学園、転入
「……次は、霞中央、霞中央。お降りになる方はボタンを……」
はっと目が覚めた。手元の魔法陣辞典は意識を失う前から変わってない。
春眠暁を覚えず。春になりかけの穏やかな朝日とバスの包み込むような暖房は眠気を四則関数的に倍増させる。
バスの時計を見ると意識を失ってから三分しか経ってなかった。やべえ。二時まで勉強していたせいで眠気がひどい。新品の制服を見渡して、よだれが垂れてないことに安心する。
空バスに乗って五分。浮遊感はハンモックの中に居るようで、気づけば寝てしまっていた。
目を覚ますために窓の外を見ると遠くに森が見えた。よく見ると人がいる。赤い大きな鼻の面をかぶっている。あの特徴的な和服は天狗だ。初めて見た。
そこから下に視線を向けると、家や店の屋上が見えた。発着場となっている屋上には、カバーを被った飛空機が二三台並んでいた。前を見ると街の真ん中を通る川を中心に高い建物が並ぶ。田舎にはない、きれいなビルがところどころから生えている。空中にもたくさんの飛空機がその合間を縫って飛んでいる。その下には工事現場で働くゴーレムがのっそり動いていた。管理者らしき男がヘルメットを着けて作業着で手を振っている。
ビルの側面には投射魔法により、今日の天気が表面を流れるように時間ごとに移り変わっていた。
首都のベッドタウンを兼ねてるだけあるなと、田舎者の感想が出てしまう。
霞市。古野学園を擁するこの都市は、中心部では新興企業のオフィス街などがあり経済活動が活発であり、少し中心部から離れると住宅街といった居住地区に変わり、古野学園に近づくと個人商店や本屋や美術館図書館など学生街になるという様々な顔を見せる広い都市である。また、国の中心部である神宿が一つ山を越えたところにある。そっちの方は殆ど居住地のない都会らしい。人間界との出入り口も神宿にある。
古野学園は霞中央の次だ。買ったばかりの新品の制服になんか緊張感を覚える。前の学校は学ランだったからネクタイにブレザーは中々慣れない。
このバスは学校運営のものだが、俺以外一人しか乗ってない。
静かに視線を前に向ける。古野学園の制服を着た女の子が二つ前の列に居る。窓際に寄り、外を眺めている。黒い肩までのショートヘアに、子どものような小さい身長。楽しそうに外を眺めている。
これだけしか乗ってないが、学園から金が出ているから廃線にならないらしい。
それにしても少ない。今日は入学式かつ始業式だからサボっているんだろうか、それとも早く行っているんだろうか。登校初日なのに不安になってきた。
「次は古野学園前、古野学園前、降りる方はボタンを……」
バスのアナウンスが流れてすぐに後者ボタンを押す。前の人がボタンを押すか気が気じゃない。普段よりも余裕がないと気づいていた。
春休み前日に転入を決めた俺は、当然周囲から反対を受けた。騙されてるんじゃないか、本当に才能があるのか、そもそも魔力がないのにやってけれるのか。全部当然の疑問であった。だから天願さんに貰った連絡先に質問を全て送り、明確な返答が帰ってきた。
騙されてますか
――これは学校からの転入書類が来た時点で消えた。
そもそも転入って聞いたことないんですが?
――毎年転入試験は開催されています。ただ、合格人数は0人の時もあり、相当確率の低い試験なのであまり有名ではありません。あなたの合格で試験の合格人数の変動はありません。
魔力がごくわずかしかありませんが、学園生活に支障はありますか?
――学園は魔法だけでなく科学技術を活用しています。もし仮に不便があれば申請すれば、魔力を使わない科学技術を用いた物品に変更できます。
制服と教科書などはどうなりますか?
――こちらで配布します。一年の教科書をお求めになる場合は学園内の本屋で注文してください。
俺に才能はありますか?
――それはあなたが見つけることです。まずは勉強してください。
ということだ。ぐうの音も出ない正論である。特に最後の返答は軽く流されると思っていたからこそ真剣さが垣間見えて怖い。だが取りつく島のない正論は親戚中の反対理由を全て無慈悲なまでに蹴散らすものであった。
結局、賞を取った時点で転入は決まったものだ。次が取れるか、それが目下一番の問題だ。
才能の証明は継続した結果が出せるかどうかだ。シビアである意味平等な競争の上に立たされていた。
従姉さんはあまり反対はしてなかったが、寂しげな表情を見せることが多くなった。だけど今回の件を通じて天願さんとは連絡を取るようになり、同じ27歳ということもあって気兼ねなくとはいかないが、電話する頻度は増えていた。
特に姉さんは人間界のことに詳しいため人間界でも活躍する天願さんとは話が合うようだ。少しだけ姉さんの人間関係を広げることができたのは嬉しい。
何度か受諾した理由を聞かれた。そのたびに心配させないように「やっぱりデザイナーになりたいから、ここに行けば勉強できる」と嘘を言った。なる気はないが、勉強すればネットの売り上げが増える可能性が高い。偏差値が高いため、授業内容も非常にいいものだ。転入して悪いことは多分ない。
従姉さんが一人になるのは不安だったが、本人から魔力が無くても暮らせる環境を作っているから心配しなくていいと言われた。不安は残るが、俺が従姉さんのために諦めるような雰囲気になったら今度こそ従姉さんは立ち直れないかもしれない。何かあったら周りの人を頼ってと頼み、従姉さんの言葉を信じた。
あれこれやって、転入届を提出し、色々な手続きを終え、ガチガチで授賞式を終え、友人たちと引っ越す前の小旅行に出かけ、涙の別れの後一人出立した。
応援に来た彼らを見るのは涙が出たがもう決まってしまったことだ。それにスマホで連絡も取れるから寂しさはあまりない。設楽とは一二件だがほとんど毎日連絡を取っていた。
従姉のためだと腹は決めたが、もしどうしようもなくなって逃げ帰りたくなったら相談しよう。そう割り切って、俺は故郷を去った。それが一週間前のこと。
こちらに来てからは入寮、引っ越しの整理、制服の試着、教科書の確認、去年のカリキュラムの確認、勉強、勉強、勉強しかやってない。
引っ越してきてまず驚いたのは部屋が広いことだ。冷蔵庫、シャワー、トイレ完備。風呂は下に行く必要があるが、一人暮らしには十分だ。
そもそもこの学園は一学年2クラス60人という規模だ。一学年6学科360人、高等部は三年間だから約1080人。結構多いが、寮も多い。流石有名な学園だ。
だから部屋の方も元々あった本棚とベッドだけでは少し空寒い。クローゼットは壁にはめられているからそもそも面積を取らない。だからと言って置くものもないから空いた場所に制服をかけていた。
普段持ち歩くものといえばクロッキーとシャーペンと鉛筆くらいしかない身だ。物欲がない。この学園に入ったからには強欲に行くべきだと自覚したのはその次の日だ。
制服がおしゃれである。この学園の制服は卒業生が作ったものでおしゃれだと聞いていたが、申請していたサイズの調整のための試着で実際に着ると着心地の良さとシルエットの美しさが映える。それでいて耐久性もあり、メモなどの入るポケットなどのついた機能性もある。着る相手のことをよく考えた制服だ。この時点で恐怖を覚えた。生きている世界が違いすぎる。
なんとか制服を受け取り体操服を受けとり、次に教科書を受け取りに書店に向かう。渡されたのは本の山だった。三分の一は国語数学などの基礎科目、残りはデザイン関連の書籍。しかも後者の三分の一は英語の書籍だ。確かに欧文フォントを使うことは良くあるけど、まさか直輸入品を渡されるとは思ってなかった。まず日本語を教えてくれと言おうとして、書店の店員さんが奥の棚から日本語フォントの本を三冊持ってきたところで口をつぐんだ。
そして一番上にあるのは参考書のおすすめ表。これ以上あるの、高校生の分量じゃないと叫びたい。しかも「奨学金を貰っているなら、学生証を見せれば参考書三万までは無料で買えますよ」と言われて目の前が真っ暗になった。奨学生の期待が大きすぎる。
そして事務の人に頼んで見せてもらった今年と去年のカリキュラム、授業動画。カリキュラムの内容は基礎科目プラス学科の授業。
この学園はA、Bの2クラスある。違いは学科関連授業の成績の差だ。例えば基礎科目であまりいい成績を取ってなくても、学科の授業でいい成績を取ればAになる。逆は無い。毎年成績次第でクラスの入れ替わりが起こる。
勿論俺はAに転入。そして、授業の負担が大きいのもAだ。Bが一から基礎を教えるとしたら、Aは教科書を必ず予習して中身を完璧に理解してからの応用。大学か?
実技は二年に入ってからある、逆を言えば一年の間の授業は知識の詰込みである。内容も重い、授業も重い。何故ロシア構造主義が流行ったのか述べなさいとか授業で聞かれ、流暢に生徒が答える動画をホラー映画を見るような心持で凝視していた。
俺は学校の説明を受けて、授業の動画を見終えてからすぐに参考書、過去の授業の教科書、そして英語の論文の読み方の参考書を買いに行った。そしたら一瞬で三万は消えた。なんであんなに専門書って高いんだ。足りなかった分は図書館に借りに行った。後はもう部屋にこもって勉強していた。
俺の特徴は単に実際に作った経験、魔法陣の図形の解析能力、周囲の人間を観察することくらいだ。
普通の魔法陣が魔力を多量に必要とするから俺は使えなかった。だが単純な魔法なら使えるということを知っていたから、魔法陣の図形を逐一分解してこれはどんな魔法陣か分析するということをしている。そうすることで安全性を無視した場合自分が使うための図形の必要不必要がわかるようになった。
見るのは楽しいし、分析も楽しい。シンボル化した魔法陣を見るのも楽しく、魔法陣設計事務所のSNSをフォローして更新されたら逐一確認に行くくらいにはよく見ている。
逆を言えば、その背景知識はあまり詳しくない。フォントの選び方も感性や今まで見たものと比較して選択していた。そのあたりを見抜かれていたんだろう。一年の間の授業内容を追っていると実感した。
引きこもってたのはもう一つ理由がある。奨学生の特権が大きすぎる。
正直言って参考書三万とか頭おかしいと思ってたが、他も中々凄い。まず霞市では一日五千円までの生活費が出る。此処で既におかしい。五千円とか何に使うの。そもそも学食は無料である。美術館、博物館の観覧料も学園生なら無料。高校生を増長させて破滅させる楽しみがあると言われた方が納得する特権だ。
また、霞市の国で二番目に大きい図書館の本を一般は10冊までだが百冊まで借りることができる。百冊借りてどうするのか。そもそも学内の図書館も最大50冊まで借りられる。
そして、霞市の外では見せるだけで観覧料が半額、ホテルなども20%オフ。書籍も最大半額……などと、段々恐ろしくなってきた。これを盗まれたらもう生きていけないんじゃないかと思う位優遇されている。勿論利用するには本人証明書が必要だが、それすら誰かが狙ってるんじゃないかと危機感を抱いている。
その優遇内容に反比例して、そもそもこの奨学金コースの生徒はごくわずか。奨学金のコースも五種類ほどあり、俺は一番上かつ取得最難関の奨学金を取ってしまったようだ。
事務の人は一応性格や振舞でこのコースは選別されていて、学園内でも三人しかいないと話していた。
どうしてそんなものを申請したのか。天願さんに問い質したいが彼女は今人間界のイギリスで大企業とヒアリング中らしい。断る理由も高尚すぎて愚痴すら浮かばない。恐らくこの奨学金以外では俺が転入に首肯するわけがないと思ってのことだろう。それなら正解だ。他のコースなら従姉さんから離れるきっかけにならなかった。
天願さんは週一の非常勤講師で、金曜日の実技担当だ。今年から始めたらしい。その時しか学校に来ないみたいなので、俺はその日まで質問リストを作っている。
というわけでこの一週間は用事食事以外部屋の外に出ることもなく一人勉強していた。
特権に見合った人間にならなくては。プレッシャーに押しつぶされそうになりながら必死に去年の学科の授業内容を追っていた。今持っている本の中身は去年の記号論の中身で、ほとんど英語で敷き詰められているものを必死に和訳しながら追っている。
だがそもそもパースの論文や形而上論の基礎知識から学ぶ必要があって、書いてあることは読めるが意味が分からないという状態に陥っていた。誰だこの教科書選んだ奴は。なんで代数学と心理学とアルゴリズムを学んだ前提の本を持ってくる。しかもこれを理解する奴が同じ学科に居るとなると、一秒が惜しかった。
確かに独学で学んであっただおかげで、日本語で書かれた教科書の内容の八割は理解できたから良かったものの、複雑な理論である英語の教科書はこれだ。それなりに英語はできたという自信をへし折ってくる本を手に、何とか食らいつこうと必死だった。
「古野学園前―古野学園前―」
遠くなりかけた意識を何とか引き止め、俺はふらついた足で立ち上がった。
バスから出ると目の前に校門があった。古野学園前、と書かれた塀の横には学生証をかざす機械がはめ込まれている。その隣には警備員が立っている。
俺は鞄から生徒手帳を取り出す。顔を上げると、目の前に生徒手帳が落ちていた。手に取って中を確認する。先程のバスの女の子だ。門の方を見ると、女の子は焦ったように鞄の中身を確認している。警備員の人は心配そうな目で見ている。
「あの」
近づきつつ声をかける。女の子が振り向いた。
「これ、落としましたよ」
生徒手帳を差し出すと、女の子の不安げな顔がぱっと笑う。
「ありがとうございます!どこに落ちてました?」
「バス停の近くです」
「あー!またやっちゃったー!本当にありがとうございます!」
頭を下げてばたばたと両手で生徒手帳を受け取って、警備員にも「ご迷惑おかけしました」と深々礼をしていた。礼儀正しい子だなあ。ちょっとしたことだったが、ここ数日間の疲れが少しだけ晴れた。
女の子は頭を下げて、元気に中に入っていった。
さて、学科の校舎に行かなくては。俺も中に入り、北東にあるデザイン科棟へ足を向けると「あの」と声を掛けられた。振り向くとさっきの女の子だった。
「今日は始業式なので、講堂に行かないと」
「あ」
忘れていた。
不思議なことにこの学園では入学式と始業式は別のところで行われる。一年生はホール、二三年生は講堂。二三年生は後から入るため別々の場所で行うのだが、一番は二三年生から妨害を受けないためらしい。昔なにかあったとか。そのため、今は何もしかけないためにも校舎には式が終わるまで立ち入り禁止だ。
女の子の顔が赤くなっている。ネクタイの色が同じ緑だから、二年生と思って声をかけたらしい。
「ありがとう。講堂の方に……」
翻って講堂の方を向こうとして、どこかわからないことに気づいた。教室に行って誘導されるから地図は無視していた。勉強に集中していた。だから校舎、図書館、食堂と書店しか場所を知らない。スマホを取り出して地図を確認しようとすると、女の子が「あの!」と大きな声で呼びかけられた。
「一緒に行きますか?」
思ってもみない提案だった。女の子は真っ赤な顔をしている。
相手のことは全く知らない。でも勇気を出して誘ってくれたのはありがたい。同じ学科だったらいいな。
「お願いします」
俺はすぐにスマホをしまい、笑みを作った。
女の子はひまわりのような笑顔を浮かべた。
*
人気のない学園内を二人で歩く。建築家の立てたデザイン性優先の建物に新鮮味と妙な高揚感が引き立つ。
女の子は舞木由飛というらしい。残念なことに魔法生物科の人だった。
ただ同じ学科じゃないからある意味気楽だ。
舞木さんは俺の名前を聞いて驚愕していた。
「若澄涼……あの若澄さんですか?」
「知ってるんですか」
「この前ニュースに載ってた。全然気づかなかった」
目を逸らす。あの時は張り切った姉さんに髪形や服装などを管理されて一体だれかわからない格好になっていた。気づかない方がありがたい。苦笑して受け流す。
「今日って出席数少ないんですね」
「微妙な時間だからだと思う。入学式に発表のある部活の人たちはもっと早く来てるし、始業式しかない人はもう少し遅く来ると思うよ」
「バス、一時間に一本だからこの時間しかないってのが辛いところですね」
「そうだね~。多分発着場や駐機場のところならもう少し人がいるかも」
両方とも学校の奥の方だ。正門とは結構離れている。まああと四十分くらい待ち時間があると考えると、本当に微妙な時間だ。
「今日は始業式だからサボる人も居るんだろうね~」
「そんな不躾な生徒も居るんですか」
「いるよ。図書館の住人の人とか」
「図書館の住人……?」
「学園の人って外からだと天才肌の真面目な人ばっかり、って言われるけど結構特徴的な人もいるよ」
「面白そうな人たちが居るんですね」
その点においては前の学校の方が普通の人が多かったかもしれない。
「そうだ、ちょうどいいから学校の方見回ってみる?近道教えるよ」
「それはありがたいです」
「よし。では行こう」
舞木さんは大将のように堂々と前を指さす。
「まずは講堂。この道を真っすぐ行って突き当りにあるあの建物だね」
指の先を見ると、確かに堂々とした円形の建物があった。
「正門近くにあるのはホールだね。違いは外向けの人のために使うのがホールで、講堂の方は生徒総会だったり、部活の発表会に使うっていうところかな」
そう言って、いったん講堂について入り口を見た後、再び校舎の方へ向かう。
開けた空間であり、実験棟が併設された魔法科。
コンクリート打ちで、隣に動物棟、植物棟のある魔法生物科。
大きな学科図書館を持つ年季の入った木造校舎の法律科。
キュビズム風の横に大きな校舎の科学科。
ところどころペンキがへばりついた独特の雰囲気の芸術科。
そして、六角形の校舎の形である魔法陣デザイン科。
どれも個性的で特徴的だ。転入した身としては見分けやすいのは迷わずに済む。一方で金掛ってんなとちょっと嫉妬したような気分だ。そもそもなぜ六角形二階建てにしたのか聞きたい。ペンタクルか。
それから図書館、食堂、書店、実験棟、体育館を見回った。回っていると学園内に人が増え始めていた。そろそろ向かった方がいいだろう。女の子もスマホを取り出した。
「集合時間まであと十五分くらい、そろそろ行った方がいいね」
図書館の前で翻り、講堂の方へ歩き出す。舞木さんの説明を受けつつ見回れたのはよかった。学校生活の方は緊張していたからだ。
「紹介してくれてありがとう」
「生徒手帳拾ってくれたお礼。気にしないで」
「さっきまた、って言ってたけどよくある感じですか」
すぐに失礼なことを言ってしまったと気づく。久しぶりに人と話したから口が滑ってしまった。やっちまったと口に手を当てる。
ありがたいことに舞木さんは気を悪くしなかった。むしろ「んー」と頬に手を当ててこちらに質問を返してきた。
「よく落としちゃったり、家に忘れちゃうんだ。どうすればいいと思う?」
「どうすれば……」
頭を巡らせた。単に生徒手帳にひもを付けたりすれば、と言おうとして特に穴が開いてないことに気づいた。
最近は本をくぐらせてひもを後でつけるしおりもあるが、それはしおりだから忘れたら困る。多分話からして生徒手帳を使う機会は多いようだ。来たばかりだからまだわからないのは少し申し訳ない。
「やっぱり気にしないで。リングとか探してみるね」
舞木さんは笑ってはぐらかした。俺は差し出がましいことを言いかけてやめた。
暫くすると講堂が見えた。別の学部だから離れるのだろう。俺はその前に、疑問に思っていたことを尋ねた。
「舞木さんは飛空機に乗らないんですか」
「乗れるんだけど、みんな不安になるから乗らないでって」
「そうなんだ」
そんなのあるのか。飛空機は基本安定性が求められ、スクーター型は誰でも座るだけで操作できるのが特徴だ。周りの人は運転か不安か、物を落としそうで怖いのかもしれない。
「たまに一人で散歩みたいに飛んだりするんだけど、中々慣れないね~」
「バスも一人で、寂しいって思いますか」
「ううん」
彼女は遠くを見つめた。
「バスに乗るのって基本一人だけど、ぼーっと外を見ているとね、雲の形や山の色、朝の街を見れるんだ」
「それは友達と居ても見れるんじゃないか」
「うーんとね、バスからぼんやり見る世界と、みんなと一緒に見る世界はちょっと違うんだ。おしゃべりして同じものを共有するのと、一人でじっくり見つめて見るものと対話するの、私にとってはどっちも大事な時間って一か月くらいして気づいたんだ」
「……そうか」
俺とは違うな。やっぱり空を飛べるのに飛ばない人とは価値観が違うのかもしれない。ただ、やはり少し気が楽になった。舞木さんは空を飛ばない人だ。そんな人は俺の周りだと姉さんしかいなかった。公共交通があまり機能していないのもあるが、基本は自分で飛んで、みんなで登下校だ。地を這う蟻を誰も気にしない。だから空を飛ばない選択肢をしている、そこに価値を見出している舞木さんに少しだけ救われた。
それに普段から空を飛ばなくても生活できる人が居るのを知れて、俺も普通に生活できる期待をしっかり持てた。
講堂の入り口に着いた。先程来た時よりも随分人が増えていた。
「もし困ったことがあったら連絡してね。バスで見つけたら気軽に話しかけて来て」
「はい。今回はありがとうございました」
「こっちもありがとう。じゃあね~」
舞木さんは友人を見つけたのか、女子の集団の方へ走って行った。
さて、再び孤独に戻り、俺は講堂の中に入って行った。
「おう……」
入って早々気圧された。芸術科が設計したんだろうか、中はフレアライトの光が雪のように降り注いでいた。ステージの上にはマリオネットがバレエを踊っている。あれは、多分白鳥の湖だ。
始業式にこんな演出をするのか。
これが古野学園だ、と表す光景に俺は見とれるよりも喉が詰まるような緊張感があった。先程緩んだ糸が張りを取り戻す。
学園に入ったなら、これに値する技術を得なければならないんだ。
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