第24話


 ある日の休日。

 日頃の疲れを癒すべく惰眠を貪っていた僕は、携帯電話の着信音で叩き起こされた。

 時刻は朝の七時。いったいこんな早朝から何の用が───


『着信 松原香』


「松原香……って理事長か!」


 数秒フリーズした後、慌てて電話に出る。


「もしもし?」

「あ、西条くん?今大丈夫?」

「はい。どうかしたんですか?」

「ちょっとね……由香ちゃんが風邪をひいちゃって」

「えっ、大丈夫なんですか?」

「ひとまずは安静にしてれば大丈夫なんだけど……私今日も仕事があって家を離れなきゃいけないのよ。それで、西条くんにお願いできないかなって……」

「休日手当は出ますか?」

「もう!欲しいならいっぱいあげるから。お願いしてもいい?」

「冗談ですよ。看病するのはいいんですけど、どこに行けばいいんですか?」

「ああ、それなら今から迎えに行くから安心して」

「あれ、家の場所教えたことありましたっけ?」

「私を誰だと思ってるの?」

「……それ、職権乱用ですよね」

「……じゃあ、今から迎えに行くわね」


 ……電話が切れた。

 あの人が理事長で、うちの学校は大丈夫なのだろうか?

 私情に関してはどうにもポンコツのようにしか思えないので、不安を感じずにはいられなかった。

 まあ、仕事ではしっかりしているのだろう。あの歳で学校の理事長なんてしているくらいだし、そうに違いない。きっと。


 仕方ないので、朝ご飯や支度をし始める。

 リビングに降りると、すでに起きていた母親に奇妙な目で見られた。


「あら、早いのね。珍しい」

「あー、理事長の娘さんが風邪ひいたらしくて」

「ああ、特別保育生の」


 思えば、全ての元凶はこの親にあるのだった。急に腹立たしく思えてきた。


「まあ、頑張りなさいな」

「他人事だからって……」

「まあまあ、絶対将来役に立つから。そういえば、学校にいい人はいないの?」


 お節介な親である。


「おかげさまで、クラスメイトたちからは避けられてるよ」

「でも、一人くらいいるでしょ?」

「いやいや、一人も……」


 秋川さんの顔が頭によぎる。


「ほーら。いるんじゃないのー」

「いやいや、そりゃあ同じ部活の人が一人いるけど、そんなんじゃないから」

「えー。狙えばいいじゃない」

「いや、それは……」


 今度は、理事長の顔が頭によぎった。

 いやいやいや。ないない。狙ってるとかじゃない。


「高校生の恋愛なんてだいたいが破局で終わるんだから、当たって砕けるくらいの気持ちでいいのよ」

「そんな夢のないこと言わないでよ。ていうかそれならなおさらだし。唯一の部員と気まずい空気になったらどうするのさ」

「それもそうねえ」


 ……この親、絶対に何も考えてなかったな。

 そんな風に母親に絡まれたりしながら支度を整えていると、家のインターホンが鳴った。


「はーい。ああ、お久しぶりですー。あ、お話は聞いてますから、今送り出しますねー」


 まあ、聞かずとも理事長だろう。

 これ以上茶化されるのも面倒なので、さっさと出ることにした。


「あ、西条くん。早いわね」

「いえ、待ってたので……って、凄い車ですね」


 うちの家の前には、背の低い明らかに高そうな車が停まっていた。

 これは、あの走る時にすごい唸り音が鳴るようなやつだろうか?


「ああ、これね。夫に逃げられたときにヤケ買いしたのよ。元の車には乗りたくなくて」

「うわ、聞きたくないエピソードでした」


 聞かなきゃよかった。といっても、これをスルーできるほどの度量は持ち合わせていないので無理な話だったが。


「まあ、そんな話はどうでもいいじゃない。早く行きましょう」

「そうですね」


 やはりそこはお互いに触れたくないところでもあったようで、理事長に誘われるようにその車に乗り込んだ。


「なんていうか……すごいですね」


 座席は何やら皮のようなものでできており、うちの車とはそもそも内装の雰囲気からして別物だった。

 そして、後部座席のチャイルドシートがこれまた異彩を放っている。


「でしょう?私はもう慣れちゃったけど」

「その発言、成金野郎って感じがしますよ」

「あらあら……でも、男の人を乗せたのは初めてだから緊張しちゃうわね?」

「それは光栄ですね」

「……もう」


 自分で言い出して、自分で照れる理事長なのであった。

 ……僕も照れ隠しだったのは、内緒にしておこう。

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