7 充電コード
最近、充電コードファッションが流行り出した。
充電コードをベルト代わりに腰に巻き付けたり、麦わら帽子のつばに充電コードを沿わせて持ち運ぶようなファッションのことだ。
日頃から何かと入用になる充電機器。
少し遠出すれば移動時間の暇潰しを気兼ねなく堪能するための必需品であるし、バスやコンビニエンスストアには自由に利用できるコンセントがある。
だが、肝心の充電コードの持ち運びが案外不便だったりする。
そこで二、三十代の若者たちが腰に巻き付け始めたのが流行の起源だった。
そのうちに電子機器を使う全ての世代が真似をし始め、今では充電コードファッションがそこかしこに溢れ返っている。
蛍光灯の白い光を飲み込むように柿色の夕日が差し込む図書室。
レイナは「みっともない!」と流行を一蹴した。僕も概ね同意見だ。
「そもそも腰元にじゃらじゃらぶら下げる格好を受け付けられない。
この間のニュースさ、『背広と会わせてもスタイリッシュ‼』って何?
いい年した大人が腰元にコードぶら下げてるんだよ。
座った時に下敷きにしちゃうだろうし、ずっと付けてたらコードが絡まりそうだし、人に当たったりしたらどうすんの⁉」
レイナはツインテールの毛先を神経質に引っ張った。
ご立腹のためか多少差別発言が混じっている気がしないでもない。
彼女は本日、父親に無理に充電コードを持たされた挙句、掃除の時間にバケツの水をぶっかけて壊してしまったらしい。
レイナは言いたい放題言うと後はしゅん、と俯いた。
「……レイナちゃん、暫く僕の貸そうか? 僕は姉さんの借りられるから」
「お姉さんいるの?」
彼女は俯いたまま器用に目線だけ上げた。
「いるよ。機械弄りが大好きな電気工学部の姉が」
「似てないね」
レイナが含み笑いをした。
僕が機械系に疎いことを彼女は知っている。
その時、図書室のスライド式扉が開いた。
つかつかと入ってきたのはレイナのクラス担任教師。
「レイナさん、ちょっといいかしら?」
「あ、僕、帰りますよ」
込み入った話の予兆を察知して席を立ちかけたが、一瞬視界を掠めたレイナと目が合ってしまうと、気が変わった。
すとんと逆再生のように座った。
教師が露骨に困惑する。
「あの、レイナさん、ちょっと」
教師がわざわざ濁した台詞の続きは『ちょっと別室に移動して先生と二人きりで話しましょう』だろう。
僕もレイナもそれを十二分に察しながら動かない。
レイナが上目遣いで反抗的に教師を見た。
「いいですよ、先生。カイ君の前なら」
レイナの声は意固地になっている時のものだ。
教師が助けを求める顔をしたが、僕を見られても困る。
教師は片眉を上げて少し考えてから口を開いた。
「最近、困ってることがあったりしないかなと思ったの。
もし何か、友達関係で悩んでいたりしたら教えて欲しいな」
「友達関係、ね。僕の友達はカイ君だけだよ」
レイナが無声音で文句を付け、教師の口を挟ませる隙を与えず、すぐに顔を上げた。
「先生は僕が虐められているんじゃないかって心配してくれたんですか?」
「え、ええ……。いじめじゃなくても、ちょっとトラブルとかあったのなら……」
教師は「いじめ」では不味いのだ。
「いじめ」に発展する前段階でトラブルを解決したという実績が大事なのだ。
レイナが教師のスカートの腰元を指差した。
そこには吊り下がっている充電コード。
「ダサくない、それ」
美意識過剰な女性教師の顔が目に見えて強張った。
「って言ったんです。昼間、あの子たちに。
そしたらゴミ袋投げつけられて、後退ったらバケツに突っかかってこけました」
「そうだったのね……」
教師は放心して、もうレイナに親身になるどころではなく、ふらふら背を向けた。
立ち去る時、図書室の引き戸のレールの小さな溝に爪先を引っかけてよろけた。
ゴツン、と充電コードが扉にぶつかった。
「危ないわね」
しみじみと呟いた教師の一言が、先程のレイナの文句の集約だった。
教師の足音が遠ざかってから「僕が聞いて良かったの?」と訊く。
レイナは口を噤んだまま。
「ほんとは虐め?」
僕が畳み掛けると、
「さあ……。でも僕あの子たちと仲良くしたくないから今のままでいい」
僕は真剣に「学校サボっていいんだよ?」と気遣った。
「カイ君はもっと真面目だと思ってた!」
レイナが目を丸くした。そうすると瞳に夕焼けの橙色が濃く映る。
「まさか。出席日数、常に計算してるよ。
日数が足りた瞬間に自主長期休暇に入ります」
レイナは「ずる賢ーい」と破顔した。
朝、ネットニュースで幼児が遊具で遊んでいて事故に遭ったという記事を見つけた。
この手の記事はよく耳にする。
僕は「随分近所だなあ」と軽い気持ちで読み流した。
その日の放課後。
図書室でレイナの口から今朝方のニュースの詳細について聞くこととなった。
事故に遭ったのはレイナのクラスメイトの妹だったらしい。
昨日まさにレイナを虐めたその子の妹。
滑り台を滑ろうとして、振り回して遊んでいた充電コードが首に引っ掛かったのだという。
女児は救急車で運ばれ、一命を取り留めた。
レイナが肩を落とすと、夕焼けまで色褪せて見える。
「あの子、目が真っ赤だった。そんで、もうコードつけてなかった」
彼女はクラスメイトにではなく、この流行そのものに怒っていた。
急に火が点いたように、
「充電コードなんて中に銅線入ってるんだから三歳児の体重かかったって切れないよ。
命が助かったのは運が良かっただけだ。
普通いくら流行りだからって三歳の娘に充電コードなんか渡さないでしょ。
ニュースもさ『親の監督責任だー』じゃないんだよ!
そういうのが煽り立てたから『普通一番大事にしなきゃいけない子供の安全確保』がおざなりになったんでしょ!」
レイナは抑えきれない怒りを押し込めるのに苦労して、ぐっと口を引き結んだ。
彼女は決して『ざまあみろ』とは言わない。
僕は彼女に聴かせるともなく呟いた。
「……流行の圧力は常識を歪ませるし、それに応じようとする見栄やプライドは本来の自分の大切なものへの想いを曇らせるものだよね。でもさ」
僕は一呼吸、置いた。
「何も流行らない世の中は寂しいね」
漸くそう思えるようになってきた。
レイナは目を伏せて、頷いてくれた。
僕は昨日の約束通り、透明なケースに入った充電コードをレイナに手渡した。
レイナは「このケース、センスいいね」と入れ物の方に関心を向けた。
後日、充電コードファッションのブームは急速に鎮火した。
代わりに高機能充電コード収納グッズが発売された。
従来のケースに始まり、会議や授業中に持ち込める筆箱に見せ掛けたケース、弁当箱や水筒に充電コードを括り付けられるクリップ、傘の内側に吊るす用の充電器ケース、内側に充電コードを引っ掛ける仕様の、犬猫用キャリーバッグ・鳥かご・虫かご等々……。
鞄に嵩張らないかつコードを傷めない等々の使い古しの文句でどういう訳か爆発的に売れた。
レイナは溜息を吐くのも忘れる程呆れていた。
「そんなに充電が好きならもう体に充電器埋め込めばいいよ」
「こらこら」と窘めながら僕は吹き出した。
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