一の実力をもった生徒とみなされてもいいくらいの存在なの。だから高校生の内から企業に注目されるわ」

「高校の内からって、スポーツ選手じゃないのに」

「大学在学中にベンチャー立ち上げて退学すれば最終学歴は高卒よ」

「成程」

 そう考えればいいのか。霧島の言葉を思い出す。注目を利用すれば、その分返ってくる。

「彼の場合は魔法科だから、様々な分野で必要とされるわ。下手すれば海外の企業からも」

「本人は一位になったところで意味を見出せなかったっていうところですか」

「そう。霧島は留学やインターンに呼ばれてたらしいけど、全部断ったみたい。そして三学期の暴挙に至ったのかも」

「……霧島家が厳しいっていうのは」

「それ。その時怒ったけど、今は立場を考えると大人げなかった」

 神村さんは空になった皿の上で頭を抱えた。

「本当にダメ。あれで絶対に悪化した」

 珍しく弱音を吐いた。おそらく本当に落ち込んでいる。

 神村さんは必死にやっているのは聞いていたから、怒るのは理解できる。ただ、その結果霧島が倒れたのかもしれない。本人が居ないなら、聞くべきではないのだろうか。

「謝ったらいいと思う?」

「内心許してないなら、まだやめといたほうがいい」

「どうしてそう思うの」

「霧島って呼び捨てるよね」

 睨まれた。俺は引かずに瞳を見つめる。

ここで霧島が退学したら、確実に勉強時間が倍になる。そしたら魔法陣を描く時間も減って、コンペに出す余裕もなくなる。利害で相手の人生を左右するのは失礼だ。本気でやれと発破をかける神村さんよりもはるかに人間として腐っている。それでもこっちも人生がかかっていた。

従姉さんの夢のため。そう思い、冷静に事態の方向を見守る。

暫くの沈黙の後、神村さんは納得したように目を伏せた。

「……申し訳ないと思ってるんだよ。本当に、だけど、ね。ノブレスオブリージュってあるでしょう」

「はい」

「自分の実力を甘く見るのも、投げるのも駄目」

 神村さんは手に力を込めた。

 何を被害者ぶってるんだ。と思う。ただ理解もできた。神村さんは自分の出来ないことを素直に認める。だからこそ、そこから生かすことができない人を見ると怒るのだろう。

 神村さんが怒っている理由はわかった。あとは本人をどう復帰させるかだ。そのあたりは本人に話を聞くしかない。

二人とも他人から見た霧島の話だ。霧島の立場は大体わかったが、霧島本人がどう思っているかは知らない。

 ただこれだけは聞きたかった。

「霧島の実家って、どんなところか知ってますか」

「知らないの?」

 今度こそありえないものを見るような目だった。

「すみません。田舎で全然知らなかった」

「……胆が据わってんな」

 紬がつぶやく。俺は無視して神村さんの言葉を待つ。

 神村さんは仕方ないといったように説明してくれた。

「霧島家は、日本の結界を守る五家の一つよ。守ることで、下外からの魔獣の侵攻を押さえているの。人里と人里の間の結界は街を守るものだけど、それも元はその五家の結界を流用したものよ。中学校の歴史で学ばなかった?」

「現実だと思ってなかった」

「素直」

「すみません」

 軽く頭を下げる。神村さんは呆れたように話を続けた。

「だから霧島家を途絶えさせることもできないわ。生まれた子どもは魔力が少なすぎない限り、必ず結界を守る役割を継ぐことになるわ。霧島は魔力量も常人の数倍あるという噂だから、絶対に継ぐことになる」

「……それって何歳とか決まってます?」

「それは知らない。だけど、二十代の中盤くらいには必ず継いでいるらしいよ」

「その後ってどうなるんですか」

「年一の祭以外は、毎日お経を唱えたり全国の結界を管理する仕事をしているわ」

「ありがとうございます。それと、霧島家ってどんなところなんですか」

「内実は知らないけど、旧家のイメージが強い。なければならないもの。けど、今まで目の前に現れなければ意識することもなかった……やっぱり、駄目だ」

 はあと深いため息をついた。内心冷静じゃない。これ以上聞くことは難しいと判断し「丁寧に説明してくれてありがとう」とお礼を言った。ちょうど予鈴も鳴り、話を切り上げて教室に戻った。

 その後の授業中もあまり集中できなかった。


 学校が終わってすぐ寮に帰った。頼まれたおにぎりと肉を売店で買った後、霧島の部屋に入る。

借りた鍵を使って開けると、そこにはぐったりした霧島が居た。

「おい、どうした」

 布団の横にはコップしかない。そして、霧島は手を伸ばした。

「め、めし……」

「まさか、今日一日水で乗り切ったのか?」

 弱々しく頷いた。

「ええ……外に出なかったのか」

「人の目が見れなかった」

 虚ろな声だった。俺は言葉に詰まった。人の目が見れなくなったことが俺にもあったからだ。その時は一週間休んだ後、もう従姉に言い訳できないとして友人に頼んで無理やり外に出た。傷は治ってない気がするが、とりあえず今はいい。

 ベッド横に袋を置くと中身をあさり、すぐにおにぎりに食らいつく。一瞬で一個食べ終えでやっと視界に俺を入れた。

「……ありがとう」

 そう言って二つ目のおにぎりに手を伸ばす。包を開く間、静かに話しかけた。

「あれから何かあったか?」

「特に。休めとしか言われてない」

「病気とかじゃなさそうだ。舞木さんが心配してたよ」

「やさしいなぁ」

 おにぎりを二つ目食べ終え、三つ目に手を伸ばす。

 どうして補習が嫌なんだ?

 聞きたかったが、これは本人が語るまで待つべきだと思った。その前に、霧島のことを俺はあまり知らない。実家のことを話せない気持ちもわかる。俺も親族間のごたごたは話せない。

 時間を待つか。

 霧島は肉を食べ終え、こっちを見た。

「どうした?」

「勉強の方は大丈夫?」

「……ちょっと聞きたいところはある」

「絶対にちょっとじゃないな。見せてみろ。寝たままでもアドバイス位はできる」

「ありがとう」

 霧島もこちらのことを気にかけているようだ。断ったら霧島は気を遣ったとまた落ち込むだろう。さっさと終わらせた方が得策だ。

俺は以前のように今日の物理のノートを取り出した。

 お互いに補習の話題を出さないまま、妙な空気で勉強会をした。

              *

 あれから一週間程経つ。霧島は昨日から登校し始めた。

「私はこのタカノ・ハルミの描いた魔法陣を素晴らしいと思います……」

 課題発表の半分を聞き流しつつ、俺は霧島のことを考えていた。霧島は確かに学校に通えるようになったが、結局本質的な解決になってない。何も解決してなかった。

「はい、今日はお疲れさまでした」

 ぱんと先生が手を叩く。そうして次の課題の紙を渡す。今度は二枚だった。

「来週はゴールデンウィークでお休みです。その分課題も二週分出しますね」

 渡されたのは二枚分のA4のレポート用紙。

「ゴールデンウィークなんだから、魔法陣も魔法陣以外でもいろんなことをやってください。と言うことで課題の一つは、次の授業までに見た魔法陣の一つを分析してください。もう一つは、自分が楽しいと思うことをまとめてください」

困惑でざわつく。先生はパンと手を叩くとまた静まった。

「自分を知ることは、自分の弱み強みを知ることと同じです。人には苦手なこと、やりたくないことがあって、そこを理解すれば、自分がどんな魔法陣デザイナーになれるか、向いているかと言うのが分かります。オールマイティーというのはピカソのような天才なら可能かもしれませんが、大抵の人は一つの道を追求するだけでも人生は足りません。そもそも目的をはっきりさせるためにも、自分ができること、できれば楽しいと思うことを考えましょう!結構難しいですよ、これ」

 先生は重要なことを言った。

 俺は紙を見つめる。片方は描けそうだ。

「発表は魔法陣の分析の方にします。もう一枚の方は私の方で見させて頂きます。あ、成績に関係するのは文章が判断できるかどうかです。内容、思想については不問、論文を書くような書き方でいいよ」

 それじゃ終わり。先生がそう言うと喧騒が戻った。そろそろ授業にも慣れてあまり疲れなくなった。

「ゴールデンウィークか」

 先生にこういわれたら外に出なければならない気がし始めた。

 隣で鞄に教科書をしまう紬に話かける。

「紬、ゴールデンウィークのイベントまとめたサイトとか知ってる?」

 鞄のチャックを閉めて、スマホを取り出す。見せたのはこの街の地図の載ったホームページだ。

「ここが一番まとまっている。外出するのか」

「ああいわれたら流石に。それと、去年の内容の勉強もそろそろ終わりそうだ」

 霧島の助けのおかげで勉強は効率よく進んでいた。うまく行けばゴールデンウィーク前に終わるかもしれない。霧島は独学の天才だ。だからどこでつまずくかとか、どうして理解が追い付かないかとかも理解していた。

先生に聞きに行くことを進めたのも霧島だ。それだけでなく一人で進めるとマイペースになって手が止まってしまうということから、霧島も同じ範囲を勉強していた。最近はコンペ優勝は一人じゃ無理だとひしひしと感じている。あいつが学校に残って欲しいのは、卑怯だが自分のためでもあった。

だからこそゴールデンウィーク辺りで好転させる行動を起こしたい。

「勉強もするけど、インプットもしないと」

「そうか。なら一緒に椅子展行くか?」

「いいね。その時霧島は……」

 スマホが震えた。画面を見ると、ちょうど霧島からだ。図書館の会議室に来てくれと書かれていた。俺はスマホをしまう。

「霧島か?」

「ああ。すまん、また」

「俺も行く」

 紬は苛立った様子だった。語気が強い。

「学園のことを知っている奴がいるべきだ。いつかは向き合わなければならないものから逃れている」

「……紬、今は補習を終わらせればいいんじゃないか?」

「終った後はどうするんだ」

「普通に学校に来ればいいじゃないか」

「補習を終わらせるということは、霧島の実力を見せつけることだ。つまり、去年の二学期以前の状態に戻るんだ」

 はっとした。確かに立場が戻るだけで何も変わってない。

「若澄は去年のことを知らないだろうが、霧島と同じ学年であることを意識しない奴はほとんどいなかった。目の前に現れた宇宙人とどう向き合うか、いつも考えていた。三学期テストで消えたが、勝手に消えたと思っているだけだ。何も変わっていない」

 いつも以上に強い口調だった。妙に熱が入っている。

 言っていることは正論だ。だがまた部屋から出られなくなっても困る。少し考えて、俺は口を開いた。

「……一対一で話してから聞いてみるよ」

今の紬が同席してもろくなことにならない。

 俺は話し合いの内容を連絡することを約束して、一人図書館に向かった。


 図書館の端の小さなコミュニケーションルームに霧島は居た。大きな木の机に六脚の椅子が置かれている。白い光の下で、コンクリートの壁が温かみと冷たさを共存させていた。

 霧島は落ち着いて本を読んでいた。俺が中に入るとこちらを向いて本を閉じた。

「お疲れ。今日は授業出たか」

「流石に出た。そろそろ顔を見せないと部屋に突っ込んできそうだったからな」

 俺は対面の椅子に座る。

「どうして図書館で話そうと思ったんだ」

「できるだけ無人の空間にしたかったんだけど、どっちかの部屋だと本心を伝えづらい」

「そうだな」

 相当真剣な話らしい。俺は息を呑んだ。

「何の話だ」

「うん、まあ、会ってまだ二週間くらいだけど……ごめん、退学しようかと思ってる」

 予想内の答えだった。

「何故?」

「気が付いたんだ。もういいかなと」

「なにが」

「だから何のために学園に来たのかって」

 霧島はどこか晴れやかな顔で語り始めた。

「霧島の家って結界を守ることを受け継ぐんだよ。結界を守るために魔法の基本技術だけじゃなくて社交や儀式に関係する人たちとの付き合い方、演舞のやり方、仮に魔獣が進行してきた場合の戦闘などを小学校の頃から身に着けてたんだ」

「一人で?」

「一人だけじゃない。分家だったり何かあった場合の代理候補も居たんだ」

「……今は居ないのか」

「僕がぶっちぎっていい成績とって、紙の上では全部身に着けたことになっている。今頃はまだ勉強中だと思う」

「そんな家なのか」

「小学校から高校まで入るところは決まってた。その後は実際に前任者の仕事を近くで見て学んで、数年したら受け継ぐことになるんだ」

「学園に来たのって指定されたからか」

「指定されたんじゃない。家から離れるためにはここ以外の学校は認められなかったんだ」

 あまりいい思い出じゃないのか、眉をひそめた。

「俺は中学の間に全部学んだんだ。だから後に実習するまでどうするかってなったんだけど、そうなると他の分家だったり残った人たちの立場ってさ、俺のことで発破かけられた利するんだ。それ言われたら流石にこっちもいい気分しないし、残った連中から敵意を向けられることもしばしば。だから居ないところに行きたかった。家から離れたところに興味あったってのもあるけどな」

 自嘲するように苦笑した。

「元々封建的な学校だったから、身に合わなかった。家柄で見られることもあったからな。だからこの学園に入学したなら友人や普通の学園生活を送れるんじゃないかと思ってたんだ。無理だったけど」

「どうして無理だったんだ」

「生きてる世界が違いすぎたんだ。そもそも家族関係も独特で、分家があるところも少ない。特定の学校にしか行けないっていうのもない。だからまあ、四月に何も話せなくなって高校デビューを失敗したんだ」

「だから退学するのか」

「違う。そもそも何のために入ったのかを思い出したんだ。理由は、単に憧れだよ。どこにもない青春を求めて入学したんだ。でもみんな違う。此処は夢や目標を叶えるための通過点であって俺のような終の棲家じゃないんだ」

「……先がないのか、お前には」

「あるけど、でもこの学園を出たところで特にやることは変わらない。この学園でいい成績を残したところで将来に影響はないんだ。実技の方は『本気でやれ』って怒られるんだけどな」

 はははと乾いた笑い。

「だからまあ、そもそもこの学園に入った理由が最低なんだ。お前みたいに夢とか努力のために頑張ってるやつを見ると、やっぱり俺は一位を取るべきじゃないと強く思うようになったんだ。集団で何かしたり、努力したりするのが正しい青春で、俺はそれを邪魔してんだ。それとこの前倒れたじゃん。心配させまくってんなと思って自分の身勝手さを反省してさ、やっぱり退学すべきだと思った」

「退学してどうするんだよ」

「実家に戻って実習かな。高卒認定試験を受ければいいから結果的には辞めても何も変わらないよ」

 突然の告白にどういったらいいかわからなかった。

「補習が受けられなかっただけだろう」

「違うよ、結局ここに居るってことは競争し続けるってことだ。僕は凪のような生活が欲しかったんだ。実家から逃げろって言われるかもしれないけど、放置したら一億人の命がやばいから、流石に平和と自分のわがまま比べて前者を取っても平然としてられない。それに目的もないのにここに居るべきじゃないと思うんだ」

「今から探せばいいんじゃないか」

「見つけたところで、家に戻ったら終わりだ。他の人みたいにその先があるわけじゃない」

 俺は何も言えなくなった。

 先がない。この学園に居たところで、意味なんてないのか。

 紬と神村さんの顔が浮かぶ。退学したら二人は怒るのだろうか。

 退学を引き留めるための言葉がないのか。

「だからまあ、ここで話しておこうと思って。短い間だったけど世話になったなあ、まるで普通の高校生みたいな生活を送れて楽しかったよ。でもそろそろ終わりにしなきゃな」

「それが、補習に出れない理由か」

「……どうだろう。でもそろそろ終わりにしたかったからこれでいいんだ」

「いいって、」

 家に帰っても同じだろ。言いかけてやめた。霧島は学園の方がましだと思ってたんだろう。

 彼にとって価値は無いのかもしれない。人生の先に意味はない学園生活かもしれない。確かにここで引き留めたところで結局二年間苦しみが続くだけじゃないか?

 無気力になっていると俺は思った。確かに言っていることはわかるが、補修を乗り越えたところで同じことが起きるのか。話を聞く限り問題点は二つある。補習を受けられなかったことと、学校になじめないことだ。それは同じかもしれないが、違った場合、この学園を退学することを後悔するかもしれない。

 まずは退学よりも先に、補修で倒れた理由を知るべきじゃないか。相手は話を聞くかわからないが、話してみるしかない。

 結果的に退学になったとしても、大きな判断を一人で決めるのは危うい。

 それに退学したら俺の方にも影響が出る。慎重に、話を聞いてもらうしかない。

 俺は言い聞かせるように言った。

「……あのさ、退学するにしても、やっぱりこの前倒れた理由ってのはちゃんと知っておくべきじゃないか」

 ぴくっと肩が動く。

「同じこと繰り返したら大変だろ。もしかしたらカウンセリングだったり健康に問題があって、病院に行く必要があるかもしれない。だから」

「いいよ。退学するんだからもういいんだ」

「でも実家に戻ったところでまた倒れるかもしれない」

「それはない」

「どうしてはっきり言えるんだ」

「実家では顔見知りしかいないんだ」

「今はそうかもしれないが、将来はもっと多くの人と会うだろう」

「別にいいだろ」

「良くない」

「お前とは関係ない」

「ある。まだ手段が残ってる」

 言ってから気づいた。やっぱりもやもやしているのはここだ。エゴだとわかっていてもどうしようもない。問題を問題として解決しないのはあまりよくない。

「それに、やっぱり友人が学校を退学するのは寂しい。だからできるだけ今の問題を解決して、ここに居て欲しい」

霧島は目を見開いて、気まずそうに目を逸らした。

「今のままじゃないか」

「そうは思わない。問題を紐解けば、少なくとも心象は変わるよ」

「……まあ、勝手にやればいい」

 霧島は疲れたように椅子にもたれる。

「まだ退学届けは出してないか」

「ああ。まだ退学することも誰にも行ってない」

「補習の方は何か言われた?」

「体調の調整も含めて、5月15日までには終わらせろと」

「結構時間あるな」

「臆病さを知ってるんだろ……とりあえず、僕はそれまで学校に行ったりいかなかったりする」

「わかった」

 五月中旬なら、サボったところでまだ間に合うだろう。後の予定よりも、補修当日までの精神の安定の方が大事だ。

 俺はここでまず思い出したことを聞いた。

「話は変わるが霧島、紬のことをどう思う」

「突然だな」

「本人が気にしていた」

 霧島は目を逸らして考えた。

「……自信なさそうな奴だと思った」

 意外な返答だった。

「気が合いそうか」

「まだ本人のことはわからない。ただ、あんだけ怒るってことは、なにかあるんだろうな」

「なにかって?」

「しらん。僕に言うわけもない」

 はぁと大きく息を吐いた。普段からあまり会話はない二人だからわからなかった。あの紬の様子だと本気を出さない霧島に対して怒るだろう。霧島はそれを受け入れるか委縮する。それでまた怒る。他の生徒の怒りも基本はここから来るものだ。

もし学園に居るならいつかは学園の生徒からの視線と向き合わなければならない。そのためにもまず補習を本気で受けさせられるようにするのが最優先だ。

 紬とは今は会わせない方がいい。

 霧島が時計を見た。

「そろそろ時間だ。出ないと」

「俺も行く。帰ったらまた話をしよう」

「……真面目だな」

「人の人生がかっているんだ。真剣にならないと」

「……なんかやだな」

 霧島がぼそりと。聞こえたが、言ってしまった身としてはもう引けない。

 そもそも俺は霧島を批難できない。

 従姉の夢の手伝いをする夢はあるが、特にそれ以外の夢は無い。でも人の役に立つのが一番だからそれでいい。エゴや自分の夢を持つ人と比べたら少しずれているとは自覚していた。

 残念なことに、霧島みたいな生徒が居るという安心感が欲しかった。

「帰ろう」

 無表情で頷いた。そこだけはいつもと変わらなかった。

 俺たちは部屋の外に出た。

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