第11話 爆発(下)
正直なところ、ハローリボンについての魅力を語っている最中に少し冷静になった俺は「あ、やっちまった」と思っていた。
好きなものを不当に貶められた怒りで語り始めたはいいものの、ハローリボンの魅力を語る俺の姿を見る委員長の目が、どんどん生ゴミを見るような目になっていっているような気がしたのだ。
……うん、間違いない。滅茶苦茶引いてる。
ああ、これで俺の中学生活も終わりか。
不良というレッテルの上にハローリボン大好きという情報が付加され、きっと俺の中学生活はこれまで以上に息苦しいものになる。いやだが、大好きなもののために殉死するのは悪くないか……とすべてを諦め受け入れようとしていたとき。
俺はあることに気づいた。
俺のことを生ゴミのような目で見る委員長が、いまだに白子のテニスをしっかりと抱きしめているのだ。
それはついつい机の上に戻すのを忘れたからという感じではなく、まるで敬虔な信徒が聖典を慈しんでいるような様子で……。
そこで俺ははたと思い出す。
そうだ、委員長は白子のテニスのことを神作品と言っていたではないか。
そして白子のテニスの内容をがっつり把握しているかのような尋問の数々。
……まさか、委員長は白子のテニスの大ファン?
今日書店に来ていたのも俺の趣味を暴くとかそんなことではなく、白子のテニスを買いに来ていたのか? だとしたら、なぜこんな隣町まで?
そこまで考えたとき、俺はその答えを一瞬でひらめいた。
……そうか、こいつもしかして
「……ところで」
思った以上にすんなりとハローリボンへの暴言を撤回してくれた委員長に対して、俺はある質問をすることにした。委員長の事情についてほとんど確信していたが、念のため、こちらも言質をとっておいてやろうと思ったのだ。俺ばっかり弱みを握られていたんじゃあ、フェアじゃないからな。
「その白子のテニスなんだが、神作品なんて呼べるほどの傑作だったっけ?」
俺が煽るようにそう質問した瞬間。
委員長の目がカッと見開かれた。
「こんなに色々な意味で興奮できる漫画、他にあるわけがないでしょう!」
そして興奮したようにバシバシと机を叩きながら、
「いい? まずこの作品はなんといってもソロプレイの多いテニスという題材でありながら、チームとしての強さを描いている傑作なの。試合運びや各キャラクターの強さ、信念のぶつかりあいもさることながら、チームメイトやライバルとの繋がりが選手の精神状態や技術の向上、勝負強さに繋がり、ともすれば無機質にもなりがちな試合の中に素晴らしいドラマを生んでいる! キャラクターはかなり多いけれど、その中でもきちんと対比や繋がりがあって、ひとりひとりがとても魅力的なの! もうその中から無限にカップリングを生み出すことができるわ。本編もさることながら、細々した情報から彼らの私生活や関係を妄想するのがもう楽しくて楽しくて、物理的に身体が熱くなるくらいよ。さらにこれは私だけじゃなくて、全国に似たような人がたくさんいるから、ネットを介して彼女たちの妄想を活字や漫画で大量に摂取できるの! これだけの体験が一冊500円以下、ネット代を含めても1000円以下で体験できるなんてコスパがいいってレベルじゃないわ! 白子のテニスを通して体験できる感情は最早神との邂逅、いってしまえば日本的宗教体験、これ以上の聖典なんて他にないし、なんだか本編が最終回に向かってそうなのを察していても認めたくないレベルよ!」
委員長は俺が想定していた10倍くらいの熱量で語り始めた。
……ええと。
これってまさか、ただの少年漫画好きじゃなくて……腐女子ってやつか?
●
「……………………………………」
我を、忘れていた。
目の前の不良が白子のテニスを「神作品なんて呼べるほどの傑作だったっけ?」なんて言うものだから、完全に理性が飛んでいた。別に不良は悪意や揶揄の意思があったわけではなく、単純に興味があって聞いてきただけだろうに、なんで私はもっとソフトに答えられなかったのか。
恥ずかしくて顔が上げられず、私はテーブルを凝視したまま動けないでいた。
ああ、顔が熱い。きっと真っ赤になっている。
ああ、これで完全に腐女子だということがバレてしまったに違いない。
せっかく不良の弱みを握ることができて、これをネタに各種少年漫画を買うようパシらせられると思ったのに……あと単純に恥ずかしいというか、どういうリアクションが返ってくるのか不安で仕方ない。
「そうか」
と、私の早口語りを聞いた不良が少し楽しげな雰囲気でぼそりと呟いた。
まさか私のちょっと気持ち悪いレベルの「白子のテニス」語りを見世物的に楽しんでいる!? と反射的に顔を上げたときだった。
「好きなんだな、その漫画。悪かったよ、大して好きでもない俺が買っちまって」
野蛮極まりない顔、簡単に人をぶっ飛ばせそうな身体、まるで友好的な雰囲気の感じられないぶっきらぼうな声。けれど不良は、こちらが思わずぎょっとしてしまうほどに楽しげで安心したような笑顔を浮かべていた。
「その、俺もさ、実はそっちの、ハローリボンのほうを買いに来てたんだけど……お前がいたからさ、恥ずかしくて、別の本を買いに来たふりをしてたんだよ」
なぜ不良が大して興味のない白子のテニスを買ったのか、その理由が語られる。
そうなると彼が白子のテニスに手を伸ばしたのは、ほとんど偶然みたいなものだったということだ。
「ぶっちゃけ、俺は白子のテニスにはあんまり興味がないし、最初のほうしか読んでないから最新刊なんて買っても意味がねーんだよ。だから、それはお前にやる」
「え!? いいの!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
水滴で少し表紙が汚れてしまっているから、保存用兼観賞用として後日また買う必要があるだろうが、いま重要なのはなにをおいてもまず中身、本編だ。
願ってもない申し出に私がテーブルの上に身を乗り出していると、
「……あー、それでだな、白子のテニスをやる代わりって言ったら変なんだが」
不良がもじもじと歯切れ悪く、明後日のほうを向きながらぼそりという。
「その、そっちが持ってるハローリボンのほうを、読ませてくれよ。……どうしても、続きが気になるんだ」
聞き取りづらいぶっきらぼうな声。はっきり喋れよと思わなくはないが、つい数十分前に抱いていた嫌悪感はどこかへ消え、私はその申し出に自分でも驚くほどすんなりと答えていた。
「もちろんいいわよ」
「ほ、ほんとか!?」
「ええ。でも、これは妹に頼まれた本だから、白子のテニスの代わりにあげるというわけにはいかないわ」
白子のテニスの代金は後日払うとして、妹との約束のほうが先だったのだから、ハローリボンをこのまま渡してしまうわけにはいかない。
「だからとりあえず、ここで読んでいきなさいよ」
私は不良のほうにあったハローリボンを指さして言う。
「私もここで白子のテニスを読んで行くから。……正直、いますぐ読みたくてもう我慢できないのよね」
私がうずうずと白子のテニスに手を伸ばすと、不良も照れくさそうに笑いながら、
「……俺もそうだ」
私が白子のテニスを開くのと同じタイミングで、ハローリボンの表紙を開くのだった。
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