第51話 青い果実(6)


 聡明の結婚式2日前、間近に迫った式の準備で慌ただしい屋敷で、鏡明は意を決して、ずっと疑問に思っていたことを兄に質問した。


「兄さん、本当に結婚するのか?」

「どうしたんだ突然、当たり前だろう?」


 こちらはずっとそのことで思い悩んでいたのに、当の本人である聡明は、あっけらかんとしていて、なぜそんなことを聞いてくるのか分かっていないようだった。


「雪女はこのこと、知ってるのか?」


(雪女はこのことをどう思っているのだろう? 二人とも同意の上のことなんだろうか?)


 そう思って、鏡明は尋ねたのだ。

 あんなに仲睦まじい様子だったのに、どうして別の女と結婚するのか、鏡明には理解できなかった。


 鏡明の予想に反し、雪女のことを口にしても、聡明は何も感じないのか、眉ひとつ動かさない。


「雪女? 俺の結婚と、雪女は関係ないだろう? 何を言っているんだ」

「何って……! 関係あるだろう!? 兄さんは雪女と————」


「坊ちゃん、子供が口を出すことではありませんよ」


 側にいたたった3歳しか変わらない書生に止められ、鏡明はそれ以上何も言えず、眉間にしわを寄せたまま、家を飛び出した。





「子供子供って、俺はもう18だぞ! いつまでも子供扱いするな!」


 川に向かってそう叫びながら、怒り任せに石を投げ入れる。


 仕方のないことだとは、本人も分かっているのだが、やるせない思いでいっぱいだった。

 兄は長男で、頭も良くて、能力もある。

 氷川家の跡取りとして何一つ問題がない。

 誰も最初から、生まれた時から、次男である鏡明に期待なんてしていない。

 ずっとただの子供扱いで、いつまで経っても立派な祓い屋として、認められることはなかった。


(兄さんがいなければ……)


 憧れだった存在は、どうしたって超えられない壁だった。

 兄に逆らうことも、刃向かうことも許されない。


 だが、鏡明は成長するに連れて、あることに気がついていた。


(本当は俺の方が、祓い屋としての力はあるのに————)


 実は聡明よりも鏡明の方が、力が強い。

 兄に遠慮して隠しているが、鏡明の方が祓い屋としての能力は上なのだ。

 生まれ持った才能が別格だった。

 おそらく鏡明がおババ様の教育を受けていれば、史上最強の祓い屋となっていたに違いない。


 しかし、だからと言って、兄が弱いわけではない。

 後継としてなんの不足もない兄の代わりに、鏡明が当主になることはありえないことだ。

 鏡明はいつも憤りを感じると、氷川家の者が誰もいないこの川辺に来て、心を落ち着かせていた。



「もうすぐ……夕方だな」


 川を眺めていると、気がつけば日が落ち始めている。

 長くなっていく自分の影を踏みながら、鏡明は重い足取りで屋敷に向かって歩き始めた。


 そろそろ、妖怪たちが活発的に動き始める時間だ。

 いつまでもぐちぐち言っていたら、人間はいないが、代わりに妖怪たちに氷川家の次男がどうのこうのと噂されてしまうだろう。


 案の定、噂好きの妖怪たちの声が少しずつ、聞こえ始めていた。


「なぁ知ってるか? あの噂!」

「あぁ、また人の子がいなくなったんだとか!」

「怖い怖い……冥雲会の仕業だろうか?」

「冥雲会? なんだい? それは」

「人間の子供を妖怪に、妖怪を人間に売ってるらしいぞ」


(冥雲会……? そんな不届きな者がいるのか?)



 鏡明は妖怪たちのそんな噂を聞きながら、家についた時、これまたありえない話を聞く。


「氷川家の倅が結婚するらしいじゃないか! 冥雲会の娘と……!」

「なに!? それは本当か?」

「それは面白いことになったなぁ……氷川家の連中は相手が知っているのだろうか?」

「知っていたら、こんな縁談受けるはずがないさ」


(そんなわけないだろう……兄さんの相手は、祓い屋協会に所属している由緒正しい家柄のはず————)


 所詮は噂。

 それも妖怪たちの話がすべて本当なわけがない。


 鏡明はそう自分に言い聞かせながら、すっかり暗くなってしまった頃に屋敷に戻ってきた。


 だが、冥雲会というとんでもない組織の話をあまりにも多くの妖怪がしていた。

 確かに、ここ数ヶ月神隠しの話や、息子が行方不明になったと騒いでいた妖怪の話を聞いたことがある。


「明日にでも、真相を確かめに行こう……」


 そう呟いて布団に入ったが、やはりなんだか寝付けない。

 仕方がないと、屋敷の広い敷地の中をぐるぐると散歩していた鏡明の耳に、女の声が届いた。



「裏切り者……絶対に……絶対に許さない」


(なんだ? 蔵の中に、何かいるのか?)



 当主以外は近づいてはいけないと言われていた屋敷の奥にある古い大きな蔵から、誰かの声がする。


(妖怪か? 祓い屋の敷地に入るとは……いい度胸をしているな)


 そう思いながら、声のする蔵へ近づく鏡明。

 悪いものであれば、祓い屋としては祓うのが当然だ。


 そして、鏡明が見たのは————



「……雪女!? どうしてここに!?」


 地下の座敷牢に閉じ込められ、泣いている雪女の姿だった。


「祓い屋……くん?」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る