15 椅子


 卒業式前頃に、座らないことがブームになった。

 ある有名女優が「座り過ぎは死亡リスクが上がる」という論を唱え、テレビ番組に招待された専門家がそれに乗っかった。


「現代の子供たちは座りっぱなしだ。学校、塾、家庭学習、テレビゲーム。ほぼ丸一日を座って過ごしている。このままだと重大な病気に……」


 全国の子を持つ保護者が一斉にモンスターペアレントと化し、学校に抗議した。

 忽ち学校を始めとするあらゆる公共施設から椅子が撤去された。


 学校生活の中で座るのは食堂とトイレだけとなった。立ちっぱなしで足が痛くなった時にしゃがむことは許可された。




 僕は明日から高校生だ。ただ肩書が変わるだけで不思議と気持ちが一新された。


 レイナに会いたかった。

 ……彼女は春期休暇に入ったと同時に転校してしまった。

 直接顔を会わせ別れの挨拶をする機会もなく、彼女が引っ越してしまった後に噂で知った。


 そう聞いた時は愕然としたが、裏切られたとは思わなかった。

 中学生の突然の転校なんて親の都合ありきに決まっている。おそらくレイナの父親の転勤だろう。


 メールに返信が来ないことが心配だ。

 けれど、何年離れていても再会すれば、いつもの二人をすぐに思い出すと確信してもいた。




 僕は座れる場所を探して彷徨っていた。

 公園に足を向けたが、ベンチどころかブランコすら撤去されていた。『子供の健康維持に貢献する』との看板を掲げた堅苦しげな公園にはもう子供は寄り付かなくなったようだ。


 公園の木陰に車椅子の人がいた。温厚そうな初老の男性だ。


 僕が挨拶をすると呼び止められて、しばらく世間話をした。

 僕は男性の横に立て膝をついた。


 不意に男性が「肩身が狭いね」と零した。卑屈さを一つも感じない、フラットな微笑だった。


 僕は怒りを覚えた。勿論、彼にではない。本来そんなことに肩身の狭さを覚える必要はないのだ。


 車椅子のその方はちょっと茶目っ気を見せて諭してくれた。


「学校は『異端』を生む天才だからね。人は自分の出来ることは他人も出来ると思っちゃう。自分が出来ないことは他人も出来ないって決めつけちゃう。君は自分より出来る人のことも出来ない人のことも思い遣り続ける人でいたらいい」


 男性とはそこで別れた。


 後日。公園で出会った初老の男性が著名な小説家だったらしいことを、テレビ中継で知った。

 彼は名誉賞受賞者を集めた会見に、車椅子で現れた。


「立てないもので、座って失礼します」


 彼は静かに告げて、会見を始めた。


 この一言が物議を醸した。

 座らせないブームが瞬く間に過ぎ去り、教室に再び椅子が戻った。


 教師陣はあれほど「先生だってずっと立ってんだからお前らも立て」と怒鳴り散らしていたくせに、今は平然と椅子を教室に搬入していた。

 テレビのニュースで「新年度から再び椅子有りで新入生を迎えるようです」と高らかに報じられた。


 配慮不足を謝罪することも出来ない、高飛車そうな教員たちが画面に映っていた。画面を見ているだけで目も当てられないほどの羞恥に襲われたのは僕だけらしい。


 世間、と一括りにして良いものか、少なくとも命令のまま人を排除し、もしくは受け入れる人々は多い。僕にとってはどちらも思考停止しているという点で同義だった。


  悩み考えることを止めた人間は、少数のために気を配ったりはしない。

 そんな人間が役職ある立場になれば、周囲からも悩む権利を奪ってしまうのかもしれない、と思った。


 レイナが心を痛めて、彼女らしく誠実に怒る顔が想像できた。

 会いたいと思った。そう思うのも、もう何度目か分からない――。





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