5 愛
愛を数値化できる機械が発明された。
服の襟につけられるほど小型の『愛測定器』。
携帯端末より値が張るそれを人々はこぞって購入した。
皆、愛というものの実体に興味があったのだ。
それが発売された始めはオカルトチックな、例えば俗にある占いや心理テストのような注目のされ方だったので、愛を数値化することの恐ろしさを世間は一切吟味せず受け入れてしまった。
僕と後輩のレイナは随分と長い間『愛測定器』を付けることを拒んでいたが、ありとあらゆる場所で「自分の与えたのと同等の愛を返せない人間」とみなされ、学校やファミレス、病院……様々な場面で冷遇された。
耐え兼ねた僕が「つけよう」と彼女に言い、彼女は首肯した。
僕らは図書室のテーブルを挟み、向かい合っていた。
ピンマイクのように首元の襟に引っ掛けた『愛測定器』の、数値が表示される小さな画面を片手で覆った状態のまま本を読む。
不意にレイナがテーブルの上に突っ伏した。
彼女のツインテールがふわりと舞って、閉じた文庫本の上に着地する。
「こんなもの、裸見られるより恥ずかしいって、何で皆思わないの……?」
彼女は辛そうだった。
僕は何と返していいか分からない。
心の内ではひたすら『愛測定器』を開発した研究者を呪っていた。
この機械に欠陥が見つかるなりなんなりして、早くこのブームが過ぎ去ることを期待している。
僕は周囲に人がいないことを確認して、一瞬自分の測定器を取り外した。
そっとレイナの頭に手を乗せる。
彼女も測定器を外して僕の腕に触れた。
その方がずっと彼女と気持ちを共有できた気がするのだ。
僕は夜道と呼んで差し支えない帰路につく。
電柱の側に蹲っている社会人一年目くらいの女性を見つけた。
彼女の高級そうなワンピースの裾は擦り切れている。
素通りしかけて、もしや通り魔に襲われたのではないかという考えが過ぎる。それなら警察沙汰だ。
僕は勇気を振り絞って、彼女に声を掛けた。
「あ、あの……大丈夫ですか?」
彼女は顔を上げた。
前髪が目を隠しているが顔色が真っ青なのは分かった。
「あの! 警察、呼んだ方がいいですか……?」
彼女は緩慢に首を横に振った。
違うのよ、と唇が動いた気がする。
「……君、中学生かな? 私の話、聞いてくれる?」
彼女は酒焼けのようなガラガラ声で、目に涙と自嘲を浮かべていた。
つい三か月前かな。私、ある男を救ったの。
……そいつの借金をね、みーんな返してやったのよ。
その成り行きでそいつと恋人になって、婚約して両親に紹介して、結婚目前になって、さっき振られたの。
私、そいつに聞いたの。
『何でこんなあっさり捨てるの? あんなに優しくしてくれたのに』ってね。そしたら、何て答えたと思う?
『優しくしたのは早くお前と別れたかったからだよ』だって。
そいつの借金を私が返したことはもう身近な友達の間では有名な話になっててね、借りがあるまま私を切り捨てれば、そいつの方が人でなし呼ばわりされちゃうでしょ?
だから、『待ってた』って。私がそいつにあげたお金と同等の愛を返せるまでそばにいただけってことみたい。
だから、さっさと愛を返し終えるように優しくしたんだよね。何で気付かなかったんだろうね、バカだよね私。
私、ほんとバカだからそいつに追い縋ったの。
『まだ借金の全部は返せてないんじゃない⁉』って怒鳴ってみたけど、『ちゃんと計算しろよ。お前の両親に愛想良くした分があんだろ』って、言われて……。
最後にやけくそになって『愛してる』って叫んでた。
そいつも『ああ、愛してる』って返して……。
ピッてこの測定器が音を立てたの。
私の愛が100分の68。そいつに捨てられて裏切られたって分かってたのに68も愛してたの。
すぐ後にそいつの測定器がピッて音を立てて、その表示も、68だった……。
結局、そいつは寸分違わず私に借りを返していったってわけ。
語り終えて彼女はぽろぽろと涙を落とした。
僕は彼女の肩を支えて「家まで送りますよ」と告げた。
彼女と肩を並べて、他愛無い話をしながら歩く間、僕の『愛測定器』が小さく、けれどひっきりなしにピッピッと音を立てていた。
僕は測定器を毟り取りたい衝動をやり過ごしながら彼女との会話に集中した。
彼女も距離が近かったからその音に気付いていただろうが、何のリアクションもしなかった。
彼女の家の玄関に着いて、僕は踵を返そうとした。
彼女が「待って」と引き留める。
「君には、随分と親切にしてもらったから、何かお礼を……。せめて私にくれた気持ち分は返させて……」
彼女の提案は僕の『愛測定器』の数値を見せて欲しいという意味だ。それと同じだけ義理を返そうとしている。
僕はきっぱりと答えた。
「僕は何も要りません。
……あなたはさっきご自身を責めた分、あなた自身を労わってあげて下さい」
彼女がはっとした顔をしたので、慌てて顔の前で手を振る。
「すみません、偉そうなこと言って……」
しどろもどろになって締まらないまま僕は彼女の家を後にした。
彼女はいくらかすっきりした顔をしていた。
すっかり暗くなった街路を自転車で駆ける。
自分を労わる、という自分の言葉を思い出していると、ピッと測定器が鳴った。
慌てて急ブレーキ。キキーっとタイヤが甲高い音を立てる。
周囲には僕のほかには誰もいない。
嘘だろ。つまり、今のは自分への愛か。
自己愛……? 僕はナルシストだったのか……。いや、認めたくない……!
かあっと熱が昇ってきた。
『こんなの裸見られるより恥ずかしい』というレイナの言葉が蘇る。
本当に、愛を測るなんて裸見られるよりよっぽど恥ずかしいよ……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます