第5話 戦闘開始

「げっ。委員長のやつ、まだ本屋にいる」


 いったん本屋から出て時間を潰していた俺だったが、ハローリボンが売り切れるかもしれないと思うといてもたってもいられず、数分も経たないうちに戻ってきてしまっていた。

 見れば委員長はなにやらゾンビみたいな足取りでレジに雑誌を持っていっている。


「本屋に来たのは俺の弱みを握るためじゃなかったのか……?」


 もしかして自意識過剰なだけだったんだろうか。いやでもあの殺気は絶対に本物だったし……わからん。 


 まあ考えても仕方が無い。

 念のために委員長の視界に入らないよう注意しながら雑誌コーナーへと向かう。

 雑誌コーナーの周囲は折良く人気が途絶えており、ハローリボンを手にする千載一遇のチャンスだった。


 やっぱり一度出直して正解だったらしい。


 さあ、息を整えて。

 あまりもたもたしているとまた人が集まってきてしまう。

 かといって焦りすぎもよくない。

 タイミングを考えずにハローリボンをレジに持っていってレジが混雑していた場合、剥き出しのハローリボンを手にしているところを長時間衆目に晒すことになってしまうからだ。そのうえ俺の後ろに人が並んだりしたら最悪だ。

 後ろの人に俺が手にしたハローリボンを見られていると想像しただけで変な汗が出る。

 さて、レジが空いた瞬間に駆け出せるよう、まずはハローリボンがどこにあるのかしっかり確認して……


「……あ?」


 俺は自分の目を疑った。

 ハローリボンの最新号が……ない!?

 そんな、さっきまで確かに1冊残っていたのに!


 俺は血眼になって雑誌コーナーを確認するが、残っているのは他の少女漫画雑誌ばかり。

 ハローリボンの最新号があったであろう場所には、売り切れを示すようにぽっかりとした空間がひらけているだけだった。


「マジかよ……」


 いまさっきのわずか数分の間に売り切れてしまったと、そういうことなのか?

 ぐぅ……あの委員長のプレッシャーさえなければこんなことには……!


 瞬間的にそう思った俺は、まだレジのあたりにいるだろう委員長へ恨み辛みを込めた視線を向けようと振り返ったのだが――俺はそこで信じられないものを見た。


 俺のすぐ近くに、レジで会計を済ませた直後らしい委員長が立ち尽くしていたのだ。

 

 そしてなぜか俺の前で呆然と立ち尽くす委員長がその細い手に抱えていたのは……中身が微妙に透けて見える本屋のビニール袋に包まれた、ハローリボンの最新号だった。


      ●


 なっ……。

 レジで少女漫画雑誌ハローリボンの会計を済ませて帰ろうとしたときだった。

 視線の端に、私は確かにそれを捉えた。

 白子とイクラがキス寸前の体勢で睨み合う表紙である。


 書店のロゴが印刷されたレジ袋に邪魔されてうっすらとではあったが、それは確かに「白子のテニス」最新刊だった。


「白子のテニス……白子のテニス……」


 私は最早半ば理性を失ったようなかたちでその表紙に吸い寄せられていた。

 それはもう既に誰かが購入したもの。

 赤の他人、しかも買ったばかりのそれを読ませてくれなんて言えるわけがないのだが、それでも私はふらふらと白子のテニスに近寄っていた。

 そして気づいたのだ。


「……は?」


 白子のテニスを乱雑に掴んで雑誌コーナーに立ち尽くすその男が、私の毛嫌いしている不良だということに。


 はあああああああああああん!?


 なんで!? 

 なんでこいつが白子のテニスを買ってるの!? 

 まさかこいつも腐女子!? 

 この不良が私と同じ趣味だとでも……いや、冷静になれ私。白子のテニスは少年漫画。対象読者はもともと男子中学生や男子高校生。目の前の不良が購読していてもなんら不思議はない。不思議はないのだ。

 

 と、私が白子のテニスを手にした不良を前にパニックを起こしながら立ち尽くしていると、不良もこちらに気づいたようで、なにやらぎょっとした表情でこちらを見ていた。

 

 まずい。

 

 私としたことがクラスメイトの前で、それもこの不良を前に随分と取り乱してしまっていた。万が一にでも私が腐女子だと知られるわけにはいかないというのに……ここはとりあえず、なんでもなかったように立ち去るのが最善の選択だ。


「……」

 

 だというのに。

 私はその場から一歩たりとも動けないでいた。

 目の前に白子のテニスの最新刊がある。

 しかもそれを手にしているのは、いちおう、百歩譲って面識のある、話しかけてもギリギリ違和感のない、クラスメイトという存在。たとえ教室内でひと言たりとも言葉を交わしたことがなくとも、敵視していても、「死ねクソ野郎」という感情を込めて睨み付けたことがあったとしても、なんとか顔見知りという範疇ではある。 


 やり方次第では、ここで白子のテニスを読ませてもらえるのでは……?


 そんな可能性を前に、私は動けないでいたのだ。

 しかしこの男に自分が腐女子だと悟られることなく、そしてこびへつらうことなく白子のテニスを貸してもらう……そんなことが可能なのか。

 白子のテニスをこっそり購入するよりも遥かに高いハードル。

 潔くレジで予約して商品が届くのを待ったほうが確実だし、なにより安全だ。

 だというのに……。


「あ、あら、奇遇ね。あなたみたいな人種が本屋に来るなんて意外だわ」


 白子のテニスを前にして完全に冷静さを失っていた私は、クラスで最も毛嫌いしていた男子に友好的な態度で口を開いてしまっていた。

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