女神来訪
「やっべ……!」
行き以上に急いでペダルを漕ぐ。
スーパーから帰る途中、時計を見た時に気づいた。二十件以上の電話とSNSのMINEの通知で待ち受け画面がとんでもないことになっていた。通知は全て姉からで、『涼のお客さんがきた 買い物はいいからすぐ帰ってきて』という内容だった。全然気づかずに普通に買い物をしてきてしまった。
従姉さんに恥をかかせてしまった。嫌な汗が額から流れる。俺のせいで余計な苦労をかけたくない。
焦りで法定速度ぎりぎりで走っていると家が見えてきた。木板の塀に囲まれた木造の家。その中に滑り込み、自転車を立てて家の中に入る。
「ただいま!」
玄関を見ると、高級そうな黒のパンプスが端にきれいに並んでいた。よく見知ったものだ。
まさかな。靴を脱いで整えると姉さんが手前の客間から出てきた。顔が緊張で強張っている。
「おかえり!こっち入って」
いそいそと買い物袋を姉さんが引き取って台所へ消えた。冬なのに妙な汗が背中を伝う。
慎重に扉を開けて入る。そこには、あの写真の、天願ミサオが居た。
「……」
息が止まった。
築五十年以上の古家の畳の上、座布団の上に背筋を杉のように伸ばして座っている。いつも通りの白いワイシャツにイヴサンローランの黒いスーツに黒い靴下。四角の黒いちゃぶ台の上のお茶が白い湯気を立てていて、本人の雰囲気もあって妙に高級な茶屋に居るような雰囲気だ。
聞きたいことは山ほどあったが、先に挨拶をしてないことに気づいた。彼女はゆっくりとこちらを見て、柔らかく微笑んだ。
「お邪魔しています。突然来てごめんなさい」
美しい声だった。春の雨上がりのような、清楚な声だ。天願さんをよく見ると、写真よりもはるかに魅力的だ。
天は二物を与えるんだなあ。何故か客観的な意見が頭に浮かんだ。しばらくして、ずっと立っているのも失礼だろうと気づいた。
「失礼します」
礼をしてから中に入る。天願さんの対面に二人分の座布団が敷かれている。茶の置かれてない奥の方に正座した。ほぼ同時に従姉が部屋に来て、俺の分の茶と羊羹を手早く三人分並べる。
天願さんがありがとうと言い、あせあせと姉さんが笑って正座する。
「まずは、若澄涼さん。優勝おめでとうございます」
「へ?」
なんの。とは言えなかった。すぐに思い当たる節があったからだ。
「まさか、オオモリの?」
「そうです。……もしかしてメールの方ご確認されていらっしゃらない」
「すみません」
枯れた声だった。まじかと叫びたかったが、それをしたら優勝を取り消されそうで喉元で止める。
隣で姉さんが口を開けている。言葉が出ないと言った様子だ。俺も頭が追い付かない。天願さんだけが話を進める。
「後日授賞式があります。おそらく招待状が届くとは思いますが、メールボックスの方も逐一確認をお願いします」
「は、い」
つまり授賞式の話じゃないのか?
俺の困惑をよそに天願さんは鞄から書類を取り出した。彼女の卒業した学園、古野学園の紹介冊子だ。
講堂の写真の表紙と、文字だけの簡素な表紙の二冊机の上にずらして並べる。
「今回の受賞を受けて、此方の学園にスカウトに来ました」
今度こそ頭が真っ白になった。
「な、何故ですか」
口を開いたのは姉さんだった。
「涼そんなに成績良くないですよ!」
酷い。だが姉さんの言うことも理解できる。
確かに古野学園はかなり偏差値が高い。とはいっても実技の方で取れば挽回可能なため、あそこの偏差値は魔法学科と科学科だけが信用できるというのが専らだ。他の芸術科、魔法陣デザイン科、魔法生物科、法律科は小論文または作品の質で決まる。その最低限の学力もはるかに高いけど。
それはそれとして混乱しているとはいえあんまりな言葉だ。美術と歴史と英語と数学以外が微妙なだけなのに。
天願さんは姉さんの言葉にも動揺しない。まるでしなやかな柳の様だ。
「学業の成績は置いておくとして、魔法陣デザイナーとしての素質があります。これを伸ばしたいというのが私たち、今回の選評の意見です」
「そんなに……ですか?」
一見辛辣な言葉に、姉さんは忘れたように丁寧口調戻った。
「ええ。魔力の膨大化は最近の問題になっています。複雑化した魔法陣は確かに現台木中には不可欠ですが、普段使いならば機能はもっと制限されていても十分です。その点において、あなたの魔法陣は丁度使いやすく、魔力の消費も極小。まさに機能は美しさにつながるというものを体現しています。しかし、まだ荒い点があります」
「荒いのに受賞したのですか」
「今回の分は十分な機能性を持っています。それにあったシンプルなデザインであるため非常に使いやすい。ただ、フォントの選び方迷ったでしょう」
「……はい」
言われた通りだ。今回のものは、丸の中に影、光を表す月と太陽を表す月の形をしたMoと太陽のような丸いSuを書いた。しかし確かにフォントをどれを使うか迷った。できるだけ手書きに近いフォントがいいとは思っていたが、太陽と月の形にしたいと思っていたため線の細いMarianがいいかなと初めは思っていたが、形にこだわると段々文字が読みにくくなり、じゃあ逆に輪郭のしっかりしたEd Interlockを使うとコミカルで面白いが形が崩しにくく、崩しすぎると読みにくい。字体が太いから使える文字も一文字になってしまう。その場合は、もっと形を太陽の形に近づける必要があるがそうなるとさらにインクを使う。日本語にするのも考えたが、そうなると陽という感じは画数が多く加工が難しい。
と言うことでMarianと月の図形を掛け合わせた図を考えた。手書きでも良かったが、既存の文字の方が美しく理想の形を描ける。
眼鏡の向こうの目が細められた。
「何故このフォントを使ったのか、理由ははっきり話せますか」
「……元々手書きで写せるくらい手軽なものにしたいと思っていました。ですから柔らかく線の太さの一定なものにしました」
「成程。では、どこの層に向けて書きましたか」
「……高校生です。高校生で、ノートに書き写すのを面倒くさいと思うめんどくさがり屋な人に向けてます。ですから比率など正確さをあまり求めず、書きやすく覚えやすい形をコンセプトにしました」
依頼者の下級生を思い出す。タブレットPCをよく使うため、ノートを持ち歩くのがめんどくさいという斜め上からの依頼だった。
文字もできればキーボードで打ちこみたいくらいのめんどくさがりで、デザインには難航した。
「他の類似したものは基本的に堅いデザインです。そちらの方は調べましたか」
「調べました。スマホの写真を一から紙に印刷するもの、シャーペンを音声自動書記装置に代えるものなど見ました。質もデザインもどれも高校生には高くて、手が届きにくいと思いました。ですから色などはほとんど無視して、輪郭を移して文字だけが映るようにしました。両方を同時に触れるのも、どこの魔法陣につなげるかと魔法陣に書き込むのを省略するためです」
「ありがとうございます。ではもっと簡単にしても良かったのではないでしょうか。1,2とつなげれば」
「……それは、そうですね」
確かにそうだ。1,2くらいなら魔力は持つ。そもそも翻訳、転換魔法は魔力が非常に少ない。光量の差を利用した印刷デザインを単純にして、シンボルをシンプルなものにしても変わらない。
単純にわかりやすさを第一に考えていたが、だったらシンボルの方を考えた方が良かったかもしれない。シンボルを使わないだけの根拠がない。これでいいと思ってたが、ちゃんとした人を納得させるだけの魔法陣じゃない。今更敗北感を覚えた。
「詰めがまだ甘いところがあります。高校の方ではそういった指導はされてますか」
「独学です」
「あら」
口に手を当てた。今度こそ驚いた様子だった。
「独学で優勝は初めてかもしれません」
「そうなんですか」
「ええ。色々とわからないところもあると思いますから、本格的に学ぶなら一度魔法陣について専攻できる学校に通った方がいいですよ」
「待ってください。まだ魔法陣デザインの方に進むとは言ってません」
きょとんとした。何を言っているかわからないといった調子だ。
「今回の大会に応募したじゃないですか。応募要項に『プロ、またはプロを目指す方』と書いてありますよ」
「それは……落ちると思っていたので、ただの参加賞目当て、で……」
目が彷徨う。
こんなことになると思ってなかった。普通に落ちて、参加賞でもらえた嬉しいと言って普通の生活に戻って、ちょっと魔法陣の描ける社会人になるという未来を描いていた。
言い訳の言葉が大量に浮かぶ。俺の下にはプロやプロになりたかった人たちが居て、その人たちのことが一気に見え始めた。彼らから見たら俺は腹が立つほど勿体ないことをしている。
天願さんはじっと待っている。どうすればいいのか混乱する俺の代わりに、姉さんが口を開いた。
「もし仮に転入するとして、恥ずかしながら入学金などは払えるか難しいですよ。確か古野学園は遠方からの生徒は寮で生活することになります」
「それは安心してください。今回の賞を鑑みて無返済の奨学金を貰えます」
「無返済……そんなものもらっていいんですか」
「はい。学園は補助金、学費、そして卒業生からの寄付によって運営されています。学園が求めるのは、奨学金をいくら使ってもいい代わりにそれに見合った作品を作ることです」
「……」
つまりは、見合ったものを作らなければ意味がないじゃないか。これを聞いて貰う奴なんて、天才か自己意識の肥大した自信家だ。俺にはそんなものはない。
目の前が揺らぎ始める。ここで大きな人生の岐路に立たされていると気づいた。多分、これは、とても大きなチャンスなんだろう。だがそれをものにするだけの自信がない。そもそも魔法がつかえない従姉さんから離れるべきじゃない筈だ。
混乱が混乱を深め、逆に怒りが増してきた。尊敬はあったが、今は投げ出して、馬鹿と思われてもいい質問を投げかけた。
「どうして俺なんですか?」
「あなたの作品が投稿作品の中で一番わかりやすく、機能的だったからです」
即答だった。面食らい、何を言ったらいいのかわからない。
「魔力の消費量もかなり少なくて誰でも使える。併用もできてシンプルな構図なため他のものと組み合わせやすい。何かこだわりがあるのでしょうか」
「魔力が少ないんです」
「ああ、だからですか」
憐憫の雰囲気はない。商品を紹介する店頭販売のように手をパンフレットに差し伸べた。
「なら、尚更転入することをお勧めします。科学科があって、ここは科学技術の分析、魔力を使わない手法の確立を目標としています。魔力に左右されない汎用的な技術の確立を目的とした学科です。そこでなら魔力とは無関係な、魔法界では中々手に入れにくい知識も簡単に手に入ります」
引っかかった。手に入れにくい知識と言うと、
「人間界の知識ですか」
「そうですね。うちの学校は、特に成績優秀者は人間界の人々と交流会もあります」
期待していた情報に、一気に世界の音が戻ってきた。
「それは魔法陣学科の方も同じですか」
「ええ。魔法陣学科の方は学内コンペで優勝すれば人間界へ行くこともできます」
「詳細は冊子の方にも載ってますか」
「そちらの入学案内の方に」
「ありがとうございます」
手に取って中を見た。
「涼!」
失礼だと言いたげな姉さんの視線。無視してただページをめくる。言われたコンペのページがあった。確かに成績優秀者への人間界への交流会への参加権利が渡されると書いてあった。そして、その下に条件があれば付添人を付けることができる。
これだ。
従姉の前では言えなかったが、これが分かればいい。俺の場合、人間界へのビザは持ってないし、魔力が少ないという一点でいろんな不便があると言える。
今の魔法界で魔力がほとんどないということは、人間界からの来訪者で特別争いでもしなければかなり不便だ。使えないものも結構ある。だから従姉を連れて行きたいと言えば連れていけるはずだ。そうすれば姉さんは望んだ人間界に行けて、何かいい刺激になるはずだ。少なくとも足手まといにはならない。
少なくとも従姉さんの夢の手助けができるかもしれない。
従姉さんから離れるのは気がかりだ。だが、心は決まった。もし結果が残せなかったらそもそも目が無かったと思ってもらうしかない。
俺は覚悟を決め、顔を上げた。
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