3 大根
大根さんが僕らの街に住み着いた。
大根さんは皆が知っている、あの太く白い根が特長の、アブラナ科ダイコン属の野菜だ。
人間サイズのそれ(彼)は、顔と首と胴体の区別はつかないが、頭の葉(おそらく髪の毛)の真下にひげ根と見間違う小さな目がついている。
大根さんは思慮深く人類に対して謙虚だった。
忽ち『大根さん』グッズが生産され、飛ぶように売れた。皆この巨大な白い根っこに夢中だった。
僕の後輩――レイナはというとこの世間の浮かれようが気に入らないらしい。
彼女は『大根さん』ブームが始まる以前から大根さんと知り合いだった。
僕とレイナは学校からの帰り道を、まるで帰る気がないようにダラダラ歩いていた。
僕は携帯端末の見づらい画面で動画を再生した。
大根さんがテレビ番組でインタビューを受けている。
彼は向けられる視線に居心地悪そうだった。
インタビュアーが視聴者の好奇心を煽るように声の抑揚をつける。
『ズバリ! あなたは何者なのですか⁉
宇宙人説も浮上しているようですが!』
大根さんが小さな目を瞬かせた。
『何者、と言われましても……。ええと……私は大根です』
コントラバスのような心地良い低音が迷惑そうに響いた。
大根なので相変わらず白い顔だけれど、人間なら赤面していたのかもしれない。
大根さんのそっとしておいてくれ、という本音がありありと見て取れてしまって気の毒になってきた。
僕は動画を停止した。
「あーあ」と隣でレイナが零す。
「最近、大根さんと気軽に話せなくなっちゃった。僕、あの人と話すの好きだったのに」
彼女は神経質そうにツインテールの左の髪の毛先を引っ張った。
『大根さん』ブームもそろそろ潮時になってきた頃、僕がスーパーで買い物をしていると、緑色のふさふさの髪に白いひげ根の生えた後頭部に出くわした。
「大根さん?」
僕は思わず声を上げてしまったことに慌てる。
大根さんは振り返って、「おや」という感じでつぶらな瞳を精一杯見開いた。
「あ、すみません。呼び止めるつもりはなかったんですけど……」
「いいえ、良いのですよ」
大根さんは注目を浴びることに疲れている様子だった。
僕はつい野次馬的意図はなかったことを伝えようと続けてしまう。
「僕、レイナちゃんと同じ学校に通ってるんです。
大根さんのお噂はかねがね」
大根さんの頭の葉が少し嬉しそうに跳ねた。
「レイナさんは私のどのような噂を?」
「人間では思いつかない面白い考えを持っている方だと」
真っ白いずんぐりした手で自身の頬(?)を掻く大根さんは、心から嬉しそうだった。
買い物に差し支えない数分だけ雑談をして、別れ際、僕はほんの小さな揶揄いで大根さんの買い物かごを指した。
「それ、共喰いですか?」
大根さんの買い物かごには玉ねぎや人参やごぼうが覗いていた。
大根さんは「ふむむ……」と唸った。
「共喰い、というのは、同種の蓄えた栄養を横取りすることを言うのでしょうか?
その、私は、もし同族がそれを望んでいる場合、それは『献身』と呼ぶのだと考えていました……」
それから、彼は僕を見つめて不思議そうに首を傾げる。
僕の買い物袋を指差し返していた。
「共喰い、ですか?」
僕の買い物袋には牛肉が透けている。
冷や水を浴びせられたような後ろめたさが襲った。
僕は大根さんと別れて、すぐに会計を済ませ店を出る。
買い物袋を自転車のかごに放り込み、全力で自転車を走らせた。
そんな訳はないけれど、大根さんは僕の狡さを見透かしているような気がした。
きっと帰り着いた頃には、姉と父の喧嘩は佳境に入っているだろう。
だが、経験則上もう少し時間を掛けて帰れば、修羅場を通り過ぎるだろうと知っていた。
だから、僕は息が上がるのも構わず必死でペダルを漕ぐ。
母はいつも姉と父との会話に衝突の気配を感じると、僕におつかいを頼んできた。
僕は喧嘩の場面を見たくないばっかりに母の頼みを引き受けた。
母だって逃げたかったはずなのに。
それは母の『献身』。
僕は母がそう望んだからと言い訳をして、母の優しさを搾取した。
自転車のハンドルを握る手がじっとり汗ばんでいた。
大抵の人間は共喰いをしながら生きている、のかもしれない。
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