第10話 爆発(上)

 淫売雑誌……? 


 委員長の口からハローリボンを貶める言葉が飛びだした瞬間、委員長に対する恐怖は完全に消し飛んでいた。


 ハローリボンが淫売雑誌だと……?


 確かに昼ドラも真っ青なドロドロ展開があったり、たまに少年漫画では絶対やらないような生々しい性行描写があったりするが、それらはあくまで登場人物たちの感情を引き出すための舞台装置という意味合いが強い。決して淫らな行いを推奨しているわけではないし、みだりに性的な描写を行っているというわけでもないのだ。


 それが淫売雑誌だと?


 ドロドロとした展開と同じくらい心が洗われるような展開も多数あるこの素晴らしい漫画雑誌を淫売と罵ったか、こいつは。


 しかもこの女、「こんな淫売雑誌に目を通したことなんてない」と言ったな。

 中身を読んでもいないのに、決めつけでそう言ったわけだ。

 ふざけんじゃねえぞ。


 こうなったら、いかにハローリボンが素晴らしい雑誌が思い知らせてやろうじゃねーか。

 俺がハローリボンの愛読者だとバレるリスクはあるが、そんなものはもう二の次だ。


『少女漫画を好きな俺』をバカにされたなら俺が恥ずかしくて腹が立つだけだ。

 けど好きなものを目の前で不当に貶められて、黙ってられるか。


「おい委員長、その雑誌が淫売雑誌だってのは、どこを見て判断したんだ?」


 と、俺が委員長に問いかけたときである。

 ぶわっ、と委員長の髪の毛が逆立ち、いままでとは比べものにならない威圧感を放ち始め、


「……っ!」 


 ばっ。

 委員長は無言で俺のオレンジジュースをひったくると、いつの間にか下敷きになっていた単行本を病的な表情で拭き始めた。


     ●


「あなたはバカなの!?」


 野蛮人の蛮行から白子のテニスを救出した私は、手持ちのハンカチとティッシュで白子のテニス最新刊に染みこんだ水滴を丁寧に取り除きながら叫んだ。

 ああっ、すぐ助けたのに、白子とイクラの描かれた表紙が微妙に汚れてしまっている!


「これがどれだけ価値のあるものかまるでわかってないわ! さっき白子のテニスについて語ったその内容といい、必殺技の無知といい、あなたこの神作品をまともに読んでないでしょう! でなきゃこんな酷いことが出来るはずないわ!」


 こんな男に聖典をわたしておいてなるものか。

 最早腐女子バレのことも頭から吹き飛び、私は白子とイクラを胸にかき抱いていた。


 ああ、二人が私の胸の中で睨み合ってる……。


 若干陶酔しながら不良を睨み付けると、不良も負けじとこちらを睨み返してきた。


「んなことはどうでもいいだよ」

「はあ!? どうでもいい!?」


 私が吹き上がると不良はむっつりとした表情のまま目に怒りを浮かべ、


「いいからさっきの質問に答えろ。ハローリボンのどこか淫売雑誌だ。読んだこともないのになんでそんなことがわかるんだ」

「はっ。読まなくたってわかるわよ。表紙に頭空っぽな男の口説き方なんて煽りを入れてる雑誌が淫売雑誌じゃなくてなんだっていうのよ」


 本当は別にそんなことないだろうというのはわかっているし、通常、年頃の女の子がこういった話題に多少の過激さを求めてしまうことも知識としては知っている。

 けれど自分がその雑誌に載っていたテクニックとやらを知らずに使ってしまっていた気恥ずかしさに加え、白子のテニスを無下にされて冷静さを失っていた私は不良の反抗的な態度に攻撃的なリアクションを返してしまう。

 すると不良はさらに肩を怒らせ、ドスの効いた声で断言した。


「ざけんな! ハローリボンはなぁ、世界一の雑誌なんだよ!」

「……は?」


 意味がわからず呆気にとられる私をよそに、不良は机から身を乗り出してこちらに手を伸ばしてきた。

 なっ、まさか暴力!? と思いコーヒーを顔面に引っかけてやろうと身構える。

 だが不良の手は私の隣に置いてあったハローリボンに伸び、顔に似合わない丁寧さで包装を剥がす。そして連載作品の一覧が作家名とともに載っている奥付ページを開くと、


「いいか、まずは一押しの初恋ファンファーレだ。確かに一般の少年雑誌なんかと比べてエロい方向に過激な描写は多いが、それは読者の劣情を煽るような描写じゃないんだよ。男の俺が言うんだから間違いない。どっちかっていうと人間関係の過激さを表現するために性的な描写があるといっていいな。でもってそんな性的な部分は本編のおもしろさを際立たせるためのスパイスでしかないんだよ。そんなとこは本筋じゃない。恋愛を軸にしたもどかしい関係、激しい感情の応酬、思わずニヤニヤしてしまうような展開……人としての感情を根本から揺さぶられるような描写の数々が少女漫画にはあるんだ。初恋ファンファーレだけじゃないぞ。他の作品も傑作揃いだ。たとえばこれ、『ハチノコとスイーパー』は思い出すだけで胸が締め付けられるようなエピソードが多いし、こっちの『二×三角関係』は思い出しただけで笑いがこみ上げてくるラブコメの傑作だ」


 それまでの寡黙さはなんだったのかというほど饒舌に、不良がハローリボンの魅力を……いや少女漫画雑誌の魅力を語り始めた。なにやら獲物を前にしたクリーチャーがごとく醜悪な笑顔を浮かべており、気味の悪いことこの上ない。

 だが強烈な気味の悪さを感じると同時に、私はひとつの確信を得ていた。


 この男、『十年ぶりの娑婆だぜ』という台詞が似合いそうな風体で、そんなにも少女漫画が好きなのか……。


 それは下手すれば、自分自身の少年漫画愛、BL愛に匹敵するほどの熱量で。


 ……なるほど。


 目の前で延々と少女漫画雑誌の魅力について気持ち悪く語り続ける不良の姿を見ながら、私は彼がなぜ今日こうして私と鉢合わせたのか、なんとなく理解できてしまっていた。


 彼はきっと、ハローリボンを買いにきたのだ。人目を避けて、わざわざ隣町まで。


 少年漫画コミックの棚の前でずっとうろうろしていたのは、万引きしようと人目を気にしていたのではなく、少女漫画を買うのが恥ずかしくて人目を気にしていたのだ。


 わかるわ。

 だって私もそうだもの。


 まあ、それがどうしてまったく読んでないだろう白子のテニスの最新刊を購入することになったのかは少々不可解だが、とにかく目の前の男が私と同じだということはよくわかった。趣味も風貌も人種もまるで反対だけど、彼は私と同類だ。

 

 さっきまでゴキブリのように毛嫌いしていたし、いまも早口で少女漫画雑誌の魅力を語る様はちょっと気持ち悪いが、まあなんというか、親近感のようなものを抱いてしまっている私がいた。



 まあ、それはそれとして。



 私は内心、ほくそ笑んでいた。

 不良は滑稽にも自分から弱みになり得る内面をさらけ出し、ベラベラと語っている。

 彼が私と同類だというのなら、自分が少女漫画雑誌を愛好しているなどと周囲に知られたくはないはずだ。そこを利用すれば、この男に少年漫画を買ってきてもらうことで周囲にBL趣味がバレることなく安定して少年漫画を楽しめるのではと考えたのだ。


 もちろん私がこの男に弱みであるBL趣味をさらけ出すなんてあり得ないから、私がBL趣味だとは悟らせないよう巧妙に!


 難易度は高いが、私のほうが相手の弱みを握っているぶん有利。

 さあどうやって籠絡してやろうかと思っていたときだ。


「さあ、これでハローリボンが淫売雑誌なんかじゃない、魅力溢れる本だってわかったな?」

「え? ……ええ、そうね。前言は撤回するわ」


 少女漫画誌の魅力について語り終えたらしい不良が同意を求めてきたので適当に頷く。

 正直半分も聞いていなかったが、彼が少女漫画誌を愛しているのは気持ち悪いほど伝わってきたし、それだけの情熱をもって語れるものなら方向性はどうあれ少女漫画とは素晴らしいものなのだろうと自然に納得できてしまっていたのだ。

 さて、それじゃあ目の前の少女漫画愛読男をどう手玉にとってやろうかと思っていると。


「わかってくれたならよかった。……ところで」


 不良は肩で息をしながら、私がずっと胸にかき抱いていた白子のテニスを指さした。


「その白子のテニスなんだが、神作品なんて呼べるほどの傑作だったっけ?」

「あなたはそれを本気で言っているの?」


 決して私のように作品を読みもせずに貶めたわけではない。

 だが目の前の男が発した、若干煽るようなひと言を聞いた私は……


「こんなに色々な意味で興奮できる漫画、他にあるわけがないでしょう!」


 私は不良を自分の手駒にしてやろうという悪巧みも忘れ、反射的に口を開いてしまっていた。

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