蛇の話

「あれはヨルムンガンドと呼ばれる死と再生を繰り返す不老不死の蛇だ。」


この話を人に明かすのは初めてだった。


「俺は両親に海に捨てられ、一度死んだ。」


あの日も満月の夜だった。


金の使い方が荒い両親の元で育ったニースは常に貧乏だった。

ニースは幼い頃から彼らに強要され、街に働きにいった。だが、その金がニースのために使われたことは一度もない。稼いだ金は、彼らの私腹に費やされる。

酒、ギャンブル、タバコ。

稼いでは使い、稼いでは使い。好きなだけ物を買い、飲みあさり、繰り返し、繰り返し、それでもニースは両親のために必死に稼いだ。

今となってはなぜ両親のために尽くしていたのか理解できないが、あの頃のニースにはそれが全てだった。


「だけどある日、仕事でうっかり大怪我しちまって、足が動かなくなった。」


ズボンの裾を上げると、その時の傷はまだ足に残っていた。深い、深い、切り傷だった。


「運良くそこに医者がいてさ。その人は治癒魔法は使えなかったんだけど、止血とか色々手を施してくれたんだ。でも…まあ、やっぱり傷は深くってさ、足は使い物にならなくなった。仕事はクビになるし、あーこりゃ人生積んだって思ったよ。」


行くあてもないニースはやはり両親の元に戻るしかなかった。足を引きずりながら必死に家に帰ったが、彼の姿を見た両親は激怒した。ニースは心配して欲しかったなどとおこがましい感情を持つような人間ではない。


「やっぱりな…」と、思った。


激昂した両親はニースに暴力を振るい、動かなくなったニースを海に放り投げた。


「納得したけど、これで人生終わりなのかって虚しい気持ちに襲われたよ。」


深く冷たい海に沈んでいく自分の体を第三者目線で見ているようなふわふわした感覚だった。

これが死か…と理解した。


「そんな時、こいつに話しかけられたんだ。」


ー…生きたい?


そう尋ねられた。


「別にどっちでも良かったんだけど、死ぬか生きるかだったら、生きたいって思うわけじゃん。」


海底深くに沈むとぐろを巻く蛇。

身体中に鎖が巻かれ動くことも許されない。何十年、何百年、あるいは千年以上、時が経過しているのだろう。赤く光る瞳以外は海藻や海屑がへばりつき、岩のような物と化していた。


ー…ならば契約をしよう。僕は不老不死の蛇・ヨルムンガンド。ヨルって呼んでよ。ちょっと事情があってね、僕の体は、こんなんだから…もうここから動くことができないんだ。


蛇は続ける。


ー…僕の魔力を君の魂に移す。僕は肉体を捨てることになるけど、君の中で生きられる。そして、君もまた息を吹き返すだろう。ここから出られるのなら、僕はそれで構わないよ。どう?好条件だと思わない?


蛇は自身の肉体に興味がなくなっていた。この海底から一刻も早く逃れたい一心が強かった。


どうする、ともう一度、問われた時、ニースはヨルムンガンドと契約を結んだ。ヨルムンガンドはニースの魂となり、体は息を吹き返した。


「ただ…あの時はただもう一度生きられるってだけだと思ってたんだ。まさか…自分が不老不死になるとは思わなかった。」


それを問い詰めるとヨルムンガンドは笑ったと言う。


ー…契約は結んでしまったのだから、もう破棄はできない。クーリングオフもないよ。ずっと生きられるなんて良いことづくしじゃない?でも君がどうしても嫌だって言うなら…う〜ん…でも、契約を解く術は知らないから、不老不死が嫌なら自分で探しなよ。


他人事だった。


ー…君の記憶見たけど、めちゃくちゃ馬鹿だねー。君のお粗末な頭じゃ、契約解除の方法にすらたどり着かないんじゃない?


そして、馬鹿にされた。だが事実だった。


「諦めた俺は…新しいことに挑戦しようと思った。今までしたこともなかった勉強ってやつをヨルから教わった。自分の底にあった魔力、ヨルの魔力の使い方。あいつの不老不死の魔力を混ぜることによって、どんな病気も怪我も治っていくんだ。」


その時、一個だけ未来のことを想像した。


「ヨルの魔力の使い方を知ったら、俺はふと俺の足を治してくれた医者のことを思い出した。」


この力があればどんな人も救える。助けられる。治療ができる。


「俺が医者になればいい。」


そう思った。


「それからは毎日勉強と魔力のコントロールについて学んだ。で、ある日、今日みたいなことが起きた。」



満月の夜。

誰もいない静かな廊下。

そこで目覚めたヨルは、バンビの首を掴みグッと力を込める。


「あんたが…あんたのせいで僕は魔石を食べられない。餓死しそう。ねえ、人間も美味しいのかな?あんたはどう思う?」

「あ、なたは、誰、なの?」


バンビは途切れ途切れに言葉を紡ぐ。


「僕?なんであんたなんかに僕のことを教えなきゃいけないの?」


ヨルの赤く光る瞳がカッと大きく開く。手にこもる力が更に強くなる。


「…くっ…に、ニース…」

「…まあ、いいや。あんたが死んじゃうと、ニース悲しむみたいだし。100歩譲って、あんた、ニースの荷物どこか知ってる?」


ニースの名前を叫ぶとヨルは瞳を細くし、手をパッと開く。ようやく空気を取り込めるようになったバンビは、ごほっごほっと何度か咳き込む。


「荷物は私の部屋に…」

「どこ?」

「あっち…。でも、ごほっ…あなたは私から半径1m以上離れたら、ここから放り出されることになるわ。ごほっ…」


バンビは「あっち」を指差すが、その場にしゃがみこんだまま全く動かず、何度も咳こむ。


「あんた、どんくさー。わかったよ。」


ふー、と大きなため息をつくと、ヨルはバンビのことを担ぎ上げた。

いわゆるお姫様抱っこというものである。


「ちょ!離しなさいよ!」

「だって、あんたずっと咳き込んでるし、全然動かないし。こっちはお腹空いてんの。餓死寸前なの。あんたの命より僕の命。緊急事態なんだから、大声上げないでよ。殺すよ。」

「こ、殺す!?」


ヨルはバンビの指差した彼女の寝室に向かって歩き出し、たまに指示を仰いだ。そして部屋に到着するやいなや、彼女をベッドへ放り投げ、床に置かれているニースのカバンをあさり始める。

その中に小さな瓶を見つけると、硬い蓋を無理やりねじ開けようとする。


「ちょい硬め。」


ニースが自分の魔力を込めて解除できないようにしておいたにも関わらず、ヨルの前では蓋がちょっとだけ硬い瓶、だった。あっさりとパカっと開ける。

そして、あーん、と大きく口を開けると、中に入っていた魔石をザラザラと口の中に流し込む。ガリガリ、ザクザクとガラスを砕くような硬い音が聞こえてくるが、気にもしない様子でリスのように魔石を口の中にため込んだ。


「な、何が起きてるの?」

「あー、お腹いっぱいー。」


瓶の中を空にしたヨルは満足したのか、伸びをしながら至福の声を上げる。すると、気が抜けたようにバターンと倒れ込んで動かなくなった。


「え…ちょ、ちょっと…。」


先ほどのトラウマが脳裏をよぎるが、バンビは恐る恐る彼に近づく。汚いものに触れるように人差し指で、彼のことをチョン、チョン、とつついてみる。


「ニース…?」

「ん…」


彼はゆっくりとまぶたを開ける。


「ニース…なの?どっち?」


また首を掴まれたら、どうしようと思ったが、バンビは彼の瞳の色が元の緑色になっているのを確認した。


「悪い。俺だ、ニースだ。」


口調も戻っている。

ニースは重たい体をのそりと起こして、頭をボリボリとかいた。


「どういうことか、説明、してくれるわよね?」


ニースの隣に横たわる空の瓶を見て何が起きたのか全てを悟った。そして、言い逃れのできない状況だということも一瞬で察した。

冒頭に戻る。

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