治療開始
ニースはようやくリストの最後のページに目を通す。一枚一枚丁寧に書かれたリストのおかげで全ての国民の症状を理解することができた。いったい誰がこんな完璧なリストを作成したのだろうか。ニースはこのリストを書いてくれた優秀な人材にひどく感銘を受けた。
「読み終えた?」
ニースが最後のページをぺらりとめくったところでバンビが声をかけてきた。いつの間にか彼女はニースの隣に座り、ニースと同じページを覗き込んでいた。
「あなたの集中力すごいわね。話しかけても全然返事してくれないんだもの。」
バンビは肺の中にある全ての空気を吐き出すほどの深いため息をつく。
「近い…」
「あ、あら!ごめんあそばせ。」
バンビの息が顔にかかり、流石のニースもかなり焦った。こんな至近距離(診察以外)で女性と対話するのは滅多にないからだ。嗅ぎ慣れない高級な香水の匂いがした。悪い匂いではない…。むしろ良い匂いだった。
バンビも近すぎる距離感に焦ったのか、パッとニースから体を離す。彼女の香りに一瞬後ろ髪を引かれた。
「あ…あれから何時間経った?」
「1時間ちょうどってところかしら。無理だと思ってたけど、あなたなかなかの速読ね。私、お腹すいちゃったから、サンドイッチを買ってきて食べたわ。あなたも食べる?」
「…いい、いらない。」
バンビは「あら、そう」と言いながら差し出しかけていたサンドイッチをそのまま自分の口に運んだ。かなりお腹が空いていたのだろう彼女は、サンドイッチを御行儀悪くむさぼり付いていた。
「あんたもそんな風にお姫様らしからぬ面があるんだな。」
「サンドイッチ…知らないの?これは両手で掴んでそのまま口に運ぶ。これがこの食べ物に対しての作法よ。」
そういう意味で言ったのではないのだが、ニースはそれ以上何も言わなかった。
バンビが食べ終わるのを待っている間、リストを片手でペラペラとめくり始める。再確認のために軽く目を通しているのだ。
「ちなみにね、そのリストの2番目に書かれている兵士なんだけど」
「あー、腕がない人か。はやしてくれ、とか無理難題言わないよな?」
「腕が見つからない人は、はやして欲しいんだけど、この人は幸いなことにまだ腕は残っているわ。ちゃんと治癒師が来るまで取っておくよう言っておいて良かったわ。」
さらっと爆弾発言をした気がしたが、更に気になる発言をしたことに耳を疑った。
「…念のため聞くが…取っておいたっていうのは…」
「腕よ。」
サンドイッチを食べながらバンビは、さも当然のように答える。
「彼はね、魔物との戦闘の中で腕を食べられちゃったの。幸いなことに腕は魔物の胃袋で溶けることなくすぐに見つかったわ。治癒師がいなかったからその場でくっつけることはできなかったけど、そのうち治癒魔法で治してあげるから保管するように伝えておいたの。…ごちそうさまでした。」
バンビはサンドイッチの入っていた袋を四つ折りにする。
「腐ってない、よな?」
「わからないわ。50年程度で人間の肉体って腐るの?」
完全に時間の感覚がずれている。バンビはこてんと首を横に傾げて悩むポーズをする。
「あんたが常識外れなのはだいぶ前から分かっていたよ。」
「常識外れ?!ど、どこがよ!!」
ふんす、と怒るバンビの口元にニースは自分の指をぐいっと当てる。
「常識あるって思ってんのか…。じゃあ、食べ散らかすのが、それを食べる時の作法か。」
「!!??…違うわよ!!」
ニースはバンビの口元に付いていたサンドイッチの食べかすをピッと指ではらう。さすがに恥ずかしかったのかバンビはニースが触れた部分を自分の手で覆い隠した。
「で?一人目の家はどこだ?」
バンビの土地勘がなければ病人の元にはいけない。
顔を赤らめていたバンビはこほんと小さく咳をして、「こっちよ。ついてきて。」と、ニースをリストの一番上に載っている人物の家まで案内し始める。
一人目の重症患者は家族の助けなしでは生きていけない、一人で歩行することも、用を足すこともままならない…脊髄損傷によるひどい後遺症を持ってしまった男性だった。やはりこの男性も元・兵士で魔物との戦いの最中に大きな怪我を負った。一命は取り留めたものの、その後、身体全体が麻痺状態になってしまった。
ニースはバンビからもらった資料と症状を『魔力の循環』を通して相違がないことを確認する。
「本当に治るのでしょうか?」と、家族の人間は心配そうに治療を見守る。治療を施したところで治らないとたかを括っているのだろう。
普通の治癒魔法では治ることはないだろう。だが、ニースには不老不死の蛇がいる。ニースは瞳に映る魔力の滞りに手を置き、蛇の魔力を注いだ。
しばらくの間、眩い金色の光が家中に広がる。
「治りましたよ。ずっと寝たっきりだったから筋肉は劣っているけど、立つこともできます。リハビリを続ければ前のように普通の生活をすることができるでしょう。」
「本当ですか!?」
「お父さん!?分かる?腕、動かせるんだって!」
全身麻痺を起こしていた元・兵士の家族は、一斉にわっと涙を浮かべて喜び、ベッドに横たわる男性に向かう。家族たちは元・兵士が自分に戻ってきた感覚を味わうようにゆっくりと手を天井へ伸ばす姿を確認する。
元・兵士は狐につままれたような顔で「信じ、られない…」と小さく呟いた。
「リハビリに関しては、今後、俺の方で指導はしていきます。当面の目標は、前みたいな生活を取り戻せるように焦らず、ゆっくり…頑張っていきましょう。」
家中の家族全員が「はい!」と大きく返事をした。
家族たちの喜びの声を聞きつけた近所の野次馬たちは、元・兵士の家の窓から顔を覗かせる。
「見せ物じゃないのよ!あと、道を開けて!次の方を診てもらうから!」
バンビが野次馬たちを非難すると、さーっと真ん中だけ綺麗に道があく。一国の姫に無礼は許されない。その誰もいない道の真ん中をバンビは通り、ニースはそそくさっと彼女の後を追いかける。こんなに多くの好奇の瞳に晒されたことがないニースは、人と目を合わさないように俯きかげんで歩いていく。
一人目の家から5分ほど歩けば、例の腕の取れた兵士の家に到着した。
「姫さん!待ってたよ!!」
バンビが姫だということを知っているにも関わらず、気さくに話すの片腕のない元・兵士が出迎えてきた。
「この人が例の治癒師か。随分と若いな。」
「この国で年齢は無意味よ。」
「ははっ。ちげぇねえ。まあ、上がりな、上がりな。腕も取ってあるんだ。おーい、ナナー!腕持ってきてくれー!」
『腕、本当に取ってあるのかー』
心の中で嘘であってくれと願ったが、どうやらこの兵士はバンビの言葉を鵜呑みにし、本当に保管していたようだった。
「絶っっっっっっ対、いや!!あんなグロいもの持ってこいとかどういう神経してるの!自分で持ってきて!!」
この男の娘だろう。姿は見えず声だけだが、女性の拒絶反応が伝わってくる。元・兵士は渋々家の奥の方へ腕を取りに向かっていった。
ニースはこの国の人間は常識がずれているかと思ったが、正常な人間がいることに安堵を覚えた。
しばらくすると片腕のない元・兵士は、布でグルグルに巻かれた何かを嫌がる娘に持たせて連れてきた。涙目の娘・ナナはニースに無言で布に巻かれた何かを渡そうとする。
しょうがない、とニースは諦め、手を差し出す。ナナは差し出された両手にそれをのせた。ずっしりとした重みが伝わる。
見たくはないが見なければ治療にはならない。ニースは意を決してぐるぐるに巻かれた布を取り外した。
「ふう…」
中には案の定、元・兵士の片腕が入っていた。しかし、ニースの予想に反して、その片腕は腐っていなかった。血の匂いはするものの、さっき切り落とされた、と言われても違和感がないほど、完璧な状態だった。50年前のものとは到底思えなかった。
「やっぱり腐らなかったわね。とっておいて良かったわ。」
バンビはこう言ったものに耐性があるのだろう。切られた腕をマジマジと眺めても卒倒することはなかった。
娘のナナは…貧血気味にふらふらとしていたが…。
「…言いたいことはあるが…この状態なら、さほど難しい治療じゃない。」
ニースは片腕を持ち上げ何もない男性の肩にくっつけると、各指から糸のように細い水魔法を出現させる。それを神経と一本一本くっつけるように腕と肩の間で魔力の糸を交互に揺らした。
「この状態の腕なら神経と神経を魔力で繋げるだけで治る。」
全ての神経が魔力の糸に繋がると、自然と腕があるべき姿に戻っていく。何もなかった肩に腕が吸い付く。
「「おお…」」
元・腕のなかった男性とその娘は同時に感嘆の声を上げる。男は元の感覚を確かめるように手をぐーぱーぐーぱーと開いたり閉じたりしてみせる。
「す、すごい!どうなってるの?!これ…!」
「すげぇや!まだ感覚には慣れねぇが…俺の腕だ!!何ともない!!」
「大したことはしてないですよ。全ての筋肉、神経、その他諸々を一旦治癒して、それを元の場所につなげただけ。俺には全部の神経に名前と番号が見えるから、それを間違えないように繋げば完成。それだけのことですよ。」
難しいと思われることをさも当然のようにやってのけるニース。そんなニースを見てやはり彼を連れてきて正解だった、とバンビは強い確信を得る。
「すげぇな!!兄さん!!俺はお前の移住を歓迎するぜ!!あんたのためだったら、何にでも署名してやる!ついでにこいつもやるよ!!あんたの助けになるだろうから、連れてってやってくれ!」
「ちょ、ちょっと!!」
男はニースの手を掴み、治ったばかりの腕でブンブンと上下に振った。そして茫然と立っていた自分の娘をニースに突き出し、連れて行ってくれとばかりに押し付ける。
「か、考えさせて…もらうよ…」
苦笑いを浮かべながら娘・ナナから数歩距離をとる。そんな二人が気に入らなかったのか、バンビは二人の間にガッと入り「次の場所に行きますよ!」と、ニースを睨みつけた。
「またなー。姫さん。ニース!」
天真爛漫な男は悪びれる様子もなく、家を後にする二人に繋がったばかりの腕を振って見送った。
「次の場所は…」
2週間に500人というなかなか厳しいノルマを課せられた。
陽も傾いてきたが、まだ2人しか治療は終わっていない。この調子ではまだまだ時間はかかるだろう。明日はもっとスピードを上げて治療を施さなければ、このノルマをクリアすることはできない。
「もう5人くらい治したら今日は終わりにしましょう。初日に気合を入れすぎるのは良くないわ。後々疲れちゃうでしょ。」
「1日7人も診ること事態…おかしいんだが…?」
今まで田舎でのんびりと過ごしてきたツケが回ってきた。1日に2人か3人ほど診れば十分だった田舎とは違い、恐ろしいほどの早いペースで全ての患者に対応していかなければならない。
気の遠くなるような話だが、自分から持ちかけた提案だ…。ニースに拒否権はなかった。
「つぎよ、次!まだまだ診てもらいたい人はたくさんいるんだから!」
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