女神の審判

白い壁の廊下に病院の待合室のようなロビー。緑のクッションと木星の手すりでできたベンチに天願先生と並列に座っていた。

 あくび。

 そんな俺を見て訝しげな天願先生。

やば、と取り繕うとするが無視して提出した用紙を見た。

「これ、徹夜で描いた?」

「いえ。ちゃんと寝ました」

 四時から八時だけど。とは隠す。

 結局霧島が起きて来る四時まで色々していた。

 パソコンに取り込んで細かいところの調整をして3Dの生徒手帳を作ってどんな風に見えるか考えていた。

 それから寝て、起こしに来た霧島と一緒にバスに乗って登校。珍しく舞木さんは居なかった。どうしたのか連絡すると、部活で早めに登校していたらしい。遅刻してなくてよかった。申し訳ないが、朝同席しなくてよかった。まだ泣きそうになる。

 それから授業を受けて放課後、実験棟で特許申請に向かう。ほとんど安全のチェックだから簡単に済むだろうと向かったら天願先生と待合室で遭遇した。

どうも明日からの授業の準備で来ていたらしい。それで偶然実験立ち寄ったところで俺と遭遇。同伴者が必要だということで天願先生が同伴者となった。

初めは受付の人に苦言を呈されていた。そんな受付の人に先生はちゃんと同伴者の資格を持って居ること、魔法の安全性から渋々了承を得た。そうして俺の魔法陣を監修することになった。

 中に入り、広い青い床マットの上に緊急用結界の丸い円が描かれ、俺はその中に入る。同伴者は魔術結界の外に座って観察することになるのがふつうだ。

俺の魔法陣はこんな仰々しい設備は必要なかった。

 天願先生は結界の外に置かれた鉄パイプの椅子に背筋を伸ばして座り、申請用書類を眺めている。俺は自分用の印刷用紙を眺める。

「さて」

 天願先生は紙から顔を上げ、此方を向いた。俺も紙を下げて向き直る。

「はい」

「描かれていることは丁寧でわかりやすいわ。では、説明をお願いします」

「……それは、顧客へのプレゼンテーションっていうことですか」

「ええ。後で依頼者の方にするのでしょう?」

「顧客、しってるんですか」

「以前あなたの魔法陣を見たけど、あなたは自分のために描くことなんてめったにないじゃない」

 確かに。自分用の魔法陣は大体書き終えてしまった。今のところあまり必要ない。

「だから、その人に向って説明していると思ってプレゼンおねがい」

「しっかりした準備してませんよ」

「自分の伝えたいことをちゃんと順序だててやればそれなりになるわ。ちょっとした練習だと思って。将来プロとしてやっていくなら必要になるスキルよ」

「……わかりました」

 将来プロになるかはわからないが、丁寧に説明できて悪いことはない。

 俺は紙を持ち上げた。

「今回の魔法陣のコンセプトは、『生徒手帳を落とさない、忘れないための魔法』です。本人にヒアリングをした結果、俺は問題点を『習慣外のことに気をとられること』にあると判断しました。そちらの方に頭が行ってしまって、他のことが目に着かない状態になってます。ですから俺は、習慣外のことがあっても同じ行動が無意識にできるようにするにはどうすればいいのか関上げました」

「はい質問。細かいところは」

「顧客の個人情報に関係します。すみません、伏せさせてください」

「……そうね、それは不躾だったわ。わからなくても話題は通じる。続けてください」

 すまなさそうに天願さんは言った。プロのために全てを犠牲にしろとか言い出す人じゃなくてよかった。

 言われた通り話を続けた。

「必ず一定の場所に入れておくことを面倒だと思わない、褒賞の貰える仕組みにしたいと思いました。ですから、これに手を付けると」

 パンダがボタンに手を伸ばす図。そこに手を伸ばすと、カチッと音がする。

「これは魔法陣が全面隠れれば音がする仕組みになっています。ですから鞄のポケットに入れればカチッと小気味いい音がします。それで視覚だけでなく聴覚だけで確認することもできます。これで二重チェックすることができ、ちゃんと入ったとわかります。これが今回の解決方法です。シンボルのデザインは依頼者の方が好きなパンダがポケットに入れるシーンを描くことで、魔法発動にどんな行動が必要かを図示しています。今回の魔法陣の説明は以上です。ご清聴ありがとうございました」

 頭を下げる。上げると、天願先生は首をひねった。

「質問があれば、お願いします」

「質問、かあ……」

 天願先生はじっと紙を見つめる。その間段々口の中が乾燥していく。安直だったか?でも他に描こうとすればアイデアがかぶってしまう。

 先生は暫く紙を上から下まで眺め、「うん」と話す内容をまとめた。

「なんというか、確かに入れるのを楽しくするっていうのはいいと思うけど……チェックも耳でやれるのもいいと思うけど……うん、これ、楽しい?」

「俺は楽しいと思いました」

「あなたの意見は聞いてないわ」

「ぐっ」

 よくあるデザインの酷評を言われた。『芸術は周りの考えでなくあなたの考えを聞いている。デザインはあなたの考えではなく周りの考えを聞いている』というものだ。そもそもデザインの語源は計画したものを記号的に整理したものらしいから、似ているようで全然違う。

反感はあるが、確かに言われた通りだ。カチッとした心地よい音がするのはゲームソフトなどのものを見るにはいいと思うが、ポケットに入れるのはどうなんだろう。

「触れなければ音はしないと思うけど、急いでる時に誤作動はするんじゃない?」

「うっ」

「それ以前に、全部忘れてたら入れないと思うよ」

 もう何も言えなかった。

言われることは全て当てはまっている。何故気づかなかったのかわからない大きな失敗を指摘していた。単純にデザインすることに胆泥して、客観視することを忘れていた。

俺は項垂れて先生の紙を回収しようとした。しかし先生は軽く引いてかわす。

「どうしたの?」

「持ち帰って考え直すんです」

 先生は時計を見た。

「確かに明日実技があるから早く帰った方がいいと思うわ。シンボルはいいのよ。だから後は中身を変えるだけでしょう。そんなのここでできるわ」

「それって考え直すんじゃ」

「一言変えればそれで十分よ」

 一言?もう一度元の魔法陣を見る。

「別に、そこまでこったものじゃなくていいの」

 言われた通り見直す。

 忘れ物をする時をシミュレーションする。朝起きて、今日は始業式。始業式のことを考えて動く。始業式だから集合場所は違う、間違えないようにしないと。そう思いながら準備する。朝食に行って、帰ってきて机の上に生徒手帳を無意識に置く。それからバスの時間を確認してそろそろ行かないと思う。

「……あ」

 そうか、無意識か。無意識じゃだめだ。いつもの習慣的なことだから生徒手帳が必要なことが無意識の行動になっている。ここでいつものことに生徒手帳が必要だと気づかせなければならない。

 今日は何をする?まずバスに乗る。そのために生徒手帳が必要。

 思い出させるのはバスに生徒手帳をかざすイメージだ。

 それだけでなく制服のポケットではなく鞄のポケットに入れるイメージ。

 必要なのは鞄とバスのタッチパネルのイメージ。

 それを生徒手帳ではない場所に貼る。どこに?

「鍵だ」

 鍵なら忘れない。そして必ず触れる。

 魔法陣を音でなくイメージと書き直す。

「写真を入れます」

「がんばって」

 バスのイメージ画像と鞄の画像を取り込む。それに触れると、タッチパネルと鞄の外ポケットが頭に浮かぶ。

「大きさは直径1センチに変えます。それで、動画を思い出すことにさせます」

「うん。ならいいと思う」

 手早く書き換えて、申請用紙も書き直す。

「簡単なものだとすぐに書き直せていいわ、やっぱりこういうのがあった方がいいわ」

 手を止めて横の人を見た。

「どうしたの?」

「……あの、俺が受賞したのって個性が強かったためですか」

「半分はそう。後は、あの魔法陣を見たときにみんなが使ってる映像が思い浮かんだから」

「……今までのはなかったんですか」

「あるのもあったけど、そっちは結構単純と言うか、どこかで見たことあるデザインばっかりだったから。あなたはなじみはあるけど真新しさがあった。けど、実力はすこし足りないわ」

「それで学園に呼んだのですか」

「それだけじゃなくて受賞の後の人間関係、精神の作り方、人との向き合い方を教得る必要があるの」

「それはとても大事です。法律学の授業があるのは著作権のためだと思ってましたが、そういう一面もあるんですね」

「自己プロデュースが昔よりも求められる時代だからね。体感的な競争は猛烈になってるでしょう」

「SNS使わなきゃいけないんですか」

 単純にやりたくなかった。そもそも家のごたごたが大きすぎて、私事に気づかれるようなものは欲しくなかった。

 先生はさらっと答えた。

「別にいいんじゃない?運営会社も最近あるから下手にやるよりかはそっちの方がいいと思うよ。そもそも私はやってないから言えないわ」

「それなら良かったです」

 肩を下ろす。先生は世界でも有名なデザイナーというところはあるが、やってないのは事実だ。自信のホームページを作って、ポートフォリオを掲示してあるだけで仕事ができるならそちらの方が向いている。

 俺は描き直してからパソコンでフォントを選んで修正。これで終わった。そしてちゃんと作動するか確認して、それを同伴者に確認させる。見えたと呟いてハンコを押したのでよかった。安堵のため息をついて、渡された紙を受け取る。

「ありがとうございます」

「私は木曜日の午後から金曜日までは居るから、もし何かあったら呼んでね。熱心な生徒は好ましいわ」

「熱心ですか」

「ええ。少なくとも四月に入ってから新しい魔法陣を持ってきたのは神村さんとあなただけだわ。それだけじゃなくて、忙しい中人のために描くなんてできることじゃない。実技、頑張ってね」

 ウインクを返された。

こんなに褒められたのは初めてだった。少なくとも提出したことをほめてくれたのはとても嬉しかった。

「ありがとうございます」

 頭を下げた。

 そうして家に帰ったあと、姉さんと話してからまた勉強して、真夜中になるまでまた魔法陣を描いた。


 次の日、朝。バス停の前で魔法陣デザインの教科書を読みつつ霧島とバスを待っていた。霧島はどこで手に入れたかわからない『部活紹介』と表紙に書かれたパンフレットを開いている。

「今日は部活の新入生説明会らしい。そういえばお前って部活入る?」

「まだ余裕がない」

「だよな。舞木さんは壁画の展示のために出席する予定らしいよ」

「なんで知ってんの?俺だけはぶられた?」

「普通に部活紹介パンプレットに載ってただけだって!睨むなよ!」

 焦ったようにあたふたしている。それはそれとして、俺はスマホの画面を見た。あと五分でバスが来る。

 遅刻しないだろうか。今のところ、舞木さんの姿はない。昨日のうちに小さなシールとして渡しておいた。本人はとても喜んでいたが、効力がなければ意味ない。

 来るだろうか。胃がキリキリし始めた。

「来なかったら次に生かせばいいんじゃないか」

 冷静になった霧島が心配そうな目でこちらを見ている。言っていることはもっともだが、しょっぱなにくじいたらもう立ち直れない気がする。

「相手の期待を裏切りたくない……受賞者という肩書もある……」

「それでも失敗する時は失敗する。誤れば舞木さんもきっと許してくれるよ」

「……そうだな」

 落ち着いて前を向く。落ち込みすぎても舞木さんが気を遣うだけだ。

早く来てくれ……。胸中で願っていると、明るい「おはよう」の声が聞こえてきた。寮の門からやってきた。ゆっくりとした歩調だ急いできたわけでもなさそうだ。舞木さんは俺たちの後ろに並んだ。

「おはよう。どうだった?」

「出る前に忘れかけたけど、若澄君の魔法で思い出したよ!」

 そういって舞木さんは鞄の外ポケットから取り出す。ちゃんと忘れずに持ってきていた。

 ほっとして脱力しそうになる。校門に向ってからも気が抜けない。それどころか、今日は特に意識しているだけで他の日になったら忘れるかもしれない。不安はあったが、まずはうまく行ったという達成感で脱力しそうになる。

 疲労感を見せないように笑顔を作る。

「それは良かった。少しでも力になれたならありがたい」

「若澄君のおかげだよ。きっとこれからも忘れない」

「もし面倒だとか、ちょっと邪魔だとか思うようになったらすぐ言ってくれ。眼鏡の調整

みたいなこともできるから。それに今度は忘れるかもしれない」

「忘れないよ。だって、一生懸命考えてくれたものだから」

 また目元が熱くなる。

 情緒不安定になりそうなところをバスがやってきたことで切り替えた。

 ちゃんと生徒手帳を落とさずに入校できた舞木さんを見て安心した。それから二人と別れて教室に入る。中には昨日よりも大人数の生徒がいた。教科書やノートを見ている。

 他の生徒は今日の講評がどうなるか緊張しているらしい。いつも通りなのは、神村さんくらいだ。

 紬はまたギリギリに入ってきた。手にはタイポグラフィの図鑑を持っている。

「おはよう」

「……おはよう。悪い、本を読みたい」

「わかった」

「すまない」

 そう言って着席。紬は本の世界に戻っていった。集中力が高いのは凄い。ただ、何度も同じページを見ている。普段とは違う様子だ。

 去年のカリキュラムを鑑みるとプロに見て貰うのはクラスメートの大半は初めてのはずだ。賞で講評を貰った人もいるかもしれないが、直接感想を述べられるのはまた違った緊張があるだろう。

 運良く昨日天願先生に見て貰ったからそこまで緊張していない。だが、緩みすぎてもいけない。舞木さんに感謝してもらったこと胸に、次のステップに行かなければ神村さんに勝てない。

「おはよう若澄君」

 隣には神村さんが現われた。どこか嬉しそうな明るさがあった。

「由飛のことありがとう。凄い喜んでた、今日は遅刻しなかったって連絡来てたよ」

「そんなに。なんか恥ずかしいですね」

「自分が必死に考えたことが受け入れられたんだから、もっと喜んで」

 神村さんは笑っている。そうか、やっぱり気にしてたんだと俺は安堵しようとして、笑顔がどこかぎこちないことに気づいた。

「もしかして、デザインに気にかかるところはありました?」

「ううん違う。誰かのためにすぐに描けるなんて、誰にでもできるわけじゃない。それはあなたの長所だよ」

 素直に褒められた。友人の助けになったことで、すごく喜んでいる。

 舞木さんの生活を少し変えることができた。顔が熱くなる感覚がする。そんな俺を見て神村さんは笑った。

「十分実力があるんだから、今日の実技頑張りましょ」

 そう言って肩を叩いて戻って行った。

 言っていることと言葉の雰囲気がちぐはぐだ。言う通り、彼女は嫉妬しているんだろう。

神村さんの魔法陣は優美さとその実用性にある。実用性と言っても俺のようなクリップのような単純な実用性ではなく、スマホアプリのような実用性である。

クリップは製造工程は複雑だと思うが、作ろうと思えば針金を切ってあの形にすればできる。勿論手作りとなればあらは出る。ただ、技量が無くても作ることはできる。俺はこれだ。一方、神村さんの方は確かに同じ魔法陣だが、それは単純に見えるようにコーティングされたものだ。コードを表示すれば、何百行ものプログラムが組まれているとわかる。

それと同じく、神村さんの場合は必ず成功する魔法を精密に描くのが彼女の得意なものだ。すぐに製品化してもおかしくない高度な技術が使われている。それだけでなく、アイデアも十分でシンボルも顧客に合ったデザインになっている。

 そんな相手に嫉妬されるなんて思ってなかった。俺の方はただ別世界の住人だと思っていたから、嫉妬があまり湧き起らない。今でも夢の中にいる心地だ。

 これはいけないな。流石にコンペで競う相手に競争心が湧かないのは駄目だ。少なくとも今日の実技では何かを残さなければならない。

 しっかりしなければ、姉の夢が掛っているのだから。

 軽く頬を叩き、俺はノートに向き直った。

 隣の紬がこちらを複雑な目で見ていた。

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