あなたは誰?

次の日も、その次の日も、ニースはバンビと共に多くの国民を治療した。

多くの人間が、待ちわびた治癒師が来たと喜び、ニースのことを温かく受け入れてくれた。一人一人に治癒するたびに感謝され、ニースの治癒魔法の高精度の話は瞬く間に広まった。彼に治療を施された全員が署名に名を連ね、彼は国民からの信頼を着実に手に入れていった。


「そういえば、俺…この国来てから国王って人に挨拶してないし…見たこともないけど、それって平気なのか?」


次の治療へ向かう道中、ニースはリストを確認しながらバンビに問う。


「大丈夫よ。あなたは私に認められたから、別に挨拶なんていらないわ。」

「いることにはいるのか?」

「いることにはいるわよ。」


これ以上次の会話が出てこない。

自分の父親のことなのだから、もう少し話すこともあるはずだ。しかし、待てど待てど彼女の口から国王の話は出なかった。


「ひ…姫様!」


通りかかった家の前で一人の女性に呼び止められる。バンビは一瞬気難しい顔をしたが、すぐに取り繕った笑顔を作る。


「どうしました?」

「私の…私の家の主人の病気はいつ治るのでしょうか?」

「申請はしてますか?」

「はい、確か80年ほど前に。」

「おかしいですね…。そのような届け出はいただいていないのですが?」

「それは…それは、主人が病にふせる前に国王直属の部下だったということに関係はありますか!?」

「はて…?なんのことでしょうか?すいません、次の診察が控えていますので、これで失礼します。もしかしたら、書類が紛失してしまったのかもしれません。また申請を届けておいていただけますか?」

「別に歩いてるついでだ。診るくらい構わないだろ。よく分からないが、申請書が必要ならあとで記入してもらえばいい。」


オロオロと困り果てている女性を横目に、ニースは頑なに断ろうとしているバンビの間に入る。


「奥さん、家に失礼してもいいですか?」

「ちょ、ちょっと!勝手に話を進めないでよ!次の家に行かないといけないの!こんなところで油を売っている暇はないわ!」

「5分くらいいいだろ?5分で死ぬほど、お前ら一族は柔じゃないだろし。それより80年も待たされてるこの人の旦那さんの方がよっぽど不憫だ。」

「わ、私はここから動かないからね!いいの?半径1m以上、離れることになるんだからね!」

「もし俺がいなくなったら、次を待ってる患者は助けられないな。それは申し訳ない。」

「そうでしょ!?なら…」

「だが…俺はあんたのことを軽蔑する。目の前の患者を見捨てられるような姫に仕える気なんてさらさらねーよ。」


ニースは初めて冷ややかな目でバンビのことを見た。バンビを見つめながら、一歩、一歩と後ろ向きでバンビから離れていく。

バンビは意地を張って全く動こうとしない。

さらにもう一歩…ちりっという反発し合う何かを感じた。境界線に近づいてきているのだ。


「〜〜〜〜もう!分かったわよ!!ついていくわよ!」


あと一歩後退使用と思ったところで、バンビの根をあげた。


「どうも、ありがとさん。」


案内された女性の家にニースとバンビは入っていった。

中はまあまあの広さだったが、旦那が働きにいけない体になってしまったせいなのか、随分と質素な生活をしているようだった。

ニースはリビングのソファーに座り、目をつぶる身体年齢50代くらいの男性の前で『診て』いた。魔力の滞りは目に集中していた。


「症状は?」

「失明です…。旦那は国王の片腕として長年仕えていたのですが、どんどん視力が低下していきまして…。私たちは歳を取らないはずなのに、老いはないだろう…なんて冗談を言っていたのですが、しまいには見えなくなって、このような状態になってしまったんです。」

「ありがとうございます。旦那さんは耳は聞こえますよね?」

「あ、ああ…」


旦那が小さく返事をした。


「目、失礼しますよ。ちょっと滲みますよ。」


閉じていたまぶたにそっと触れ、ニースは治癒の魔術が篭った水滴を眼球に垂らす。


「!?」


突然の感覚に驚いたのか、男性は目を手で覆い隠す。


「しばらくすれば水滴が目全体的に広がり、効果が出てくるはずです。最初はぼやけて見づらいかもしれませんが、慣れれば健康体に戻ります。あと見えたからと言ってすぐにあれこれ見ようとしないでくださいね。直射日光は見過ぎないように…あと、目を長時間酷使しすぎないように注意してください。」

「それだけ…ですか?本当にそれだけで治るんですか?」

「もし治らなかったら、また声をかけてください。どうせその辺歩いてると思うので。」

「は…はあ…」


女性はきょとんとした顔をしていた。ものの数分で治ったという言葉を信じられないようだ。


「この程度ならたった3分だ。もういけるぞ。」


不服そうな顔をしているバンビの手を引っ張り、夫婦の家から出て行った。

なかなか機嫌の治らないバンビは、次の家に着くまでの間、無言でずっとブスッとした顔をしていた。生きている年数ははるかに上なのに、まるで子供のようだった。


「いつまでブスくれてんだよ、バンビ…」

「勝手な行動を取らないでよ…。私の命令は絶対、でしょ!」

「でも、今、放棄したら、大変なのはあんただよな?」

「白象の国民の一人になりたい、と言ったのはどっちよ…。次はないからね!!」

「絶対?」

「ぜーったい!!」


ニースに向かって舌をベーっと突き出して、バンビは大袈裟さに不満をアピールした。




「あー…疲れた…」

「今日もお疲れ様。だんだんと治療するペースが早くなってるわね。これならもう少し増やしてみましょう。」


本日のノルマを達成し、暗がりの二人は城の廊下を歩く。夜の廊下には点々と蝋燭の火が灯るが、今日は満月だ。窓からの入る月明かりが廊下を照らしてくれる。


「それは、まじで勘弁。俺の体が壊れる。」

「寝て、起きれば、なんとかなるでしょ?」

「そう思うなら、もう少しマシな寝床を用意してくれねーかな…?こっちは毎日床に寝かされて背中がいてーんだよ。」

「自分で治療すればいいじゃない。」


本日一回命令に従わなかったでこの態度。ニースへの配慮が著しく低下していた。


「!」


廊下から重量感のある足音が聞こえてくると、バンビの足がピタリと止まった。


「どうした?」

「うるさい。黙って。」

「は?」


ニースは彼女の低く冷たい声色に動揺を示す。どうやら足音の主に対して激しく嫌悪しているようだった。


「む…久しい顔だな。」

「ええ、お久しぶりね。お父様。」

『お父様!?ってことは、これが国王か!』


まだ黒髪の残る威厳のある男がやってきた。よく想像する『王』が着ている装束に身をつつんではいるが、無精髭を生やす威厳と倦怠感が入り交じる不思議な王だった。


「最近、忙しく動いているようだな。活躍が耳に入るぞ。」

「ええ。お父様が使い捨てにしている国民の皆様を治療するのに忙しくって。」


バンビは敵意丸出しだった。


「これが、その医者か?」


王の瞳はニースに注がれる。


「どこかの誰かと違って、優秀なお医者様よ。」

「ふん。悩みの種が減って、仕事がし易くなったな。」

「私と話す時間があるくらい暇になったのね?さっさとその地位を捨てて、変わってあげてもいいのよ?今の国民は私とお父様、どちらを支持するのかしら?」


この親子は仲が悪いようだ。

二人の間に挟まれてニースは窮屈な思いをしていた。

バンビは今日集めることができた署名を国王に見せびらかす。


「近々、彼の…ニースの永住権を申し立てるわ。多くの国民が彼の居住を望んでいる。国民の声を聞くことができない無能なお父様でも、この意味わかるわよね?」

「出来損ないの娘の言うことを聞く親がどこにいる?その程度の紙切れの束が国民の総意などと思っているような娘に国王の地位を譲るわけなかろう。」

「なんですって!」

「おいおい…この辺でやめろ!な?」


殴りかかろうとするバンビの両肩を掴み、ニースは彼女の動きを制する。まるで暴れ馬だ。


「ニース、と言ったか?せいぜい足掻くことだな。」

「全力で取り組ませていただきます。」


バンビが暴れる中、王は二人の前を横切って行った。しばらくジタバタと動いていたが、国王の足音が聞こえなくなると静かになったので、ニースは彼女の両肩から手を離した。


「何よ!貶されてるのに、ヘラヘラしちゃって!それでも男なの!?」

「男であると同時に、国民(予定)の一人だからな…。さすがの俺も国王に異を唱えることなんでできないよ。」

「意気地なし。」

「おいおい。冗談はよせよ。」


バンビの言葉に苦笑する。


「なあ、もしかして、今日、お前が機嫌悪かった理由って…」


バンビが機嫌を悪くしたのは、あの失明していた男を治療してからだ。彼は『元・国王側近』で、なぜかバンビからもらったリストに病人として登録されていなかった。


「そうよ。無能の側近なんか治すわけないでしょ?ただでさえ無能なんだから、側近だって無能よ。せっかく引退してもらったのに、あんたが治しちゃったから無能が増えちゃったじゃない。」

「まじかよ。お前、そんな理由で…」

「そんな理由って何よ?私にとっても国民にとっても重要よ。」

「じゃあ、国民全員の総意なんて取れねーな。」

「国民全員の総意になるわよ。私に同意しない連中はみんな敵。国王の肩なんか持つから病気が治らなくなるってことを思い知らしめてやるのよ。生きたければ私側につくしかなくなる…。」

「独裁国家じゃねーか。」


医者の前では全ての人間が平等。困っている人間がいるなら、その人を助ける。それがニースの医者としての考えだった。

地位や立場に固執しているバンビの考えには同意できなかった。


「何がそんなに気に入らないんだよ。」

「あなたに話す必要はないわ。」

「そうかよ、じゃあ俺はこの話からおり…!!!」


『下りる』と言おうとした直後、ニースの心臓が激しく動く。ドクンドクン、と脈打つ鼓動がどんどん早くなっていく。

苦しい。息ができない。


『ねえ、お腹すいたんだけど?』


「くっそ…お前かよ…」

「何?どうしたの?大丈夫?」


あまりの苦しさにニースは膝から崩れ落ちる。ニースの明らかな様子の変化に驚愕したバンビは、彼に近寄ろうとする。


「く、るな…!あいつが…。」

「あいつって誰よ?ねえ!!??」


意識が朦朧とする中、バンビに来るなと伝えるが、そんなことで足が止まる彼女ではなかった。彼女はニースの前で膝をつけ、彼の肩を揺する。


「きゃっ!!」


しかし、ニースはバンビのことを思いっきり押し退けた。バンビはそのまま床に尻餅をつく。


「いったぁ…ちょっと!何するのよ!!」


と、バンビがニースに抗議しようとしたときだった。にゅっとニースの手が伸びてきて、そのままバンビの首を握りしめる。


「あんたか…あんたのせいで…」

「うっ…くっ…に、ニース…?」


俯いていたニースの顔がゆっくりと上がる。

月影に現れた爛々と光る赤い瞳に、バンビは息をひっと飲み込む。

まるで蛇に睨まれた蛙。


動いたら殺される。

息をすれば殺される。


目の前にいるのはニースなのに、別人のようだった。子供のような残虐さと闇より深い悪を感じた。


「あなたは…だ、れ?」

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