2 QRコード
値札ブームが去ると、今度はQRコードをどこにでも刻むことが流行り出した。
服や靴やバックや……要は身の回りの物全般だ。
縦が約15cm、横は約10cmのQRコード
QRコードに携帯端末を翳せばポイントが貯まっていって何かしらの特典が貰えるアプリも登場したらしい。
他人の持ち物に無断で携帯端末を向けても、皆平気なのだ。
僕と僕の後輩のレイナは、彼らのその神経に辟易した。
僕は両親に「一つもQRコードを付けないなんてお友達から変に思われるわよ」とネチネチ小言を言われてもそうしなかった。
放課後、僕とレイナは図書室で読書に勤しんでいた。
僕は彼女が本に夢中になっていることを窺い見て、軽く腰を上げた。
椅子に座っているより、少し浮かせている方が楽なので、この時間も何度かこうしている。
レイナが遠慮がちに本から顔を上げた。
「ねえ、カイ君。トイレ行って来てもいいけど」
僕が落ち着きないことに気付いていたらしい。
別に行きたいわけではないけれど、勘繰られる前に素直に腰を上げる。
僕がトイレから戻ってきても、まだ居心地悪そうにしていることを訝しがったのだろう。
とうとうレイナは読みかけの本を閉じた。
「カイ君、今日ちょっと変じゃない?」
「……ストレートに訊くんだね」
結局僕はレイナの責めるような視線に負けた。
本当は隠しておきたかったんだけど……。
つい溜息を吐く。
「……昨日の夜に叔父さんがこっちに帰ってきて家に泊まったんだけど、なんか、かなり酔ってたっぽくて。
……父さんが叔父さんに、僕がQRコード付けてないことを告げ口したんだ。
告げ口っていうか、笑い話みたいな感じで。
そしたら急に『それはいかん。俺が付けてやる』とか言い出して、このざま」
僕はベルトを抜いて制服のズボンをずらした。
左手でガーゼを取り払う。
レイナが僕の指差す先を辿って、僕の背後に回り込む。
そして、「ぶ、ふっ、……」と笑いを堪えた。地味に傷付く。
僕の左尻の肌、と言ってもベルトに被るくらいの位置にくっきりQRコードが印刷されていた。
「ご愁傷様です」
「どーも」
明らかに面白がっている彼女に僕は不貞腐れた。
「これ、痛いよね?」
「手当はしてもらったけどね……」
僕が叔父さんに使われたQRコード印字機は魔法瓶の水筒など特殊な素材にも印刷できるものだった。
アイロンのように熱を加えるものだから、火傷になって腫れ上がっている。
彼女が携帯端末をスカートのポケットから取り出した。
「ちょっと!」
傷を笑われたことより、彼女が皆と同じように無神経に端末を翳したことがショックだった。
ピコ、とコード読み取り完了の電子音。
『
レイナが持つ小さな画面に映し出された動物たちのデフォルメ。
軽快な音楽と文字を読み上げる可愛らしい声。
「……バッカじゃないの、叔父さん」
得も言われぬ徒労感がのしかかってきた。
無論『
叔父さんが僕の誕生日を祝おうとQRコードを作ってくれていたらしい。
で、酔った勢いで僕に焼き付けてしまったらしい。
これには流石にレイナも気の毒そうな顔をする。
「カイ君、誕生日だったんだ。
ごめん、知らなかった」
あ、そっち?
僕は首を横に振って、気にしていないことを伝えた。
ズボンを履き直す。
レイナは手元の本をまとめて本棚に仕舞った。
もう帰ろう、の合図だ。
夜、ベッドに転がって無為に時間を過ごしていた。
そろそろ寝ようかと布団を被ったところで、携帯端末がピコンと僕を呼んだ。
レイナからメールだ。珍しい。
開けば画像が貼り付けてある。QRコードだ。
夕方の延長で、まだ僕を揶揄っているのか……。
たまに発動するレイナの悪ノリは正直好きになれなかった。
画像を保存して、QRコードで読み取って……。
僕はこういう機械の操作は苦手だが、なんとかページを開けた。
リンク先の画面には『誕生日おめでとう』のシンプルな文字。
お祝いメッセージが消えて、次の文字が表示される。
『これ、僕の初QRコードです』
トクン、と心臓が跳ねる。
素っ気ない文字を見つめるだけで、赤面してしまっていた。
ゴロゴロ身悶えて恥ずかしさを逃したいのに、お尻が痛くてそれも出来ない。
もう、なんだよ、もう!
これは、何か特典を得るためとか、オシャレを見せびらかすためとか、そういう得を狙ってのものじゃない。
ただ僕の誕生日を祝おうとして、レイナが作ってくれたQRコード。
僕はQRコードを作るなんて器用なことは出来ないので精々メールを返した。
『ありがとう、嬉しかった』
すぐにピコンと端末が鳴る。
彼女からの返信だ。
『うん。たまにならこういうのもいいね』
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