襲来

ドン、と火山が噴火した様な鈍い音と振動で目が覚める。

突然の出来事に驚いたニースは体をガバッと起した。

外は大雨だった。視界不良だが遠くの方で煙のようなものが上がっているのが見えた。


「おい、バンビ…あれはなんだ?」


不審に思ったニースは異常事態にも気づかず隣ですやすやと眠るバンビを揺する。


「ん〜…あと10分…」

「おいおい!」


呑気なバンビだった。

ニースはバンビの顔を覗きながら、起きろと何度も体を揺する。

起きろ起きないの攻防を繰り返している最中、廊下からバタバタと走る音が聞こえてきて、バンビの寝室のドアが勢いよく開いた。


「姫様!一大事でございま…た、大変失礼しました…!」


メイド長がやってきたのだ。

何を失礼したのかわからないがメイドは深々と頭を下げた。まるで何も見ていません、という様に…。

勘違いするだろう。

ニースは慌ててベッドから降りようとするが、後ろから服を引っ張られる感覚があった。振り向くとまだ気持ち良さそうに眠るバンビの右手が、ぎゅうっとニースの服を掴んでいるのだった。


「そりゃ勘違いするわ。」


ニースはペイッとバンビの手を振り払うと、彼女から半径1m以内で距離を取る。


「メイド長。先に言っておくが、あんたの想像をしていることは起きてないからな…。それより一大事ってのは?」

「はっ!そうでした。姫様、姫様。起きてくださいませ!」


メイド長は緊迫した声でバンビに近づき、彼女を夢の世界から呼び起こさせる。肩を大きく揺さぶられると、バンビは瞳を少しだけ開ける。ずいぶんとぞんざいに扱うものだ。


「う、う〜ん…。何よ、人が気持ちよく寝てたのに。」


寝起きの悪いバンビはご機嫌斜めだった。しかし、彼女の機嫌を直している余裕などないようだった。メイド長は緊迫した声でバンビの脳を一気に覚醒させる一言を告げる。


「ロギエの『ヨト』が現れました!」

「なんですって!!」


目が覚める様な報告だったらしい。

バンビは目をギョッとさせて焦りの色を隠せずにいた。バンビはベッドから跳ね起き、寝巻きからさっさと着替えに走る。

聴き慣れない単語が2つも並び、何が起きているか困惑するニースを他所にメイド長とバンビは話を進めていく。


「こんな時に…!被害は?」

「今は守護班の結界によって白像へのダメージはありません。」

「住民たちは?方角は?あと、私の兵も出す様に指示してくれる?」

「現在の白象の進行方向、南に現れました。南地区の住人は現在避難中ですので問題はないかと…ただヨトは進行方向の逆側に竜巻を発生させているため、後退できない状態です。また王の兵団が交戦中です。」

「じゃああいつに遅れを取らない様に急いで兵を回してくれる?あー、もう!ラトスがいない時だってのに。」

「かしこまりました。至急手配いたします。あと、結界がいつまで持つか分かりませんが、ラトス部隊には急ぎ戻る様、レースを飛ばしました。」


レースとは伝書鳩の様なもので大きな鷲の形をした魔術だ。その魔術に言伝を預けると、伝えたい相手の元に飛んでいく。


「それまで何とか防げればってことね。」


バンビは着替えを終えると、現場に向かうために走り始める。遅れを取るわけにはいかないニースは、何が起きているのかさっぱり分からないが、とりあえずバンビとメイド長についていく。


「お、おい…、何が起きてるんだよ。」

「あなたいたのね。忘れてたわ。」

「一応、説明してくれると助かる。」


緊迫はしているがバンビのいつもの調子に一瞬気が抜ける。


「敵よ。敵が攻めてきたの。」


端的に何が起きているか伝える。


「敵はロギエと名乗る集団で合計9人いると言われているわ。私たちも全員と出会したことがないから、実態はほぼ謎に近い。この白象を封印してから1000年の間…ずっと私たちに攻撃してきている。」

「理由は?」


階段をおり、中央の広場に向かう。城は中央地区にあるため、避難場所とされている。一番活気のある城が中央区にあり、城を中心として北区、東区、西区、南区と分かれている。各地区には中央区から派遣されている部隊が配置されているが、今回のような強敵が相手だと中央兵士団が南兵士団と合流している。

中央広場では、兵士たちの護衛の元、南地区から避難してきた住人たちがぞろぞろと集まってきていた。

メイド長はバンビの隊に指示を出すために、ここで別れた。彼らが南区に向かうのに数十分はかかるだろう。それよりも早く現場に駆けつけて、現状を把握する。指揮官自らが先に向かうという前衛的な戦い方だ。


「『ロキ』を知ってる?」

「御伽噺で聞いたことはあるな。昔、この世界を破滅させようとした悪党だっていう。」

「実話よ。1000年以上前の話にはなるけど。ロキはね、世界を破壊するために、この凶悪な白象を4体世界に放ったの。毎日響き渡る地鳴りと地獄の様な日々をまだ覚えているわ。」

「この白象がこいつの他にまだ3体も存在するのか?」

「ええ、そうよ。ベンゼンの街を中心に、出会うことなくずっと同じコースを4体歩き続けているわ。私たち一族は散り散りになって、4体の象を制御しているの。」


中央の広場はごった返しており、通り過ぎる人々の顔は一様に不安げだった。


「ロキは私たちの一族で最強と言われる武器と剣士によって倒されたわ。」

「それがさっき言ってた?」

「ラトスよ。多分、この地上で彼を倒せる人間はいないわ。」

「ラトス…。」


確かに古くから語り継がれる英雄伝に彼の名前があった。まさか実在しているとは思わなかった。


「だけど、ロキは最後の悪あがきで、自分の魂を9つに分散させた。その魂が宿ったものはロギエと呼ばれ、ロキの復活を…世界の破滅を目的としている。」

「白象を解放して世界を終わらせようってことか?」

「多分、それが目的だと思うの…。連中はロキの復活させる方法が分からない、と私たちは仮定している。手っ取り早く世界を終わらせるには白象が必要だから、こうして攻めてきているのだと思うの。」

「1000年もの間、か?」

「そう。この1000年間、ラトスがロギエを倒しているけれど、魂自体は別の誰かに取り込まれて、またこうやって攻めてくる。モグラ叩きみたいに。」


嫌になっちゃうわ、とバンビはため息をつく。


「そのラトスは先日、ロギエが現れたからって他の白象へ派遣されていったの。普通なら2日もあれば戻ってくるのに…もう1週間以上も戻ってきていない…。」

「とにかく今は大ピンチってやつか。」

「そう、ね。ラトスの状況は分からないけど、私たちができる精一杯の足止めをする。」


ニースとバンビは住人の動きに逆らいながら、ヨトが現れたという南区に到着する。複数名の兵士と王が指揮を取り、すでに攻撃は開始されていた。


「一足遅かったな。娘よ。」


南区の見晴らしの良い高台の上から王はバンビを見下ろす。


「足手まといだ。さっさと城へ戻って二度寝でもしていろ。」

「こんな時におちおち寝てられないわよ!いくわよ、ニース。私たちのできることをするわ。」

「お、おう…。」


緊急事態の中でも言い争う親子。

そんな中、後ろからバンビ隊が到着する。バンビは王に負けまいと、彼らに指示を出し始める。


「とにかくラトスが到着するまでの間、できるだけ相手の体力と魔力を削るわ。傷ついたらすぐに後退してきなさい。治癒魔法ですぐに回復させるわ!傷つくことを恐れないで立ち向かいなさい!!」

「「「おおおー!」」」


バンビ隊はやる気満々だ。

血気盛んな声が南区に響き渡る。


「バンビ…ここは範囲治癒魔法を使わせてもらう。」

「範囲治癒魔法?」

「戦場において多用される治癒魔法だ。地面に魔法陣を描くことで長期的に利用することができる。魔法陣の下に戻ってくれば大抵の傷は癒える。」

「なるほど…。みんな、聞こえたかしら?今からニースが魔法陣を描くわ!怪我した人間はそこに戻って治しなさい!」


バンビとニースは白象の頭部分に移動する。

目の前で繰り広げられる征野は悲惨なものだった。負け戦にも程がある。

ロトと呼ばれるロギエの一味は、白象と同じくらいの巨人で天候を操る魔術を得意としている。視界を悪くするために雨を降らせ、大地はぬかるみと化していた。

剣で攻撃すれば彼の胴体に阻まれ、弓矢を使おうとすれば彼の魔術の餌食になる。大きな竜巻に飲み込まれるだけで、そこにいる軍隊が全滅する。全ての攻撃は当たらず、ロトは自分の体型と魔術に恵まれていた。


「ちっ…」


バンビは小さく舌打ちし、指をかむ。嫌な戦場だった。

ニースは魔法陣を描く準備に取り掛かる。円陣を描くには時間がかかるらしい。ぶつぶつと聞いたことのない言語を呟くと、手を地面にむけて広げる。


『エリア・ヒール』


象の足元部分に3つの魔法陣が描かれる。


「ほう、これはこれは…」


高台にいたはずの王が背後から近づいてくる。感心している様だが、なぜか小馬鹿にしている印象を受けた。


「ねえ、あの魔法陣は人によって分別とかしてくれるかしら?」

「は?!お前、この後に及んで何言ってんだよ!」

どこまでも冷酷なバンビの言葉にニースは信じられないと言った顔をした。

「あなたは私の部下でしょ?お父様の兵団なんか対象にして治癒する意味はないわ。」

「お前はまたそんなこと言って…!」

「良い。勝手にしろ。私の部下はお前が鍛えたという兵団より遥かに優っている。怪我人など出るはずがない。」


王は自らが集め、強くした兵団に自信があるのか、表情を崩さず凛とした口調で、言葉を紡いだ。


「お父様の目は節穴かしら?私の目にはかなりの傷を負っているように見えるんだけど。あ、そっかー。お父様にはあれがゴミに見えるのね?使い捨てのコマですものね。倒れたらいくらでも代わりを用意すれば良いだけでしょ?それこそ、お父様の権力を使って…何人もこの象の上に乗せれば良いわ。」


「傷ついても尚立ち上がる…立派な精神を鍛え上げた兵団だ。この程度の傷など痛くも痒くもないわ。治癒の力を利用し、何も為せずに帰ってくる。この愚かな烏合の衆を作ったお前よりは十分な兵団よ。」


「なんですって!!じゃあ治癒するなって言いたいの?お父様の下で何人も怪我しているの知っているくせに…治さないで放置して…!精神論もいいところだわ。一体何人の民がお父様のくだらない理屈のせいで苦しんでると思うの!?痛いなら、痛いと言って、風邪を引いたのなら辛いと言える…そんな環境を作ることこそ統治じゃないの?責任能力のない王様なんてこの国にいらないわよ!」


「お前が統治を語るな…。お前にこの地を統治する能力はない!中途半端に手を出して、国作りの真似事など、国はお前のおもちゃではないぞ。」


「そんなこと言うなら、お父様の兵団は意地でもあの陣の中に入れないからね!」


「いらぬと言っておる!」


どんどん加速していく親子の喧嘩の終着点が見つからない。お互いがお互い、日頃から溜まっている鬱憤を吐き出している様に思えた。

下を見ると王の傷ついた兵団たちが治癒の魔法陣に向かっていく姿があった。


「ほら、見なさい!やっぱり治癒魔法は必要なのよ!何が精神を鍛えているよ!結局、必要なんじゃない!」

「敵に背中を向けるような愚かな兵士にしたわけではない。治癒など不要だ。」

「治癒は必要よ!」

「不要だ!!」


治癒魔法の要不要論が勃発している。だが、こんな言い合いをしていても戦況が変わることなく劣勢が続いている。


「〜〜〜〜!!!お前ら…いい加減にしろよ!!今の状況を見ろ!言い争ってる暇なんてねーんだよ!薄々思ってたんだがな…バンビ!お前のそれは反抗期ってやつだ!子供から大人になる過程でなんでも否定的、反抗的になるあれだ!そんでもって王様…!反抗期に反抗返してんじゃねーよ!親なんだったらちゃんと向き合え!あんたがバンビを否定したら、バンビの反抗は強くなるばっかだ!」


二人の止まぬ口論に嫌気がさしたニースは、珍しく感情を露わにする。


「よく考えておけ…そんで、元はといえば…あの巨人・ロトを倒せば問題ないんだろ?ラトスが来る気配は一向にない。こうなりゃ時間稼ぎじゃなく、俺たちであいつを倒すしかねーんだ。」

「ニース?ちょ…それ以上離れたら…!」


ニースは数歩ずつ前に進み、半径1m以上の距離を取る。バンビが抑制しても、ニースの歩行が止まることはなかった。


「知るか。俺は俺で勝手にやらせてもらう。お前ら親子はそこで反省でもしてろ!!」

「ニース!!」


すると、地面に反転魔法陣が描かれ、ニースはそのまま真っ直ぐロトに向かって弾き飛ばされていった。

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