未知との遭遇

 勉強していると時間は高速で過ぎていった。時計を見るとすでに五時。そろそろ懇談会も終わって二次会をやっているころだ。今なら遭遇しないだろう。外も暗くなり始めたし帰るのにいい時間だ。

 勉強道具をしまって外に出る。春の陽気は引っ込み、まだ残った冬の寒さが体に染みる。

 遠くから運動部の声が聞こえる。それを遠くに聞きながら正門に向かう。

暫く歩いていると、魔法科前の植え込みから音がした。振り向くと誰も居ない。じっと見ていると、人が現れた。その場に浮き出る。俺と同じくらいの男だった。片目隠れの黒い短髪。身長は俺と同じくらいだが、筋肉質な体格だ。

そいつは顔を上げて、

「気にするな」

 と小声で言った。無理だろ。そもそも隠れる魔術使うとか忍者か?

理由を聞く前に背後から誰かが走ってくる足音がした。男は焦ったように顔を伏せた。

「発着場に向かったと、頼む」

 そう頼んでまた声を消した。

 俺はその場で止まった。入学初日にこんな奴と遭遇するなんて予想してなかった。

 正直通報したかったが、約束を反故したら後で何されるかわからない。

仕方なく俺は魔法科に興味があるようにそちらの入り口に向かうふりをした。すると角からスーツを着た先生らしき人物が現れた。厳つい軍曹のような先生だ。「君」と呼びかけられる。

「はい」足を止めて振り向く。

「この辺りで生徒を見なかったか。片目の隠れた、黒髪の男だ」

「……見てないです。どうしたんですか」

 頭を掻いた。

「いや、ならいい。気にしないでくれ」

「発着場の辺りなら生徒もいますし、そちらの方じゃないんですか」

「そうだな。そっちの方に隠れてるかもしれない。もし似た奴が居たら、『工藤が呼んでいる』と言っておいてくれ。それでわかる」

「わかりました」

「じゃあな。まだ寒いから気を付けろよ。それと、デザイン科棟はあちらだ」

「すみません」小さく頭を下げる。小手先の嘘はばれたらしい。

「転入したばかりだからこれから慣れていけばいい。じゃあ、早く帰れよ」

 そう言って先生はまた走り出した。発着場の方に消えて行った。

 これでいいだろ。男の事情は分からないが、下手なことを言ってさっきみたいな問題にしたくなかった。

 男の出た草むらを見る。

「ありがとう」

 声だけが響く。少し待ったが出る気配はない。スマホを見るとバスがそろそろ来る時間だ。見なかったことにして行こう。

 俺はバス停の方へ足を向けた。

              *

 嫌なことは続くものだ。

「だからその、ええと、運が良かったっていうか」

「古野学園生がそんな曖昧な答えをしていいのかよ」

 目の前に居るのは他校生だ。他校生の、おそらく部活帰りの男三人組がこっちの方を興味深そうに見ている。

 バス停に着いてから待っていると、反対側の歩道から他校生に話しかけられた。どうも俺のことはニュースで知っていたらしい。からかうように声を掛けられた。軽く答える気にもならず、無視して本を読んだ。すると相手も苛立ったらしく、わざわざ歩道を渡ってこっちに来た。それから尋問のように囲まれて雲を掴むことばかり聞かれている。

 バスが来るまであと十分だ。それまで待たなきゃいけないのか、運悪く警備員も居ない。

 そもそも学園に入ったのはここ一週間で学園生の心持とか知らんし。てかお前らも魔法陣描けばここに居たかもしれないのに想像力がないのか?

 帰りたい。

 内心叫びたい、むしろ殴りたいくらいだったが入学早々停学は冗談じゃない。

 逃げたいが、どう見ても陸上部の三人組に逃げられる気はしない。こちとら文化部の華魔法陣研究会だったんだぞ。無理。最適解を教えて従姉さん。

 ただひたすら時間が過ぎるのを祈っていたが、相手もこちらの適当な対応に苛立ち始めたらしく、怒りの表情が見え始めた。

「だから古野学園生なら丁寧に説明すべきじゃないですか。あの天願とどういった関係かとか、ないのか」

「知らん人に説明しろとは言われてない」

 面倒くさくなって丁寧口調が崩れた。それに一線を越えたのか、真ん中のスキンヘッドが「おいおい学校に通報しないといけねえよ」と言い出す。疑惑はすぐに晴れるだろう。無反応な俺に業を煮やしたのか、右の短髪が俺の肩を掴もうとした。その腕に影が重なる。

「なんだよ」

 それにすら苛立った男が上を向く。すると、男が立っていた。先程の物陰に隠れていた男だ。そいつが無表情でスキンヘッドのリュックの上に立ち、見下していた。

「ん?」

 気づいた一人が上を見上げ、絶句した。当然だ。突然少年が鞄の上に立っていたらこうなる。俺は驚いて言葉が出なかった。三人も同様、口を開けていた。その光景を見た感想か、少年は呟いた。

「……みじめだな」

「ああ!?」

 切れた男が足に殴り掛かる。しかし軽やかに飛び、バク宙して地面に降り立った。

「な、めんなよ!」

 現実に戻ったのか、激情した三人が殴ろうと襲い掛かる。これはやばい。流石にリュックを掴むが「触んな」と弾き飛ばされてしまった。何もできず倒れた。しかし、俺の助力は役に立った様子はない。一瞬だった。見ると、三人がお互いの顔を殴っていた。

「へ?」

 お互いが困惑している。そうしていると「何やってんだ!」との声が学園内から近づいてきた。三人は「やべっ」と拳を下げ、一気に駆け出した。その後姿を写真に収める少年。

 校門から現れたのは警備員だった。

「何があった!」

「三人が突然殴りかかってきたので、錯視を使いました」

 少年は平然と答えた。一方で俺は驚いた。

錯視。距離感を勘違いさせる魔法だ。三人に使ってお互いを殴らせたのだろう。しかし開いたの視界を把握して使う魔法は使うのは難しい、あんなふうに予想通りの動きを人にさせるのは三人の視界の範囲や腕の長さなどを把握する必要がありあの一瞬やるには難易度が高い。こいつは一体何なんだ。一瞬で魔法の実力の高さを見せつけられた。

だが、警備員が怒ったのはそこじゃなかったらしい。

「学外で暴力沙汰に魔法を使うな!」

確かにそうだ。少年は大きく肩を震わせて、目線が左右にせわしなく動きだした。

「で、ですがその、あの、いま、ここに誰も居なかったんで、っていうかそんなことを言うなら警備員が席を外さないでくださいよ……」

「警備の呼び鈴があるだろう」

「それしたらばれますよ……」

 一気に背中が小さくなった。

秩序を保つための警備員の怒りは理解できた。それはそれとして、渦中の人物の俺を無視されるのは申し訳ない。

立ち上がり、小走りで警備員の前に出る。

「すいません。俺が喧嘩売られていたところを何とか助けて貰ったんです。それで殴られそうに」

 威嚇してたのは黙っていた。俺の真剣さと、男の泣きそうな怯えた顔を交互に見、警備員はため息をついた。

「……警備のボタンはここだから、次に何かあればここのボタンを押して逃げてくれ。学生証を持ってなければ結界で中へは入れない」

「そうなんですか」

 全然知らなかった。

「取り合えず、さっきの写真見せて、それで消してくれ。二人のカードも見せてくれ」

「わかりました……」

男がぐすぐす泣きながらスマホとカードを渡す。俺も遅れて手帳から出して渡す。警備員は特徴などを描いてスマホを消し、カードのICチップを読み込んだ。

「今度はちゃんと呼びなさい」

「ずみません……」

 泣きながら男はスマホとカードを受け取った。先程までの冷静な様子は全くなかった。

 俺も返してもらうとバスのエンジン音が聞こえ始めた。次逃したら一時間後だ。

「ありがとうございます。そろそろバスが」

「ああ。今日は帰っていいよ。気を付けて」

「はい。失礼しました」

「しつれいしました」

 男と俺は頭を下げて走り出し、バスの運転手にカードを見せて乗り込んだ。男はバスの入り口で止まってから、意を決したように乗り込んだ。

 俺は一番後ろの席に座り、男は選んで、三列前の席に着いた。車が動き出す。特に会話もなく沈黙。微妙な距離感に耐え切れず俺は声をかけた。

「バス通ですか」

 無視するかと思ったが、数秒の躊躇いの後、返答があった。

「普段は飛空機。ただ、先生がさっき発着場に行ったからこっちで帰るしかない」

「ああ……」

自分から墓穴を掘ってしまったのか。男は意気消沈したように窓に頭を預けた。

バスが浮きだす。浮遊感の中、ロゴの宣伝の貼り付けられたバスの中で、相手も質問を返した。

「若澄涼、ですか」

「知ってるんですか」

「転入生の話は噂で聞いていた」

「そうなんですね」

 どこか他人事のような感想だ。そもそも出身が田舎で、魔法陣デザイナーと言う仕事は無いところだ。あんな風に喧嘩を売られることもなかった。

姉さんはいろいろ不安がっていた。あれが多分霞市における当然の反応だろう。テレビで見る俺もなんかみんな持ち上げているが、実際の自分とはかけ離れている。神村さんと上手く話せないのは当然だったのだと今更理解した

 賞を取ったところで昨日までの自分と変わるわけじゃない。変わるのは人の目だけだ。

「間違えたかな」

 ついこぼれた。従姉の夢のため出てきたがうまく行かない。そこには人間関係があって地味な勉強がある。俺はそこを考えてなかった。結局、去年の分の教科書がまだ半分残っている。親睦会に出れば去年の授業内容も聞けたんだろうか。一時の感情に任せてしまった後悔ばかりが頭に渦巻く。

 少年はこちらをゆっくり向いた。

「……別に、みんな知っているだけだ。多分、5月には消えている」

 言葉を選んでいるようにどこかぎこちない様子だ。

「ニュースもいい撮り方をしているだけだ。人間の感情を掻き立てるのは地味なものよりも、極端でセンセーショナルなものだ。きっとしばらくすれば、みんな普通の人間だとわかる」

 励まそうとしているらしい。見ず知らずの俺を励ましてくれるなんていい人だ。クラスではうまく行かなかったが、こういう風に話しかけてくれる人が居るのが分かったのは嬉しい。

「そうか、ありがとう。まだやめたくないんだよ、授業もまだ受けてないし」

 男は少し黙って、また言葉をつづる。

「……もし、お前が学園を利用したいと思うなら、その分、返してくれる。この学園は、頑張る人間と才能が好きらしい」

 どこか実感の籠った、自嘲した言い方だった。

「自分の名前も有名であるなら、上手く利用する方法もある」

「……そうですね」

 言われた通りだ。今までの人生で無関係だった力だ。知識を求めれば手に入る。

 姉さんが人間界へ行く方法も他に見つかるかもしれない。

 心を正すように背筋を伸ばす。

「今は思いつきませんが、ひとまずやるしかないですね」

 実力がはっきり出るとすれば、まず金曜日三限の実技だ。内容は当日公表されるから、とりあえず基礎を勉強するしかない。

 自分の舞台を作り上げるためにもまずは結果を残すしかない。

 俺の自分を奮い立てるような言葉に、男は呟いた。

「学園に着て、折れる奴は、いくらでもいる。だから、まだそう思えるなら、お前はいいところに行けるよ」

 冷静で、つきはなしたな答えだった。ただ間違ってない。

励ましだろうと思い、俺は行動を起こせば変わるという意味だと受け入れた。


 バスで好きなゲームの話をしているとすぐに寮の前に着いた。相手は人見知りの感じがするため、別の学科だから今後話すことも滅多にないだろうと思った。

「何処の棟ですか」

「東」

「あ、俺も同じです」

 そう言って、東棟の方に向かう。

 エレベーターに乗り込む。

「何階ですか」

「六階」

「あ、俺も同じです」

 男の顔が青くなる。

 六階に降り、歩き出すと同じ方向に歩き出す。そして、男が俺の部屋の手前で止まった。

「……隣?」

「……ぁ」

 声にならない声だった。顔が真っ青になっている。大丈夫だろうか。

「あの」

「今日はありがとうございましたぁ!」

 男は早口で部屋の中に飛び込んだ。その場に残された俺は、『霧島』と書かれた家の入口を見るしかなかった。

「ええ……」

 残された俺は暫く隣のドアを見つめていた。出てくる気配もなく、諦めて自分の部屋に入った。

               *

 部屋に戻り布団に倒れ込む。目を閉じると今日の反省ばかりが浮かんだ。

耐え切れずに机の上に目を向けると、教科書とノートの山があった。まだ残っている。予習しなければ。わかっているが、動けない。気力が尽きていた。

 不安。ただ不安だった。結果が残せるだろうか。そもそも上手く人間関係を築けるだろうか。前の学校、実家とは全く異なる環境に晒されてストレスを抱いている。理解していても、するべきことが多すぎて動けなかった。

「……飯」

 腹が減っている気がする。実際昼食を食べずにこの時間になってしまった。

 意識を腹に向けるが、緊張感で胃が小さくなっているらしく空腹を感じない。それでも何も食べなければ明日起きた時に倒れるかもしれない。

行かなければいけないとわかっているが、視線を考えると足が重い。昨日までなかった感覚だ。どうすればいいんだろう。

 逡巡しているとスマホが鳴った。画面を見ると姉さんからだ。すぐに出る。

「もしもし」

『涼、始業式どうだった?』

 姉さんは不安げな様子だった。

姉さんとは毎日電話をしていた。同居してから五年。一週間以上離れたのはこれで初めてだからだ。

魔力の少ない身だ。偏見や生活の不自由がないかが心配らしい。

 非常にありがたいことに、この街この学園は魔力が無くても十分生活できる。むしろ家にいたころよりも楽だ。

 そもそも人が多いから俺のことなんて誰も気にしない。飛空機に乗らずに地面を歩く人も普通に居る。むしろ過密にほど近い人口で交通機関が発達しているからそれほど魔力を使わない。

 確かに魔力を使う娯楽は田舎より多い。駅の宣伝も魔法陣のものがあって、触れて魔力を少し込めるだけで一定時間モデルの服を着用するようにテクスチャを被せるものもある。

 逆を言えばそれらを無視すれば、生活のために使う魔力はごくわずかでいい。移動もなく、寮だから調理機器も必要ない。洗濯も備え付けのものが勝手に済ませてくれる。

 特待生の身分だから楽なのだが、今までのストレスが何だったのかと不満に思う。

「凄かったよ。あんなの高校生にもできたんだ」

『そっか。友達はどう?』

「できたよ」

 今朝会った舞木さんを思い出す。あの子とは普通に話せた。俺の知識の中の高校生の女の子だったからだ。バス通のようだからまた明日会うかもしれない。

 姉さんは嬉しそうに『本当!?』と声を上げた。

『よかった。あのね、ちゃんと食べてる?勉強についていけそう?』

「これから食べに行くよ。勉強は……大変そうだけど、いける」

 出まかせだった。だが、不安にさせるわけにもいかない。

『こっちは寂しい。みんな連絡をくれるようになってくれたけど、居なくなったら家が広くなった気分』

「すぐに慣れる。それに、夏休みなったら戻るから、それまで一人の家を満喫してよ」

『……うん』

 ワントーン低くなる。

「なに、どうしたの?」

 尋ねると、ワンテンポ遅れて『うん』と自分に言い聞かせるように意気込んだ。

『涼が頑張ってるんだ。私も寂しいって言ってられないね』

 首を傾げる。よくわからなかったが、俺と連絡して元気を取り戻してくれるならとても嬉しかった。

 体を起こす。姉さんが褒めてくれてこちらも生気を取り戻した。

 自分だけの問題じゃないんだ。姉さんの夢がかかっているんだ。

 目的を思い出し、ベッドの上で拳を作った。

 話を再開しようと思ったとほぼ同時に、突然姉さんの方からピンポーンと音が聞こえた。

『はーい。ごめんね。ちょっと友達が来た』

 女性の声で姉さんの名前を呼んでいる。以前家に来た友人だろう。

「そっか。こっちもそろそろご飯を食べに行くから、楽しんで」

『ありがとう。そっちももし辛いことがあったらいつ帰ってもいいから』

「ありがとう。そう言ってくれると気が楽になる」

 けどまだ何もしてないから戻れない、とは言わないでおいた。

 足音が耳に入る。玄関の方に移動しているようだ。そろそろ切らないと。

「姉さんも辛いなら連絡して」

『うん。じゃあまたね~』

「ありがとう」

 電話が切れた。俺は画面を見つめため息をついた。

 そうだ。まだ何もしてない。微妙な立場とはいえ、他学科なら普通に話してくれる人は居る。

俺は現状を整理した。

 何が問題?――去年の授業内容が分からない、他人との視線のギャップ。

 どうすれば解決できる?――クラスの人に聞く、他の生徒に聞く。

 となると。やることはまず決まった。

 俺は部屋の外に出た。足音を立てないように歩き、隣の霧島の部屋の前で止まる。

深呼吸をする。断られたら一人の予行練習だとおもおうと決める。

扉を叩く。

 はぁい。と腑抜けた返答。

「隣人の若澄です……あ、その、先程会ったばっかりですが……その、一緒に夕飯を食べませんか」

 無音。

背中に寒気が走る。初日に話しかけるのは差し出がましかっただろうか?もしかしたら年上かもしれない。

 霧島は俺の立場を知っていて、特に褒めることもなくけなすこともなかった。だから普通に話せる候補として真っ先に考えた。ただ、人見知りのする性格に見えたな。これは誘ったら嫌がられるだろうか。

 引き返そうか。そう思っていると扉が開いた。現れたのは目元が赤い霧島。今にも泣きそうな顔だ。

 ぎょっとして一歩引きそうになるが何とか踏みとどまる。

 目元を拭い、表情を比較的にましにしてから霧島は口を開いた。

「ありがとう。すぐ行こう」

 大丈夫だろうか。今までとは別の不安ができた。

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