女神の審判Ⅱ

 一限、二限、三限、と時間は光陰の如く過ぎ、あっという間に四限になった。

 休み時間なのに会話が少ない。俺もつられてノートを眺めていた。

 チャイムと共に、天願先生が入ってくる。軽快な足取りで、これから散歩にでも行きそうなほど上機嫌だ。

 手に持った封筒を教卓の上に置き、先生は笑顔でこちらに向き直った。

「初めまして!今年から実技担当になった天願ミサオです。初めて依頼を受けたときは驚いたけど、母校の生徒の作品を見れるって思うと楽しみです!今年はよろしく!」

 頭を下げた。誰かが「よろしくお願いします」と言ったので遅れて言う。口調は明るく胃が、母校の生徒の実力を見に来たと言ってるようなものだ。下手なものを作れば先輩の作った轍を乱すことに等しい。

他の生徒が唾を呑む音が聞こえた。

「さて」

 そんな生徒の緊張を知らず、先生は封筒を開いて中から紙を取り出した。それを配って最前列の生徒に渡す。

「一応名前は覚えたつもりだけど……まだ顔と名前がおぼつかないわ。だから顔合わせも兼ねて、今回の課題を発表します」

 回ってきた紙を「ありがとう」と小声で感謝してからもらう。見ると、無地のA4の白紙だ。

「初回だしこっちも色々あって課題発表も難しかったから、準備もできてないだろうし、今日は顔合わせと実力を見させてもらう日にするわ」

 嫌な予感がする。

 天願先生は上機嫌に鼻歌を歌いながら、前の黒板に課題を書いた。

テーマ『理想の魔法』。

きれいな文字で書かれていた。満足げな表情で先生はこちらに向き直る。

「今日は、こんな魔法があったらいいなっていうのを描いてください。あなたが今の実力で描ける最高の魔法陣と必要ならシンボルで描いてね!それができた人から手を上げてね。見に行くから。それで結構いいものが描けてたら『合格』って言います。当たり前だけど授業の流石に延長は用事があって難しい人がいるだろうから、55分間で描けるものとしていいもの、まあ基本ができていてコンセプトがはっきりしているもの、それで未発表なものを『合格』とします。合格と言っても今日の分は成績には関係ないから安心してね。過去の焼き直しはできるだけ辞めてね~。魔法の方も、安全性とか再現性があるとかは今は無し。基本ができてればよし。それじゃ始め!あ、必要ならスマホで資料検索していいから!がんばってね!」

 先生は開始と言うようにパンと手を鳴らす。それを俺たちは呆然と見ていた。

 最悪だ。

 次々に押し付けられる情報に呆然としていた。しかし、神村がスマホを取り出すとみんな遅れたように取り出した。


 コンペの課題のあの曖昧さって何だろうね。白紙に鉛筆を置いて、ぼーっと紙面を見つめていた。

 全然コンセプトが固まらないまま五分が過ぎた。周りの生徒はスマホで必死にニュースや最近発表された魔法を調べたりしている。神村のように書き始めている奴も居るが、大体はコンセプトを固めるために紙に箇条書きでキーワードを並べている。基本ができていると言えば聞こえがいいが、どちらにしろコンセプトは固まってないようだ。

 隣を見ると、紬は既に何かを書き始めていた。欧文書体の様だ。魔法陣では無かった。

 無理やり意識を自分の方に戻す。そっちができてもこちらができてないのは進んでないってことだ。はぐらかすためにも適当に困っていると思うことを紙に書きだす。

 まず、人間関係だ。理由は判明しているものの、これを改善するとなると俺の立場の説明が必要だ。だからしない。

 じゃあ飛空機を低い魔力で飛ばせるような魔法と考えたが、飛空機の構造に全く詳しくない。空気力学を学んでもないから無し。

 勉強の効率を上げる、と考えたがやはり脳の構造を全然知らないから無し。

 ここで気づいた。基本ができていることを見ると言っていたのは実力を見るというのも当然だが、個人がどんなことに興味を持っているか見るためでもある。そもそも50分程度で描けるものなんて普段から知識を蓄えているものしか無理だ。そういった点だと顔合わせとはよく言ったものだ。これはとても効率がいいと思った。わかったところで何もかけてないが。

 じゃあ俺は何が好きか?自分に問いかけて、思いつくのは魔法陣のシンボルだった。

 やはりこうなるか。堂々巡りになりそうな予感がしつつも、魔法陣について掘り下げる。

「はい」

 手が上がった。みんながそちらを見る。俺も見ると、神村さんかと思ったら大嶋だった。自信ありげに手を伸ばす。

「すぐ行くね~」

 先生はそちらに行き、紙を見る。すぐに「うーん」と微妙な顔になった。大嶋も弱気な表情になる。

「変なところでもありますか?」

「うーん、ストリートアートを取り入れたとてもいい魔法陣だと思うけど、これ去年の焼き直しに見えるよ?」

「去年とは違いますよ。書かれている文字もカラーリングも違いますし、去年のは爆音を演出するためのものでしたが、今回のは防音性を高めるための魔法です」

「でも……うん、真新しさがない。魔法陣とてもいいから実用的だとは思うけど……また?って思ったのが正直かな」

 辛辣な講評だった。

 先生の講評に空気が凍った。小声で講評を続けるも、大嶋は自信がくじかれたように呆然と先生を目に映していた。

「モチーフが違うけど表現方法が足りないから、雄々しいデザインを同じようにしか描けてないね。こういったタグは野心や生命感が伝わるような大きなものに描くのがいいと思うけど、小さくするならもっとアクティブさを感じさせるようなデザインになるように構成と文字の大きさのバランスを考えて。凄いストリートアートが好きなのはいいけど、もうちょっと他の、グラフィティアートの歴史を調べて他の表現方法を取り入れた方がいいと思う。それと防音の方は……これ、去年コンペで提出したものを改善したものだね。改善しているからいいとは思うけど……最近防音に関してはいい魔法陣が発表されたね。それでも本当に欲しい?」

 大嶋は小声で「……いいえ」と答えた。早さと技術のために描いたものだったから別に欲しくなかったんだろう。「うーん」と悩み、子供に言い聞かせるように語る。

「今のテーマは理想の魔法だよ。自分が『欲しい』ってものを荒くてもいいから描く。自分が欲しくなくても描くのがプロって言われるかもしれないけど、自分が欲しくないもの、いいと思わないものを人に上げるのは私はあんまりいいとは思わないな。だから、今回はもっと自分が欲しいものを考えて書いてね。時間はまだあるし、怒らないからね。次頑張って!」

 そう励まして大嶋の前に紙を置いた。ただ、大嶋は励ましの言葉が届いてないのか「はい」と答えて泣きそうになりながら紙面を見ていた。

 感覚的かつ理論的な批評に晒され、雰囲気は一気に緊張感を増した。大嶋はできるところを見せたかったんだろうが、そんな野心は簡単に見透かされていた。

 今ので数人のペンが止まり、スマホを検索し始めた。残った人たちは普通に描いているようだが先程よりも鉛筆の進みが遅くなっている人が多い。あと、ちょっとすすり泣きが聞こえる。大丈夫だろうか。心配だが、自分の実力のことだ。本人で対処してもらうしかない。

 逆に俺は少し安心した。スピードも必要だろうが、今回は中身だ。時間を使ってしっかり整えるのが一番だ。

 俺はもう一度紙に向き直り、俺の好きな魔法陣について掘り下げることにした。


「使っているフォントの種類が悪いよ。これはそもそもパソコン専用のもので、解像度を考えると不安定。通販の服を試着できる魔法っていうアイデアはいいと思うけど、魔法陣の方がそもそも間違ってるね。これじゃボディペイントみたいになるから、もっと調べてから書き直してね」

「これは……魔法陣に無駄が多いよ。こんなに文字はいらないし、多分ペンタクルを準拠とした魔法をつかえばもっと消費魔力は少なくできる。ごちゃごちゃしたのが理想?……違う?なら、やっぱり少なくした方がいいよ。これだけで別の魔法が二三使えるから、頑張って」

「……なるほど、サッカーのオフサイドを判断する魔法。それはいいけど、これを使うならユニフォームに印刷するよね?最近の印刷機械を知ってる?……知らないか。まあそこまではまだ頭が回らないか。可視性を求めて太くてシンプルな魔法陣にしたいからカラーリングに凝ったんだろうけど、多分印刷したらもっと暗い色になるから見えにくくなるよ。色指定を考え直した方がいいね。あとこれだとユニフォームに使われるフォントと見分けがつかないから、可視性の工夫をしても余り意味がないかな。ユニフォームをデザインしたことを活用したのはいいけど、間違えて魔法陣に触りそうなのは怖いかな。ユニフォームに合うフォントを調べた方がいいよ。頑張ってね!」

 香山は肘を立てて両手を組んだ所に額を付けている。いつものモデルのような優雅さはどこかに消え、ただ打ちのめされた人間の墓標の一つになっていた。自分の自信のある分野で酷評されれば俺もああなるだろう。

 開始から三十分。結構手を上げ始める人たちが増えてきた。そしてほぼ全員が叩きのめされた。

 先生は基本と言った。俺は基本と言うのは魔法陣がちゃんと書けているか、デザインの基本性が守れているか、フォントの選択は間違ってないかと言うものだと思っていた。だが聞いていると違う。

 まず見て、違和感があれば疑問を呈する。前の席のシンボルを見たが、コンセプトとは合ってない。そもそも何を伝えたいのかわからないものだ。だから先生は普通に「何を伝えたいの?」と聞いてくる。そして次にコンセプトこれも曖昧なものだったり本気でないものなら「……それは本当に思ってる?」と返される。コンセプトの掘り下げが少なくてもいわれる。最後に魔法陣が良かった場合、デザインに真新しさがあるか、他の会社のものとかぶってないか、魔法の使われるシチュエーションにおいて適切なものになっているか聞いてくる。

 確かに技術的な基本も聞かれるが、実用的な思考での基本も見られている。生半可な知識では足りない。確かになあなあで済ませてはいけない部分だが、込み入ったことをしようとすると突かれる。相手は知識と経験のあるプロだと実感した。手を抜いた部分は簡単に見抜かれる。

 それだけでなくこれまで発表した作品のことも話題に出ている。生徒の作品は一通り確認済みで、似たアイデアはすぐに指摘される。

つまり、自分の知識がどの程度あるかも把握してそれに準じた魔法陣を書かなければならない。基本的な技術とフォント選びができていればそのあたりはあまり言われない。単純に自分の技術を測るならそのあたりに傾聴すればいいが、アイデアや知識量をあれこれ言われると単純に浅慮だということがばれる。それでも手を上げる人がいなくならないのが流石Aクラスだ。今のところ合格は出ていない。

 ……50分はきつくね?今更嫌な汗が出る。

確かに昔から魔法陣はよく見てきたが、それは相手だって同じだ。じゃあ、俺の知識は通用するのだろうか。

「はい」

 神村が手を上げた。すっと天に伸びる美しい姿勢だった。天願先生がそちらに向かう。

「ちょっと待ってね~」

 屍を一つ作り上げてから神村さんの下に向かう。そうして紙を両手で渡され、神村さんは先生に向き直って姿勢を正して反応を待つ。

「……うん、合格!」

 わ、とみんなが声を上げた。賞賛と驚きの声、今までの辛辣なレビューのない素直な賞賛に驚愕していた。しかし半分は当然と言ったように見ていた。俺も神村さんの評価には納得していた。

「デザインもいいですね、魔法陣も基本ができていて誤字も無駄もない。細かい講評は後でいい?」

「はい。その間私はどうすればいいですか?」

「静かに教室に居ればなにしててもいいよ」

「わかりました」

 神村さんは深々と頭を下げた。いつものような大人びた様子ではなく、信頼や尊敬が少し高くなった声から見てとれた。

 教室の中は何も変わってないが、少しだけ可能性は見えた。合格の存在を確認したのだ。取れないわけじゃないのだ。神村さんが机に向き直りまた別の何かを書き始めた時、上げる手が増えた。

「待ってね~」

 天願先生が焦ったように他の席に行く。そして渋い顔をした。

「これは……人に見せるものにしてから呼んでね」

 うわ。あまりの落差に空気が冷えついた。講評された人は泣きそうになっていた。

 俺は悪寒に震えながらも自分のデザインを描き始める。動的、静的、カジュアル、フォーマルの四方向に分けて何度も描く。

 少し手を上げる人が減ったところで、紬が手を上げた。先生がそちらに向かう。なぜか珍しく驚いた顔をした。何を書いたんだ?そう思うとすぐに先生が紙に顔を近づける。考え込むようにして暫く見つめた後、こうつぶやいた。

「……これ、元々別のものを描きたかったんだよね」

「何故そう思いますか」

「……何度も消した跡があるよ。あと元々あった魔法陣デザインからかけ離れ過ぎている……うーん、初回授業だし、もっと心のままに描いた方がいいよ。後は、知識がありすぎるのかな。『博識であることは大事だと思う』って有名な言葉だけど、今は……多分描いた方がいいね。知識で本音を隠してる」

 まるで見透かしたようなことを言う。と思ったが、当たっているのかさっきから紬の顔かから表情が消えている。

「シンボルにこだわる必要もないよ。自分の最強の魔法陣なんだから。それに自分を隠してばかりだと何が得意かもわからなくなるから、特にデザイナーはポートフォリオでどんな作品を作ってきたかも重要だから、今のうちにやりたいことは心の赴くままにやった方がいいよ」

「ここは授業です」

 紬が突っぱねた。だがすぐにはっとして訂正する。

「すみません、とんでもないことを言ってしまって……!」

「いいよ。ただ、他の人にそれやったらもう教えてくれないよ。気を付けてね」

 はっきりとたしなめる声だった。ただ、言葉の内容が怖い。

紬は冷静になったのか「ごめんなさい」と謝って紙を返してもらった。ただ、もう書く気はないのか先生が居なくなった後も紙を呆然と見つめている。

俺は再び鉛筆を持ち上げる。そうこうしているうちに残り15分だ。急がなければ。

四方向に分けてデザインを描いていると、短い時間だが方向性がつかめてきた。

 コンセプト、使用状況は普段から離れないもので、あまり挑戦をしていないが俺の欲しい魔法がこれなんだから仕方ない。

 スマホからフォントを写し、それを転写して作った。シンプルだからこそ精密さは必要だ。

「残り十五分。さっき手を挙げた人もまた上げていいからねー」

 先生が呼びかける。何人かが焦ったように手を上げる。訂正したものを見せているが、「焦って新しい技術に飛びついているけど理解してないから上っ面しかかけてない。五十分じゃ難しいよ。それよりも基本の図形を使うことが大事」と率直な意見が飛び出しまくっている。今の持っている知識を総動員するしかない。

 俺は魔法陣を清書して、コンセプトと合うか、これはみんなが使いたい魔法か、俺が使いたい魔法か、みんなが使える魔法か確認する。何がいいかと言うのはまだ曖昧だが、嗅覚だけは経験に合った。

 受賞した作品を選んだ理由は、『みんなが使い始めた』からだ。俺も作った時、「これで楽になるな」とどこか安心していた。見せるのも抵抗は無かった。いいものを作った時は満足感がある。だから俺はそのワクワク感や、何か変わるという期待を抱いたことのある魔法陣を検索してまとめた。過去分析したことを思い返し、そこから自分の願望を分析する。

 これを見て楽しいか?俺は楽しいな。

「はい」

 俺は手を上げた。教室内が無音になる。やはり注目していたんだろう。

「はいは~い」

 天願先生がこちらにやってきた。そして俺の作品を見て一言。

「……これは……あったら楽しいけど……」

 微妙な顔をした。微妙と言うか、これを評価すべきかと言った顔だ。

「普段からこんなことを思ってるの?」

「いいえ。ただ自分があったらいいなと思うことを描いたらこうなりました」

「……なるほど、成程。後で説明してね」

「っていうことは」

「合格。ただ、これは……多分、なんだろうね、見たことないけど……どうなんだろう……」

 教室内がざわつく。合格の二文字で俺は脱力した。今朝のこともあってかもう何も書けなかった。

「説明の準備をして静かにしててね」

 先生は俺の疲労に気づいたのか。静かに紙を回収して持って行った。

 ざわつく生徒。そんなにやばいのか?ノートを取り出して考えたことを取りまとめる。

 あと切れの悪い反応に疑問を抱きながらも、時間が過ぎるのをまった。とりあえずこの短時間で描けたのは霧島と舞木さんのおかげだ。感謝の気持ちで後で何かおごろう。

 気づかなかったが、そんな俺を紬が見ていた。

               *

「はい、そこまで」

 ぱん、軽快な音がして、先生は時間終了を告げた。テスト並みに着かれた人たちがぐったりしている。

 結局合格したのは俺と神村さんだけだった。あれからクラスメートは必死に改善したりした人、焦りで更に荒くなる、コンセプトが曖昧になるなど様々な結果になった。

 合格の基準はなんだろうか。神村さんについては完成度の高さだとわかるが、俺はあの反応からしてなんなんだろうか。

「神村さん、前の方で説明してください」

「はい」

 神村さんは立ち上がり、黒板の前に立った。

 紙をマグネットで貼って指し示す。現れたのはアールデコ風の優美なバラの周りに二重丸で囲まれたシンボルだ。下にはAromaとTrajanで書かれている。三十分で描いたにしては本当に完成度が高い。他の日立も思っていたのか、現れた途端『わぁ』と女の子の感嘆が聞こえた。その横には単純な三角形の周りに文字の描かれた魔法陣だ。これも直線が美しく見やすいものだ。三角形は火のモチーフであり、魔法陣に使われるフォントはおそらく手書き。ただ手書きだが繊細な手で描かれたように綺麗。高級感あふれるフォントを余裕を持った字間で演出している。俺のものとは全く違う。

「コンセプトは『癒しの空間の演出』です。これを作動させると、アロマキャンドルを焚いた時と同じような温かみと香りに包まれることができ、火を使わずにリラックスした空間を作ることができます。私は香水やドライフラワーなど香りを楽しむのが趣味です。ただそれらを簡単に、ちょっとした時間に手間かけずに楽しみたい時があります。この魔法陣はそういったちょっとした楽しめる空間を演出するためのものです。シンボルに使われるバラは私が好きな香りなので使いました。使用するフォントは、バラ風呂がローマ時代に流行したことを鑑みてTrajanを使いました。また、二重丸はボタンのような触れやすさと質の良好さを証明するために描きました。このことで歴史の深さに浸るだけではなく、高級感の演出に一役買っています。利用対象は十代から二十代の女性、使用シチュエーションは静かな誰も居ない場所を想定しました。眼球疲労を考えて、しおりや小さな紙に印刷して、どこでも取り出せることを考えました。以上です」

「素晴らしい!」

 先生は拍手。他のクラスメイトも拍手していた。俺も素直に称賛の拍手を送っていた。

 シンボルの意味も分かり、魔法陣も整理されて見やすい。そしてモチーフとフォントの歴史を利用した演出。最新の魔法陣ばかりを追っていた俺と比べると、知識の豊富さと応用力が段違いだ。流石、神村さん。

 天願先生は気分のよさそうな様子だ。

「説明も分かりやすく、使用用途もしっかりしています。シンボルの見た目がいいだけでなく、使用者のことをちゃんと考えた設計をしていて利用者の心証はとてもポジティブなものになります。あなたの求めるリラックスした空間の演出のための不要なストレスがありません。自分が欲しいと思うものを客観的な視点を失わずに描くのはとても素晴らしいです。これからも精進してください」

「ありがとうございます」

 神村さんは嬉しそうな様子で頭を下げた。

次は俺だ。のどが一気に詰まった。合格したのだから自信を持つべきだが、神村さんとはかなりこう、コンセプトもデザインも違う。本当にいいのか?とは疑問に思ったが、選んだのは天願先生だからもう何も言えない。

 いつもこんな感じだな……。天願先生に人生を振り回されている気がする。思い当たる節が多すぎる気がした。

「次、若澄君」

 呼ばれた。クラスの雰囲気が何か変わった。神村さんが英雄への称賛なら、俺の場合は変質者を見るような眼だ。何をやらかした?という疑問の目だ。

「はい」

 立ち上がり前の方に行く。既に神村さんは自分の席に戻っていた。悠々と俺の一挙一動を見ている。

 緊張感で潰れそうだ。ただ、やらねばならない。

 俺は前に立ち、紙を張り付けた。クラスメイトがざわつく、先程が心からの感動なら、今度は困惑だった。

 円の中に逆ペンタクル、そして中に『解』を象形文字に分解したものを入れる。これで終わりだ。不定、ばらばらになる、といった印象を持たせる魔法陣だ。先生も見て、頭が痛そうな表情を見せた。

「説明お願いします」

 やるしかない。俺はすっと息を吸って吐いた。

「コンセプトは『分解』です。俺は昔から魔法陣を分解してその成り立ちなどを学んできました。そして、シンボルの方も同様です。『すべてのものは幾何学的に分解できる』と言う言葉をモチーフとして書きました。魔法陣は描いてある通り、『魔法陣の幾何的な分解』をするための魔法陣です。この魔法陣はどんな魔法陣を基本としているのか、どうして違うのか、どういう連関があるのかを一見して理解できるように分解させるためのものです。使用者は魔法陣に興味のある初心者で、利用する場面は勉強するところですね。以上です」

 俺が好きな魔法陣は、基本的に分解や物の数値化するものだった。ねじを鉄板だけだと使えることは少ないが、組み立てると扉になったり、ここに基盤を入れればパソコンにもなる。面白いと思っていたのだが、どうもみんなそうじゃないようだ。理解できないと言った顔でこちらを見ている。先生は納得したようだが、何故か渋い顔をしている。

 どういうことだ。無言の空間に耐え切れず、つい聞いてしまった。

「先生、何故合格にしたんですか?」

「コンセプトがしっかりしている。デザインもシンプルで良いもの。書きやすくて実用出来だわ。分解というアイデアも素晴らしいと思う。ただ、ただね……これ、はデザイン学科として評価すべきか、と言う点があるわ」

「駄目ですか」

「……複合的な要素の化学反応で現れる良さや心証を分解することで失われる部分があるわ。幾何的に分解するのは実用的な面では非常に合理的だと思いますが、やっぱりデザイナーとしてはそういったものを全部割り切るのは……勉強としてはいいと思うけど、ここでやるのは……ちょっと、うん、いいとおもう」

 いいのかよ。不満はあるが、言われていることは適切な講評だった。

 別にシンボル化しなくていいから、シンプルで見やすいデザインにして象形文字を使うことで崩す、と言ったイメージを持ちやすくする。何が起こるかが予測できるデザインで伝わりやすい。コンセプトについても多分伝わったからわかりやすいんだろう。つまり問題は倫理観だ。成程。なんとなく理解した。クラスメイトが針金に肉を付けるのが魔法陣の仕事だと思うなら、俺は逆に削って研ぎ澄ますことを自分の仕事だと思っている。誰でも使うことを考えているからだ。

 齟齬が大きいな。それが評価されたのかもしれないと思うが、確かにデザイナーとしては難しいところだろう。いますぐにでも実用化可能かされたら仕事している人たちから反感買うんだろうな。

 先生は悩んでいたが、すっと立ち上がった。

「君はもう少し魔法陣デザイナーの本を読んだ方がいいかも……それじゃあ拍手!」

 先生が拍手した。遅れて拍手してきた。ただ、表情は驚愕か訝しげなものだ。実力は示せたが、どうもなんか微妙な感じだ。

 ここは思想の問題だと思う。

 微妙に空虚な拍手が耳に残った。


 授業の後先生に呼ばれた。

 言われた通り職員室に向かうと、先生は俺の魔法陣を見つめていた。

「今日はお疲れ様。わざわざ来てくれてありがとう。話はすぐに終わるね」

「どうしたんですか」

「うん、ちょっとした質問なんだけど。若澄君は魔法陣を作る仕事に就きたい?」

 心を見透かされた気がした。

「そうですが。どうしてそう思いますか?」

「今日の魔法陣を見て、有用的だけど自分の個性がないね」

「駄目ですか」

「いいと思うよ。需要はある。ただ、道具であってそこから新しいものを作りだす気概が見られないのはプロを目指すなら重大な欠陥だと思う」

 欠陥。

随分厳しいことを言われた。確かに他の人たちと比べて欲求は弱いと自覚していた。それを見抜かれて、端的に言い表したのだろう。

 言葉の通り俺が魔法陣を作るのは従姉さんの夢を叶える手段の一つでしかない。もし仮に従姉さんがどうしようもない理由で作れなくなれば、俺は捨てることができる。

 他の手段が見つかればそれでもいい。

 欠陥を自分の中で処理するなら、やはりそのままでいいと思った。自分と他人は違う。背負わせた迷惑も違う。気づくと胸の痛みは無くなっていた。

 天願先生はこちらを目だけで見て、プリントを封筒に仕舞った。

「まあ別にプロにならなくてもいいと思うんだけどね。専門じゃなくても十分応用できる分野はあるわ。ただ一度くらいは自分と向き合った方がいいんじゃない?時間は有限よ」

「ありがとうございます。考えてみます」

「それとあなたのお姉さんのことだけど」

 固まった。やはり見透かされたか?そう思ったが、先生は世間話する口調で話し始めた。

「凄いいい人ね。仕事もできるし、もったいないわ」

「そうでしょう」

 口をつぐむ。つい即答してしまった。そんな俺に先生はニヤッと笑う。

「自慢の姉ね。試しにいくつか仕事を頼んでみたけど、今後はもう少し手広くなるかも」

「ありがとうございます。従姉さんも喜んでいると思います」

 転がり込んだきっかけだが、十分活用できているのは実力のためだ。

 ふふんと満足げに笑う。しかし、何故かどこか不安があった。

 それから少し雑談をして、ホームルームの時間のため話を切り上げて俺は職員室から出て行った。


 ホームルームの後、神村さんが話しかけてきた。

「お疲れ様。凄い魔法陣を考えたね」

「凄い、のか?」

「少なくとも誰ともかぶってないと思うよ」

 グサッときた。特に先程の先生の一言が響いてさらにきつい。

「ありがとう。あ、神村さんに見せる約束守れなくてすみません」

「いいよ。急いでたようだし、先生に見せたって聞いたよ。先生に聞けたなら私に聞かなくても十分」

「そんなことない。神村さんの魔法陣も凄かったし」

「来週は普通のものを持ってくるだろうから、今日は試しにやってみたの」

 紙は回収されてしまった。次回の課題の紙を渡されて授業は終わった。次回の課題は、『自分の興味ある分野に共通する魔法陣のコンセプトを調べてきて共通項をまとめる。発表時間は一分半』という大人しいものだった。おそらくプレゼン能力を鍛えるのと、製造過程に慣れるためのものだ。

「ねえ、若澄君は何を考えてあれを描いたの?」

「いつもやっていることを自動化したいと思ってました」

「……なるほど。私もやっているけど、分解してそのままっていうのは初めて。そこに価値を見出したことはあまりなかった」

「デザイナーの立場としては微妙と言われましたが……浮いてましたね」

「これから身に着けていけばいいんじゃないかしら。そもそも周囲の環境によって精神や興味のあることも変わるから、必要なのはこれから学んでいく姿勢だと思います」

「そういってもらえるとありがたいです」

 これは本音だ。神村さんは父が有名なデザイナーだからそういった精神を一番学べるところに居る。デザイナーとは程遠い田舎で暮らしてきた俺とは全然違う。足りないのは技術と精神的な面だ。

 ふと頭に疑問が浮かんだ。それを学んで、俺はどうしたいんだ?俺は魔法陣デザイナーになるのか?

 だが答えはすぐに出た。従姉の夢の手伝いをしたい。そのために必要なら精神を身に着けるべきだ。

「ありがとうございます」

 軽く頭を下げる。神村さんは大げさだと恥ずかしさを紛らわすように手を振った。

「そろそろ部活に行く時間だ。今日はお疲れ様、明日あさっては休みだからゆっくりしてね」

 そう言って軽快な足取りで立ち去った。あの姿だけだと普通の高校生に見える。

 俺はふうと息を吐いて、いつも通りの喧騒を取り戻した教室を見渡す。そろそろ人が少なくなり始めていた。ここ連日のことや新しいデザインで疲れていた。

「帰るか……」

「一緒に帰っていいか」

 立ち上がると、隣の紬から話しかけられた。紬は先生に意見を言われた後、暫く紙をじっと見ていた。挙手すらしなかった。そのあたりは自由だから俺は何も言えないが。あれだけ言われたら思うところがあるのは当然だと俺は納得していた。

 そんな紬から声を掛けられるとは思ってなかった。誰かに話を聞いてほしいのかもしれない。

「いいよ。バスで帰るけど紬も同行する?」

「……俺もそれで帰る」

 いつもより返答が遅い。調子がわかりやすい。紬は見た目通り繊細な性格をしているのかもしれない。

                *

 紬と来週からの授業対策について話し合っていると、前から先生がやってきた。先日霧島を追っていた工藤という先生だ。今日はジャージを着ている。

「若澄、ちょっと待て」

 言われた通り立ち止まると、先生が息を切らして止まった。

「今日、霧島を見なかったか」

「朝は一緒に登校しました。それ以降は知りません」

「そうか」

 先生は渋い顔をした。

「霧島が何かやりました」

「何もしてないから今こうなっている。もし次に会ったら伝えてくれ。『次補習から逃げたら退学』だと」

 二人して愕然とした。なんで霧島は逃げてるんだ。

 疑問の主は今ここに居なかった。

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