第一章 婚約からはじめる二人の恋②

 エミーリアがマティアスと顔を合わせ、ばくだん発言を落としてきた日の夜。

 る前にじよのハンナがエミーリアのかみかしながら問いかけてきた。

「今日は陛下とお会いしてきたのでしょう? どうでしたかお嬢様」

 ハンナはシュタルク公爵家に代々仕えている家の娘で、エミーリア専属の侍女としてよく働いてくれている。エミーリアはもう一人の姉のようにハンナをしたっていた。

「とてもやさしくて素敵な方だったわ。甘いものがお好きみたい」

「あら、殿とのがたにはめずらしいですね」

「そうね。だから今度お会いするときはチョコレートを持っていこうと思うの」

「それはいいですね。……それにしてもお嬢様がそんなに夢中になるなんて、よほど素敵な方だったんですね」

 エミーリアとちがって、ただの侍女であるハンナが国王陛下にはいえつする機会などあるはずがない。まめつぶほどの大きさならば見たことがあるけれど、というくらいだ。

「それはもちろん。それに、わたくしの目標は結婚までに陛下にわたくしを好きになっていただいて、恋愛結婚することですもの」

 がんばらないとね、と意気込むエミーリアに、ハンナは固まった。

「…………はい?」

 たっぷりと時間をかけて、ハンナは聞き返す。空耳であってほしい、とハンナは今心の底から願った。

「だから、恋愛結婚するために陛下にわたくしを好きになっていただかなくちゃいけないの。ねぇハンナ、おくり物以外にはどんな方法がいいかしら?」

 困ったように見上げてくるエミーリアに、ハンナはふるえながら問いかける。

「……まさかとは思いますが、お嬢様。それを陛下に──」

「申し上げたわよ? だって、こちらの目的ははっきり伝えておかなくてはダメじゃない」

 まったくくもりのないエミーリアのひとみに、ハンナは頭をかかえた。

「あああ……お嬢様のとつぴようもない行動がまさかこんなところで出るなんて……! だん様になんて言ったらいいのか……!」

 エミーリアはだれもが認める立派なしゆくじよだ。貴族の令嬢の手本ともいえる。

 しかしそれとは別に、エミーリアは時々令嬢らしくない行動をとってしまうことがある。

 たとえば、しきだんの一角を畑に変えようとしてみたり。

 たとえば、カーテンをいて二階の窓から外へ出てみようとしてみたり。

 もちろんエミーリアにも理由はあって、歴史の勉強をしていて、万が一食料不足になったときのために屋敷の花壇を畑にすればいいのでは? とひらめいたのだとか。

 小説を読んでいたらカーテンでなわを作りだつそうするシーンがあったので、実際に可能かためしてみようと思ったのだとか。

 もちろん庭師に花壇の一角を畑にしたいとたのんだ段階で止められたし、カーテンを裂いているちゆうで侍女に見つかって公爵夫人からたんまりと𠮟しかられた。たいていのことはすいである。

「ちょっととうとつすぎたかしら? でも結婚まで一年しかないんだもの、一分一秒でもにはできないでしょう?」

 エミーリアとマティアスはすでこんやくしているのだ。恋をして思いを伝えてという過程をすっ飛ばしてしまっている。おくれは早く取りもどさなければならない。

「……そうですね、そうです、そうなんですけどぉぉぉ……」

 うなっていたハンナは顔を上げ、がしっとエミーリアのかたつかんだ。

「こうなってはしかたありません。いいですかお嬢様、淑女のアピールはひかえめにです! ひ・か・え・め・に!」

「まぁハンナ。ダメよ、そんなあいまいな言い方ではなくてはっきり言わないと」

 控えめになんて、個人によって基準は異なるものだ。エミーリアとしてはこれでも控えめに行動をしているつもりだ。

(わたくしはまだ、自分の希望を陛下にお伝えしただけなのに)

 きょとんとするエミーリアに、ハンナは泣きそうな顔でしがみついた。

「いつもの完璧なご令嬢であってくださればそれでいいんですよぉ……!」

 それは簡単なようで難しい要望だ。

 エミーリアにとって、完璧な淑女であることは今さら難しくもなんともないが、それではエミーリアのれんあい結婚をしたいという願いはかなえられない。誰もがエミーリアに求める姿は『完璧な令嬢』であることは重々承知しているけれど。

「だって、淑女の恋愛方法なんて習わないじゃない。それじゃあわたくしだって一体どうしたらいいのかわからないわ?」

 そもそも貴族の娘にとって結婚相手は親が決めるものだ。令嬢がこいをするにはどうすればいいか、なんて誰も教えてくれない。淑女が恋をするために必要な百の方法、なんて本が今目の前にあったならエミーリアも飛びつくのに。

「とにかく、ぐいぐいめるのはダメです。絶対にダメです。そういうのは殿方に嫌われます。お嬢様の好きなロマンス小説を思い出してください。少しずつきよを縮めていくでしょう?」

 ロマンス小説は、男女の恋愛をこれでもかというほどじれったくえがいている。何をかくそう、エミーリアもロマンス小説が大好きで部屋のほんだなには何冊も並んでいた。

「それもそうね……」

 恋に落ちる二人が出会うまでは早いが、その後の展開はこちらがやきもきしてしまうほどおそい。手にれてときめいて、見つめ合ってはだまり込んで照れるばかり。ヒロインは受け身であることが多かった。

 もちろん物語としてはそこがいいのだけど、現実ではあせりが強くなるというものだ。

「まずは、お嬢様を知っていただくことから始めてはいかがですか。手紙を書くとか」

 ハンナの提案にエミーリアは目をかがやかせた。

 手紙。いいかもしれない。

 物語でもよく恋する相手からもらった手紙を何度も読み返すシーンがあった。

「そうね! それは名案だわ! 好きになっていただくには、まずわたくしを知っていただかなくてはダメよね!」

 そうと決まればさつそく手紙を書かなければ、とエミーリアは机に向かう。

 ハンナはエミーリアがみようなことをしでかさないようにどうにかどう修正できたことにあんしながら、エミーリアの肩にストールをかける。

かしはいけませんよ、美容の大敵ですからね」

 やると決めたら誰が何を言ってもエミーリアを止めることはできない。だからハンナは注意しておくだけにとどめておいた。

「わかっているわ、陛下への手紙を書いたらすぐに寝ます」

 気合いに満ちているエミーリアに、ハンナはいちまつの不安を覚えた。なんだか気合いが入りすぎている。とても婚約者にてた手紙を書こうとしているようには見えない。

「あんまり長文を送ってもダメですよ!?」

「わたくしのことを知っていただくのに、短い文では書ききれないわ?」

 一体どんな内容の手紙を送るつもりだったのだろう。ほうっておいたら婚約者への手紙というより報告書のような分厚い束ができあがっていたかもしれない。

「陛下はおいそがしいのでしょう? こまめに、少しずつ知っていただくのがよろしいかと。あまり長いと読むのを後回しにされますよ」

 よほどいとしい恋人から届いたものでなければ、忙しい時にきんきゆうでもない分厚い手紙を読もうなんて思わない。後回しにされて、忘れられてしまう可能性のほうが高い。

「それはダメだわ。そうね、少しずつ、少しずつね」

 ぶつぶつと自分に言い聞かせながらエミーリアは手紙に何を書くか考えた。最初の手紙になるのだ。思い出の品になるかもしれないのだから、変なことは書けない。

 これはきっと、明日の朝には夜更かしをしていつもよりねむたげなエミーリアを起こすことになりそうだ、とハンナはため息をき出した。


   ◆◆◆◆◆


 婚約が決まり、マティアスが婚約者であるエミーリアと会ってから数日。

 それから毎日届けられるエミーリアからの手紙は、さほど情熱的なものではない。

 その日どのように過ごしていたかとか、こんなものを好んでいるだとか、どちらかといえばエミーリア自身のことばかりだ。それもたいていは便びんせん二枚程度の長さ。

 めんどうだと思わないわけではないが、しつの合間のきゆうけい時間にエミーリアからの手紙を読むことがマティアスの日課になりつつあった。

 恋をしてください、などと言っていたわりには甘い言葉もびる言葉もなく、マティアスとしては少し──いや、かなりひようけだった。身構えてしまったのが鹿馬鹿しくなる。

 マティアスは今日も届いた手紙を執務室で読んでいた。エミーリアからの手紙は屋敷の庭の木に鳥が巣を作っていた、というもの。庭師がてつきよしようとしたので止めたらしい。しばらくしたらひなの姿が見られるかもしれないから楽しみだ、と書いてある。

「それ、シュタルクじようからの手紙?」

「ああ」

 へぇ、と問いかけてきたヘンリックがにやにやと笑う。

けなだよなぁ。毎日毎日。おまえ、返事は書いたの?」

「……書く前に次の手紙がくる」

「いや、それにしたって二、三通に一度くらいは返事を書けよ」

 ヘンリックの言うことはもっともなのだが、マティアスは毎日執務に追われているし、手紙に書くようなことは特にない。それに返事を書いてエミーリアにじような期待をされても困るのだ。あいにく、マティアスは恋愛をするつもりなんてこれっぽっちもないのだから。

 そしてエミーリアの手紙にも、マティアスからの返事をさいそくするような内容はなかった。マティアスへの質問すらない。

「参考までに、おまえなら手紙にどんな内容を書くんだ?」

 ヘンリックはマティアスよりもずっと社交的だ。甘い顔立ちが女性にはりよく的に見えるらしく、貴族の令嬢はもちろん女官たちにも人気がある。

「んー? 君は可愛かわいいよ、れいだよ、世界で一番輝いているよ……みたいな?」

 女の子は基本められると喜ぶからね、と笑う親友にマティアスはあきれた。この男はいつか女性問題でされるんじゃないだろうか。

「まったく参考にならないことだけがわかった」

「まぁまぁ、シュタルク嬢はなんて?」

「……こんやく発表の夜会を楽しみにしています、だそうだ」

 二人の婚約が決まり、顔合わせも済ませたあとは大々的に婚約を発表するための夜会が王城で開かれることになっている。

 夜会というはなやかな場では、今がチャンスとばかりにマティアスにすり寄ってくる女が多い。それを考えただけで、マティアスはゆううつになった。

 エミーリアには悪いが、夜会が楽しみだなんて、とてもじゃないが思えない。


   ◆◆◆◆◆


 城では華やかなドレスを着た令嬢や貴婦人たちがその場に花をかせたようにだんしようし、しんたちは楽団のかなでる音に耳をかたむけながらワインを片手に語り合っていた。

「このたびはご婚約おめでとうございます」

 もう何人目か数えるのもいやになるほどの同じあいさつに、マティアスは表情を変えずに答える。となりに並ぶエミーリアは「ありがとうございます」と微笑ほほえんでいた。

 エミーリアは花のような紅色のドレスに、うすちやかみにはしんじゆかみかざり、細い首には髪飾りとそろいの真珠で作られた首飾りをつけていた。せいで上品だが、年相応の愛らしさのあるよそおいだ。

 目まぐるしく挨拶にやってくる貴族たちはこの婚約に好意的な者ばかりだ。

 うつとうしくなるほどの祝いの言葉を聞きながら、エミーリアのがおはまったくくずれない。

「領地では先日の大雨で農作物にがいがあったとか。その後はいかがですか?」

 おどろくことにエミーリアは挨拶のたびに、こうして相手に声をかけている。その内容は様々だったが、まさかほかの領地のじようきようまで知っているとは思わずマティアスは目を丸くした。

「おや、まさかご存知だったとは。だいじようですよ。ありがたいことに陛下がすぐ対応してくださったので」

「そうだったのですね。はくしやくにもおがなくて何よりです」

 エミーリアと話している人間はそのほとんどが気分良く会話を終える。彼女がうまく会話を盛り上げ、相手をづかい、その様子をすきなく観察しているからだ。

「さすが陛下ですね」

 ふふ、とマティアスを見上げて微笑むエミーリアに、マティアスはいつしゆんなんのことかと思った。そして伯爵の領地の話だと気づく。

「当然のことをしただけだ」

「当然のことをしてくださる王だからこそ、たみは安心して暮らせるんです」

 きっぱりと言い切るエミーリアに、マティアスはまた驚かされた。

 マティアスの知る令嬢とは、着飾ることばかりに熱心で、愛され甘やかされることが当然で、少なくとも彼女たちの口から国のことや民を思う言葉を聞いたことはない。

「……伯爵の領地のこと、よく知っていたな」

「たまたまです。父や兄が話していたことを覚えていただけですわ」

 たまたまなどではないだろう。マティアスとて、エミーリアの言葉をそのままなおに受け取るつもりはない。

 挨拶を一通り終えてダンスが始まろうとした時、とあるこうしやくむすめを連れて声をかけてきた。

「陛下、ぜひ娘と一曲おどっていただけませんか。お会いできるのを楽しみにしていたんです」

 まだ一曲目も始まっていないのに気の早いことだと思いながら、マティアスはけんしわを寄せた。婚約者であるエミーリアと踊ってもいないタイミングで声をかけてくるなんて非常識だ。

 マティアスは女ぎらいなのではといううわさはあるものの、さすがにおおやけの場で女性をじやけんあつかうことはない。だからこそ、こういう機会にすり寄ってくる者は少なくない。侯爵もそのうちの一人らしく、まんの娘を連れてきたようだ。

 侯爵令嬢はうつくしい娘だった。あざやかなしんのドレスを堂々と着こなし、ようえんに微笑む。エミーリアと目が合うと、いささかトゲを感じるほどの笑みをかべた。

「いや、それは……」

 断ろうとしたマティアスの言葉をさえぎるように侯爵令嬢は口を開いた。

「一曲だけです。どうか私と踊っていただけませんか?」

 首をかしげ、甘い声で問いかけてくる侯爵令嬢の媚びた様子に、マティアスは不快感をあらわにし、氷のように冷たい目で令嬢を見た。

「悪いが、今夜は彼女のそばをはなれるつもりはない」

 マティアスはエミーリアの細いこしき寄せてきっぱりと告げた。婚約発表のための夜会なのだから、そのくらいの無作法は許されるはずだ。

 マティアスのはっきりとしたきよぜつに、侯爵はあわてて娘の手を引いた。

「申し訳ございません、陛下。われわれはこれで失礼いたします」

「お父様、でも……!」

 侯爵令嬢はなつとくしていないようだったが、侯爵がきつく「いい加減にしなさい」と𠮟しかるとしぶしぶ引き下がった。どうやら令嬢は、自分に大変自信があるらしい。自分が選ばれないことが信じられないとでも言いたげな姿にマティアスは小さくため息をいた。

 あんな女に比べたらエミーリアは何倍もマシだ。マティアスが不快になるようなこともなく、こうしてあの手の令嬢を追いはらう口実にもなる。

 挨拶が一段落して、周囲はそろそろマティアスたちが踊るのかと視線を向けている。エミーリアのそばを離れないと言ってしまったし、マティアスも一曲も踊らないわけにはいかない。

「……手を」

「はい、陛下」

 言葉少ななマティアスに気分を害した様子もなく、エミーリアはその手を取る。たくさんの視線を浴びながら堂々としている様子にマティアスはなるほどかんぺきな令嬢か、と納得する。

 しかしそのほおが赤く染まっていたことにマティアスはさっぱり気づいていなかった。

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