第52話 青い果実(7)


「どうして、こんなところに……一体何があったんだ?」

「祓い屋くん……私をここから出して!! あの男……絶対に……許さない」

「あの男?」


 どれだけ泣いたのだろうか、床一面が雪女の涙で濡れている。


「この檻……一体何でできているんだ? お前が出られないなんて————」


(妖怪の多くは、人間の作った建物なんてすんなりと抜け出すことができる。雪女もそうだ。それができないのだから、人間の作ったものではない……もしくは、特殊な術がかけられているに違いない)


「妖怪が出られないようになっているのよ……檻に触れたら、電気のような衝撃がして」


 雪女の話を聞きながら、南京錠に手をかける鏡明。


(鍵がなければ開けることはできなさそうだ。いや、でもあの術を使って壊せるか?)


 その南京錠に刻まれた文字を見て、鏡明は目を見開いた。


「冥雲会……!? どうして、こんなものが…………おい、雪女! お前をここへ入れたのは、一体誰だ!?」


「聡明よ…………」


「なんだって!?」


「あの男……私のことなんて、愛してなかったの。それどころか、女としても見ていなかった…………私を、この私を、商品だと言ったのよ!!」


 あの兄がそんなことを言うなんて、信じられなかった。

 しかし、目の前にあるこの南京錠は何よりの証拠。

 雪女が嘘をついているようにも見えなかった。


 鏡明は怒りに震えながら、術で南京錠と銀色の檻を破壊し、雪女を連れてあの川辺へ向かった。




 * * *



 川辺の近くに小屋がある。

 そこは鏡明が子供の頃から使っている秘密基地だ。


 一人になりたいときはよくここへ来て、感情をコントロールするのに使っていた。

 氷川家の屋敷には家族以外にも使用人や書生などがたくさんいるため、鏡明は静かなこの場所が好きだった。


「兄さんが、お前を商品だと言ったんだな?」

「そうよ! 許せない……絶対に許せない…………あの男、私を騙していたの! 祓い屋くんは……私の話、信じてくれるわよね?」


 鏡明はこんなに近くで、雪女と二人きりで話したのは初めてだった。

 いつも雪女の隣には聡明がいて、仲睦まじい二人の姿を見るのはなんだか気恥ずかしくて、目をそらしてしまっていた。

 その雪女が、今、目の前で、潤んだ瞳で鏡明を見つめている。


「あぁ、俺は、なんだか近頃兄さんの様子がおかしいと……思っていたんだ。縁談が決まってから、特に」


 鏡明はいつもの癖で、そう言いながら、首の後ろを掻いた。


「まさか、兄さんが最近噂になっている冥雲会に関わっていたなんて……思いもしなかった。お前のことも、そんな風に思っていたなんて、許せない」



 氷川家は、祓い屋協会の中でも力のある御三家の一つだ。

 そんな氷川家の跡継ぎが、妖怪や人間を売る冥雲会という組織と関係があるなんて、一大事。


(そんな男に、氷川家の跡継ぎの座はふさわしくない……)


「雪女……」

「なに? 祓い屋くん」

「兄さんがお前にしたことは、決して許されることではない。弟として、申し訳なく思っている」


 鏡明は、兄に代わって、深く頭を下げた。


「これからは、お前に被害が及ばないように、俺がなんとかする。俺が、お前を守る」


 そして、雪女の冷たい手を取って言ったのだ。


「俺を信じて、ここで待っていてくれ。すぐに、迎えに来るから」


 まっすぐに雪女を見て、その美しい瞳に誓いを立てた。


 けれど、自分の言動が少し恥ずかしくなったのか、急に頬を赤らめる。

 雪女はそんな鏡明のうぶな反応が面白くて、笑った。


(あ、笑った……)


 久しぶりに見た雪女の笑顔。

 それは初めて、鏡明に向けられた笑顔だった。


「わかった。ここで待ってるわ、祓い屋くん。でも、あまり待たせないでね?」


「え?」


「私も怒っているの。妖怪を怒らせたらどうなるか、あの男にわからせてやらなくちゃ……」


 雪女の目に、怒りの炎が宿る。


 いつの間にかすっかり夜が明け、鏡明は雪女を残して屋敷の方へ戻って行った。

 いつもの癖で首の後ろを掻き、去っていく後ろ姿を雪女に見送られながら————






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