第30話 帰れないふたり(9)


「蓮! 起きなさい!」


「は、はいっ!」


 雪女が去った後、鏡明は蓮の頬をペチペチと叩き起こした。

 びっくりして飛び起きると、鏡明の頭にゴツンと頭突きしてしまい、二人して額を抑える。


「何をしとるんだ、お前は! 老体をいたわれ!」

「ご……ごめんなさい」


 真っ暗だった廊下に電気がつき、倒れていた生徒や教師たちも目を覚ましていた。

 校舎内のあちこちが雪や氷で濡れていて、さらに、窓ガラスも数カ所割られている。

 鏡明と雪子があの烏を退治した為、妖力によって倒れていた人たちは元に戻ったのだ。

 しかし、烏による物理的な被害は流石に戻っているわけもなく、生徒たちを先に帰して、残っている職員たちと一緒に後片付けをすることになっていた。


 幸か不幸か、明日は土曜日だ。

 月曜には元の校舎に戻るだろう。


 蓮が倒れている間に、校舎の所々に落ちている烏の死体は、鏡明の手によってしっかりと供養された。


 鏡明は事件の真相を探ろうとしたのだが、校舎にいた他の妖怪たちや浮遊霊は、祓い屋と出くわさないようにさっさと隠れてしまい、いったい何が起きたのか詳細を聞くことはできそうにない。

 何が起きたかは、蓮の話から判断するしかなさそうだった。


「浅見から聞いたが、突然烏が現れて、何かを追いかけ回していたんだったな。そして、その何かが、お前を助けようとしていた……と」

「うん、姿は見えなかったけど、冷たい……手が俺を引っ張って、外に出そうとしてくれていた」


「冷たい手……か」


 それが、雪女の娘なのだろうと、鏡明は察した。


「しかし、なぜ雪女の娘が……蓮を?」


「雪女の娘?」


 蓮は鏡明の言葉に、首を傾げる。


「分からないのか……それならいい。ところで、お前があそこに倒れていたのは、なぜだ? 安全なところに閉じこめられていたんだろう?」


「あぁ……それは————って、そうだよ、小泉さんはどこに行ったの!?」


「小泉さん……?」

「烏が襲って来た時、あそこに倒れてたんだ。助けなきゃって思って、それであの巾着を投げて————」


 頭を打ったせいか、すっかり倒れる直前のことを忘れていた蓮は、雪乃のことを思い出して慌てる。

 生きてはいたが、雪乃の体温は異常に冷たかった。


「だ……誰も、死んだりしてないよね? じいちゃん」


 急に真っ青な顔になり泣きそうな顔になった蓮の背中を、バシッと叩いて、鏡明はため息をつく。


「泣くな! 誰も死んではおらん。お前はその小泉さんとやらを助けたんだ。お前が助けていなかったら、お前も死んでいたかもしれんぞ? それより……蓮、その小泉さんとやらだが…………美人か?」

「え……? うん、そうだけど」

「お前、その小泉さんに惚れてるのか?」

「えっ!?」


 古風で厳格だと思っていた祖父に急にそんな事を言われて、驚きつつも、蓮は顔を赤くして否定する。


「いや、その……確かに、小泉さんは美人だし、話も合うけど……でも、小泉さんはみんなに優しいし、俺のことなんて多分そんな風に見てないと思う。高嶺の花だって、みんな言ってるし————」


 自分が惚れているのかどうなのか、蓮には分からなかった。

 雪乃のことを鏡明に話している内に、よく分からない、もやもやとした何かが蓮の体を熱くする。


「あれ……?」


 蓮は自分で言っていて、訳が分からなくなって来た。

 どうしてこんなに必死に、言い訳のようなことばかり口にしているのか————


 そして、もしかして、これはそういう事なのかと、思いかけたその瞬間、


「絶対に、惚れてはならん。死ぬぞ」


 鏡明がそう言った。



「え……? どういう事?」



 鏡明はそれ以上蓮には何も語らず、遅れてやって来た校長と後処理についての話し合いを始める。



 結局、二人が帰れたのは、明け方のことだった。



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