第26話 帰れないふたり(5)
「あらあら……すっかり遅くなっちゃったわね……」
近所のスーパーで特売品を買った後、雪子は久しぶりにあったママ友達のお茶会に誘われた。
話好きな奥様方と旦那の愚痴や子供の自慢話を聞いている間に、すっかり日が暮れ始め、帰路についた頃にはいつもより遅い時間だった。
今日の晩御飯は簡単なものにしようと、献立を考えながら歩いていると、夜が近づくにつれて活動的になってきた妖怪たちの声がよく聞こえてくる。
「雪女に狙われるとは、その男は一体どれだけいい男だったんだい?」
「顔までは見てないさ。雪女が自転車とやらの後ろに乗っていたのが珍しいと思っただけさ」
「若くていい男好きな雪女が憑いていたなら、よほどのことだろう」
「そんなことより、私の左目、見なかった?」
そんな妖怪たちの会話が耳に入り、雪子はピタリと足を止めて、視線をそちらに向けた。
「雪女が、どうしたって?」
「へっ!?」
自分たちの言葉は聞こえていないと思っていた女に、突然声をかけられて、妖怪たちは困惑する。
雪子は雪乃と違って、正真正銘の雪女であるが、妖力が高いため、普通の妖怪にも人間の姿をしてしまえば、人間にしか見えないのだ。
「だから、雪女が何をしていたのを見たの? 答えなさい」
段々と雪子の髪が水色になっていく。
そこでやっと相手が人間ではないことに気がついた妖怪たちは、雪子の放つ妖力に気圧されながら、今朝目撃した、雪女に取り憑かれた男の話をした。
「雪兎!!!」
雪子は従者の名を呼んだ。
しかし、返事がない。
普通なら、雪乃が学校から帰ってきて、雪兎の監視は終わっている時間で、呼べばすぐに現れる距離にいるはずだ。
「雪乃ちゃん……?」
不審に思って、自宅に戻ったが、雪乃の姿もない。
電話をかけても、通じなかった。
* * *
「発見!! 発見!! こちらにきた!! 報告!! ババ様に報告!!」
校舎の周りを囲う烏が、雪乃たちを見つける度にそう叫ぶと、どこからともなく雷が落ち、赤く光る瞳。
口調も声も、直前の烏とは別物に変わるが、それは教室で窓ガラスを割った烏と同じものだった。
(ババ様って、きっとこの声の烏のことなんだ……)
ババ様というものの本体はわからないが、複数の烏の中に乗り移って攻撃してくるのだ。
それも、雪乃というより、雪女に対して相当な恨みと執着があるようだ。
雪乃に、ババ様と呼ばれている烏の声に聞き覚えはないし、雪女になったのも最近の事だ。
恨まれるような事をした覚えがない。
(もしかして、ママが?)
廊下に倒れている他の生徒たちを踏まないように避けながら、雪乃と蓮は窓のない場所を探すが、まだ入学して2ヶ月ほどしか経っていない。
どこへ行けば安全なのかわからない。
とにかく、蓮だけでも安全な場所に……と思う雪乃だが、そこでふと気がついた。
(こんなに普通の人たちが倒れているのに、レンレンはどうして平気なの?)
「はぁ……はぁ……どうしたの?」
急に腕を引っ張るてが止まり、蓮は見えない誰かに声をかける。
自分を引く手に従って、さらに倒れている人たちも踏まないように走ったため、息が上がっていた。
(見えては……いないのよね?)
雪乃は反対の手で蓮の前で手を振り、もう一度蓮が自分の姿が見えていない事を確認すると、理科準備室の狭い空間に蓮を押しいれる。
「私といる方が危ないみたい……ごめんね、レンレン。ここに隠れていて」
「えっ!? ちょっと————!」
雪乃の声は蓮には聞こえていない。
けれど、ピシャリとドアを閉められて、開かないように氷で固められてしまう。
「どこに行ったの!? ねぇ、君は誰なの!?」
手から感じていた冷たさが消えてしまい、蓮は叫んだ。
見えない。
けれど、自分を逃そうとしていてくれたことはわかって、ついて来たそこにいた存在を、近くに感じることはできなくなった。
不審な動きをする烏は、まだ見えない何かを追いかけている。
安全な場所から、何が起きているかもわからず、何もできない自分が悔しくて、蓮は押し込められた準備室の小窓から、誰もいない廊下を拳を握り締めながら見ていた。
その時、蓮のスマホが光る。
マナーモードをの解除を忘れていたため、気がつかなかったが、何度も着信があったのだ。
くやしさと恐怖で、震える手で通話ボタンを押すと、放課後合流するはずだった浅見の声がする。
『蓮! どうしたんだ!? 何かあったのか!?』
「浅見さん…………ごめん、行けそうにない。帰れそうにないんだ」
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