そんな話は聞いていない part 3
夜の10時を回ったところでようやく治療から解放された。
今日はもうくたくただ。できるだけ多くとせがまれ、本来7人のところを20人に増やされた。
『この女、鬼だ…』
心も体も憔悴し切ったニースはふらふらと歩きながらバンビと共に城に戻っていく。
「そういえば…俺はこれからどこで生活していくんだ?」
自分の家はまだもらっていない。
例え雇用関係が契約期間中だとしても、最低限の衣食住は保証して欲しかった。
「そうね、もちろん、用意してあるわ!」
今日一日、街を観察して分かったのだが、この国の人間は適切な労働環境の元、不平なく働いているようだった。福利厚生は整っているはずだ。
バンビは自信満々に胸をはる。
「そうか。それはありがたい…」
城の中を通されて王族の関係者が住むようなフロアまで到達する。王室直属のメイド達はバンビが通ると一斉に頭を下げる。四方八方からバンビに近づき、彼女が羽織っていたコートを預かり、ついでにニースの白衣にも手を伸ばす。
長く続く廊下は装飾品はあるものの、つきあたりにぶつかるまでドアは一つもなかった。
「おい、ここって。もしかして…」
メイド長を先頭にバンビもその部屋に続く。
「そうよ。私の寝室よ。しばらくの間、あなたには私と一緒に過ごしてもらうわ。」
「は!?おま、え…ふざけてんのか?一国の姫と部屋をシェアとか、なんて噂されるか分かったもんじゃねーだろ?」
一瞬でもバンビを信用した自分を殴りたい気持ちになった。
「だってしょうがないじゃない。私があなたと契約を結んじゃったんだから。」
「…?」
「説明してなかったっけ?わかり易く説明すると…契りを結んだ人と半径1m以内に過ごさなきゃいけないってこと。」
「聞いてねーよ!」
つまり、バンビがニースの入国を許可した者…契約を交わした人間となるため、正式採用になるまでの間、ニースはバンビから離れて生活できなくなったのだ。
「ちなみに半径1m以上離れたら、あなた速攻この国から弾き出されるわよ。もっと詳しく説明するとね、白象の上は強い結界で守られててね…。今、あなたがここにいられるのは、私との仮契約のおかげで、一時的にその結界を弱められているの。」
「俺が範囲外に出た瞬間に元の強い結界の中に晒されることになるから、自然と弾き出されるっていうことか…」
「そういうこと!」
「そういうこと!じゃねーよ!」
夜、寝静まったところで、この国の不老についてこっそり調査をしようとしていたが、監視下に置かれてしまっては自由に行動することができない。不本意だが、ここは一旦断念し、正式採用確定後、討究することとしよう。
「姫様、こちらお召し物にございます。」
「お風呂は?」
「用意してあります。」
「あ、服なんだけど…彼の分も用意してくれる?あと私と彼の分の食事もここに運んできて。軽食で構わないわ。それと…」
バンビはテキパキとメイド達に指示を出す。彼女達も慣れているようでバンビの指示通り、一人一人が意思疎通を取らなくても、自分たちの役割のために動き始める。
「私、汗かいたからお風呂に入るわ。あなた出口で待ってなさい。」
「どういう仕打ちだよ…」
長い栗色の髪をふわりと揺らして、バンビは部屋の奥に通じる風呂場へ向かう。帰ってきたらすぐに湯船につかりたいタイプの人間のようだ。
この国から投げ出されたら元も子もない、と、ニースは仕方なしに彼女の入浴に連れそう。もちろん覗こうなどという卑劣な考えは持っていない。
「覗かないでね。」
「覗かねーよ。っつーか、俺は医者だぞ?人の裸なんて診察で…」
「失礼しちゃう。」
「いや、お前が言ってきたんだろ?」
ドアの向こうで水の流れる音とご機嫌な鼻歌が聞こえてくる。
「ご満足で何より…」
ニースは自分の方が頑張ったから労われ、などという横暴な考えを持つ人間ではない。いや、少しはあるが、ここは不満を飲み込んで心を広く持つことにした。
床ではあるが帰ってきてようやく座ることができた。足がじんじんと喜んでいる。緊張が一気に抜けたニースは風呂場前の壁にもたれかかり、その場でうとうとしながらまぶたを閉じた。
『ニース…ニース!』
『あ?誰…だよ?』
『寝ぼるなよ。人の力使っておいて、その態度はないんじゃない?』
『あー…ヨルか。』
ここはニースの夢と現実の狭間。
唯一、ニースが体に住まわす不老不死の蛇・ヨルムンガンドと対面できる場所だ。
真っ白で何もない。地面も空も。永遠と白が続くだけの空間だ。
『お腹、すいたんだけど?』
『悪い。忘れてた…。珍しく立て込んでて食う暇なかった。』
ヨルは赤い瞳を持つ金色の大蛇だ。ニースより二回りも大きい。
人語を話せるヨルは赤く細い舌を出したり引っ込めたりを繰り返していた。
『あと…悪いが、しばらくの間は魔石は食べられない。』
『は?!なんで?!』
『監視がついたんだ。お前を出し入れした姿を見られる訳には行かないんだよ。』
『…それで困るのニースだけど、いいの?』
『隠れて食べれる時に魔石は渡す。ストック切れになりそうになったら…その時はまた考える。だから、しばらく我慢してくれ!頼む!』
『我慢してくれ〜で待つほど僕はお蛇好しじゃないから…』
『軽口叩けるなら、しばらくの間は我慢できそうだな。よし!この話は解決したな。』
『ちょっと!!勝手に決めないでよ!待たないからね!絶対!絶対…』
「こんなところで寝ないでよ!ニース!邪魔よ。」
頭をぺしんと軽く叩かれてニースは現実世界に戻ってきた。どうやらバンビが風呂に入っていた間、寝こけてしまったらしい。
バンビは石鹸のいい香りをまとわせ、頬は少し赤く血色の良い顔色をさせていた。
「ご飯の用意ができているわ。こちらにいらっしゃい。」
「こんな夜遅くに夕飯かよ。太るぞ。」
ニースは寝ぼけ眼をこすりながら、バンビに悪態をつく。
「私は平気よ。でも、あなた…お昼も食べないで、ずっと治癒しっぱなしだったでしょ?少しは食べて明日のための英気を養ってほしいの。」
「心配してくれてるところ悪いけど、俺は腹減ってないんだ。」
というか、ニースは食べなくても良い体だ。無駄なものを摂取する方が、体力を使う。
「いいから。食べなさい。私の命令は?」
「絶対…だな。」
そこまで言われたら断ることはできない、と悟ったニースは観念して食事の席に向かう。
食事の席につくと、まだ完全に乾き切っていないバンビの髪をメイド達が風魔法でせっせと乾かしていた。
「好きなだけ食べなさい。」
「もったいないお言葉、感謝します。」
両手を合わせて姫に平伏すポーズをとる。
軽食といえど、目の前に並べられた食事は、質素な村の食事とは違い、ふんだんにお金が注ぎ込まれていることが分かる。。使われる素材、飾り付けはどれも豪華で色鮮やかだった。
ニースはその中で最も体力消費の少なそうな草…いや、サラダを選び、口に運んだ。草なんか食えるか!というヨルの小言が脳内に響き渡るが、聞こえないふりをしてニースは食べ進める。
「男の人ってお肉とか夜でもガッツリ食べるものじゃないの?」
「…医者なんでね。健康面は重視してるよ。」
それらしい言い訳を並べる。
「の割に昼は抜き…。どっちが健康なのかしら?」
「揚げ足取りのうまい姫さんだな。」
その場しのぎの言い訳は通用しないようだ。ニースは別の会話でバンビの興味を逸らす。
「あんたは何魔法を得意とするんだ?」
「強いていうなら…光…かしら?」
「強いて?他にも使えるのか?」
「違うわよ。何も得意としていないから、その中でいうならっていう意味よ。」
「こんな大きな国なら魔法を使える人間が何人もいるだろ?そいつらに教われば…」
「いるにはいるけど…小根が腐っているか、脳筋しかいないのよ!この話はおしまーい。」
要は誰も教えてくれる人間がいないから、独学するしかなかったのだろう。一国の姫がこうならば、国民たちの間で魔力の流れを認識している人間は少ないだろう。
故に、治癒魔法を使える人間もいない。
「これ以上食べないのなら、これは片付けるわよ?あとさっさとお風呂入ってきなさい。」
「…仰せのままに。」
ごちそうさまでした、と両手を合わせて食事を終わらす。結局、サラダしか食べなかった。あい向かいのバンビは結構食べていた気もするが…歳を取らないから新陳代謝もいいのだろう。
「太るなよ。」
「はぁ?」
その夜、ふかふかのベッドの横にある…硬い地面に敷かれただけの薄い布の上でニースは寝た。
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