8 タイツ
男女差別意識撤廃運動と称して、タイツを履いて街を練り歩く男子たちの団体が一世を風靡した。
四十代以上の男性層の一部は顔を顰めたが、それ以外には概ね歓迎された。
その団体の真似をして、街には瞬く間にタイツが溢れた。
黒タイツ、白タイツ、縞々タイツ、柄タイツ……。
スーツの会社員も、バイクに跨るサングラスの叔父様も、公園を駆け回る小学生も、違和感に大小があれど誰もがタイツを履いた。
男性は大抵、タイツ―イン―半ズボンの格好だった。
当然のように僕らの中学でもタイツが流行した。
僕はあろうことか母から姉のタイツを渡された。
姉はニヤニヤ眺めているばかり。
僕は抵抗空しく母にタイツを履かされた。
しかも白地に花柄タイツ―イン―学校指定のハーフパンツという奇想天外な格好で登校しなければならなかった。
玄関で父の冷ややかな視線に刺されたが、明らかに僕ごと花柄タイツを侮蔑していた。文句があるなら母さんを止めてくれ、と言いたい。
放課後の図書室。僕の姿を図書委員の後輩――レイナに見咎められ、案の定爆笑された。
「カイ君、似合ってるっ。似合ってるよっ! あはははは!」
嘘つけ。
レイナも黒いタイツに制服のスカートという格好だが、何というかちゃんとしている。
僕は額をぶつけるほどの勢いで机に突っ伏した。
「あーもー、ジェンダーレスを主張するにしても自分たちだけでやって欲しいよ。
一緒に履きましょうとか呼び掛けず!」
レイナが慰めてくれた。
が、彼女の忍び笑いを聴き取っていた僕は終始不貞腐れていた。
タイツの流行が長期化するにつれ『スカートめくり』ならぬ『タイツ破り』が流行り出した。
何だそのおぞましい遊びは、と思ったがこれは従来の『スカートめくり』というセクハラと違い、自分で自分のタイツを破くのだとか。
ハサミかカッターナイフで薄くタイツの表面に傷をつけた状態でタイツを伝線させて楽しむのだという。
言うまでも無く調子に乗った小中学生の男子間だけの流行りで女子は白けた目で関わりを持たないようにしているようだった。
昼休み時間。
僕はお調子者男子グループに囲まれてしまった。
不意の流れで『タイツ破り』をしようということになった。
僕は渋った。姉のタイツに傷を付けたりすれば雷が落ちる。
僕が嫌がるのが面白くなかったのか、男子の一人がカッターナイフを僕の脛に当てて薄く引いた。
「っ……!」
鋭い痛み。
足の脛に縦に走った細い線から血がダラダラ垂れてきた。
僕は、真っ青になっている男子たちを置いてトイレに逃げ込んだ。
そのまま誰にも何も告げず午後の授業はサボって、放課後まで図書室に籠っていた。
図書室で本を読みながら、冬の眩しい昼から底冷えのする夕方になるのを時折観察した。
人気が無くなった頃に、レイナが「今日タイツ履いてないね」と話し掛けてきた。
昼に着替えたので下は制服のズボンだ。念のため持って来ていて良かった。
僕が血塗れの丸めたタイツが入ったビニール袋を指差すと、レイナはすぐさま事態を了解してくれた。
「僕、姉さんのタイツ弁償しないとだから今日は帰るよ」
「僕も行きたい」
レイナが間髪入れず返答した。
洋服店に入る前レイナは「カイ君、足のサイズ何センチ? あと、お姉さんの身長は?」と訊いてきた。
レイナが姉のタイツを選んでくれるらしいのでお任せする。
彼女は、白地にレースが編み込まれた清楚そうなタイツを選んでくれた。
姉さんはもっと趣味が悪いよ、とは言わないでいた。
数分後、会計を済ませて店を出ると、レイナが僕が購入したタイツとは違う紙袋を持っていた。
まさか、と嫌な予感が過ぎる。
レイナは店に入る前、姉さんのではなく僕の足のサイズを訊かなかったか? まさか僕のタイツ……?
促されるまま袋を開けると、――中には学校指定の黒靴下が入っていた。
レイナは気まずそうに靴先をもじもじさせていた。
「今、カイ君さ裸足にローファーでしょ。足痛そうだったから。
余計なことだったかもね」
「そんなこと。いやほんと有り難い」
僕が靴下とローファーを履き終えてレイナの隣に並ぶと、彼女は眩しそうに目を細めた。
「そっちのが、しっくりくるね」
「うん、しっくりくるよまったく」
後日、タイツ禁止令が出た。
『タイツ破り』という馬鹿げた遊びをやめさせるためだ。
極端なもので女子のタイツまで禁止され、代わりに従来の制服ズボンと制服スカートに加え、キュロット、ロングスカートのバリエーションが男女に許可された。
「レイナちゃんはズボンにしないの?」
「今はまだ寒いからね。スカートだったら中にスパッツ履けるし」
「どゆこと?」
「体育の授業あるでしょ? スパッツ履いたままジャージ着た方が温かいから。
もう少し春になったらキュロットかな」
「……賢いねえ」
レイナはニヤッと猫のように目を鋭くした。
「要領よく、はカイ君の真似だよ。
……それに僕のスカート姿、可愛いでしょ?」
「可愛っ、い、ですけどぉ……」
勝ち誇った顔のレイナを、僕は恨めしく見た。
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