12 キャラメル

 フィギアスケート選手実物大のキャラメルがネット動画で紹介された。


 お菓子職人の傑作だという、それの小指をポキリと折って頬張る動画配信者。

 そのインパクトは女子中高生の感性にヒットした。


 その動画の再生回数が増えるほど様々な放送媒体が真似をし、大手企業までもその波に乗った。




 放課後、冬期休暇前に浮かれる生徒らの合間を縫って辿り着いた図書室。

 時折北風に震える窓には、石油ファンヒーターの熱との温度差で結露ができていた。


 図書委員の後輩――レイナが本を開きつつ僕を待ってくれていた。

 彼女は珍しく俯き加減で僕に話し掛けた。


「あのさ、カイ君」


「何ー?」


 机を挟んでレイナと向かい合わせの椅子に腰掛けた。

 数学の課題プリントをせっせと開く。


「今から面倒な女みたいな台詞を言います」


「? はい」


「僕たちさ、付き合ってる、よね?」


 僕の脳内から関数の公式の一切が吹き飛んだ。


 頬の辺りに集まる熱は隠しようがない。

 僕は辛うじて高速で縦にかくかくと頷いた。


 レイナは机の上に組んだ腕を乗っけて、その腕に突っ伏すように顎を当てた。


「良かったぁ……」


 安堵と嬉しさに溢れた囁きに、割と本気で今死んでもいいやと思った。




 休日。僕はレイナの誕生日プレゼントを探して、街中を練り歩いていた。

 どこも今話題の『本物そっくり実物大キャラメル』で賑わっている。


 偶には流行に乗っかるのもいいかもな、と柄にもなく思った。

 多分、それだけ浮かれていたんだろう。


 週末明けのその日。

 帰り道でレイナに手のひらサイズの箱を渡した。


「……まさか指輪じゃないよね?」


 レイナは訝しげだ。


 慌てて否定する。


「流石にそこまで痛い奴じゃありませんって……」


 僕は彼女に悟られぬよう胸を撫で下ろした。


 実はちょっと指輪にしようかとも考えていた。

 が、そんなことをすれば数年後は確実に黒歴史になる。


 レイナが箱の蓋を開けると、そこには腕時計が入っていた。


 その腕時計は、濃さの異なるクリーム色の円形の文字板や針、限りなく革製に見えるバンド部分で構成されていた。

 針は時針、分針、秒針いずれもピクリとも動かない。


 レイナはその時計を箱から取り出して、――気付いたようだ。


「甘い匂い……。キャラメルだ!」


 無邪気に顔を綻ばせた彼女にほっとする。

 と思ったら忽ち口を引き結んだ。


「……ど、どしたの? 気に入らない?」


 すぐさまレイナは首を横に振った。

 が、途方に暮れたように口を尖らせる。


「どうやって食べたらいいの、これ」


「普通に食べられるよ、ミルクキャラメルだし」


「勿体なさ過ぎて食べられないよ!」


 僕は内心しめしめと思っていた。

 鞄からもう一つ箱を取り出す。


 レイナが瞠目した。


「……今度こそ指輪とか出さないよね?」


「出しませんって。時計だよ」


 レイナに先程あげた時計キャラメルそっくりの本物の腕時計だった。


 レイナの瞳がみるみると輝き出した。

 今、彼女の目から星屑が生成されるのだと教われば僕は信じただろう。


 僕は二つの箱を彼女の両の手のひらに置いた。


「こっちのキャラメルは誕生日プレゼント。

 こっちの腕時計はもうすぐ受験生になる後輩へのエール」


 レイナが無言でぴょんぴょん跳ねて、全身で喜びを噛み締めていた。

 彼女の気持ちを代弁するようにツインテールの髪があっちこっちにしなる。可愛い。


 奮発して贈って良かったなと思った。




 その日の晩、レイナから電話が掛かってきた。


『カイ君……。あの、話さないといけないことあって、』


 彼女の声は明らかに落ち込んでいた。


『お父さんがね、恋人とか作るのまだ早いって。

 ……ダメって言われた。

 あ、別に僕からお父さんに僕たちの関係を話したわけじゃないんだけど、……何か全部察してた、みたい』


 え、「察してた」っていつから? と尋ねたいのに許容範囲を超えた困惑で声が出ない。


『僕はね、お父さんに隠れながらカイ君と付き合うのやだなって思う。

 だって、僕たち、そんなこそこそしなきゃいけないような関係じゃないでしょ……?』


「それは、勿論。レイナちゃんのお父さんは何でそんなこと……。

 僕はいつもレイナちゃんを大事に想ってるよ……。

 それを分かってもらえるように僕が、」


『ごめんっ!』


 通話の向こうで、ほとんど泣き叫ぶような謝罪。


 ぎゅっと心臓を掴まれたように僕は固まった。


『多分お父さんからしてみたら相手が僕のこと大事にしてくれるかとか、あんまり関係ないんだと思う。頭ごなしにダメって思ってるだけだから……。

 あの……、あのね、』


 レイナは息を吐くのも苦しそうだった。

 それでも必死に言葉を紡ぐ。


『……前々から、お父さん、ちょっと僕をお母さんの、身代わりに、してるようなところがあって。多分一番の原因はそれだから……』


 あまりに不穏な単語が耳に飛び込んできた。


「“身代わり”……?」


『あ、変なことされてるとかじゃないし、娘として大事にしてくれるよ。

 変な意味じゃないから……』


 平静に戻ろうと努めている彼女の息がふうっと僕の鼓膜を震わせた。


『だからね、まずは僕から分かってもらえるように話してみる。

 それまでは僕たち、友達のままで』


「……うん……分かった……」


 何が「うん」だ。何が「分かった」だ。

 何の理解もしていなければ何の納得もしていない。

 それなのに、僕は物分かりの良い振りで自分の混乱を飲み込もうとした。


 ぎこちないままレイナとの通話を切った。

 もう受験勉強など手につかない。

 ベッドに沈む。


 なぜ僕はまだ中学生なんだろう。なぜ無力な十五のガキなんだろう。

 早く大人になりたい。

 彼女を一生支えていきますと宣言できるような大人に。


 情けないことにその夜は一人でボロボロ泣いた。




 翌日。動画配信サイト上である大規模なイベントが告知された。


 実物大の飛行機に似せたキャラメルをお菓子会社と航空会社が共同で作ったということだ。

 飛行機の搭乗客が自由にキャラメル機体を削り取って食べていき、何日で消費されるかというチャレンジ。


 キャラメル飛行機の外面は中のキャラメルが溶けないための保存料と塗料がたっぷり塗られていて、その部分を削ぎ落して中のキャラメルを食べていくのだという。


 このイベントはレイナのお気に召さなかったようだ。


「食べ物で遊ぶな!」


 と彼女は頬を膨らませた。


 放課後の図書室。僕らはいつも以上にいつも通りだ。


「あ、もしかして実は昨日の時計も嫌だった……?」


 ちょっと自信を失くしかけて伺うと、「あれは嬉しかった」と断言された。


「だってカイ君のくれた時計と、この飛行機は別物だよ。


 カイ君は僕が着色料とか苦手だって知ってたから保存料も着色料もほぼ使ってないキャラメルを選んでくれたんだ。

 本物そっくりかどうかより僕が一番美味しいと思うお菓子をくれた。


 でもあの飛行機は、あーゆーのを食べたがる子供の健康とか度外視して、『精度を高めるために本物の飛行機の塗料を使いました』とか宣伝してる。

 ……病気になる子が出なきゃいいけど」


 全くその通りだと思った。

 僕は照れ隠しに頬を掻いた。


「……ねえ、レイナちゃん。

 僕はこれからも一生懸命、君が喜ぶことを考えるよ。

 究極は、僕たちの関係の名前は、先輩後輩でも友達でも恋人でも何でもいいかなって思った。

 だから、僕を、頼ってね」


 これ以上の上手い言葉が浮かばない。

 歯痒くて、酸欠になりそうだ。


 レイナは眩しそうに僕を見詰めた。


「うん」


 続いて、カイ君大好き、と無声音。

 彼女の目元が更に切なそうに細まった。


 レイナの華奢な左手首に、僕のあげた腕時計がまるで違和感なく巻きついていてくれた。





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