第54話 青い果実(9)


 思えば、鏡明がおババと二人きりで、こんなに長い間話をしたことは初めてだった。

 おババは、氷川家の歴史そのもののような人で、現当主の父も、次期当主の聡明も、おババによる祓い屋の教育を受けてきている。

 次男である鏡明はたまに話す程度で、実際にこうして本人と話すより、父や兄、大人たちからどういう人か話題に上がるのを聞いていたことの方が多い。


「知っているぞ。鏡明、お前の方が本当は兄より優れている事を」


 おババは戸惑う鏡明の顔を見て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべているが、鏡明にははっきりとその表情は見えていなかった。


「鏡明、ワタシもね、実は聡明は次期当主にふさわしくないと思っていたのさ。しかし、聡明がそんな怪しげな組織とつるんでいるという話が表に出てしまえば、氷川家にとってはよくない話だ。どうだい鏡明、この事をお前が誰にも言わないと約束するのなら、次期当主の座は、お前のものになると約束しよう。本当は、お前が継ぎたいのだろう?」



「俺を……次期当主に?」


「ああ、何も恐れることはない。長男だからというただそれだけで次期当主となる兄より、お前の方がふさわしい……そうは思わないかい? 悔しいではないか? ただ、生まれた順番が違うだけで、皆が聡明の話を信じ、お前の話は、実の父も、他の祓い屋からも信じてもらえないのだぞ?」



 鏡明の心が揺らいだ。

 確かに、おババの一声さえあれば、鏡明は次期当主の座につくことができるだろう。

 おババには誰も逆らえない。


 それに、氷川家の長男がとんでもない問題を起こしていることが知れ渡れば、氷川家のこれまでの功績や尊厳を失うことになるかもしれない。



「このことを、誰にも言わなければ……?」

「ああ、それで全て収まる。その冥雲会というやつらは、このおババが責任を持って処理をしよう。そうすれば、全て丸く収まるだろう? お前が騒いでは、祓い屋協会にこのことが知れ渡ってしまう。その前に、我々で対処すればいいだけだ。そして、お前も安心して、歴史ある氷川家の当主をこれから守っていって欲しい。このおババはもう、長くはない……お前に全てを託そう」


 おババはまだ若くて未熟な鏡明を言い包め、雪女がいる場所を鏡明から聞き出した。


「その雪女はワタシが保護しよう」


 何も知らない鏡明は、あっさりと、雪女の居場所をおババに伝えてしまった。

 それが間違いであったことなど、鏡明は知る由もない。



 * * *



「祓い屋くんは、まだかしら?」


 小屋で鏡明の帰りを待っていた雪子は、退屈そうにそう呟いた。


「様子を見てきましょうか? お嬢様」

「あら、雪兎、あんた私を助けずに、今までどこへ行っていたの?」


 監禁されていた主人を助けず、呼んではいないのに今度は突然現れた雪兎に、雪子は怒りの矛先を向ける。

 その目がとても怖くて、雪兎はびくりと体を震わせた。


「申し訳ありません。流石にお嬢様が捕まっていたあの檻、僕の力だけではどうしようもなく、助けを呼びに方々走り回っていたのです。妖怪だと救うことができないようでしたので、祓い屋協会の方にも行ったのですが……」


 祓い屋協会の本部に雪兎は行ったが、受付に立っていた祓い屋見習いがさっぱり妖怪の姿が見えないただの人間だったため、雪兎は困り果てていたのだという。

 しかし、鏡明が冥雲会の話を他の妖怪たちや被害にあった人間たちに聞いているのを見て、雪子を助けたのではないかと思った雪兎は、試しに雪子の気配を追ってみたら、この小屋にたどり着いたのだ。


「どうしますか? もうすぐ夜になってしまいます。 明日には、あの男の結婚式が執り行われるそうですが……いきますか?」


「あんな男の結婚式なんてどうでもいいわ。私はさっさとあの男、ぶっ殺してしまいたいけど、相手は祓い屋よ? 弟の方がなんとかするとは言ってたけど、どうなったのかわからないと、今は何も手出しできないわ」


 雪子は、鏡明のあの自分を守ると言った真剣な顔と、そのあとすぐに自分の言った言葉が恥ずかしくなったのか、照れ臭そうにしていたのを見て、鏡明の言葉に嘘はないと確信していた。


(今思えば、あんな調子のいいことばかり言ってる、顔だけの最低な男より、弟の方がずっと純粋に私を見ていてくれたのかもしれないわね……)


「そういえば、あの祓い屋くん、下の名前はなんだったかしら?」


 結局、雪子は夕方になっても鏡明が戻ってこなかったため、雪兎に様子を見て来るように指示を出し、また一人になった小屋で、帰りを待っていた。


 そして、日が完全に暮れてすぐ、小屋の扉を叩く音が聞こえる。


「祓い屋くん? 戻ってきたの?」


 返事がないが、祓い屋だろうと思った。

 雪兎なら、ノックなんてしなくても壁をすり抜けて入って来る。


 雪子は扉を開けようと、引き戸に手を伸ばした。

 しかし、その前に、扉は開かれて————



「やぁ、雪女。ダメじゃないか。大事な商品がこんなところで、傷ついたらどうするつもりだい?」


 藍色の着物の老婆と、聡明が立っていた。


 信じた男に、二度も裏切られ、雪女はまた、またあの蔵の奥に作られた厳重な檻の中へ閉じ込められる。

 それも、普通の人間には立ち入ることのできない、猫妖怪が作った特殊な闇の中へ。



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