4 報復

 報復が世の中で暗黙の了解となり始めていた。

 自身の精神や身体に不利益になることをされた時、それと同じだけの不利益を加害者に与えることができる、というもの。


 その背景にはハラスメントによる精神疾患や自殺の増加が社会問題となったことにある。


 とは言え、この暗黙の了解は「自由に報復が許される」というより「報復によって、自己と他者の損得を同程度にし、遺恨を消す」ことの意識が強いものだった。


 当然僕の学校にもこの『報復概念』が覿面に蔓延った。




 僕は中学校の物理部に所属していた。


 平日の放課後はいつも後輩のレイナと図書室で過ごすが、土日の午後はずっと物理部で過ごす。

 二年生であるため言わずもがな先輩と後輩の板挟みの地位である。


 部室に宛てられた物理室で、僕は文庫本をパラリパラリと捲って読書に勤しんでいた。


 後輩先輩が入り混じり、物理部部員五名が僕の周囲でガヤガヤしているが、僕は気にしない。

 気にしない方が勝ちだ。


 ガラリ、とスライド式の扉が開いた。

 覗くように入ってきたのはレイナだ。


「カイ君いる? 図書委員の集会……」


 そこで、彼女は絶句した。


 僕は文庫本をそろっと閉じ、そっと自分の顔を手のひらで覆う。

 そうやって視界を遮ってみてもレイナの視線が僕の頭部、の上に固定されているのをひしひしと感じた。


 僕の頭の上に積み上がっているキャベツとレタス。


 レイナに気付いた後輩部員がはしゃぐ。

 彼はレイナと同じクラスだったか。


「なあなあ、見てみろよ。すげえだろ!」


「何これ……」


 レイナの困惑した冷ややかな声は僕にだけダメージを与える。


「俺の実家が農家なんだけど、なんと今年はレタス似のキャベツと、キャベツ似のレタスが同時に収穫されたんだよ。

 で、部室でお裾分けしようと持ってきたら、『カイ先輩の頭の形、綺麗。ちょっとこのレタスキャベツ乗せてみようぜ』って流れになって、今乗せてるとこ。

 バランス半端なくねえ⁉ すげえだろ!」


 僕の頭には一見ではキャベツともレタスともつかない緑の球体が五個、積まれている。


「そもそも『カイ君の頭の形が綺麗→野菜乗せてみよう』の流れが分かんない」


 レイナは不気味な物を見るように呟く。

 やはり僕だけがダメージを受ける。


「いや、ほら先輩の頭がさ、いい感じにキャベツレタスっぽいじゃん。

 これ乗せれるだろってなって」


「分かんないかなあ、このキャベツレタスタワーの面白さが!」


 横から口を挟んだのは先輩部員だ。


 僕はちょっと泣きそうになりながら、顔を覆い続けた。


「レイナちゃん、こんな僕を見ないで……」


 勿論、羞恥心が百パーセントだ。

 物理部全員がバカだと思われる……。


 と、絶妙なバランスを保っていた野菜タワーがガラガラと音を立てて崩れた。


「「「ああああーっ!」」」


 僕で遊んでいた部員たちの悲鳴。


 僕は漸く頭の重みから解放されて、ほっと息を吐いていた。

 あと十数分あの状態だったら首の骨にひびが入っていたんじゃなかろうか。


「折角あと少しで全部のレタスキャベツが乗ったのにぃ」


「てか、崩れちまったぜ。どうする? 床に落ちたの傷んでねえかなぁ」


「え、どれがキャベツ? どれがレタス? 俺の家系、皆レタス嫌いなんだけど! どうしよう、持って帰れねえよぉ!」


 ……騒がしい彼らを横目に、床や椅子にゴロゴロ散らばったキャベツレタスとレタスキャベツを机の上に仕分けて置いていく。


 僕は全て机に乗せ終えて、それぞれの緑の山を指差した。


「こっちがキャベツで、こっちがレタスね。

 ……ところで、もし次に騒いで部室の備品を壊した場合、弁償させるからね?」


 しん、と静かになって、僕の方を気にしながら部員全員がいそいそと備品の点検を始めた。


 彼らは、僕が一度弁償させると言えば、例え部顧問が許しても必ず僕に弁償させられると知っているからだ。そういう事件が前学期にあった。


 僕は深く溜息を吐いて、長らく待たせてしまっていたレイナと図書室へ向かった。




 廊下を歩きながら、僕は取り敢えず心を込めて謝罪する。


「お待たせして、……あと、おかしなものを見せて、ごめん」


「ああ、それは、いいんだけど……。何でああなったの?」


 僕をおバカ集団の一員から今のところ除外して話を聴いてくれようとする彼女に感激する。


「えっとね、さっき、ああなる前にちょっと叱ったんだよね……。多分その報復かな……」


 レイナが物理室を訪れる暫く前は、彼らと真面目に部活動をしていたのだ。


 が、実験中にふざける後輩や、何度も確認した手順を失敗する先輩、学校の課題プリントを無造作に火に近づける同級生をついつい叱りつけた。


 僕がそうしたのは、それが重大な怪我につながる危険もあったから。

 しかし彼らからすればお楽しみの時間を潰された気になる訳で、報復は受け入れるしかないと腹は括っていた。


 そして、休憩にしようと声を掛けた途端、案の定報復が始まったという流れ。


 聞き終えたレイナは虚空を睨み上げるような顔をしていた。


「カイ君は、さっきの男子たちに報復しないの?」


「んん? 何で? だってあれは彼らの報復だよ、プラマイゼロじゃない?」


 彼女が不審がる顔をしたので、意味が通じるような言い方を探す。


「あ、いや、だってさ、あそこで不満を貯め込まれるより、ああやって些細な意地悪程度で発散してもらえる方がよっぽどいいでしょ?

 結局、不満とか怒りが溜まっていくと苦しくなって、部活動辞めちゃうかもしれないし。

 ……皆さ、あんなだけど集中力がある時はあるし、まずもって物理が好きって人が集まってるし、大会に向けての貴重な戦力なんだよ。

 だったら適度に不満解消してくれた方が僕にとって長い目で見れば得だ」


 レイナが「はーん?」と呻いた。

 感心しているのか、呆れているのか、微妙な反応だった。




 後日の放課後、物理室で事故があった。

 僕が図書室にいた平日の物理部の活動でのことだった。


 誤って薬品を手に零した部員が数名いて、彼らの手の甲は火傷したみたいに爛れていた。大事には至らなかったという。


 僕は物理部を辞めた。

 三年生の部長から「次の部長になってくれないか」と誘われたのを断った。

 理由は、これから今まで通りに活動していける自信がなくなったから。


 日頃僕があれだけ注意を重ねても何も学習していなかった部員に失望した、というのも勿論ある。


 しかし辞めるまでに至ったのは、事故があったと部顧問から聞いた時、「それ見たことか」と思ってしまったことだ。


 部員への心配よりも先に、彼らに報いがあったことを喜んだ自分が嫌だった。


 レイナにも退部の旨を報告すると、彼女は意地悪そうに、しかし労うような響きをもって微笑んだ。


「じゃあ、これからは土日も僕がカイ君をひとり占めできるね」


「……今までほぼ毎日、学校に来てたから、これからは土日は家でゆっくりするつもりなんだ」


「ええー」


 彼女は拗ねて唇を尖らせた。


 放課後の図書室の本の匂いや明るい西日が僕には酷く心地良かった。



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