第7話 一手頓死
カフェの併設された書店というものを見かけるようになったのはつい最近だ。
家に帰るまでがもどかしく思えるような本を買ってそのまま入店し、美味しいコーヒーやケーキとともに素晴らしいフィクションの世界に沈む……なんて素晴らしい時間だろう。
けれど中学生の身としては一杯で何百円もするようなコーヒーやケーキを頼むのはかなりハードルが高い。こういう贅沢な空間はもう少し金銭的に余裕のある年齢になってからか、さもなくばよほど大切な人と落ち着いた時間を過ごすために利用すべきだ……と、私はカフェの併設された書店に立ち寄るたびにそんなことを考えていたのだが。
「……ホットコーヒーをひとつ」
「……オレンジジュースをひとつ」
私の目の前には厳つい顔の同級生が無駄にでかい身体を座席に押し込めるように座っており、むっつりと腕組みしている。
店員さんはぎょっとしていたし、周囲の大人しそうなお客さんからも少し警戒するような視線を注がれてしまっていた。
ぐっ、咄嗟のことで他に喫茶店を探すような余裕もなかったとはいえ、これは少し迷惑だったかしら。
そんなことを考えながら、テーブルに運ばれてきた飲み物に口をつける。
私が頼んだのはホットコーヒーのブラックだ。
対して目の前の不良が頼んだのは、オレンジジュース。子供か。
そのままヤクザ映画に出演しても違和感のない見た目をした男がストローでオレンジジュースを飲む様はちぐはぐすぎて鳥肌が立ってくる。
……いやまあ、そんなことはどうでもいい。
カフェに入ってからいままで、会話はゼロ。
不良は私の出方を窺うようにむっつりと押し黙ったまま。
白子のテニスを読ませてもらえるよう誘導するにはこちらからなにか切り出す必要があるが……それはかなり難しかった。
あなたみたいな人間がどんな本を読むのか興味がある――冷静に思い返してみれば、こんなセリフとともに同級生男子をカフェに引きずりこむなんて、これではただの尻軽女じゃないかという思いが私の胸中を満たしていたからだ。
一度自覚してしまうとどうにも羞恥心がぬぐえない。
こんなやり方でカフェに引きずり込んだ以上、またこちらから会話を始めるのはさらに尻軽度が増してしまうような気がして、私はどうにも次の一手を打てないでいたのだった。
とはいえこのまま無駄に時間を浪費していても事態は好転しない。
どうしたものか、と私が懊悩していたそのときだった。
「……俺は」
不良がぼそぼそと口を開いた。
は? なに? はっきり喋れ、はっきり。
「俺は、普通に、少年漫画を読む」
そう言って、不良は袋から取りだした白子のテニス最新刊をテーブルの上に置いた。
●
――あなたがどんな本を読むのか興味があるわ。
委員長に半ば拉致されるようなかたちでカフェに引っ張り込まれた俺の脳裏には、ずっとそのセリフが駆け巡っていた。
これはやはり、俺が少女漫画を愛読していると委員長は確信している……?
そして決定的な証拠を押さえてやろうと画策している……?
それ以外に委員長が俺をこんな洒落たカフェに誘う理由なんかないし、俺が買おうとしていたハローリボン最後の一冊を購入するなんて偶然が起きるはずもない。
つまり、これは罠。
いまはスマホで簡単に録音もできる時代だ。いまこの場での会話は委員長の手によって記録されていると考えたほうがいい。
委員長が脇に置いているあのハローリボンに俺が少しでも興味を示そうものなら……恐らく俺の中学校生活は無茶苦茶にされる。
悪鬼羅刹を彷彿とさせる委員長の表情や態度が俺のそんな予想に確信を与えていた。
ここまで来た以上、ハローリボンは是が非でも読みたい。
しかしそれには、俺のほうからハローリボンを読みたいという意思を一切感じさせることなく、むしろ委員長のほうからハローリボンを差しだすように仕向けなければならないらしかった。
……そんなのどう考えても不可能だ。
委員長が俺の趣味を察しており、俺がハローリボンを求める様を記録しようとしているのなら、この恐ろしい女は自分からハローリボン(切り札)を差しだすような真似は決してしないだろう。
ぐっ。
昼も夜もなく恋い焦がれたハローリボンの最新号が目の前にあるというのに……俺には最早、保身を重視した撤退線を行うほかに手がないようだった。
だから俺は寮の拳を握りしめながら、慎重に言葉を紡ぐ。
「俺は、普通に、少年漫画を読む」
机の上に先程購入したコミックを取りだした。
ええと、確かタイトルは……と表紙を確認する。ああそうだ、白子のテニスだ。
以前、友達に貸してもらったから、序盤の展開くらいはなんとか覚えている。さすがにナンバーワン雑誌の看板作品だけあって普通に面白かったし、ある程度の感想は言えるだろう。それで、俺が少女漫画を愛読しているという疑惑を晴らす。
俺は今日、ただ気晴らしに隣町まで来て、愛読している少年漫画の最新刊を買っただけだという体を装う。
白子のテニスの狂信的なファンを相手にするのでもない限り、それでこの場を切り抜けることは可能なはずだ。
そう考えて、俺は慎重に続きを口にした。
「今日買った、この、白子のテニスも……あれだ、主人公の白子が消える魔球で単身、全国制覇を目指す様がかっこいいんだよな」
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