ブーム

季節一巡り

1 値札

 最近、値札を敢えて見せることが流行っている。

 服や靴や様々な物を店で買ったまま値札を外すことなく身に着けるのだ。

「価値を可視化する」のだとか。


 安物の服だと最初から値札がラミネートされていて洗濯機に放り込んでも耐えうるようになっている。

 しかしブランド物は紙製の値札で、値札カバーなる物を付ける仕様になっているのだ。

 勿論、高値の小物を身に着けている人ほど羨ましがられて鼻高々になる。




 僕らはこの世間の熱狂を斜に構えていた。


「くっだらない」


 一つ学年が下の後輩――レイナは人気のない高校の図書室で吐き捨てた。


「だね」


 実感を込めて相槌を打ったものの、初老の女性教師が図書室に入ってくると僕はもごついた。

 教師が首の後ろの襟元から紙製の値札を垂らしていたからだ。


 レイナは二つ結びにした髪の毛を指で梳いた。

 苛立っているのだろう。


 僕と彼女の関係は同じ中学校の図書委員の先輩後輩だ。

 毎日、放課後に図書室で本を片手にお喋りするくらいには仲が良い。

 レイナは僕を「カイ君」と呼ぶ。




 三日間、レイナが図書室に来なかった。

 別に明確な待ち合わせをしているわけではないのだけれど、何の断りも入れないくらい淡白な関わりじゃないと僕は思っていた。


 放課後、僕は自宅に帰ってから忘れ物に気付いた。


 私服で学校に戻って、一年生の教室を通りかかった時、ガタンと物音がした。


 驚いて窓から覗くと、レイナが教室の後ろの棚に背を預け、蹲っていた。


「レイナちゃん?」


 彼女は下着姿だった。制服は彼女の足元に散らばっている。

 僕は慌てて脱いだ上着を彼女に着せた。


「大丈夫だよ。やったのは女子だから」


 何も大丈夫じゃない。

 いじめた奴が男でも女でも卑劣なことは変わりない。


 レイナは震えていたが、気丈に見せたいようだった。


 彼女が「チクチクする」と呟いて、自身の首の後ろに腕を回した。


「あ、」


 僕は恥ずかしくて後ろめたくて堪らなかった。


 レイナ以外の前では僕は皆と同じように値札をつけていたから。

 クラスの中で一人浮くのが嫌だったし、両親に「一人だけ値札もつけずに外を出歩くなんて」と口を酸っぱくして言われるのに疲れていた。


 レイナは僕の上着の値札に気付いても、別に馬鹿にも蔑みもしなかった。


「カイ君が正解だと思うよ。

 こういう、くだらないことに反抗する時間もくだらないもんね。

 ……僕、今回のことで反省した」


 床にぐしゃぐしゃになった紺色の制服のスカートに、『0円』とマジックペンで書かれたA4用紙が貼り付けてあった。


 僕はセロハンテープを丁寧に剥がして、用紙を丸めるとゴミ箱に捨てた。

 

 制服を着始めたレイナと反対に、僕は自分の服を脱いだ。


 Tシャツの値札の上に油性マーカーで『0円』と書く。

 ベルトの値札に『0円』と書く。

 ジーパンの値札を引っ張り出して『0円』と書く。

 冷えた床にお尻をつけて靴を脱いで、スニーカーの値札に『0円』と書く。

 靴下に『0円』と書く。

 ハンカチを取り出して『0円』と書く。


 呆気に取られているレイナに、ハンカチを掲げてみせた。


「……これ、まあまあ快感だよ」


 レイナの瞳が輝いた。


「僕もやる!」


 僕らは鞄をひっくり返し、筆箱の中身、教科書の裏表紙、体育服、体育館シューズ、防犯ブザー、美術道具、書道道具……

 ありとあらゆる持ち物に『0円』と書き込んでいった。


 僕らが普段、価値を押し付けているモノがなんと多いことか。


 それら全ての値札に『0円』を書き終えた頃には、教室の窓の外は真っ暗だった。


 その日以来、僕はクラスメイトに怪訝な顔で値札を指差される度、こう答えた。


「僕の値段は僕が決めるから、他人からの評価は『0円』でいいんだ」


 お互いに話題にはしなかったが、レイナも僕と同じような文言でクラスメイトを撥ねつけているようだった。




 ひと月が経ったか。相変わらず、値札を見せることが流行っている。


 ただ以前と違うのは買った物の値札の上に『0円』と書き込むのがよりスタイリッシュということになったことだ。


「流行に飛びついて、くっだらない」


 レイナは吐き捨てたが、その声は可笑しそうな笑みを含んでいた。


「だね」


 僕は実感を込めて、まるで僕ら二人だけこの世で価値があるように頷いた。






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