13 白雪姫
SNS上で「白雪人」という語が一躍話題になった。
白雪姫症候群ならば一般に「幼い頃に虐待を受けた子供が母親になり、自分の子供を虐待してしまう」ことだが、それとは全く別物だ。
「白雪人」というのは、白雪姫になぞらえて純粋であることを美とし、純粋ぶることを支持する人々を指す。
若者――特に中高生の間で議論が白熱した。
白雪姫的ぶりっ子推奨派と、世の中みんな腹黒だからそれを隠すな派の対立だった。
その流行のピークに僕の高校受験の日が重なった。
僕は受験会場にいた。
偏差値もまるで平均の、公立の、普通科高校の廊下に整然と並んで、面接の順番待ちをしている。
学ランの襟を整えて、隙間風をやり過ごす。
――僕は今から、ここに踏ん反り返っている大人たちに、気に入られなければならない。
酷く緊張して吐きそうだった。
僕の名前が呼ばれ、試験会場と大仰な名がついただけの中学と変わらない教室に立ち入る。
一礼。教室中央に用意された椅子の横に直立。また一礼。着席。
三人の高校教師が僕の一挙手一投足を監視していた。
中央のふくよかな男性が僕に何かしらを答えさせる役目の大人だ。
僕が気になったのは右端の眼鏡を掛けた若い男性教員だった。
僕が「将来の目標」をどうにか淀みなく並べ終えた時。
「では、君は何の教科の教師になりたいのですか?」
そう横槍を入れた教師の目は眼鏡の奥で、いっそ茶化すようだった。
舌打ちをしてやりたい。
「ええと、」
止まっちゃ、ダメだ。重要なことは内容ではない。どれだけ堂々と話せるかだ。
立派なことは言わなくていい。簡潔に。
「国語の先生になりたいです」
「お、いいですね。国語が好きなんですか。
では最後、君の憧れている先生について話して下さい」
焦燥が極限まで高まっている僕と反対に、涼しい顔の教師たちが憎らしい。
思わず、
「あ、まだ、そういう、尊敬できる先生には出会ったことがありません」
しまった。正直が過ぎた。
若い男性教師は苦労して笑いを噛み殺していた。
「ふふ、く……。
えー、では、うちの学校で尊敬できる先生に出会えると期待して、今日は受験してくれたんですね」
「っ、はい……」
助け舟にどうにか乗っかって、面接は終了した。
気分は最悪だった。
――この場は媚を売るべきだった。
本音をひとさじだけ残したら、“中学生らしく”爽やかに変換して、耳触りの良いように加工して、……そうやって大人になるべきだった。
後悔を溜息に絡め、周囲の同級生たちに気取られぬよう鼻から吐いた。
大人になるというのは案外こういうことの連続かもしれない。
大人はみんな子供に対して多少なりとも白雪人。
これで落ちても納得できる、と言い聞かせれば少し吹っ切れた。
帰り支度をして、高校の裏門までとぼとぼ歩き着いた時、呼び止められた。
「忘れ物ですよ!」
先程の若い男性教師だった。手には缶コーヒー。
「それ僕のじゃないです」
「あれ、おかしいな。すみません」
教師は急に気さくな口調になって、照れたように頭を掻いた。
「いえ、じゃあ……、あ、今日はありがとうございました。僕はここで失礼します」
せめて最後の悪足掻き。
挨拶のできるいい子に見えてくれ。
「待ってください。あげますよこれ。どうせ誰も取りに来ないでしょうし」
教師から僕の手に押し付けられた缶コーヒーは火傷しそうなほど熱い。
つい今買ったばかりのような。
――実際買ったばかりなのだろう。
僕を呼び止める口実にするためだけに、この男性教師が買った缶コーヒー。
教師は僕がそれを見抜いていようがいまいが構わないようだった。
つらつらと、
「僕は理科の教師なんです。
僕もまだ尊敬できる恩師には出会ったことがありません。
高校の先生になった動機は、好きな理科の話をしながら大人びた子供たちと戯れる仕事ってこれかなと思ったからです」
「……通報すべきですか?」
「しないで下さい」
男性教師は「では春にまたお喋りしましょうね」と朗らかに言い去った。
この教師の中では僕が合格することが決定事項のようだ。
変な人、と心の内だけで呆れた。
マフラーを巻きなおし、帰路に着く。
僕が教師になりたいのは、ろくな教師に出会ったことがないからだ。
だから、自分がまだマシな大人になって、それこそ、もし恩師とでも呼ばれるようになったら、今日この時の中学生の僕が学校の先生という人に何をして欲しかったのか分かるかもしれないと思った。
疑似的な自己救済。
それが無意味なのか、いつか誰かが付加価値をつけてくれるのか。
どれだけ「将来の夢」を流暢に語れても、今の僕らが将来を見通せているとは到底思えない。
それでもそれでも大人の、白雪人の気に入るように純粋を粉のようにまぶしてやり過ごすのだ。
降り始めた雪が缶コーヒーの側面を滑って、雫になった。
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