第57話 青い果実(完)


「いい? 雪乃ちゃん、絶対にこの家から出ちゃダメよ?」


「うん、わかった」


「今が夏休みで、本当に良かったわ……」



 雪子にとって、冥雲会に監禁されていたという事実は、ずっと消えることのない心の傷である。

 雪女は、妖怪の中でも特に希少価値の高い妖怪だ。

 生粋のお嬢様だった雪子は、人間とは年のとり方が根本的に違うとはいえ、あの当時の雪子はまだ雪ん子から雪女に成長したばかりで、まだまだ妖怪としてはとても若く、そして未熟だった。


 今の雪子の力であれば、娘の雪乃一人くらいなら、十分に守って行けるだろう。

 ただ、問題があるとすれば、今が夏だということ。

 雪女は暑さに弱い。


 地球温暖化に伴い、居住地を東京から北海道に移したのだが、それでも暑いものは暑い。

 雪子はこの家に籠城して、冥雲会の魔の手から、家族を守ることを決めていた。


「絶対に、雪乃ちゃんはママが守るわ。そして、今度こそ、あいつを……あのババを、私の手で————」




 * * *



「しばらく家から出られないの。冥雲会が雪女や他の希少価値の高い妖怪たちを狙ってくるだろうからって……」


『やっぱりそうなんだね。俺の方でも、祓い屋協会が冥雲会を今度こそ討伐するって言っていたよ』



 雪乃は自室で、蓮にビデオ通話でお互いの状況を伝え合っていた。


(せっかくレンレンと……その、ママたちにはもちろん内緒だけど、夏休み中にたくさん会えると思ってたのにな……)


『ゆきのん? どうしたの? 大丈夫?』


 元気のない雪乃の表情に蓮は気がついて、心配そうに眉をひそめた。


「なんでもないよ。ちょっと、寂しいなって思っただけ。でも、今は画面越しでもレンレンとこうして話すことができて良かったよ」


(本当は直接会って、話したかったけど……それにしても、ずっと画面越しに動画を見てたレンレンとこうやって会話するのって、なんだか不思議な感じね)


『仕方がないよ。冥雲会ってすごく危険な奴らみたいなんだ。じいちゃんも、他の祓い屋協会の人たちも、手を焼くくらいだし……ゆきのんに何かあったら大変だよ。でも……』

「でも?」

『俺はまだ見習いだから、そばでゆきのんを守ることができないのが、悔しい……』


 そう言いながら、蓮はいつもの癖で、照れ臭そうに首の後ろを掻いた。

 雪乃も雪乃で、ポッと頬を赤くしている。


「あーもう、見てられないんですけど! お二人とも、しっかりしてくださいよ!! とても危険なんですよ? 惚気てる場合ではないんです!!」

「ちょっと! 雪兎!! 今いいところだったんだから、邪魔しないで!」


 雪乃と蓮の甘ったる雰囲気に耐えきれず、雪兎は画面の端からひょこっと顔を出して、文句を言った。

 雪乃は画面に入ってくるなと、雪兎を押しやる。


『今そこに、雪兎がいるの?』


「え?」


 しかし、蓮には雪乃しか見えていないようだった。

 パントマイムをしているようにしか見えない。


「ここにいるけど……見えないの? レンレン」


『うん、声は聞こえるんだけど、姿が見えないや……あれかな? 妖怪って、ビデオ通話じゃ見えないのかな?』


「そうかもね……よく心霊番組でも、カメラには映らないって言うし」

「おや、蓮殿には、僕のこのキュートな姿が見えないのですか? それはもったいない」


 雪兎はカメラの前でふざけたポーズを決める。

 その姿を見て、雪乃は大爆笑するが、見えていない蓮には、雪乃が笑っている姿しか見えなかった。


『いいなぁ、そんなに面白いなら見て見たいなぁ……次に会ったら、見せてよ』


 蓮は雪乃に笑顔が戻って少しほっとした。


 本当は、このときに気がつけばよかったのだ。

 そうすれば、あんな危険な目に蓮が合うことはなかった。



 雪乃とのこのビデオ通話から、3日後、蓮は姿を消す。




 その原因は明らかだった。


 妖怪が、再び見えなくなったのだ。


 もちろん、声も、聞こえなくなっていた。



 雪乃がそのことを知るのは、もう少し先の話である。







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