第一章 婚約からはじめる二人の恋②
エミーリアがマティアスと顔を合わせ、
「今日は陛下とお会いしてきたのでしょう? どうでしたかお嬢様」
ハンナはシュタルク公爵家に代々仕えている家の娘で、エミーリア専属の侍女としてよく働いてくれている。エミーリアはもう一人の姉のようにハンナを
「とてもやさしくて素敵な方だったわ。甘いものがお好きみたい」
「あら、
「そうね。だから今度お会いするときはチョコレートを持っていこうと思うの」
「それはいいですね。……それにしてもお嬢様がそんなに夢中になるなんて、よほど素敵な方だったんですね」
エミーリアと
「それはもちろん。それに、わたくしの目標は結婚までに陛下にわたくしを好きになっていただいて、恋愛結婚することですもの」
がんばらないとね、と意気込むエミーリアに、ハンナは固まった。
「…………はい?」
たっぷりと時間をかけて、ハンナは聞き返す。空耳であってほしい、とハンナは今心の底から願った。
「だから、恋愛結婚するために陛下にわたくしを好きになっていただかなくちゃいけないの。ねぇハンナ、
困ったように見上げてくるエミーリアに、ハンナは
「……まさかとは思いますが、お嬢様。それを陛下に──」
「申し上げたわよ? だって、こちらの目的ははっきり伝えておかなくてはダメじゃない」
まったく
「あああ……お嬢様の
エミーリアは
しかしそれとは別に、エミーリアは時々令嬢らしくない行動をとってしまうことがある。
たとえば、
たとえば、カーテンを
もちろんエミーリアにも理由はあって、歴史の勉強をしていて、万が一食料不足になったときのために屋敷の花壇を畑にすればいいのでは? と
小説を読んでいたらカーテンで
もちろん庭師に花壇の一角を畑にしたいと
「ちょっと
エミーリアとマティアスは
「……そうですね、そうです、そうなんですけどぉぉぉ……」
「こうなってはしかたありません。いいですかお嬢様、淑女のアピールは
「まぁハンナ。ダメよ、そんな
控えめになんて、個人によって基準は異なるものだ。エミーリアとしてはこれでも控えめに行動をしているつもりだ。
(わたくしはまだ、自分の希望を陛下にお伝えしただけなのに)
きょとんとするエミーリアに、ハンナは泣きそうな顔でしがみついた。
「いつもの完璧なご令嬢であってくださればそれでいいんですよぉ……!」
それは簡単なようで難しい要望だ。
エミーリアにとって、完璧な淑女であることは今さら難しくもなんともないが、それではエミーリアの
「だって、淑女の恋愛方法なんて習わないじゃない。それじゃあわたくしだって一体どうしたらいいのかわからないわ?」
そもそも貴族の娘にとって結婚相手は親が決めるものだ。令嬢が
「とにかく、ぐいぐい
ロマンス小説は、男女の恋愛をこれでもかというほどじれったく
「それもそうね……」
恋に落ちる二人が出会うまでは早いが、その後の展開はこちらがやきもきしてしまうほど
もちろん物語としてはそこがいいのだけど、現実では
「まずは、お嬢様を知っていただくことから始めてはいかがですか。手紙を書くとか」
ハンナの提案にエミーリアは目を
手紙。いいかもしれない。
物語でもよく恋する相手からもらった手紙を何度も読み返すシーンがあった。
「そうね! それは名案だわ! 好きになっていただくには、まずわたくしを知っていただかなくてはダメよね!」
そうと決まれば
ハンナはエミーリアが
「
やると決めたら誰が何を言ってもエミーリアを止めることはできない。だからハンナは注意しておくだけにとどめておいた。
「わかっているわ、陛下への手紙を書いたらすぐに寝ます」
気合いに満ちているエミーリアに、ハンナは
「あんまり長文を送ってもダメですよ!?」
「わたくしのことを知っていただくのに、短い文では書ききれないわ?」
一体どんな内容の手紙を送るつもりだったのだろう。
「陛下はお
よほどいとしい恋人から届いたものでなければ、忙しい時に
「それはダメだわ。そうね、少しずつ、少しずつね」
ぶつぶつと自分に言い聞かせながらエミーリアは手紙に何を書くか考えた。最初の手紙になるのだ。思い出の品になるかもしれないのだから、変なことは書けない。
これはきっと、明日の朝には夜更かしをしていつもより
◆◆◆◆◆
婚約が決まり、マティアスが婚約者であるエミーリアと会ってから数日。
それから毎日届けられるエミーリアからの手紙は、さほど情熱的なものではない。
その日どのように過ごしていたかとか、こんなものを好んでいるだとか、どちらかといえばエミーリア自身のことばかりだ。それもたいていは
恋をしてください、などと言っていたわりには甘い言葉も
マティアスは今日も届いた手紙を執務室で読んでいた。エミーリアからの手紙は屋敷の庭の木に鳥が巣を作っていた、というもの。庭師が
「それ、シュタルク
「ああ」
へぇ、と問いかけてきたヘンリックがにやにやと笑う。
「
「……書く前に次の手紙がくる」
「いや、それにしたって二、三通に一度くらいは返事を書けよ」
ヘンリックの言うことはもっともなのだが、マティアスは毎日執務に追われているし、手紙に書くようなことは特にない。それに返事を書いてエミーリアに
そしてエミーリアの手紙にも、マティアスからの返事を
「参考までに、おまえなら手紙にどんな内容を書くんだ?」
ヘンリックはマティアスよりもずっと社交的だ。甘い顔立ちが女性には
「んー? 君は
女の子は基本
「まったく参考にならないことだけがわかった」
「まぁまぁ、シュタルク嬢はなんて?」
「……
二人の婚約が決まり、顔合わせも済ませたあとは大々的に婚約を発表するための夜会が王城で開かれることになっている。
夜会という
エミーリアには悪いが、夜会が楽しみだなんて、とてもじゃないが思えない。
◆◆◆◆◆
城では華やかなドレスを着た令嬢や貴婦人たちがその場に花を
「このたびはご婚約おめでとうございます」
もう何人目か数えるのも
エミーリアは花のような紅色のドレスに、
目まぐるしく挨拶にやってくる貴族たちはこの婚約に好意的な者ばかりだ。
「領地では先日の大雨で農作物に
「おや、まさかご存知だったとは。
「そうだったのですね。
エミーリアと話している人間はそのほとんどが気分良く会話を終える。彼女がうまく会話を盛り上げ、相手を
「さすが陛下ですね」
ふふ、とマティアスを見上げて微笑むエミーリアに、マティアスは
「当然のことをしただけだ」
「当然のことをしてくださる王だからこそ、
きっぱりと言い切るエミーリアに、マティアスはまた驚かされた。
マティアスの知る令嬢とは、着飾ることばかりに熱心で、愛され甘やかされることが当然で、少なくとも彼女たちの口から国のことや民を思う言葉を聞いたことはない。
「……伯爵の領地のこと、よく知っていたな」
「たまたまです。父や兄が話していたことを覚えていただけですわ」
たまたまなどではないだろう。マティアスとて、エミーリアの言葉をそのまま
挨拶を一通り終えてダンスが始まろうとした時、とある
「陛下、ぜひ娘と一曲
まだ一曲目も始まっていないのに気の早いことだと思いながら、マティアスは
マティアスは女
侯爵令嬢はうつくしい娘だった。
「いや、それは……」
断ろうとしたマティアスの言葉を
「一曲だけです。どうか私と踊っていただけませんか?」
首を
「悪いが、今夜は彼女のそばを
マティアスはエミーリアの細い
マティアスのはっきりとした
「申し訳ございません、陛下。
「お父様、でも……!」
侯爵令嬢は
あんな女に比べたらエミーリアは何倍もマシだ。マティアスが不快になるようなこともなく、こうしてあの手の令嬢を追い
挨拶が一段落して、周囲はそろそろマティアスたちが踊るのかと視線を向けている。エミーリアのそばを離れないと言ってしまったし、マティアスも一曲も踊らないわけにはいかない。
「……手を」
「はい、陛下」
言葉少ななマティアスに気分を害した様子もなく、エミーリアはその手を取る。たくさんの視線を浴びながら堂々としている様子にマティアスはなるほど
しかしその
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