第三章 帰れないふたり

第22話 帰れないふたり(1)


 雪乃の顔の傷が目立たなくなってきた頃、エリカが風邪を引いた。


 呼んでもいないのに、蓮にくっついて雪乃の家にきていたエリカがいないだけで、こんなにもゆったりとした静かな朝を迎えられるとは、誰も思わないだろう。

 初日はとても緊張していた蓮も、いつの間にか雪子と打ち解けて、朝からほのぼのとした空気がリビングに流れ、メイクが予定より早く終わった為、3人でのんびりコーヒーを飲んでいた。


「はぁ……今日は静かでいいわね」


 雪子がそう呟いたのもつかの間、リビングにドタドタと大きな足音が迫ってきて、そのゆったりとした静かな朝をぶち壊す。

 いつもこの時間は会社に出ているか、休日の場合は昼まで寝ていて起きて来ない雪乃の父である智だ。




「君は一体、誰だ!!」


 そう言いながら、智は蓮の肩をガッと掴んで、鬼の形相で揺らした。

 蓮がコーヒーを飲みきっていなければ、制服にこぼれて大変なことになる所だ。


「ひ……氷川蓮です」


 蓮からしたら、そちらこそ誰ですかという状況。

 だが、雰囲気が雪乃に似ている為、父親なのだろうと思い、気圧されながらもフルネームを名乗った。


「氷川……れん?」


 智は鬼の形相のまま腕を組んで、ソファーの上で固まっている蓮の顔をまじまじと見つめ、ハッと気がついて大きな声であの名を口にしようとした。


「レンれっ————ぶくふぁしゅ!!」

「ほらーあなた、忘れ物はこれでしょう? 早く行かないと遅刻するわよ?」


 笑顔で雪子が書類の入った封筒を智の顔面に叩きつけるように渡して、阻止。

 そう、智はこの封筒を忘れた為、取りに戻って来たのだ。


 そしたら、玄関前に見覚えのない自転車が止まっていた。

 中に入ったら、これまた見覚えのない男物の黒いスニーカーがあったのだ。


 嫌な予感がして、そのスニーカーの横に自分の革靴を脱ぎ捨てリビングのドアを急いで開けると、ソファーの上で娘と見知らぬ男が肩を並べて座っていた。


 最愛の娘に、ついに彼氏ができてしまったのかと、娘はやらんぞ!という思いで、男の肩を掴んで問い詰めたが、まさかその相手があのレンレンだとは…………



「雪子! 何するんだ!! 俺はまだ話が————」

「はいはい、それは帰って来てからね。お仕事いってらっしゃーい」


 雪子が抵抗する智の背中を押し、無理やりリビングから追い出すと、そのまま靴も履かせずに玄関から押し出す。

 そして、もう一度ドアを少し開けて、革靴をぽいっと投げてよこすと、バタリとドアを閉め、開かないように雪女の力で氷で固めた。


「おっ、おい! 雪子!! まってっくれ!! 一体、どういうことなんだ!? あいつは雪乃のなんなんだ!? 彼氏なのか!! 付き合っているのか!!?」


 叫んでもなんの反応もない。

 靴下のまま風除室に出され、春とはいえ、まだ肌寒くて冷たいタイルの上で靴を履き、肩を落としながら智は車へ戻った。


 一方、リビングにも智の叫び声が聞こえていて、雪乃と蓮は二人して少し顔を赤くしていた。


「ごめんね、騒がしくて——うちの父が」

「……仕方ないよ。今日はエリカがいないし、誤解されても——」

「そ、そうだね」


(パパのバカっ!! レンレンの前でなんてことを————!!)




 * * *



 昨夜の強風ですっかり散ってしまった桜の上を歩き、雪乃と蓮は学校へ向かっていた。

 いつも徒歩なのだが、珍しくこの日は蓮が自転車を持って来ていた。

 蓮は自転車を押しながら、雪乃の歩く速度に合わせて隣を歩いている。


 ここ数日、雪乃はエリカと蓮の3人で登校していた為、今日が初めて蓮との2人だけの登校となる。


(こ……これって、なんだか、デートしてるみたいじゃない? ヤバっ……!! あぁぁ……なんか、興奮しすぎてるのかな? 頭がぼーっとして来たわ)


「ひ、氷川くん、自転車なんて珍しいね? どうしたの?」


 内心荒ぶっているのを悟られないように、蓮を横目で見ながらなにか話さねばもたないと話題をふった。


「ああ、これ? 放課後に祓い屋の仕事があって、手伝いに行くんだ。じいちゃんの門下生に浅見さんて人がいて、その人が先に行ってるから、授業が終わったら俺も行かなきゃいけなくて————」


「へぇ……そうなんだ。今回は、どんなお仕事なの?」


「その浅見さんて人がさ、すごい人でね————」


(ん? あれ?)


 なんだか話が噛み合わない。

 同じ速度で歩いていた蓮は、雪乃が立ち止まっても、そのままどんどん先へ行く。


「氷川くん?」


 呼んでも振り向いてくれない。


(まさか……!!)


 雪乃は自分の体を見る。


 紺色のブレザーはどこへいったのか、白い着物が目に入る。

 水色の髪が、春の風に揺られてなびく。


「え!?」



 いつの間にか雪女に変化していた。



 そして、なぜか、いつものように力をコントロールして、もとの姿に戻ろうとしても、すぐに雪女になってしまう。


「なんで!? どうして!?」


 何度繰り返しても、雪乃は人間の姿を保てなかった。



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