14 ジェネレーションギャップ
ある時唐突に、政府によって、少年法を始めとした年齢別の法律がすべて成人向けの法律と統一される「世代間法差別撤廃週間」が設けられた。
これは実験的に行われたもので期間は一週間とされた。
勿論、殺人など重大犯罪について未成年も成人も実名報道され、同等の厳罰が下る。
その一方で、喫煙・飲酒など成人に許可されている権利は未成年にも同様に許されるとされた。
政策を打ち出した政治家曰く、
「世の中はあまりにも成人と未成年を分け隔てている。少年を過剰に擁護し、大人になった途端に自由と責任の社会に放り出すようになっているのだ。
昔は高校生だろうが中学生だろうが、酒を飲んでぶっ倒れる度に加減を知っていった。
しかし現在はそういった失敗を若いうちにしないので、自分の加減を覚えないまま大人になってしまう。だから未熟な人間が増え、重大犯罪や事故に繋がる。
低年齢から自分で選ぶ自由と責任を持たせることで、酸いも甘いも嚙み分けた大人を育むことができる」と。
この画期的なキャンペーンは人々をおおらかにした、と分析するニュースが増えた。年齢差に目くじらを立て、罪を咎める方が非常識という風潮が流行り始めたからだ。
多くの人間は少年の法的責任の増大より、規制緩和ばかりに気を取られて喜んだ。
僕の近所でも「世代間法差別撤廃週間」の影響が見られ始めた。
夜中、煙草を吸いながら徘徊する少年がいても大人は見て見ぬ振り。何か勘違いした少年が無免許運転で逮捕され多大な罰金を科せられても少年の自己責任。
僕はこのキャンペーンが、大人が子供を監督する責任を放棄するための都合の良い言い訳にしか思えなかった。
週末、両親の結婚記念日だった。
母が僕に「ねえ、カイ。買い物に付き合って」とねだったので、即座に了解した。
記念日のプレゼントを買うために一人で母を出掛けさせるなどいたたまれなかった。
車の中で母に尋ねた。
「今日、父さんは? 休みだったよね?」
「……さあ。キャバクラじゃない? 机の上に名刺が置きっ放しだったし。
『これ何?』って訊いたら、『そういう風に俺の息抜きを邪魔するのは非常識なんだよ』だって。『いずれカイも連れて行くから』って言ってたわよ。
……まったく。何の宣言よ、いくら法緩和されたからって……。
店に行くなとは言わないけどせめて気付かれないようにして欲しいわね」
母は殺気立っていた。
運転しながら、パチンコ店の駐車場にごった返す乗用車たちに「真っ昼間からパチンコなんて」と不機嫌を極めた。
車内の空気が張り詰め息苦しかろうと、母に苛立ちをぶつけられようと、母に寄り添いたい気持ちは薄れなかった。
――父の母への愛は冷め切ってしまったのだろうか。それとも父が母をまだ妻としながら、結婚記念日を無視してキャバクラを楽しむことは普通のことなのか。
僕は「キャバクラ」という不純そうな単語への、そして父への嫌悪の念が拭えない一方で、それと同じくらい自分が潔癖すぎるのではないかと怖かった。
頭の中を誰かに知られたら非難されるかもしれない。
「大袈裟じゃない? だってそれは合法的なものでしょう? いちいち突っかかるなんて意識過剰なやつ。いつまで青臭い正義感を振りかざしているんだか……」と、そこまで想像して恐怖心が襲いくる。
更には、僕が嫌悪している事柄(つまりは煙草、酒、キャバクラ、パチンコ……)にはそれを生業として立派に働く人がいて、その人たちの生活まで否定するような考えを振りかざしてはいまいか、という思考が渦巻いていた。
この嫌悪は見当違いではないのか……。
雑然とした思考に呑まれながら、その日は母の買い物に付き合った。
ちなみに母の結婚記念の品としては、一緒に選んだ化粧ポーチを贈った。
後日、僕は古着買い取りの店に足を運んだ。
近所の人に見咎められぬよう、わざわざ遠方の店へ来たのだ。
いざ到着してみたものの決心がつかない。
紙袋片手に店の前で立ち往生していると、「カイ君?」と声が掛かった。
僕を見つけて駆け寄ってきたのは、学年一つ後輩の、レイナだった。
清楚なスカートを履いたツインテールの女の子に、一瞬だけ見惚れた。
彼女の手にも僕の持つものと似たような紙袋があった。
一目でお互いがお互いの事情を分かり合ってしまったようで、少々気恥ずかしくも、光明を得たような心地もあった。
古着屋の隣のハンバーガーショップで昼食を取ることにした。
それぞれ控え目に注文して他愛のない近況報告をした後、レイナが僕の紙袋を指差した。
「カイ君は今日は服、売りに来たの?」
「ああこれ、靴だよ」
紙袋の中には、蛍光色がふんだんに縫い付けられた新品の運動靴があった。
――両親の結婚記念日の夜に、父が僕に買ってきてくれた靴だった。
父に渡された箱の蓋を開けて靴を見て、悲喜こもごもだった。
父はわざわざ寄り道して僕のために靴を買ってくれたのか。(こんな金があるなら母さんに花でも買えばよかったのに)
僕の運動靴が擦り切れていたことに気付いてくれた。(派手な靴は趣味じゃない。ここまで目立つものだと中学校の体育では履けない)
素直になれないだけで父にも本当は家族を修復したい気持ちがあるのかもしれない。(キャバクラに行った後ろめたさをこんなもので相殺しようと言うのか)
……結局、僕は何にも気づかない振りをして、父に笑顔で礼を告げた。
一秒でも早くこの靴を手放すことを考えていた。
レイナは僕の話を、わざとらしいリアクションなど挟まず、ただ頷きながら聞いてくれた。
僕は意図的に空気を軽くしようと、レイナの膝の上の紙袋に視線を移動させた。
「レイナちゃんも同じような?」
「だね。訊く?」
お道化ているようで、砂が混じったようなざらつきを残す声音。
僕はどんな内容があっても受け止めるつもりで、飲み物をテーブルの端に退けて彼女にまっすぐ対した。
「お父さんがピアノ教室の生徒さんからプレゼントされた水着を売りに来た」
「……え、お父さんの水着?」
「うーん、多分、僕の水着。お父さんは『生徒さんが気を遣って買ってくれた』って言ってたけど、あの人たちは媚び売りたいだけだね。でも、お父さんはさっぱり気付かないんだよねえ」
レイナの口調は嫌味っぽい響きもあるにはあったが、父親への達観した呆れが強かった。
僕はつい好奇心と呼ぶには切実な思いが込み上げて、彼女の顔を穴が空くほど見詰めてしまった。
「……突っ込んだこと訊いても?」
「うん、いいよ」
「レイナちゃんはお父さんのこと、嫌にならないの?」
「……嫌には、ならないかも。恋愛は自由だから。お母さんは何年も前に死んじゃってるし、僕っていう子供がいてもお父さんには自由に恋をする権利があると思うから。
ただあの人たちが僕を巻き込んで遠回しにお父さんを懐柔しようとしてることくらいは、気付こうよ、とは思う」
彼女は大人だな、と思った。
僕は無意識にレイナに甘えたくなってしまった。
「……僕は父さんを上手く許せないんだよね。上手く、こう、父さんもいつも大変だから仕方ないんだろうな、とか考えて納得しようとはするんだけど、結局許せなくて。
きっと父さんを許せないだけじゃないんだ。煙草とか酒とか、最近まで学校で禁止されていたものが、急に解禁されたことにもムカついてて、見るのも聞くのも嫌になる」
「……嗜好品は、節度を持って楽しめばそこは自由じゃないかな」
レイナは小首を傾げて、ふっと正論を突いた。
僕は心の狭さを指摘されたようで、ひゅっと委縮した。
「あ、うん、いや、ほんとそうだよね。何言ってんだろうね僕」
咄嗟に、上擦った卑屈な笑いが出た。誤魔化せていないだろう。
「嫌になる」なんて非難がましい尖った言葉を口にした数秒前の自分に唾を吐きかけたい。
「あ、でも。てことはさ、」
レイナが黒々と優しい瞳で僕を覗きこんだ。
「カイ君は大人になっても煙草吸わないんだ?」
「う、うん。そうだね、そのつもり……」
「お酒も?」
「うん、飲まないかな」
「ゲームの課金は?」
「あー、しないねえ。ゲーム下手すぎて課金しても勝てない……」
「パチンコも、競馬も、キャバクラも、行く気はない?」
「多分ね。必要に迫られなければ行きたくはない」
何を聞きたいんだろう?
レイナの目に広がっているのは喜び?
流石に変だなと思い始めると、
「……ということはさ、僕の、だ、旦那さんになるかもしれない人は、将来、僕の苦手なことを一切しないって保証されてる訳でしょ? え、うそ、それって最高じゃん!」
僕は唖然とレイナを見詰めていた。
彼女が「旦那さん」と言う時、少々どもって恥じらった瞬間だけが脳内でリプレイされている。
要は、レイナちゃん可愛い、しか頭に入ってない。
「ね、カイ君」
「ん、えと、」
「そのままのカイ君で大人になってね。僕はそのままの君が好きです」
レイナの声には脅迫めいた圧まであった。
彼女は、人は変わっていくものだと十分に承知しながらそう言ってみせたのだと理解した。
その強い呪縛のような言葉が今、僕が最大に欲していたものだと、与えられて初めて気付けた。
その日、古着屋に寄り、レイナは水着を買い取ってもらったが、僕は運動靴を持ち帰ることにした。
父に対しての僕の嫌悪と、父が僕に向けてくれた好意を切り離す必要を感じたからだ。
レイナは特に反対も賛成もせずにいてくれた。
実験的に始まった「世代間法差別緩和週間」の最終日。
ニュースで、十四歳少年の急性アルコール中毒による死亡事件や、免許取りたての八歳少女のひき逃げにより八十二歳女性が亡くなった事件や、違法薬物をそうと知らずに運んでしまった十一歳少年が被害者・加害者共に実名報道されると、瞬く間に世論は世代間法緩和に対して批判の声を浴びせた。
僕は案外、僕ら子供の方が、大人と子供の境目をくっきり線引きしているのではないかと思った。
何があってもきっと容赦される、いざとなれば大人の庇護が得られる、と高を括って自身の責任を棚に上げている。
大人からの愛情を初期装備としつつ大人を非難することは、ある意味、子供の権利と呼ばれるべきものかもしれない。
僕は「大人」になるまでの残り数年、世間の大人を嫌悪しながら子供の権利を当然のように享受するのだろう。
かつて子供だった大人たちがそうしてきたように。
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