【7】
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。
ニートの頃は時間が遅々として進まなかったのに。
「遠いのに送ってもらっちゃってすみません」
「そこは『ありがとう』で。恋人を送り迎えできるのはうれしいことですよ?」
「くぅー、言うなあばんどうぅー!」
1月3日。
箱根駅伝の復路も終わった。
迎えに行った時と違って、助手席には恋人が座っている。
「うう……帰りたくない……明日仕事行かなきゃダメぇ?」
「ダメなんじゃないですかねえ。それとも、このままどこか行っちゃう?」
「悪魔の誘惑きた! 大丈夫です、コピーの仕事好きなんで。ちゃんと行きます」
「まかり間違って俺の小説が大ヒットして稼がなくてよくなっても?」
「いきますぅ。おしごとだいすきですぅ」
「すごい! 玲花えらい!」
何気ない会話が楽しい。
お仕事は行かなくちゃいけないし、いまのところ俺の小説が大ヒットする兆しはない。
現実逃避の妄想会話が楽しい。
「けど、本音は帰したくない」
「えー? 『名残惜しいぐらいがちょうどいい』んじゃないんですか?」
「くっ、過去の俺の発言! 名残惜しさと離れる寂しさと。世の恋人たちはこれが日常か、すごいなあ」
「ふふ、好きってどういう気持ちかわかりましたか?」
「わかった気がするけど、これを言葉にするのは難しいね」
「がんばって! がんばって職業作家!」
「語彙で勝負するタイプじゃないから! 読みやすさとテンポで勝負するタイプの職業作家だから!」
「逃げたー!」
「あれですよね、むしろ好きって感情が強いと語彙が死ぬ」
「たしかにー! 言葉で表現するって難しいです。だから面白いんですけど」
「がんばって詩人さん! 歌人さん!」
「なんかバカにされてる気がする」
「してませんよ。ほんとに、玲花の表現が好きなんで」
「それはそれで恥ずかしい!」
玲花を助手席に乗せて車を走らせる。
まだ夕方なのに、外はすっかり暗くなっていた。
三ヶ日の最終日、高速道路の上り、首都高川口線は空いている。
「うん、Uターンラッシュはたいしたことなさそうですね。中央道に入るところが渋滞してるぐらいかな」
「じゃあ早めのお別れかあ」
「今度玲花の部屋にお邪魔させてくださいね? 今日は準備してないんでアレですけど」
「マジか、片付けなきゃ!」
「平気平気。実家にいた当時は妹の部屋はすごかったですしね。なんなら玲花が仕事行ってる間に片付けようか?」
「主夫ぅー!」
「料理はできないけども。洗濯と掃除はなんとか」
「理想なんだよなあ。たろーさん好き」
「俺も玲花好きです。なんだこの会話バカップルか」
「いま気づきました!? ねえいま!?」
もう少し走れば江北ジャンクションだ。
分岐を進みやすいように、首都高川口線の右車線を走る。
「あーそうだ。この時間ならこのあと……」
「何かあるの?」
「前方から右側、見ててください」
ゆるやかな上りに、スピードが落ちないようアクセルを踏む。
カーブを越えて、視界が広がった。
「うわ……夜景キレイですね」
「手前が荒川で、景色が抜けてるんです。だからけっこう先まで見えて。正面、スカイツリーですよ」
「ほんとだ! なんか新鮮です!」
「車でも電車でも、路線的には近いんだけどね。実は上まで登ったことない」
「えー? じゃあ、今度一緒に行きましょ? レストランも、プラネタリウムもいいですよ!」
「ぜひぜひー。はあ。一緒に行きたいところが増えてくなあ」
「楽しみですねえ」
車間距離とスピードを気にしながらゆるやかな坂を下る。
ちょっと走って江北ジャンクションを右に行く。
と、また視界がひらけた。
こっちから行くと、扇大橋は上の車道を通ることになる。
「うわあ、なにこれエモい」
「東京に来た!って感じするよね」
「語彙! 二人して語彙が死んでる!」
「短文で表現するタイプじゃないんで! 詩人さん?」
「瞬発力で勝負するタイプじゃないんで! はあ……」
バカなことを言ってきゃっきゃしてると、玲花が静かになった。
左車線に入る際、左を確認するタイミングで助手席をチラ見する。
「えっ!? 玲花泣いてる? 俺なんか変なこと言った!?」
「ううん、これは違うんです」
気になってもよそ見はできない。
玲花の声に集中する。
「なんでしょうね、別れの時間が近づいた寂しさと、幸せだなあって気持ちと、夜景見たらぶわーっと埋め尽くされちゃって」
「ああ、うん、なんとなくわかる。俺は運転してるから頭の片隅だけど」
「それで涙でてきちゃって。だからたろーさんのせいじゃないんです」
「うう……今度泣く時は、俺が運転してない時にしてくださいね」
「なんでですか?」
「だって運転してたら玲花の涙を舐めとれないじゃないですか」
「えっなにそれキモい」
「ええっ!? 玲花は俺の涙を舐めとるのに!?」
「それはそう」
「逆は!? 俺が玲花の涙を舐めとるのは!?」
「キモいです」
「理不尽! 恋人が理不尽!」
「もう笑かさないで!」
「いやだってねえ!?」
玲花が笑いながら目尻を拭う。
別れの寂しさはバカみたいな会話で上書きされた。
きっと、玲花の家が近づくとまたおたがい寂しくなるんだろうけど。
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