初めての作成(学園にて)

 空は曇りで、湿った雰囲気の朝。ぼんやりした眠気を頭の上の方においたまま、バス停へ霧島と共に向かう。

 昨日懇親会をサボってしまったが、とりあえず学科外の友人ができた。以前の学校でも浮いていたせいか、寝て起きたら『うまく人間関係をこなせるか』という緊張感は消えていた。

霧島はあまり気乗りしなさそうに辺りを見回しながら歩いていた。

「……朝呼ばれて登校とか、これが女の子の幼馴染だったらラブコメ始まってた」

「男子寮に来ないだろ」

 フヒヒ。霧島は曇り空に良く似合った薄暗い笑みを浮かべた。

さすがに初回授業を休むのはいけないだろうと思いでサボりそうな霧島を引きずってきた。それからずっとこの調子だ。本人の意思に任せるべきだったか。

バス停に着いた。停留所の付近には人が居なかった。今日は舞木さん居ないのか。

目の前には飛空機やコンテナを運ぶ運搬機がせわしなく空を飛んでいる。出勤通学時間のよくある光景だ。あの中に舞木さんが居るかもしれない。

霧島は寂しい光景に安心していた。

「よし、誰も居ない」

「誰かいた方が安心しないか?」

「できるだけ存在を消したいんだ……今度からバスにするか。だれも使わないし」

「なんてネガティブな……」

 内心引く。無理やり連れて来させるのは止めといたほうが良かったかもしれない。

内省しているとすぐにバスが来た。それとほぼ同時に、門から舞木さんが現われた。

「お、おはよう~!」

 手を振って走ってくる。バスが止まって扉が開くとバス停の前に着き、やっと足を止めた。霧島は固まっていた。霧島を押しつつ中に進む。

「おはよう、ぎりぎりだったね」

「せ、生徒手帳忘れちゃって」

 バスの最奥の列に霧島を押し込む。俺は隣に座り、舞木さんは前の席に座った。着席してすぐにバスが発進する。

「今日は落とさないようにって思ってたんだけど、今度は机の上に忘れちゃって……」

「ああよくある」

 はあー、と舞木さんは大きくため息をついた。

「上手くいかないね。忘れっぽくて、何とか治したいんだけど、難しい」

 昨日の明るい調子とは違った落ち込みようだった。おそらく、いつも忘れ物で困ってるようだ。

 どれだけ重い問題かはわからない。だが、どうしようもないことがあるというのは良く知っていた。そして、俺はどうやって解決してきたかを思い出した。

「忘れないための魔法、作ろうか」

 霧島がやばいものを見る目でこちらを見ていた。

 舞木さんは驚いていた。思ってもみなかった言葉らしい。

「いいの?その、もしかしたら努力不足かもしれないよ」

「……いや、もし、必要なかったらいいんだ。ただ、困っているなら話を聞いて、忘れ物をなくすためのヒントを見つけられるかもしれない。それに」

 一つ置いて。

「描きたいんだ」

 はっきりと言った。

「ありがとう……ところで、横の人は?」

「部屋の隣人」

「あ……どうも……」

 霧島は何を言ったらいいかわからない顔をしていた。

「女の子が苦手?」小声で尋ねる。

「人が苦手」小声で返した。

 それはどうしようもない。俺は難とか間を取り持ちつつ、ぎこちない会話が過ぎていった。舞木さんは霧島のぎこちなさを気にせず、明るく話題を振ったりしていた。いい人だ。

             *

 夕食の後に話を聞くと約束して、二人とは別れた。

 霧島は初めから終わりまで断片的な言葉しか話せてなかった。人見知りと言うよりも友人の友人と初対面で何を話したらいいのかわからない様子だった。

よく考えて見たらこちらも会って二日目に申し出るのは時期尚早だったかもしれない。舞木さんがいい人だったから良かったものの、次は冷静になるべきだ。

 教室に入り、自分の席に着く。五分前だから当然だが、席は殆ど埋まっていた。昨日の懇親会の話題だったり、教科書を見ている人が居たりと様々だ。

 やっぱり緊張するな。俺はろくに挨拶もできずに、静かに自分の席に着いた。

 視線はあまり感じない。俺への興味が薄れたのかもしれない。正直ありがたかった。

 横を見て、隣の席の人はイヤホンを外していた。眼鏡をかけてじっと教科書を見ている。

 話しかけていいんだろうか。時間がない。意を決して話しかけた。

「お、おはよう」

 ゆっくりこちらを向いた。無表情のままだ。感情が分からない。

「……おはよう」

「その、名前、聞いてなかった」

 口の中が乾く。初対面の人ってどうやって打ち解けてたのか一瞬で記憶を探るもののろくにない。

 ただ嫌がってないのか相手は普通に話してくれた。

「紬詠」

「そうか。俺は若澄涼。よろしく」

「よろしく」

 無言。適当な話題でお茶を濁すべきか……?いや、遠回しは駄目だ。

「俺、今年入ったばかりで専門授業わからなくて、去年の授業ってどうだった」

「Bクラスだったからわからない」

 やっちまった。吐きそう。

 頭を回して別の質問にする。

「この学校のことを知りたいんだ」

「Aクラの授業が知りたいの?」

 現れたのは神村だ。困ったような顔をしている。ぎょっとしたのは俺だけでなく紬もだ。

「昨日はごめんなさい。怒ったようなこと言ってしまった。懇親会出づらかったでしょ」

「あ、いや、昨日は疲れてたから家で休んでました。だから気にしないでください」

 手を振って気にしてないことを伝える。というか、周囲の視線が痛い。

「何か返したいけど、Aクラスの去年のノートでいい?」

「はい。それでお願いします。そろそろ授業でなのですみません!」

 焦っていると、鐘が鳴って、先生が入ってきた。神村さんは早足で元の席に戻った。

 紬は何も言わず、一部始終を見ていた。

                 *

 昨日の予習をしたおかげで、今日の授業はすんなり理解できた。霧島様々だ。

 昼食は何故か紬に誘われた。一人ふらついていた霧島を捕まえて、食堂の窓際の席で食べることとなった。下では青々しい芝の上で弁当や買ったパンなどを食べる人々が見えた。

「神村とはどんな関係なんだ」

 一言目がこれだった。右隣りの霧島がラーメンをすするのを止めた。

「神村さんは……昨日初対面で問い詰められただけだ」

「そうか」

 紬はおにぎり三個とみそ汁という質素な食事だ。腹膨れるんだろうか。

「普通に話せていたから、何度も面識があると思っていた」

「好きなのか」

「感情以上に、恐れ多い」

 二つ目のおにぎりに手を付ける。

「その、あのクラスにおいて神村ってどういう立場なんだ」

「神村は一目置かれているな。前年度から中心の役割を果たしているようだ」

「凄いな」

「嫉妬されることもしばしばあるが、立ち回りが上手く、人望がある」

「まさに良くできた人だ」

 そんな人望のあるやつが昨日問い詰めてきたとは思えない。となると。

「もしかして、神村ってオオモリのコンペに」

「三次落ち」

「……ああ、やっぱりか」

「天願先生に憧れていたからな。オオモリに落ちて、一晩中泣いたらしい」

「……本当に?」

「俺は見てないが、女子寮の連中がしばしば話していた」

 目を細める。ああやり辛い。正直ほとんど何も考えずに送ったから、そういう強い感情を向けられると非常に済まない気持ちになる。

 そこまで考えてさらに嫌なことが思い当たった。

「……もしかして、天願先生にスカウトされたってことも知っている?」

「知らないわけがないだろう」

 頭を抱える。憧れの人にスカウトされて転入、一番やりたがったのはきっと神村さんだ。その本人が目の前にあらわれたら、昨日のように心が動揺するのは当然だ。

「天願先生にスカウトされたからどんな人間かと思っていたが、結構普通だな」

「賞をもらうまで、何の変哲もない人生だったから」

 辺りを見る。普通の人間も居るが。たまに雰囲気の違う人間がいる。あんな奴を期待てたのかもしれない。見ているとたまにあの俺の作った魔法陣を使ってノートを写している奴がいる。一人じゃなく何人も居た。

「どうした」

「俺の魔法陣みんな結構使ってんだな」

「テスト期間はみんな使っていた。去年はあんな光景は無かった」

 紬は遠い目をしていた。その時の感情を思い返しているようだ。

「あれを書いたとき、何を考えてた?」

「何って……ただ、どうしたら楽できるか」

「楽?」

「そうだよ。そもそも、大雑把な奴のために描いてたんだ。そんでできるだけ大雑把な手書きで十分発動する形を考えて、どれだけ『面倒』って思わせないことを一番に考えた」

 写すのが面倒だからどうにかしてほしい。と言うのが依頼だった。流石にこれだけじゃわからないため、何度も聞いて掘り下げていって、『授業の写真をノートに転写する魔法を考えて欲しい』というところに落ち着いた。

期間の指定も大雑把で締め切りも二か月ととんでもない長期間依頼だったが、おかげで他の依頼と並行してできたし、何度もデザインを見直せた。思い返すと、それ以降の依頼の受け方の参考になった依頼だ。

 俺の説明に紬は驚いた顔をしていた。

「それだけ?」

「ああ。別に特別なものじゃない。だから今朝も依頼を……させた、よな」

 霧島の方を向く。霧島はラーメンを飲み込んで答えた。

「まあ、うん……そうだな……」

「依頼?まだ来たばかりで勇気あるな」

「前の学校だと毎日描いてたから、調子を取り戻したいんだ」

「……不安はないのか」

「ある。失敗したこともある」

 今更思い出した。普通にあった。好きなアイドルに送るためのデザインを考えて欲しいと言われたが、アイドルのリサーチ不足で立ち消えたもの。鞄の中身を必ず整理できる魔法を考えてくれと言われて、俺の魔力ではどうしても十分じゃないこと。後は依頼者とのすり合わせが上手くいかなかったり、そもそも既存の魔法とアイディアを比べて『ごめんこっちのほうがいい』と言われて消えたこと。などなど、思い出すだけで頭が痛い。

 ただ依頼自体は嫌じゃない。

「それでも描くなら、使う人が居た方がいい。反応があるから、何が悪いかわかる」

「俺なら折れそう」

 霧島がうんざりした顔でつぶやいた。確かに辛辣な意見を聞くと非常につらいが、報酬に見合うだけのものを作るためにも意見は聞きたい。特にこちらの学園に通うというならそれなりのものを出すしかない。

 紬は何かを考えるように、じっと味噌汁を見つめていた。やっぱり、デザインに一考持つ人間は考えることがあるんだろうか。紬はデザインにどんな哲学を持っているんだろうか。

 今日話しかけた人間に聞く勇気はなかった。自分のことも下手に話しそうだ。そう思い、俺は冷えた鯖に手を付けた。

                      *

 昼食が終わり教室に戻ると神村にノートを渡された。どうやら今日は復習会のようなものをするつもりだったらしい。礼を言ってすぐにノートを写した。それだけでなく紬にも過去のノートの写真を見せてもらった。

 紬のノートを見て驚いた。ものすごく文字が綺麗だった。正直売り物になっててもおかしくない。英字新聞の模様のように、シャーペンの柄の模様だったら買っている。

 数十秒感嘆して眺める程度に、均整な、繊細な文字がすべてのページに並ぶ。話しかけてよかった。新しい魔法陣図鑑を見た時のような満足感と高揚感に浸った。

 それから、紬とはなんか話すようになり、四限の体育も組むようになった。

 体育ではスポーツマンの連中が活躍するのを遠目で見ていた。目立つのはサッカー部のモデルの香山、バスケ部の大嶋だ。

「香山はサッカー部のロゴとユニフォームを自分でデザインしたらしい。大嶋はラップの方も趣味らしい、去年の学園祭のステージだと自分で演出したステージで沸いていた」

「そうなんだ。やっぱりサンセリフ体が好きなんかな」

「……そっちか」

「スポーツのロゴって猛々しくて好きなんだ。野球とバスケのチームって、珍しい重い色彩を使うところが多いから見ていて面白い」

「ユニフォームに使う印刷技術も変わってきたからな。わかりやすい色彩は……」

 デザインについてあれこれ話しつつ体育を終えた。前の学校ではこういった会話は無かったから楽しい。

 今日が終わることには打ち解けたかはわからないが、紬とは普通に話せるようになっていた。

 帰り際、夕飯の方はどうするかと聞いたら、少し考えこんだ様子だった。

「若澄は霧島についてどれだけ知っている?」

「霧島?なんか頭いいやつだよな」

 眉をひそめた。なにか言い辛そうな様子だ。

「……そうか」

「霧島って有名なのか?」

「有名というか……とりあえず、魔法科のやつと、あと、神村さんの前で名前を出さない方がいい」

「どうして」

「霧島は、多分自分持っているものの価値を理解していない」

 どういうことだろうか。何をやったのかは気になるが。

「前科持ちってわけでもないか」

「犯罪じゃない」

「なら、今はいいや」

 朝の嫌がる様子を思い出した。おそらく何も知らない転入生だから気を許している面もあるだろう。知ったところで今どうしようもない。それ以前に俺が非難できる立場じゃない。

 紬は眼鏡を上げた。

「……今日は一人で食べたい」

「そうか、じゃあまた今度、タイミングあったら食べよう。これから部活?」

「図書館。資料を探しに」

「勉強熱心だな。いい本あったら教えてくれ」

「ああ。じゃあ」

「またな」

 そう言って俺は別れた。俺の方は部屋に戻って霧島と夕食、時間まで勉強だ。

                    *

 十九時、暗い夜道を歩き、小さなコンビニほどの大きさの売店の中に入る。

女子寮と男子寮の間にある売店の窓際には机とベンチの置かれたちょっとした休憩所がある。舞木さんは制服姿でそこに居た。神村さんも。

「へ?」

「こっち~」

 手を振る舞木さん。こっちを向いて頭を下げる神村さん。なんでここに?

 四人掛けの机の対面に座る。俺はジャージで来てしまったせいで少し浮いている。

「今日は来てくれてありがとう。そっちの神村さんは」

「同じ部活の友達で、今日魔法陣のことを話したら来てくれたんだ」

「由飛のことが心配で来ました」

 はっきり言った。確かに、舞木さんは気のいいひとだから危険な誘いに乗ったと勘違いされても仕方ないかもしれない。それにしても神村さん同伴か。

 神村さんは舞木さんに説明する。

「何を言うか整理してきた?」

「うん。創ちゃんが言ったみたいに、ええと、ヒアリングの準備はしてきたよ」

 話が早い。

 そう言ってポケットからスマホを取り出した。ちゃんと話は通ってたのか。

 ヒアリングというのは相手の要望の傾聴だ。まず自分の要望を伝え、それをどういう場面で使うのか、どういったものがいいのか話してもらう。こちらはただ聞くだけでなく、疑問に思ったことや、相手の表情や口調で引っかかるところを掘り下げて本当の要望を見つけるのが目的だ。

 忘れ物、と言われたから休み時間に大雑把に忘れ物に関する話題を調べた。大雑把に解決法などを調べてあるがもしかしたら忘れ物とは別のところに問題があるのかもしれない。

 だからまずは相手のことを知る。それが魔法を作る一歩目だ。

 スマホを開いて、びっしり埋まったメモを開く。

 俺もノートを開いて、シャーペンの芯を出す。神村さんはそれを見ていた。

「過程を説明してくださりありがとうございます」

「いいって。まずは、由飛の話に着いて言ってからね」

「?はい」

 失礼なことを言っている。と思ったが、どこか鬼気迫った表情で舞木さんにも注意した。

「話が飛んだらすぐに突っ込むからね」

「お願い!」

 舞木さんは両手を合わせて祈るように頼んだ。

 普段の朝の会話だと話題が離れることが無かったと思うんだが。

 そう言ってコホンと話し始めた。

「ええとね、私は昔から忘れ物が多くて、小学校の頃かな、家に筆箱を忘れることが良く合って、その時に借りた香りのする消しゴムが凄いいい匂いで。みかんの匂いでね、知ってる?匂いのする消しゴム」

「ちょっと待って」

 神村さんが止めた。

「消しゴムの話はどこに行くの?」

「……街の文房具屋さんのところかな」

「ごめん、後で聞くから、今は忘れ物の話をしよ」

 神村さんの焦ったような表情は初めて見た。

 俺も一瞬頭が止まっていた。

「い、いつもと違うね」

「来たばっかりだから先輩風吹かせてたんだと思う」

「色々迷ってたから、ちゃんとしないとと思ってたんだ」

 えへへと笑う。とてもかわいらしいが、ここに神村さんが居なかったらどうなっていたのか。冷汗が伝う。俺には無理だったかもしれない。

 一方でわかりやすい性格をしていることも判明した。注意力散漫な様子が見える。これも『○注』とメモする。何を書いてあるかわかればいいんだ。というか、忘れないだろう。

「まず、メモに書いてあることを話そう?」

「うん!」

 そう言ってメモを持ち上げ、舞木さんの忘れ物遍歴を話し始めた。

              *

 何度かわき道に逸れかけるところを神村さんに引き戻されて、一部始終を話し終えた。

 ノートは見開き一杯埋まった。それを持ち上げる。

「まず、生徒手帳を忘れたくない、落としたくないのが一番大事なこと?」

「うん」

 大きく頷く。

 最近一番困る忘れ物は、生徒手帳を落とすこと、忘れることだ。

 制服のポケットにはハンカチや財布を入れるから、生徒手帳を入れると昨日のようにとしてしまうらしい。無意識に行ってしまう行為を直したいのが一番。次に、朝部屋に忘れてしまうことを止めたいということ。家に帰って、寮の食堂を利用するためには生徒手帳が必要だ。寮の様々な機能を使うためにも生徒手帳を出す。それで出した生徒手帳を制服や鞄に入れることを忘れて、机の上に置いたりどこかに置いてしまう癖がある。

 本人は必ず鞄の外ポケットに入れたいということらしい。

「どうして外ポケットに?」

「ちゃんと入るから。それと、朝バスから降りてすぐに校門に入るときにかざす必要があるから、できるだけ出し入れしやすい場所に入れたい」

「手に持ったままっていうのは」

「前バスの椅子の隙間に落としちゃって、遅刻しちゃった。だから落とさないところに入れたいんだ」

「なるほど」

 ノートに書き込む。思ってもみない失敗だった。確かに生徒手帳は薄い。案外縦に落としたら見つかりにくい。

「これは学校に来たばっかりだからわからないんだけど……生徒手帳ってどういうところで使う?」

「ええと、図書館と、食堂と、学食と、商店と、バスと、校門、後は事務に教室利用を申請する時かな」

「その中でも忘れやすいのはどれ?」

「うーん。忘れやすいのは、やっぱり朝出るときかな」

「落とすのも朝?」

「そう」

 セクハラにならないだろうか。不安になったが、思ったことを言う。

「朝ってばたばたしてる?」

「そういうときもあるね」

「ちゃんと早起きはしているわ」

 ちゃんと早起きをしているのに何で忘れるんだ。と思ったが、

「朝食を食べるときって制服じゃない?」

「うん。前味噌汁こぼして大変なことになっちゃった」

「それは大変だったな……」

 申し訳ないが簡単に想像できた。メモに書き込む。

「その時に別の場所において、出るときに忘れるって感じか」

「そう!なんで入れないんだろ」

 本人は首をひねる。神村が助言した。

「多分、入れにくいからだと思うよ。このかばんだよね」

「うん」

 机の上に置いた。エナメルのスクールバック。その外側のポケットは、狭い。口も平坦で一々広げる必要がある。

「もっと口の広がったものならすって入るけど、手元のポケットの方が入れやすい」

「そうなの!取り出しやすいけど、入れるのが難しい」

 うーんと悩む。確かに、これがもっと気軽に取り出しやすい設計なら、ストレスを感じずに入れるだろう。

一番は制服のポケットの中を整理するのが適当と思うが、それだと多分財布を忘れるという問題が起きるだろう。やっぱり忘れ物をさせないのが一番の問題解決だ。

「他に忘れ物で困ったことはある?」

「うーん、あんまりないかな」

 これは逆に驚いた。

「なんで?」

「ええとね、忘れ物するってわかっているから、いつも筆箱は鞄に入れたままで家に帰ったら別の筆記用具を使うの。ティッシュは鞄に入れたままで、ハンカチは扉の所に毎日の分を分けて居れて置くポケットをマグネットでつけてる。教科書とかは必ず前日に鞄に入れるし、鍵は出るときに入れたら出さないから、忘れるのはあんまりないかな」

「凄いな」

 これは感嘆した。確かに努力していた。確かに普段出し入れする生徒手帳は、場所も変わる。忘れたり落としたりしやすいんだろう。

 神村さんはさらに質問する。

「忘れるときってどんなとき?」

「ええと……多分、何かある日かな」

「行事とか?」

「そう。いつも通りじゃない日だから、今日は何しなきゃとか考えるかも」

「そのときって生徒手帳のことは忘れてる?」

「そうだね。しなきゃいけないことがあると、そっちのことばかり考えちゃうんだ。発表だった理何日も前から準備したりするときは、ほとんど毎日忘れかけるよ」

「成程」

 習慣から外れた行動をすると忘れる。考えなければならないことが沢山あるからだ。昨日落としたのは始業式で、一限ではない時間帯に講堂に直行する行動があったからだろう。今朝忘れたのは今日から新学期だからだ。

「夕食では着替えていく?」

「その日次第。でも忘れることはあんまりないかな」

「図書館に行くときは落とさない?」

「焦っていたり友達と話していると落としちゃったり置き忘れたりするかな」

「昼食はどう?」

「貴重品とか飲み物持ってったりするから、鞄を持っていって、その時は鞄の中に入れるって決めてるから忘れることはほとんどないかな」

「商店で出すときって」

「その時も買ったものと一緒に鞄の中に入れるからなかったかな」

「校門の中に入った後って忘れない?」

「さっき言ったみたいに行事があったら落としちゃうことがあるね」

「帰りのバスは?」

「友達と別れる前に大丈夫?って聞かれるからあんまりないかな。降りる前にちゃんと鞄の外にあるか確認する」

「他の時ってある?」

「うーん……あんまりないかな」

 となると、やっぱりネックはいつもと違う行動だ。朝は特に今日一日の日程になったり、まだ頭の回転が鈍い。いつも通りでないことへの不安やタスクの解決に頭が持ってかれて注意力散漫になる。

「何故机の上に置こうって思う?」

「……机、多分、見やすくてここなら忘れないんじゃないかって思うからだと思う」

 なるほど、確かに『置く』は『鞄の外ポケットを開く→入れる』よりも簡単で心的ハードルが低い。特に『見える』という安心感がある。

「もし鞄の外ポケット以外に入れるなら、どこにしたい?」

「……スマホ」

 手が止まる。

「そうだね。そもそも持ち歩かなきゃいいんだから」

「難しいだろうけど。忘れ物するからいつも鞄持ち歩いているんだけど、スマホと財布だけは絶対に忘れないようにしているし、忘れないから全部スマホに入れて欲しい」

「確かに」

 これ以上は無い。ただやっぱり偽造のしやすさを考えるとまだ物理的な形に置いておく必要がある。魔法を使うのが一番なじみがあるだろうが、ハッキングやれるからな。

「ありがとう。最後に聞きたいことがあるんだけど」

「うん」

「理想ってある?」

 きょとんとした。二人とも。

「理想?」

「こうなって欲しいとか、こうあって欲しいとか。できるだけ近づきたい」

「……理想」

 んーと、考えて。

「やっぱり、忘れ物しなくていい人になりたいなー」

 いつもより低い声だった。相当困っているんだろう。

 なんだかいつもとは違う顔を見た。幸せそうに見えて、苦労しているんだ。

                 *

 長い話し合いを終えて、俺たちは別れた。

「今日は話を聞いてくれてありがとう。忘れ物ってどうしてもしちゃうから、あんまり真剣に話せなかったけど、しっかり聞いてくれて凄い嬉しかった。もし書けなくても、聞いてくれただけで十分。ありがとね」

 そう言って、舞木さんは寮に戻って行った。

 神村さんは残ったまま目の前に座っている。どうしたんだろう。話しかけるか帰るか迷っていると、相手から切り出した。

「描くんだ」

「ああ。神村さんは描かない?」

「私の場合、どうしても金銭が発生するから。簡単には描けない」

 納得した。神村さんほどの立場なら、舞木さんだけに描くと他に角が立つ可能性がある。賞を取った人に無償で描いてもらえるというのは神村さんの技術への不敬だ。俺みたく単純なものを描くわけにもいかないだろう。

「それに得意なのは魔力を結構使うものになってしまって、普段使いには向いてないんだと思う。だからアドバイスをして何とか行動を変えて貰ってた」

 適当なことだと思う。流石に魔法を作るのは神村さんでは費用対効果が薄い。彼女の得意は俺のものとは違う。

「俺の魔法陣でいい方向に行けるよう、誠心誠意をもって描くしかない」

「……魔法で解決できると思う?」

「多分。俺の魔法は飛翔できないから、せめて松葉杖になるよう努力する」

「『芸術は飛翔、科学は松葉杖』……ジョルジュ・ブラックの言葉ね」

「良く知っていますね」

「美術史で学んだ。そうか、あなたの魔法は松葉杖ね」

「そうありたいです」

 遠い理想をできるだけ現実味のある言い方で肯定する。

 俺は魔力を使えない。だが、生活を変えるのはそんなに複雑なものじゃない。

 美は機能に追随する。

 だから、まだ、自分の描けるデザインはあるはずだ。例え魔力が無くてもこれくらいなら役立てるかもしれない。

 俺は神村さんに向き直り、頭を下げた。

「今日は同席有難うございました。もしいなかったら多分振り回されていたと思います」

「そんな大げさな」頭を上げると苦笑していた。「凄いいい子なんだけどね……会話が飛ぶのが玉に瑕。でも、ちゃんと言えば直してくれるから、もし何かあったらそれとなく言うと気づくよ」

「ありがとうございます」

 舞木さんが最後に見せた表情を思い出すと、明日の朝までに渡すのは難しいができるだけ早く渡したいと思った。

「帰ったらすぐやる?」

「はい。早く調べてコンセプトを固めたい」

「……筆が早いね」

「神村さんも沢山描いているでしょう?」

「依頼されて描くのはそんなにないから。描いてきた数なら多分あなたと同じ位かそれ以上ね」

「やっぱりすごいですね」

「それでも未熟。プロにはまだ遠いわ」

 神村さんはこちらを見据えた。真剣な話をするような姿勢で。

「若澄君は今後目標ってある?」

「俺は……学期末のコンペ優勝ですね」

「それだけ?」

 それだけなわけありますか。と言い返したかったが、こらえる。

 そもそもデザイン学科卒業生にプロの魔法陣デザイナーは多い。コンペで優勝すれば社会的にも箔が付く。特に神村さんをまず越えなければいけないと考えると、国内のトップと一位を争うようなものだ。『それだけ』とは思えない。

 だが本当のことを言うわけにもいかない。

「……とりあえずは、まあ」

「ふうん。もったいないね」

 神村さんは残念そうな顔で、踵を返した。

「それじゃあ。また明日、もし描けたら見せて?」

「ええ。その時は講評よろしくお願いします」

 お互いに軽く頭を下げた。

 神村さんはここを去った。なんだか会話を間違えた気がする。だが、いとこのために優勝するとは言い辛い。姉さんの過去の事故のことも話さなければならない。

「もったいない、か」

 確かに賞をもらった人としては見過ごすのは残念なところがあるかもしれない。だが俺には従姉さんの夢の手伝いをしたいという目的がある。俺には特に夢は無いが従姉さんの夢のためになら何だって出来る。この学園に来たのもそうだ。

 子どもであっても飛躍できる機会を持てる学園。これを利用しないわけにはいかなかった。

 優勝したら、という取らぬ狸の皮算用はしない。目の前のことに全力でするだけだ。

「よし」

 俺は走り出した。一秒でも早く自室で描きたかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る